第十一章

文字数 3,981文字

「神谷さん突然ですみませんが、ちょっといいですか?」
小山から呼ばれて会議室に行くと、三島が座っていた。
「お世話になっています。」
お互い会釈を交わす。ファストフード店で奇妙に相席してから真希子は入院を挟んだので、お久しぶりなのかなんなのか。不思議な感覚だった。
「突然すみません。確認したいことがありまして。近くまで来る用があったものですから。」
質問はちょっと意外な切り口で、すぐに回答できるものではなかった。小山は資料をめくって、
「ええと、その辺担当した者にちょっと確認取ってみますね。」
と言って、出て行ってしまった。
「すみません。すぐに回答できなくて。」
真希子も持っている資料を確認したが、プロジェクトが終わって整理してしまっているため、必要なものが見当たらない。それとも、はじめから持っていないのか。
「いいえ、大丈夫です。」
三島も申し訳なさそうにしている。
しばらく時間が経ったが、小山はなかなか戻ってこない。
「そういえば。」
真希子はふと思い出して、何気なく聞いてみた。
「三島さん、以前デザートピュッフェ行きたいっておっしゃってましたが。」
三島の顔がふっと緩む。
「ええ、なかなか敷居が高くて。」
「あの、アフタヌーンティっていう手もあるみたいですよ。」
「え?」
明らかにびっくりしている。
「アフタヌーンティって、男が行っていいんですか?」
「もちろんですよ。最近は結構いらっしゃるみたいですよ。」
無言だ。じっと考えているのがわかる。
「量は満足いかないかもしれませんが、いきなりデザートビュッフェに行くよりはハードルも低いかと。」
「ありがとうございます。そんなことも考えていただいて。」
三島が恐縮している。
「いえ、たまたまネットで見かけたものですから。」
そこへ、小山が戻ってきた。
「三島さん、ちょっとお時間いただけませんか。すぐに回答できなさそうなんです。」
三島は少し考えると、
「わかりました。今週中にはお返事頂けると助かるのですが。」
「今週中ですね。わかりました。」
真希子も頭を下げ、三島は帰っていった。
「ちょっと想定外でした。」
小山がふーっと息を吐いた。余裕がないのがわかる。
「私も戻って確認してみるね。」
 結局、そこからは資料を探したり、渡と関本に確認したりで一日が終わった。
「はあ、なんてこと。」
帰宅すると、真希子はソファに倒れ込んだ。
キッチンからスーツ姿でコーヒーを入れている母が声をかけた。母も帰宅直後である。
「大丈夫なの?まだ回復してないのに無理して。」
言われなくてもわかっている。体がきついことは自分が一番わかっているってば。
「大丈夫と思っていても、手術後の回復には2,3か月かかるらしいから。」
はいはい、それもう先日聞きました。
真希子も熱々苦々茶を淹れて、ちびちびすすった。
「はあ。」
そういえば、さっきからお腹が痛い。手術跡が鈍く痛むのだが、我慢できないほどではないので、そのままにしていたのだが。
「我慢しないで。薬もらってるんでしょう?」
母に言われて、痛み止めを飲む。
「ちょっと休めば落ち着く痛みもあるけれど、それは違うでしょ。切ってるんだから。」
「そうだね。」
今日は早めに寝よう。
「私も今日は疲れたから、早くに休むよ。」
母も多忙だったようだ。
 数日後、真希子は小山と三島のオフィスに向かっていた。
「今週はこれしかやってない気がします。」
「そうだねえ。なんか、ずっとこっちいたよね。」
「片桐いなくて助かりましたよ。自分の席と往復するだけでも時間ロスしますから。」
片桐は、ご指名の営業対応が無事に終わり、今週は休暇を取って不在だ。三島の宿題対応でほぼ小山が陣取っていたのだが、休み明けに片桐が知ったらどうなることか。
 頑張った甲斐もあって、三島の問題は無事に解決した。と、いっても、妥協してもらった形だ。
「これ以上は、難しいかと思います。」
「そうですか。こちらでもあの後いろいろ考えてみたんですが、運用対応で何とかなりそうなので。」
「よろしくお願いします。」
「すみませんね、お手数をおかけしました。」
「いえいえ。また何かありましたらご連絡ください。」
誰かのスマホのバイブ音がすると、小山が顔をしかめる。
「小山さん、ここを出て右の突当りにスペースがあるので、そこでどうぞ。」
三島が素早く案内した。
「すみません、お借りします。」
部屋を出て「お世話になっております!」と、廊下で話しているのが聞こえる。
「すみません、お客様のオフィスで。」
「いえ、お気になさらず。」
三島とはよく二人になるなあ。
広げた資料を片づけながらぼんやり考えていると、三島が口を開いた。
「先日教えていただいた、アフタヌーンティのお話ですが。」
「はい。」
「あの、もしよろしければ…神谷さんご一緒していただけないでしょうか。」
「は?」
唐突な提案に真希子が困っていると、
「ご迷惑なのは重々承知しています。もし、お連れの方がいらっしゃったら無理にではありませんが、是非ご協力いただけないでしょうか。」
幸か不幸か、ツレはいなくなったけれど、
「もちろん、私が全部持ちますので。」
そういう問題ではないのだが。
「やはり、おじさんが一人というのは、その、ハードルが高くてですね。」
まあ、そうだよね。
アフタヌーンティを提案したのも自分だし、乗り掛かった舟ではある。
「はい、わかりました。」
「ええ!ありがとうございます。」
三島は何度も頭を下げると、スマホを取り出した。。
「それで、早速なんですが。」
三島が調べていたのは、都心にある有名ホテルのプランばかりだ。
「ここなんか、どうでしょうか。」
写真は素敵だが、お値段が素敵ではない。
「とても素敵ですね。」
「じゃ、ここで。」
そんなに簡単に決めちゃうの?
真希子は自分のスマホで検索すると、
「有名ホテルのプランだと高級ですが、そうでなければわりとリーズナブルなプランもありますよ。」
以前片桐が見せてくれたホテルのプランを見せた。
「ほほう。」
場所やメニューをざっと確認して、興味深いといった風にうなずいた。
「本当だ。ずいぶん違うんですね。」
「お手頃なところから始めてもいいかもしれないですよ。」
乗り掛かった舟でお高いところは避けたい。
「わかりました。少し探してみますね。」
三島はさっそく検索をはじめた。

