第71話 食わずぎらい

文字数 1,479文字

 自分の書きたいこと、こだわりたいところが、流行と逆行している気がする。インターネット、スマホの登場から、ライトノベル、異世界モノが大きく幅を利かせている感がある。スマホを持たず、ツイッターもLINEもやったことのない僕は、時間が、ひと時代前で止まっている気がする。
 この自分の投稿も、スマホの画面ではどんなふうに映るんだろう。LINEって、何だろう。ツイッターって、便利なんだろうな。多くの人がいじっている機械が、僕には雲の上のように見える。

 昔(漱石とか太宰とか)の本を読むと、やたらと難しい漢字や言い回しが使われているけれど、たぶん今流行している小説は、分かり易い言葉で、短いセンテンスで表現されていると想像する。実際に読んだことがないので、想像だけれど。

 言葉を表現する者によって形になった本。何か書いている僕としても、現代は何がウケているのか、知らないでいいはずはない。ところが、知ろうと思わないのだ。本屋に行けば、新潮文庫、ちくま文庫、講談社学術文庫しかほとんど見ない。平積みされている、美少女のイラストの表紙のものには、手も掛けない(掛けられない)。僕は、異世界転生とか婚約破棄とか、毛の先ほどの興味もない。蔑視している、とさえ言える。
 一体、何が蔑視させているのか。頭が、固定観念の塊になっているのだ。あれは本じゃない。雑誌だ、と思えてしまう。思う前に、足が素通りしてしまう。

 クサい言葉を使えば、「文学は」とか、「学びとは」とか、そんな堅苦しい文字が、僕の頭を固めているのだと思う。自分でもイヤになるけれど、どうしようもない。
 そして頭は、妄想空想へ歩を進める。「今の人たちは、現実は現実、異世界は異世界と、ちゃんと自分の中で区別して生きているのだ。現実をどう生きるかなんて、考えたところで、どうにもならないことを知っているのだ。そんなことで〈下手な考え休むに似たり〉を実践するより、現実から離れ切った物語の中で時間をやり過ごすのがいいに決まっている。みんな、分別のついた大人なのだ。」

 何も分かっちゃいないのに、僕は分かったつもりになる。そして、その足元がぐらぐら揺れる。自分こそ、軽薄なブランド志向なのかもしれない。プラトンだニーチェだソクラテスだ、などと、買ったところで、難しいから読んでもいないではないか。本棚に置いてあるだけで、満足している。一体、何に見栄を張っているのだ。名を重んじて中身をとらぬ、これこそ愚行そのものではないか。
 そうして何故、異世界や婚約破棄が多く読まれているのか、その理由を考える。空想妄想に等しく、何一つ明確な根拠は見い出せない。読んでいないのだから。

 何も僕は、自分の書くものが読まれないから、ひがんでいるのではない。なぜ異世界や婚約破棄に、多くの人が興味を持ち、実際に読もうとするのか。何が、人に興味を持たせ、読もうとさせるのか。「面白いから」であるなら、何がその人を面白いと感じさせるのか。その「させるもの」の正体に、僕は読む人以上に興味を持つ。
 読んでみればいいのだと思う。食わず嫌いはソンをする。

 豚の足や鶏の全体が入った鍋などは、コラーゲンがたっぷりで、美肌・骨・血管の強化になるらしい。と、頭で分かっていても、食べれない場合がある。これだけの栄養があると分かっていても、無理である。そのくせ、ヨーグルトは腸に良いとか、果物でビタミンを摂取しようとか、考えて食べている時もある。
「頭で食べている」のかもしれない。
「頭で食べない」よりも、異世界を一冊でも、読んでみるべきだと思っているのだが…。
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