底知れぬ虚無を見た――山田正紀「湘南戦争」

文字数 1,369文字

「湘南戦争」は山田正紀の短編作品。短編集『剥製の島(徳間文庫)』に収録。
 雨降りの夕方。善光寺高校文芸部の部室には狛村日和、高崎玲奈、京泊孝彦がいた。
今日は我々だけか。
1年生の二人、なんだかんだよく出てきてくれるわね。
勧めた本もちゃんと読んでくれるしな。今年の文化祭はレビュー本でも出すか?
真面目な部活っぽくていいかもね。みんなで得意なジャンルを担当して――って、わたし雑食だから特にこれってジャンルがないな……。
そうだ、色んなジャンルを書いてる作家で一冊作るのはどうだ? たとえば山田正紀なんてすごく多種多様だろ。SFとミステリを中心に、時代小説とか青春小説も書いてるし。
山田作品に関しては「黄金の羊毛亭」っていう素晴らしい書評サイトが全作品を網羅しているから……。
いやいや、俺達なりの切り口で攻めるんだよ。――てか山田正紀と言えば、だいぶ前に『剥製の島』を狛村に貸したままだった気がするぞ。
あ、返すの忘れてた。玲奈ちゃんと回し読みしたけど、バラエティに富んでてすごくいい短編集だったね。マイベストは人によってはっきり分かれるんじゃないかな。わたしはSFとドタバタコメディみたいなノリが融合した「イブの化石」が好き。
俺は巻頭の「アマゾン・ゲーム」をベストに挙げたいな。執筆時点での先端技術を利用した頭脳戦なら、やっぱりこの人が一番うまいと思う。表題作の、カラスの大群に支配された島のイメージもかなり好きだが。
私は「湘南戦争」が一番好き。正直、この作品が頭一つ抜けていると思うわ。
そうか? 全体的にハイアベレージの短編集だろう。
その通りだとは思う。けど、私の中では圧倒的に「湘南戦争」なのよ。
海辺の街で漁師達と若者達が対立しているところに一人の女が現れるんだよね。この語り手の女が男達を誘惑することによって対立が加速する。最後はまさに「戦争」が起こってすさまじいカタストロフを迎えるんだ。
でも、この女性がなぜそんなことをするのかは一切語られない。コミュニティが崩壊していく様が淡々と描かれるだけで。
読み終わったあとには虚無しか残らないよな。あまりの壊しっぷりに考察は無駄なんじゃないかとすら思えてくる。
玲奈ちゃんがこれを推すのは必然的だよね。純文学系の雑誌に載ってたって違和感ないもん。
そうとも言えるけど……多くのエンタメ小説って、作者が読み手を楽しませようという意識のもとに書いていると思うの。読み始めると、作品の方がこちらへ近づこうと努力してくれる感じ。でも「湘南戦争」は読み手の方から作品に近づいていかないと良さがわかりにくい。「理解してもらえなくてもかまわない」っていう突き放した感じは、この短編集だと「湘南戦争」が一番強いかなって。
高崎の場合、「読者が作者に挑むのが純文学」みたいな認識か?
そのあたりの定義は話し始めるときりがないんだけど……ものすごくおおざっぱに言えばそんな感じ。私は「湘南戦争」の虚無感にそれと同じものを感じたという話ね。だって、何も説明されないじゃない?
正直、想像の余地が大きすぎて解釈に困る。でも、そのせいでかえって忘れられない作品になってるね。
もっと語られていい作品のはずなんだが、あまり話題は聞かないな。
そもそもこの短編集自体が手に入りづらいから。古書店で見つけた人には絶対に拾ってもらいたい一冊ね。
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登場人物紹介

江守 浩介(えもり こうすけ)

文芸部1年生。ライトノベルが好きだが他のジャンルについても勉強したいと思っている。

狛村 日和(こまむら ひより)

文芸部2年生。肩書きは副部長だが実質的に文芸部を仕切っているのはこの人。気になった本は手当たり次第に読む乱読家。

高崎 玲奈(たかさき れいな)

文芸部2年生。純文学、またはアンモラルな作品を好む。

京泊 孝彦(きょうどまり たかひこ)

文芸部3年生。部長だがそれらしい行動は見せない。通称・ドマリー先輩。ハードボイルドとノワールを好むが他のジャンルも平均的に読む。

桜峰 咲羅(さくらみね さくら)

文芸部1年生。ミステリ愛好家。特に動機を扱った作品には思い入れが強い。

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