第四章

文字数 8,097文字

「これ、取引先からです。」
片桐がお菓子を配っている。有名なクッキーだった。
「片桐が配るの?」
不思議に思って聞いてしまった。今時古い考え方だと問題にもなりそうなものだけれど、真希子の会社では「皆さんで」と頂いたお菓子はたいてい若い女性社員が配って回る。その代わり配っている子は一番に好きなものを選べるので、特に不満は出ていない。そんな光景が当たり前で、真希子や片桐が配ることはなかなかない。
真希子の問いに、片桐はわざとらしくツンとして答えた。
「ええ、私メインの取引先からなので。」
私たちは取引先との商談に関してはほぼアシスタント的な役割が多いのだが、今回は片桐にご指名があったようなのだ。正直言って、かなり珍しいことだ。
「神谷さんには、スペシャル。」
片桐はそう言うと、クッキー二枚をデスクに置いた。
「え?いいよ、悪い。」
「この二つ、特に人気があるんです。だから私が配ったんですよ。若い子に任せると、私たちには回ってこないから。」
片桐はそのままふっと息をついた。
「神谷さん、ずっと疲れた顔してますよ。これぐらい優遇されてもいいですよ。」
その気持ち、ありがたい。
「すんません。」
遠慮なく頂くことにした。
「で?片桐指名の理由ってわかったの?」
そのまま席に着いたお隣に聞いてみる。片桐は困ったような、おどけたような顔をして、
「よくわからないんですよ。どうしてこんなことになってんだか。」
「確か営業部から話が回ってきたんだよね?」
「小山ですよ。出所も不審ですよね。」
片桐はちゃっかり自分の分も確保していた人気の一枚を、袋の中で割ってからほおばる。
片桐と同期の小山は、お調子者の後輩の一人だ。入社当初から飄々としていて人当たりはいいのだが、成績はイマイチ。詰めが甘いらしい。まあ、悪い奴じゃないんだけど。
「そろそろ年相応に落ち着いたらって言ってるんですけれどね。」
つられて真希子も一枚食べた。小麦とバターの香り、それと、生地が少し焦げた香ばしさ。真希子はごくりと飲み込んでから、鼻から息を吸い込んだ。なんとも贅沢な香りだ。
「今から落ち着いたら逆にコワいよ。」
「確かに。」
一定の集団には必ず調子の良いやつがいる。不思議なことに、リーダーっぽい人、補佐的な人、サボる人と、必ず出没する。なんでだろう。
理由はわからないけれど、その中で少しでも居心地のいい居場所を見つけてなんとか落ち着く。
これができないと会社組織ではストレスになる。小山はうまいことやっている方なんだろう。
コーヒーで水分を補充した片桐が聞いてきた。
「神谷さんも、例のプロジェクトそろそろ本格始動なんですよね?」
同じくコーヒーで口の中を潤した真希子は天井を仰いだ。
「あー、そうだった。」
忘れてた。今朝上司からメールが来てたんだった。
「ありがとう、すっかり忘れてた。」
「やっぱり、お疲れですよ。」
片桐の苦笑いを最後に雑談を終える。真希子は改めてメールを確認した。
「今日16時に打ち合わせ、20分程」
それまでに今抱えている雑務をやっつけなければ。
真希子はひたすら画面に集中した。
 予定時刻に会議室に向かうと、入口で小山に会った。
「神谷さん、お疲れさまです。」
「お疲れさま。」
一緒に会議室に入ろうとするので、
「え?」
真希子はきょとんとしている。小山は察したらしく、あわてて言った。
「え!?僕もですよ。」
知らなかった。小山もこのプロジェクトだったとは。
一緒に入ると、中には思ったより人がいた。知らない人ばかりだ。
このプロジェクト、小規模じゃないじゃない。まあ大規模でもないが。
上司が入ってきた。入口で固まっている真希子の顔を見て、
「神谷さん知らなかったよね。ごめんごめん。」
何かに謝っている。
「とにかく座って。」
空いている席はいわゆる上座のあたり。中央に上司を挟んで、真希子と小山が座る。席について改めて顔ぶれを見回すと、自分より若い子ばかりだ。この席は妥当なんだろう。
「では、みんな知っていると思うけれど。」