「寂しかったでしょう!」
休暇明けの片桐はしっかりリフレッシュできたようで、とても元気だった。先週ここに小山がずっと座っていたとは言い出しにくい。
「神谷さん、お土産ね。」
イラストが描かれたキャニスター缶には、クッキーが入っていた。イギリスに行ってきたのだという。
「気を遣ってもらってすみません。ありがとう。」
「手付けですよ。週末、お休みのところすみませんが、例のランチお願いしますね。」
「はいよー。」
手術してしばらく経つけれど、思ったよりも回復していない。もともとそこまで悪くなったわけではないのだが、時々痛んだり、お腹の調子が悪くなったり。顔色が良くないと母に心配される頻度も増えた。次の診察は来月だから、聞いてみようと思っている。
体は食べたものでできている。片桐が予約してくれたプランのメニューなら、体に負担もなさそうだし、真希子はちょっと楽しみにしていた。
 週末、現地で待ち合わせた片桐は、オフィスで見るより柔らかい印象だった。
「スカートなんて珍しいね。」
「たまにですが、履くんですよ。」
向かい合って席に着く。スタッフが飲み物のオーダーを取りに来た。
「飲む?」
「いえ、今日はやめておきます。」
二人ともウーロン茶に決める。スタッフが行って一息つくと、なんだか片桐の様子がおかしい。
「うん?どうした?」
片桐にしては珍しく、恥ずかしそうな、はにかんだような顔で、
「お休みの日にわざわざすみません。」
「うん?うん。」
何?何かあるの?
「神谷さんにはきちんとお伝えしたくて。」
片桐は姿勢を正すと、結婚が決まったと言った。
「まあ。」
片桐に失礼だが、あまりに予想外の報告だったので、真希子はぽかんと呆けてしまった。
片桐が結婚?
「神谷さん?」
びっくりである。片桐が結婚することもびっくりだけど、真希子の目から涙があふれてきたのだ。
「え?え?」
片桐がうろたえている。
「おめでろう!」
涙で噛んでしまったが、なんとか絞り出した。
「えー?なんで神谷さん泣くのー??」
「わかんない。」
ハンカチで目を押さえて、ふうーんと唸った。
「神谷さーん!」
片桐がティッシュをさし出す。
身近な人の幸せな報告が、こんなに自分の心に沁みるとは思わなかった。
「良かったねえ。」
「はい、良かったですう。」
彼女が仕事も、人生も頑張っていたのを隣で見ていたからだろうか。なかなか涙が止まらなかった。しばらくして落ち着くと、
「お相手は?」
「実は…」
聞けば、片岡をご指名の取引先の人だという。
「ええっ!?」
「ですよねえ。私も、こんなことになるとは思わなかったんですけど。」
話を聞くと、どうやら相手の一目惚れだったらしい。
真希子はぐすぐすと鼻を鳴らして言った。
「公私混同も甚だしい。」
片桐も笑った。
「ほんと!」
 そこに料理が運ばれてきた。真希子が目を真っ赤にしているので、スタッフが驚いている。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、ごめんなさい。なんでもないんですよ。」
代わりに片桐が謝る。
「はあ。」
そこからの食事についてはあまり記憶がない。ただ、本当に良かったねえと思ったことだけは覚えていた。
「美味しかったですね。」
「うん。とってもいい時間でした。」
席を立つと、真希子はくしゃっと笑って片桐を抱きしめた。
「良かったねえ。」
何度も繰り返す。だって、本当に良かったあと思えたから。
「神谷さんなら喜んでくれると思った。」
今度は片岡がうるうるしている。
「え?ちょっと、泣かないでよ!」
お店の人には、変な女性二人組に見えたに違いない。
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