第90話 苗字について

文字数 1,149文字

 別に、何ということはない。
 昔々、われわれは苗字も持たず、そのうち戦争になり、戦後があり、高度成長とかいうのがあり、何だかあって、今に至るということだ。
 集団から、個へ個へ個へと、いつしか潮流が、おのずと運び、運ばれた。

 たぶん、よく知らないが学生運動、安保闘争といわれたような時期は、だいぶ空気が違ったろうと思う。反動のように「三無主義」と呼ばれる(無気力・無関心・無感動)のがあって、私はその後の「新人類」とか呼ばれた世代である。筑紫哲也が言い出したのではなかったか。
 今は、何なのだろう? メディアが勝手につける名称なら、どうでもいいが、名状すらし難い空気を感じる。

 私の苗字は亀○で、祖父は「なぜ亀○なのか」と、いろいろ調べたそうだ。どうも、名古屋あたりにそのルーツがあるらしい、というところまでは分かったが、確証は得られなかった。だが、私が名古屋を本拠に置く予備校で働いていた時、同じ苗字の上司がいらっしゃり、「うん、亀○一族が名古屋でどうのこうの」という話は聞いたことがある。

 今もって、私が驚くのは、一体この世には(といっても日本だが)、どれだけの苗字があるだろうということだ。
 まったく、初めて見聞きする苗字が、プロ野球選手などを見るたびに出てきたりして、驚く。なぜそう読むのか、見当もつかないのもある。山田さんとか山本さんなら、ああそういう場所に由来するんだなと想像できるが、想像を絶するものもある。

 名前── 個人が個人として、あるいは家として「個」となったのは、そんな大昔ではない。せいぜい、2、300年ではないか。
 少なくとも日本では、一般庶民が苗字を持って、その歴史は浅そうだ。「〇×村の太郎くん」で通っていた時代があったと聞いたことがある。
「社会的な個人」=「苗字・名前の確立」という立ち位置の歴史が浅い国である場合、その国の民は「個としての思想的なものも、なかなか持ち難いのではないか」という妄想もできる。

 島国であるゆえ、肌の色も同じで、同じ色の人間しか見えなかったことも、種々雑多な「個」を認めたくない、異質な者を認めたくないような島国根性の完成に一役買って… いや、そうではない、どの国にだって、どこにいたって、イジメめいたものはあるだろうし、皆と違うと、何かあるだろう。

 国や民族性に関係ないとすると、では、なぜヒトはそうなってしまうのか、何故そういうイジメ的(=何かみんなと違う、異質の者を排除しよう、攻撃しようという)心理が働くのか、というところに関心が行く。
 となると、結局心理的な、人間的な、形而上の問題になる。
 だが、それこそ、それは個々人の中にしか、ない。心理はひとりひとり異なり、人間はひとりひとり異なっているのだ。
 私は、何を書いているのか。
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