上司はそう言うと、プロジェクトの説明を始めた。
「と、いつの間にかこの規模になってしまったんだが。小規模って話してたからびっくりしたよね、神谷さん。申し訳ない。」
真希子は頭を下げて答えた。
打ち合わせが進むにつれて、だんだん憂鬱になってきた。思ったより仕事が多くて重い。ふと横を見ると、小山の笑顔も引きつっている。
「小山にはメインで動いてもらって、神谷さんには補佐の中心として、よろしくお願いします。ああ、二人はちょっと残って。」
会議は短くがモットーの上司らしく、予定通り20分程で終わったのだが。
「今のメンバーの中から、2.3人頼りになるのを選んでおいて。一人じゃ限界があるからね。僕からもお願いしておくから。」
パパっと指示をして、さっと行ってしまった。こういうところも無駄がない。
小山と二人になると、同時にため息をついた。
「どうしようかね。」
「神谷さん、知ってるメンバーいました?」
「いるよ。小山君。」
「へ?マジですか。」
「まじです。」
小山は少し思案してから、
「わかりました。僕知ってる子何人かいたんで、任せてもらっていいですか?」
「いいの?」
自分も忙しいだろうに。
「ありがとう、助かるよ。」
若い頃の印象と片桐の話で、いつまでもしょうもない奴だと思っていたけれど、意外と頼りになる。小山も頼もしくなったなあ、なんて、心の中で先輩風を吹かせてみた。
 翌日、小山がデスクにやってきた。後ろに二人連れている。
「神谷さんちょっといいですか。例の。」
「ああ、小山君。」
「小山、プロジェクト入ってるんだって?」
隣の片桐が目を丸くしてちゃちゃを入れた。昨日、打合せの後すぐに報告したのだ。
「おまえなあ。」
片桐をあしらうと、小山は後ろの二人を紹介してくれた。
関本君と渡さん。どちらも30前後くらいだ。
ああ、緊張してるのか。そりゃそうだ、同僚とはいえ他部署の知らないオバサンだ。
真希子は席を立つと、
「神谷です。よろしくお願いします。」
丁寧に頭を下げた。
「ちょっと、会議室いいですか。」
「少しなら。」
小山は片桐に「じゃ」と告げると、会議室に向かう。
「ちょっとだけ押さえてるんです。」
歩きながら説明する小山は、すっかりベテランの雰囲気を醸していた。少しの時間でも会議室を押さえておくきめ細やかさ。昨日に続き頼もしいじゃないか。これは片桐にかけられた色眼鏡を外さなければ。
「時間ないですけど、自己紹介くらいはしておいた方がいいでしょ。」
関本君も渡さんも、小山の顔をうかがっている。
「大丈夫、神谷さんは片桐と違って嚙みつかないから。」
おいおい。
「小山君には嚙みつくわよ。片桐にレクチャー受けてるから。」
「えー、勘弁してくださいよ。」
小山がおどけた。渡さんがちょっと笑う。
「『知らない先輩』といきなり一緒に仕事しろなんて、難しいこと言うわよね。」
自分も似たような経験がある。『知らない先輩』には身構えるものだ。
小山が二人に向かって言った。
「神谷さんと俺が相談して進めていくと思うから、二人には主に神谷さんのフォローをお願いしたいんだ。」
「はい。」
「私もわからないことだらけだから、フォローというより一緒に仕事をしていく気持ちでお願いしたいです。思うことがあったら言ってね。私もできるだけ話します。」
先輩だからと上下を作ってしまうとやりにくそうだったので、あくまで「仲間」だという風に思ってほしい。経験の差は実際動いていく中で共有していけばよい。
「神谷さん、プロジェクトは何度か経験あるんですよね。」
「うん、でもこんな真ん中に据えられたのは初めてよ。」
不安しかない、と言おうとしてやめた。目の前の二人の方がもっと不安だろう。
「小山君、頼りにしてるよ。」
「はい、僕は神谷さんが一緒なんで、安心して頑張れそうです。」
「えー?なんだそりゃ。」
それから小山は関本君に言った。
「関本は、プロジェクト初めて?」
「はい。でも、どうして僕が入ったのかわからなくて。」
