常識は汚物と詩に埋もれる――木下古栗『グローバライズ』

文字数 1,376文字

 薄曇りの放課後。善光寺高校文芸部の部室には高崎玲奈と京泊孝彦がいた。
……読んだぞ、『グローバライズ』を。
最後まで読めた?
俺は読み始めた本を必ず最後まで読む主義だ。
じゃあ、感想を。
……面白かったような気がしないでもない。
中途半端ね。

何を言えばいいのかよくわからん。これほど感想の言葉が見つからない作品はなかなかないぞ。それに文庫版の表紙、地図かと思ったがよく見たら……。

…………。
……いや、なんでもない。ともかくだな、時々は面白いんだよ。笑えるところもあるしな。だけど大半は意味がわからなかった。あと汚い。
じゃあ面白かった作品から訊いていきましょう。どれが一番好き?
最後に収録されてる表題作だな。やっぱりほとんどは意味不明だよ。深い意味があるのかもしれないが俺には読み取れなかった。でもさ、寿司屋から始まって流血ドバーの流れからあんな壮大な話になるなんて普通思わないだろ。描写も謎の美しさがあるし……感動していいんだよな?
読者の自由でしょ。
次によかったのは「絆」かな。英語の歌詞を繰り返すところとか、ルーカスの最後の叫びなんて思わず笑うよな……このシーン笑っていいところだよな?
読者の自由。
それから「反戦の日」。嵐山がデモ活動やってる学生からマイク奪って怒鳴るところな。もうほとんどヤケクソで言葉並べてるようにしか見えないんだよ。でも真面目に文字を追いかけてるとじわじわ笑いがこみ上げてくる……。
全然面白くなさそうに語るわね。
いや、これはな、本気で反応に困る一冊だったんだよ。途中まで普通の小説だなって読んでたら急に文章が暴走していきなり終わったりしてさ。一回読んだだけじゃ何が起きたのかよくわからない話もある。けど戻ってもう一度読み返そうという気にもなれない。そういう意味で「専門性」って作品が一番形が整ってるんだが、これが一番汚い……。
全部狙ってやってると思うけどね。これはこの作者なりの文学なのよ。
文学とは一体……。まあ確かに、「観光」あたりの文章が折り重なっていく感じは実験小説で見たことあるような気がする。見方によっては、さらにこじらせた筒井康隆と言えるかもしれない。
汚い話も多いけど、綺麗な描写もあちこちにあるの。気づくと物語の本筋はあまり重要に思えなくなって、見たことのない表現に浸りたくなる。文章を読むというよりは言葉を追いかけると言った方が適切かもしれないわね。小説を読むというより、詩を読む時の感覚に近いのかも。
収録作すべてがそうじゃないだろう?
私がいま言った感覚で読んだのは、「反戦の日」「道」「観光」「絆」「グローバライズ」の五つ。
巻頭の「天然温泉 やすらぎの里」はちょっとホラーっぽさもある。「苦情」はなんだか不条理文学っぽいな。
「フランス人」は?
ジェロームって誰だよ……。
期待通りの返事をありがとう。
読んだ直後は「もう読み返したくない!」とか思ったりするけど、時間が経っても忘れられなくて、ふとまた手に取りたくなったりする作品ってあるだろ。これはそのタイプの短編集だよ。強烈な作品が多すぎる。これを素面で書いたのかってところまで考えるとやばさ倍増だな。
いい意味で?
両方。乗れないやつもあったしな。ただまあ、なかなかできない読書体験にはなったよ。
じゃあ、同じ作者の長編にもアタックしてみたら?
……気力が回復するまで待ってくれ。
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登場人物紹介

江守 浩介(えもり こうすけ)

文芸部1年生。ライトノベルが好きだが他のジャンルについても勉強したいと思っている。

狛村 日和(こまむら ひより)

文芸部2年生。肩書きは副部長だが実質的に文芸部を仕切っているのはこの人。気になった本は手当たり次第に読む乱読家。

高崎 玲奈(たかさき れいな)

文芸部2年生。純文学、またはアンモラルな作品を好む。

京泊 孝彦(きょうどまり たかひこ)

文芸部3年生。部長だがそれらしい行動は見せない。通称・ドマリー先輩。ハードボイルドとノワールを好むが他のジャンルも平均的に読む。

桜峰 咲羅(さくらみね さくら)

文芸部1年生。ミステリ愛好家。特に動機を扱った作品には思い入れが強い。

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