私の感情が問われている――我孫子武丸『狼と兎のゲーム』

文字数 1,269文字

※結末に触れています。ご注意ください。
 暖かい夕方、善光寺高校文芸部の部室には狛村日和と桜峰咲羅がいた。
あ、狛村先輩、お片づけですか?
整理し直してるんだ。下校を急かされると適当に戻して帰っちゃったりするからね……おっとまずいっ。
はいっ!
おー、ナイスキャッチ! おかげで本が曲がらずに済んだよ。
これは……我孫子武丸さんの『狼と兎のゲーム』ですか。
知ってる?
単行本が出た時、すぐに買って読みました。確か帯のコピーは「『殺戮に至る病』を凌ぐ衝撃」……でしたっけ?
あー、そんな感じに書かれてたね。だからめちゃくちゃ期待して読み始めたんだけど、ミステリとしては『殺戮に至る病』の方がやっぱり上じゃないかな。
私は、比較しない方がみんな幸せになれたんじゃないかと思うんです。
それだと、我孫子武丸の新刊!――ってなるだけだもんね。
それにこの作品……逃亡サスペンスとしてはすごくよくできていると思いませんか? 友達の父親が悪魔のような男で、小学生二人が知恵を絞って必死で逃げる。小学生だからこそ色々なところに限界があって、ハラハラさせられっぱなしになるんです。
言われてみると、ミステリとしての狙いもけっこう違うよね。鬼畜度合いに関して言えば、ああ、同じ作者だなって思うけど。
あと、この作品で重要だと思うのが最後の段落なんです。ミステリ的な仕掛け以上に、私はそこが気になりました。
ちょっと待って、読み返す。……この父親に対する判決のことだね?
ラストでは「無期懲役の判決が出た」という事実だけが書かれています。でも、この父親は物語の最初から最後まで非道を繰り返しているじゃないですか。今の日本においてこの判決はすごくリアルだと思いますけど、私は読み終わったあと、「死刑になればよかったのに」って考えちゃったんです。
つまり咲羅ちゃんは、最後の段落が作者からの問いかけに感じられたわけだ。
はい、自分の感情を問われている気がしたんです。この人物はこういうことをやってこの判決になりました、あなたは納得できますか――という。ミステリとしての驚きよりも、まずそちらを考える程度には印象的だったんです。
で、結局結論は出せたの?
……わからないです。とてもデリケートな問題なので。
大きなニュースになればわたし達も気づくけど、こういう事件はあちこちでたくさん起きてるんだろうね。この作品の父親にあたる人物を自分が裁けって言われたら……うーん、確かに胃が痛くなるくらい考え込まなきゃ何も言えそうにないよ。
ミステリを読んでこんなに真剣に悩んだのは初めてだったんです。だから『殺戮に至る病』との比較で批判しているレビューを見ると複雑というか……。
咲羅ちゃんの話を聞いてると、ミステリとして読んだって感じじゃなくなってるよね。
確かに、ミステリとは違う捉え方をしているのかもしれません。久しぶりに、最初に読んだ時のモヤモヤを思い出しました。
そういう気持ちは忘れないようにしたいね。
……はい。
ま、わたしはこの父親が最後に死ぬと予想してたからがっかりしたんだけどね!
……それは、私も同感です。
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登場人物紹介

江守 浩介(えもり こうすけ)

文芸部1年生。ライトノベルが好きだが他のジャンルについても勉強したいと思っている。

狛村 日和(こまむら ひより)

文芸部2年生。肩書きは副部長だが実質的に文芸部を仕切っているのはこの人。気になった本は手当たり次第に読む乱読家。

高崎 玲奈(たかさき れいな)

文芸部2年生。純文学、またはアンモラルな作品を好む。

京泊 孝彦(きょうどまり たかひこ)

文芸部3年生。部長だがそれらしい行動は見せない。通称・ドマリー先輩。ハードボイルドとノワールを好むが他のジャンルも平均的に読む。

桜峰 咲羅(さくらみね さくら)

文芸部1年生。ミステリ愛好家。特に動機を扱った作品には思い入れが強い。

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