ひょろっとした体形に似つかわしくない、はっきりとした話し方だ。
ちらっと真希子の方を見たが、すぐにメガネを押し上げて小さくなっている。
「関本とは前にグループ会社の式典で一緒になったんです。手先が器用なんですよ。」
小山は関本君が固結びした糸を簡単にほどいた話を披露した。
「へえ、本当に器用なんだね。」
「いえ、ばあちゃんがやっていたのを見ていたので。」
おばあちゃんの話をもっと広げたかったのだが、あいにく時間がない。
「んで、渡は僕の後輩なんです。」
「営業部の?」
「いいえ、大学の後輩。」
渡さんはOB訪問で小山と会い、うちに入ると決めたそうだ。
「決め手が、小山君だったの?」
「はい。」
「えー、僕じゃだめですか?」
小山が不服そうに言った。
「小山君のどこが決め手だったの?」
「小山先輩を採るってことは、きっと楽しく仕事ができる会社なんじゃないかと思って。」
関本と二人で吹き出す。
「おーい!」
小山は無視して、続けて聞いてみた。
「いい判断だった?」
「はい、楽しく仕事ができています。」
「良かったね。」
小山の肩をポンポンとたたくと、真希子は時計をちらっと見た。
「そろそろ行かないと。自己紹介じゃなくて雑談になっちゃったけど。」
でも、おかげで二人の表情もだいぶ緩んだ。小山はふてくされているけれど。
夕方、真希子は小山に社内メールでお礼を送った。
「助かりました。ありがとう。プロジェクトよろしくお願いします。」

土曜日。真希子は再び病院に来ていた。先日の検査結果を聞くためだ。検査の日は平日だったが、土曜日は平日と比べものにならないくらい混んでいる。
「ひゃあ、すごいな。」
予約時間少し前に到着したのだが、診察室に呼ばれたのはそこから一時間以上待ってからだった。
「ごめんなさい、お待たせして。」
女性の医師だった。病院にとってはいつもの事なのだろう。待たせすぎという苦情もいつものことで、こんな前置きではじまるんだろう。それくらい言いなれている感があった。
告げられた結果はあまりよろしくないものだった。
「神谷さんの場合年齢もあるから、大まかな選択肢は3つ。1つはこのまま経過観察、2つ目は薬、3つ目は手術ね。もちろん、病院としては1は無し。2か3かなあ。」
手術か。入院と手術じゃあ、プロジェクトどうなるんだろう。
仕事のことを考えていたのだが、治療に悩んでいると思われたようで、
「ああ、急がなくても大丈夫。緊急性はないので、ゆっくり考えて決めてもらっていいですよ。」
それから、医師は薬での治療の場合と手術の場合のそれぞれを簡単に説明してくれた。
「先ほど緊急性はないと話しましたが、どちらかの対応はしましょう。神谷さんくらいの、更年期間近の女性の場合は放っておくと稀に癌化する例も報告されているので。」
癌、か。
「失礼ですが、神谷さんはお子さんは?」
「いません。」
結婚もしていません。
医師は真面目な顔で向き合い、言った。
「そうですか。じゃあ、しっかり悩まれたほうがいいです。」
診察室を出て、立ち止まった。しっかり悩む、か。顔を上げると、お腹の大きな女性とすれ違った。ああ、そういうことか。
会計も結構待たされて、結局病院には3時間近くいたことになる。
スマホには母からメッセージがいくつか来ていて、最後は
「病院近くまで来ています。終わったら連絡ちょうだい。」
メッセージを送っても、すぐに見てもらえないかもしれないので、手っ取り早く電話をかける。
一緒にお昼を食べようということで、駅前で待ち合わせした。
「どうだった?」
「帰って話す。」
「あら、そう。困ったわ。」
大したことがないと思っていたようだ。
「何食べようかしらね。」
しばらく迷っていたが、軽めにしようという話になって、カフェランチを選んだ。
母はパンとスープのセット、真希子はサンドウィッチを頼む。
「待たずに済んでよかったね。」
「迷っていたら待つことになったかも。」
入口からどんどん人が入ってくる。滑り込みセーフ。
「本屋さんなら駅ビルの方が大きいよ。」
