第十二章

文字数 4,297文字

 手術後の定期検診は無事に済み、次は一年後と言われた。
「神谷さん、本当に順調ですね。私も安心です。」
時間が経つにつれ、痛みや不調もほぼなくなっていた。傷も目立たないし、手術したことも時々忘れてしまうくらいだった。
「これから更年期の症状が出てくると思います。手術の経過とは別に、いつでも相談に来てくださいね。」
頼もしい言葉をいただき、しばし通院はお休みとなった。
こうやって振り返ると、頑張って乗り越えたと思える山も、実はそれほど高くないのだなと思う。
 帰って母に報告すると、「ご苦労様」とねぎらわれた。
「あまり心配かけないようにしてよ。」
当たり前のことだが、母の方が歳を重ねているから不調は多いはずだ。心配をかけて、母の負担になっただろう。自分の健康が母に影響するのなら、本当に気を付けなければならないと、真希子は改めて意識した。

晩秋と言っていいのか、微妙な時期に、真希子は三島と結婚式場に来ていた。
入口に、案内やイベントのポスターが貼ってあった。三島はそれをじっくり見ると、一瞬目を見開いた。
「どうかされました?」
「あ、いえ。」
今まで緊張していた表情が、少し柔らかくなった。美味しそうなケーキの写真があったからかな。
「美味しそうですね。」
真希子が言うと、笑いながらうなずく。
「どうぞ。」
レディファースト、と促されて、そのまま入った。
レストランというにはこじんまりとした、それでもキラキラした空間だった。名前を告げると少しして、ソファ席に通される。他にも何組かいたが、カップルだったり家族らしきグループだった。奥には男性だけのテーブルもあって、三島もいくらか安心したようだった。
早速ウェルカムドリンクが運ばれてきた。グラスには紫色の液体が入っていて、そのままスタッフが説明してくれる。
「お飲み物はこちらから、自由にオーダーいただけます。二時間の時間制ですが、ラストオーダーは30分前とさせていただいております。」
ドリンクメニューには、コーヒーやジュースの他に、不思議な名前が並んでいた。
「当店のオリジナルティーです。是非お楽しみください。」
ほどなくして、アフタヌーンティの代名詞、三段のケーキスタンドが運ばれてきた。
三島の表情がぱっと明るくなった。
「はあー、すごいですねえ。」
スタッフはそのまま説明を始めた。
「プレートにはスイーツ、スコーンを含めて全部で13種類ございます。一つ一つの説明につきましては、そちらのメニュー表をご覧ください。一番下は軽いお食事となっております。」
それぞれドリンクをお願いして、改めてケーキスタンドを眺める。
「これは、いいですねえ。」
真希子も初めて見るのだが、一つ一つが小さいだけでもかわいらしい上に、見た目も華やかだ。これは「映える」。写真を撮りたくなる気持ちもわかると、隣の席の女性がスマホで撮影しているのをほほえましく思う。
よく見ると、同じものが2つずつのっている。2人分ということだ。3人分ならもっとボリュームがあるのか。そっちのほうが映えたかも。
「それでは。」
三島が上段のスイーツを取ろうとすると、真希子が、
「あの、どうやら下段から食べるのがマナーらしいですよ。」
「あ、そうなんですね。」
軽食からデザートに流れで食べられるようにと工夫されていると、事前に調べたサイトに載っていた。
「いただきます。」
三島は下段の軽食を一度に取り、あっという間にたいらげた。
「これも美味しいですね。」
下段のメニューが終わると、甘い物が続く。別皿のスコーンもジャムと白いバターのようなものを付けて食べるので、結局甘い。
真希子はコーヒーを持ってきてもらった。他のオリジナルティーも、全部甘いのだ。
三島はもうほとんど食べ終わっている。ピンクのオリジナルティーを飲んで、最後のスイーツを口に入れた。
「あの。」
三島は初めて真希子の存在に気づいたような、びっくりした顔で「ふぁい」と答えた。
「甘いものが続いてちょっと辛いので、私の分も食べていただけますか?」
三島は最後の一口をもぐもぐすると、甘い紅茶で流し込む。
「え、いいんですか?」
「はい。残すのも悪いので。」
三島は嬉しそうだ。
「実は、いえ、非常に美味しいんですがね。何しろ量が少なくて。」
本当に甘党なんだなあ、と、真希子は感心した。小山も良く食べるが、甘い物を食べたらしょっぱいものを欲しがるので、三島ほどではない。
「いやあ、本当に美味しいですね。」
上の段にのっていた、アップルパイを絶賛すると、
「神谷さんもこれだけは食べた方がいいですよ。」
朗らかに勧めてくる。
ブラックコーヒーを多めに含んでから、パイを食べた。
「わ、思ったより酸味が強いですね。」
りんごの甘酸っぱい味と香りが口に広がる。クリームや砂糖で甘ったるく感じていた空気が、きりっとした。
「美味しいですね。」
コーヒーが良く合う。
「でしょう?」
自分が作ったわけでもないのに得意げにうなずくと、三島はタルト生地の上に生クリームとアラザンがてんこ盛りのものを口に入れた。
「うん、これも美味しいです。」
そして、近くを通ったスタッフに「イングリッシュガーデンの昼下がり」というオリジナルティーを追加で注文した。
真希子はコーヒーを飲みながら、緑茶が飲みたいなあと思っていた。和洋どちらのスイーツも実は緑茶はよく合う。特に伯母直伝の「熱々苦々茶」は甘みをリセットしてくれるので、真希子はスイーツには必ずこれを飲む。
コーヒーも美味しいんだけどね。
一方で三島は、満足げに残りのスイーツを食べすすめている。運ばれてきたばかりの「イングリッシュガーデンの昼下がり」も、もう半分ない。
本当にすごいなあ。虫歯とかないんだろうか。
「お待たせしてすみません。もうすぐ食べ終わりますから。」
真希子の視線に気づいたのか、三島が気を遣って言った。
「いえ、ゆっくり食べていただいて大丈夫ですよ。」
店内を見回すと、同じころに入店した客はだいたい食べ終わっていた。それぞれ飲み物を飲みながら談笑している。一番奥の、男性だけのテーブルからワッと笑いが起こった。ちょっとびっくりしたが、この場にいる皆がリラックスしているようで、穏やかな空気が流れていた。食べ終わって、少し話して、それで2時間。ちょうどいいということか。
大きな窓から差し込む光は、すでにオレンジがかっていた。秋の日は釣瓶落とし。季節が進んでいることを改めて感じる。そして、目の前で真希子の分のスイーツも完食した三島を見て、何やってるんだろう…とふと思った。
「三島じゃないか。」
「おお!」
顔を上げると、ギターケースを持った男性が立っていた。どうやら、奥の席の男性陣の一人らしい。
「いやあ、久しぶり。元気そうだな。」
三島は立ち上がると嬉しそうに握手を求めた。相手もにこにこで応える。
男性は真希子にも軽く会釈をした。
「奥さん、すみませんね。」
「いや、違うんだ。」
真希子も頭を下げたものの、どう答えていいかわからない。この状況はかなり特殊だ。
「スイーツ同盟の方。」
「おまえ、変わってないなあ。」
男性は須永といった。三島と少し話をして、時計を見る。
「じゃ、また。連絡するよ。」
「おう。」
二人で見送ると、三島が謝ってきた。
「気まずくなってしまって申し訳ないです。。」
「お友達ですか。」
真希子がたずねると、三島はリラックスした表情でうなずいた。
「高校時代の友人です。」
「そうですか。偶然?」
「はい、いえ。」
どっちなんだ?
「ああ、失礼。偶然です。ギタリストでして、今度ここでコンサートをやるようで、その打合せに来たらしくて。」
「そうなんですね。」
それでギターを持っていたのか。あのテーブルも、アフタヌーンティではなく打合せだったのだ。
「会えると思っていなかったので、びっくりです。」
三島は汗をかいたグラスを一口飲んだ。
「ちょっと面白いんですよ。クラシックギターなんですが、ポップスとかボサノバとか、なんでもやるんです。器用な奴で。」
「へえ。」
「ゲーム音楽をギターで弾いたりするんですよ。あまり聞いたことがなかったので、新鮮で。」
「ゲーム音楽ですか?」
「はい。ゲームに使われているBGMなんかはとても良い曲が多いんだ、と。」
自分が繰り返している毎日とは別に、すぐ傍で面白そうな世界が広がっているものだ。
真希子は少し覗いてみたくなった。
 結局お会計は割り勘にした。出してもらってはそれこそデートになってしまう。三島は自分が払うと食い下がったが、真希子は何とか支払って、ほっとした。
「お付き合いいただいた上に出していただいて。本当にすみません。」
恐縮する三島に、
「いえ、自分の分を出しただけですよ。」
と答える。
 外に出ると、三島はまた案内のポスターを眺める。真希子ものぞきこむと、先ほどの須永の写真があった。

