第十一章

文字数 3,189文字

彼の顔を見ると、お祖父さんは両手を広げ、駆け寄ってきた。
 「ああ、よかった、無事で。お前にもしものことがあったらと思うと、心配で、心配で」
 感極まったように言い、何度も抱き締める。
 彼は、お祖父さんを安心させるように、優しく抱き締めた。
 「大丈夫ですよ。お祖父さん。僕は柔そうに見えて、けっこうしぶといんですから」
 「そこの警部さんから、神木が『科学の真髄』の強奪に向かったときいて気が気じゃなかったんだよ。それで、『科学の真髄』はどうなったんだい」
 彼は唇を噛んでうつむいて言う。
 「それが……神木に奪われてしまいました」
 「ああ、なんということだ!」
 お祖父さんは微かによろめき、額に手を当てた。
 やがて、彼は顔をあげてきっぱりと言った。
 「僕たちは、これから青山町へ向かいます。一刻も早く、『科学の真髄』を奪還します」
 お祖父さんは迷うようにして言った。
 「危険にさらしたくはないが、仕方がないね。青山町へ行くのならば、坑道を通っていくのが近道かもしれないね」
 私はうなずいた。
 「なるほど。盗掘のトンネルを利用させてもらうのですね。おそらく、神木は青山町からそこまで掘り進めているでしょう」
 お祖父さんは心配そうに言う。
 「それにしても危険だね。地下にも当然の鉱脈があるし、人体に悪い影響を与える可能性があるよ」
 彼は強いまなざしでお祖父さんを見る。
 「いや、これは賭けです。青山町へ早く着けるのであれば、危険を承知でその道を行くしかありません」
 「ならばしっかりとした防護服を着ていくことだね。私たちの一族が昔発掘に使っていた、鉄が塗られている服を出そう。そこの彼女も行くのかい?」
 「もちろん行きます!」
 私は力強く言った。これでも、悩み相談所を立ち上げてから危険に対する覚悟はできている。
 「気を付けていかねばならないよ。決して服から体を出さないようにね」
 父が車に乗り込み言った。
 「砕石場に向かうまでは、私たちが車を出そう。パトカーの方がなにかと動きやすいだろう」
 お祖父さんは、私たちの背中を優しく叩いた。
 「さあ、行っておいで。おそらく一族にとって最大にして最後の重要な戦いになるだろうからね」
 
