第46話 父

文字数 950文字

 父は7年前に他界したが、私が終始抱いていたそのイメージは、「自分のしごとをする人」だった。
「お父さんの自分史を読みたい」と言った私に、父が手紙に書いて送ってくれたことがある。
 生い立ちから現在に至るまでのことが、便箋に7、8枚あったろうか。

 その中の、「M(私)が産まれた時、ああ、また人生やり直しかと思った」と書かれた言葉が、忘れられない。
「そうか、私は歓迎されない人間だったんだな」と感じて、悔しいやら悲しいやら、複雑な心持ちになった。
 兄は順調に高校に進学していたし、子育ても先が見えた頃だったろうと思う。時に、父50歳。私が産まれるに当たっての、父の実直な感想だったろうと思う。
 その手紙のせいではなく、私は父と、ものごころついて以来、心を開いて話をした記憶がない。いつも、何か構えながら、対していた。

 私の友人は、会社を辞める時「おかんには言えたんですけど、おとんには言えなかったですね」と笑っていたのを思い出す。
 父というのは、子どもとの間に、何か壁のようなものを介在させる存在なのだろうか。

 父は、私が30歳くらいになった頃から、もう自分のしごとは終わった、というような雰囲気を醸し出していた。
 庭で植木の面倒を見て、新聞をよく読み、何の贅沢もせず、自分のペースで淡々と日々を過ごしている晩年だったと思う。

 私が、父から血を受け継いでいると感じたエピソードが、1つある。
 戦時中、「こんなことしてたってアメリカに勝てるわけがない」と上司に反発し、牢屋のような所に入れられた、という話を親戚から聞いた時だった。
「ほんとうにバカなヤツらが多くてね、すぐボーンって殴ってくるんだ。こんなのが上にいて、戦争になんか勝てるわけがないって思ったよ」
 生前、笑って話していたけれど、まさかほんとうにそんな反抗的な態度をとる人だとは思えなかった。

 社会的な、何か責任のようなものに対しては、かなり強い信念のようなものを持っていたように思う。
 逆に私は、社会的な責任のようなものからは、できれば逃げたいとする傾向がある。まわりによりも、自分に対するこだわりが強い。

 お葬式の時、「あんな穏やかな、いい死に顔は見たことがない」と親戚が言っていた。
 私は、父は自分のしごとをやりきって旅立ったのだと思った。
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