須永充希クリスマスコンサート

「さっきこれを見つけて。まさか会えるとは思わなかったものですから。」
ああ、あの時の表情はケーキではなくて須永さんだったのか。真希子は納得した。
駅までの道で、真希子は三島に聞いてみた。
「あの、スイーツ同盟って。」
「ああ。すみません。あの場ではああ言うしかなかったものですから。」
「須永さん、スイーツ好きなのご存じなんですね。」
「ええ。ファミレスなんかよく付き合ってもらいました。私の食べっぷりを見て、胸焼けしてましたよ。」
「仲が良かったんですね。」
「ええ。もうお判りでしょうが、私ちょっと変わってるので、なかなか友人ができなくて。須永は数少ない友人なんです。」
確かに、変わっているとは思うが、でもいい人だ。
「いえ、変わっているとは思いませんよ。」
「お気遣い恐縮です。」
「須永さんのコンサート、行かれるんですか。」
「はい、仕事がなければ。後で案内をくれると言っていましたから。」
「楽しみですね。」
「神谷さんもよかったらいかがですか?」
行ってみたい気もするが、これでは本当に彼女みたいになってしまう。
「行けたらいいんですが、そのあたりは毎年忙しいので。」
「そうですよね。年末近いですからねえ。」
「行けそうでしたらご連絡します。」
「わかりました。ご無理なさらず。」
 三島と別れて、電車に乗る。たまたまなのか空いていて、すぐに座ることができた。気疲れしたな。でも、きらきらした世界、知らない世界に触れた後はいつもの電車でも違う景色に見える。気が向くところが違うんだ。
悪くない。
真っ暗な窓に映る車内の様子もデジタル広告も、変わり映えしないと思って見ていたけれど、自分の心持一つでがらりと変わる。
現金だなあ。
真希子は心地よい疲労感に揺られながら、目を閉じた。
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