「でも売り場がわかりやすいのはこっちなんだもん。」
母は本を探しに出て来たらしい。
「平置きならわかりやすいんだけど、棚に並んでいるのは背表紙しか見えないでしょう。細かい字もきついしね。」
ついでに、真希子にも探してもらおうという魂胆のようだ。
「仕事で使うもの?」
「うん、参考程度だけど。」
母は食器を取り扱うメーカーで働いている。販売ではなくバイヤーを経た後、デザイン関係の部署にいると聞いた。異動してからか、そういう書物を時々買っては読んでいる。
まもなくお皿が運ばれてきた。母のスープからは湯気が立っている。ふわっと香る洋食のいい匂い。たったこれだけで、実はとても空腹だったと自覚する。
「おー、おいしそう。」
湯気の向こうで母が笑った。
真希子も無言でサンドウィッチを口に含んだ。野菜がたっぷり挟まっていて、おいしい。真希子は小麦の香りが大好きだ。あっという間に一つ食べ終えると、
「あー、おいしいね。」
とつぶやいた。
「食べる?」
母がスプーンをよこした。じゃあ、と一口。
「あったかいね。」
スープはクリームシチューだった。こっくりとした口当たりだったが、するする入る。軽めなのかよくわからないが、美味しいことは確かだ。
「食べる?」
真希子もサンドウィッチを一切れ渡す。
「ありがとう。」
母もお腹が空いていたようだ。ぺろりと平らげた。
「そうそう、ここの3Fにあったキッチン用品の店、なくなっちゃったよ。」
「そうなの?」
さほど残念そうではないが、たまにリサーチがてら来ていたようで、
「どこかに新しくできてたりしない?」
参考にしたい店が新規にないか知りたいようだが、あいにく真希子には思い当たるところはない。
 店を出て、本屋に向かった。
「この辺だったと思う。」
母に言われた本を探す。確かに、背表紙だけだと探しにくい。
「これ…かな。」
思ったよりも小さい冊子を手に取ると、母に声をかける。
「ああ、そうそう。でもずいぶんと小さいわねえ。読めるかしら。」
パラパラとページをめくると、惹かれる写真があったようで読みはじめた。
「他見てくるね。」
お役目は十分果たしたと、母から離れた。
雑誌の表紙を眺めながら、文庫のコーナーへと向かう。真希子は専ら文庫専門だ。新書は重いし、電子はあまり好きではない。
途中、平置きの一角に簡易机があって、ハンドクリームとお香がいくつか置いてあった。「読書の合間のリフレッシュ」と大きなPOPがある。
最近の本屋さんは本や文房具だけでなく、こうした企画スペースがあったりする。本と合わせて使って欲しいアイテムからオリジナルグッズコーナーなど、半分雑貨屋さんみたいなものだ。
「どれ。」
真希子はじっくりと眺めた。ローズ、ラベンダーなどおなじみの香りから、コーヒーやバニラなんてものもあって、それぞれ特徴や効果が書いてある。テスターを一つ手に取って、鼻に近づけた。
華やかな香りが鼻腔に広がる。さすがは花の女王。ローズは贅沢な気分にさせてくれる。
次に手に取ったのがティートリー。花粉症に良いと言われて、友人に勧められたことがあったが、あまりさわやかには感じられず、結局使わなかった覚えがあった。
「どうかな?」
クンクンと嗅いでみたが、そのまま静かに机に戻した。隣に置いてあるチューブを選ぶ。
「やっぱり。」
黄色いパッケージのハンドクリーム。いつも使っているものだ。柑橘系の香りはいくつかあるが、真希子はグレープフルーツの香りが好きだった。
「はあー、いい香り。」
レモンとは違った、皮の苦みと果汁の甘酸っぱい香り。何年か前、仕事が立て込んで疲れていた時に使ったら、体に溜まっている“何か”が鼻から抜けていく感覚にびっくりしたことがあった。それ以来、デスクの引き出しには必ず入っている。買っても良かったのだが、少し前に大きなサイズを買ったばかりだった。
文庫コーナーでいくつか手に取ってあらすじを読んだけれど、結局買わずに棚に戻した。こういう時は気軽に読める雑誌にしておこう。