 砕石場に着いたのは、そろそろ日がくれようとする頃だった。
 砕石場というだけあって草木は一本も生えず、殺伐としている。
 彼が言う。
 「そろそろ防護服を着た方がいいですね。は地上にも露出していますから」
 全員が防護服を着る。鉄とゴムで出来ている鈍いねずみ色の服で、頭から足の先まで全身がおおわれるようになっている。そこにさらに、ゴムの手袋と長靴も着用する。重くて動きにくく、かなり息苦しい。
 「霜村さん、大丈夫ですか」
 彼はマスクを被る前に、心配そうに私に聞いた。
 「大丈夫だ。これしきで音をあげたりはしない」
 彼が笑いながら言う。
 「頼もしいですね。本当は天然の辰砂にはそんなに危険性はないんですよ。ですが念のために着ておいた方がいい。これで辰砂を完全と言ってもいいくらいにシャットアウトできていますから。とはいえ、あまり長く鉱道内にはいない方がいいですね。少なくとも一時間以内には外に出たいですね」
 彼女は危ぶむように言った。
 「一時間で青山町まで着くでしょうか」
 「距離的には着くはずですよ。もっとも、地上よりも歩きやすいという希望的観測のもとではありますけど」
 坑道に入る。階段上になっている道を地下深くまで下ってゆく。坑道ないでは懐中電灯を持って足元を照らす。坑道の壁には赤茶と黄土色と白色の土が、何層にもなっている。
 無言のまま、私たちは進んでいく。
 目に入るものは闇と土ばかり。防護服は重く、かなりの圧迫感だ。地下に深く潜るにつれて、空気も薄くなってゆく。だいぶ歩いたというような感覚があり、道が登りになってきた。そろそろ出口は近いような気がする。
 私は彼に言った。
 「おかしくないか」
 「何がですか」
 「鉱山労働者の姿が全く見えない」
 以前、青山町で鉱床に潜ったときには、労働者たちは分厚い金属のドアの内側で働いていた。それが坑道に入って、これまでただの一人も姿を見ていない。
 これはいったいどうしたことだろう。労働は八時間交代で休みなく行われているはずだ。何だか嫌な予感がする。ひょっとしたら労働者たちは暗闇に潜んでいて、いつ私たちに襲いかかろうかと時期を見計らっているのではないか。
 彼は言った。
 「気を引き締めていきましょう。何が起こるかわかりませんからね」
 私は強くうなずいた。
 やがて坑道を昇りきった。前方を照らすと、四角い金属板が光を反射させる。
 そのとき、彼が叫んだ。
 「大変です!労働者たちが」
 ぎょっとして後ろを振り替えると、もと来た道につるはしを手にした労働者たちがいて、今にも私たちに襲いかかろうかとしているではないか。
 私たちは急いでドアを開けた。大きな音が坑道内にこだまする。
 全員がなだれ込むように坑道から青山町へ出る。男たちの鼻先でおもいきりドアを閉め、ドアの前に岩を積んでおく。これで中からは開けられない。
 私たちは防護服を脱いだ。この服のお陰で危険地帯を通り抜けることができたわけだが、一刻も早く脱ぎ捨てて、身軽になりたいというのが全員の本音だった。
 「手袋は最後にとってくださいね。表面にはが付着しているかもしれませんから」
 彼は、細心の注意を払いながら服や長靴を扱っている。それというのも、彼には辰砂の恐ろしさがよくわかっているからだ。
 気になるのは、この坑道で働く男たちが、どこまでそれを把握して防護していたかである。もしも皆無だったとしたら――。考えただけでも恐ろしい。
 防護服を脱ぐと、嘘のように動きが楽になった。身軽になっていざ出発だ。
 森は暗い。時おり天井に小さな明かりが灯っているだけだ。
 やがて、分岐点となった円形の広場に出た。その瞬間、私は思わず叫んだ。
 色とりどりのたくさんの着ぐるみが、奇妙な形に手や足を曲げ、こちらを見ている。ぴくりとも動かないが、中に人間が入っているのは間違いない。
 父が前に進み出て、小声で言った。
 「ここは私と竹田に任せて、お前たちは逃げろ」
 彼女はびっくりして叫ぶ。
 「そんなことできません!私たちも一緒に戦います」
 私も言う。
 「そうだ。あんな数相手にお父さんと竹田さんだけじゃ、一瞬でやっつけられるぞ」
 父は厳めしい顔で言った。
 「お前たちは警察を何だと思ってるんだ。あんな、へっぴり腰の着ぐるみなんぞにやられるか。それに援軍ももう着く頃だ」
 「援軍だって?」
 「そうだ。だからお前たちは早く行け」
 そのとき一人の着ぐるみが、うなり声をあげながら襲いかかってきた。父は素早くかわし、その背を殴って地面に叩きつけ、踏みつけた。
 私は、父の姿に感心した。
 「寄るな!寄ると身体に穴が開くぞ」
 父は叫ぶと、天井に向かって威嚇射撃をした。鼓膜が破れそうな音が響く。着ぐるみたちは怯み、どよめきながら後ろに下がる。拳銃が彼らに与える威力は大きかったようだ。
 「これで分かっただろ、早く行け!」 
 父が私たちに向かって叫び、護身用にと拳銃を一丁渡してくれた。
 「お父さん!あとは任せました」
 私たちは神木の館に通じる道に駆け抜ける。追っての足音は聞こえていない。父が、着ぐるみたちを押さえてくれているのか。一刻も早く、援軍が来てくれればいいのだが。
 私は父をちょっぴり見直していた。やるときには身体を張って、私たち市民の安全を守り抜こうとする。ただ威張り散らしているだけの人間ではないのだ。
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