 雑誌コーナーに戻る途中、子供の本コーナーが目に入った。真剣に図鑑を見ている子、ベビーカーを押したママ、絵本を読みふけっている女の子。
「自由だなあ。」
真希子の同期はもうとっくに結婚して、ママになっている人も多い。そのたびに出産祝いとして、絵本を見に来たりもしたっけ。
「結局、実用的なものが一番喜ばれるよ。」
と、他の同期と話して以来、毎回おむつケーキと決まったが。
しかし、イマイチ子供というものに慣れない。親になることなど想像もできない。以前母にそんな話をしたことがあったが、
「子持ちのことは子持ちにしかわからないわよ。逆に、独身の気持ちも独身しかわからない。想像したり寄り添ったりはできるし大事だけれど、深いところまでは同じ独身でも本人じゃないとわからないでしょ。」
と言われた。当然、母もそんな経験があるのだろう。
確かに、この年まで結婚せず、一人でいることに対して周りは同情のような慰めのような、そんな風に思っているんだろうなと感じることはいまだにある。
「普通はこうだよね」
というステレオタイプがまかり通っている。まあ、わかんないよね。結婚に全く興味がない女もいるんだってこと。それほど珍しいわけでもないと思うんだけれど。
 雑誌コーナーでは年相応のファッション誌かコスメ特集なんてものに手が伸びる。
「冬の新作コスメ総ざらい」
なんて特集を見ていたら、先日買ったアイシャドウが載っていた。
名取さんを思い出す。彼女のこの先の人生をふと想像して、うんざりした。私も「世間の普通」という枠から出られないじゃない。どんな人生を望んでいるかなんて、本当に本人にしかわからないのに。
そのままそれを買おうとしたが、他に気になる見出しの女性誌があって、そちらを買うことにした。
 家に帰ると、母がコーヒーを入れた。
「飲む?」
「ううん、お茶淹れる。」
伯母仕込みの熱々苦々緑茶だ。立ち上る湯気から香る青臭さは、けしてコーヒーの香ばしさに負けていない。
「あちっ。」
向かい合って座り、一息つく。
「それで、先生なんだって?」
ずっと気になっていたようだ。そりゃそうだ。
真希子は先生の話をざっと伝えた。
「すぐにどうこうって話ではないみたい。」
「放っておくと癌になるってことね。」
「稀にね。」
「で、どうするの。」
「うーん、「しっかり悩んでください」って言われたから、しっかり悩んでみるよ。」
次の診察は1か月後だ。それまでに答えを出そうと思っている。
「そうね。」
母はそれ以上聞いてこなかった。
真希子はお茶を飲み干すと、さっき買った雑誌を手にした。わりと大きなフォントで、「不調?について聞いてみよう」と書いてある。何か助けになる記事があるかな、と期待して読んだのだが、いくつか婦人科系の不調についての基本情報と対処法、体験談が載っていた。対処法自体は医者に言われたことと大して変わらなかったが、体験談は意外にも心にささるものがあった。子宮を全摘出した人の話だ。
「産めなくなるということ。」
という言葉である。
産めなくなる、か。
産みたい、と思ったことはないけれど、産めなくなると言われると、ズシンとくる。
こんな風に感じたことは初めてだった。
特集の結びは、
「ライフプランを整理して、後悔のない選択を」
とあった。結局自分で決めなければいけないことに変わりはない。そりゃそうだ。「あなたはこうしなさい」なんて書いてあるわけがない。
ライフプラン。
真希子は結婚願望がない。一生独身ということはかなり若い頃から決めていて、隆史にも付き合う時に話してある。こうして母と二人で暮らしている今はいわば想定通りだ。結婚しないということは、当然子供も産まないと思っていたし、産みたいと思ったこともなかった。でも「産めなくなる」と言われると、ちょっと待った、と思ってしまう。
先生が「しっかり悩んでください」と言ったのは、紛れもなくこの部分だ。
人間って勝手なものだな。
つくづくそう思った。
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