(1)交渉決裂

文字数 4,652文字

 PM7:05 LA《ロサンゼルス》某所――

 待ち合わせの時刻を悠然と無視して栗毛の紳士が現れても、客である東洋人の眉は一筋も動かなかった。

 たかが五分。

 極東の果て――海向こうの流儀なら“指一本”で詫びとする失態だがここはLAだ。恐らくはぶちまけたい激情を見事に胸内に秘め、紳士が席に着くのを黙って待つ。

「やるかい?」

 差し出されたシガレットケースに、東洋人は手を伸ばすことなく無言で返す。それが紳士流の“詫び”だというのなら、これから始まる会談の前途は多難でしかない。
 だが、悪びれた風もなく一人紫煙をくゆらせ1分弱。部屋隅に居並ぶ部下らしい男たちがさすがに決まり悪げに己の上司をちらちら見始めたところで、ようやく紳士が話を切りだした。

「まさか最後の晩に嵐に遭うなんて(・・・・・・・)……お互いツイちゃいねえな」

 その唇を意味深に歪めて。
 およそ三千ドルは下らないと思われるイタリアン・スーツに身を包みながら、存外にくだけた(・・・・)口調で肩をすくめる紳士に、東洋人が気に掛けたのは別の事柄であった。

「“荷”が届かなかったと?」
「そうじゃねえ。ただ高くなった(・・・・・)、ということよ」

 紳士が優雅に左手をかざすと、安っぽいスティール製テーブルの上に場違いとしか思えない銀製の蓋をかけられた大皿が置かれた。
 今がディナーの最中でない以上、七面鳥の蒸し焼きを披露するとは思えない。事実、大皿を運ばせた当人は、それを前にした途端、これまでのくだけた雰囲気を唐突に一変させたのだから。

「うちは客が望むものは何だって運んでやる。それも適正料金で、だ」

 低く感情を抑え付けたような声。発音にクセはなく語り口も穏やかなのに、温もりどころか、知らず寒気さえ感じさせるのはなぜなのか。
 周囲で唾を呑む音をやけに大きく響かせたのは、部屋に張り詰めた極度の緊張によることは明らかだ。

「無論、良心的価格の提供に“裏”はない。まして、サービスの質を落とすなど以ての外だ。会社(うち)は小さくても、“プロ”としての矜持は持っている。ただ……だからこそ、客にもささやかながら(・・・・・・・)、守って欲しいことがある」

 大したものではない、という口調(テイスト)で。それが視線を大皿に落とした途端、僅かに声が震え出す。
 忌々しげに銀蓋を見つめたまま、紳士は言葉を続ける。

「お行儀良くして、決められたルールを守る――たったそれだけのことだ。難しくない。断じて。なのに、どうしてこうなる?」

 言うなり手ずから銀蓋を掴み、持ち上げた。

「…………」

 その驚くべき光景を目にしても、東洋人の冷淡な表情に何ら変化を起こさせることはなかった。
 青白く、まるで生きているかのような男の生首(・・・・)が大皿に鎮座していても。
 年齢は二十後半から三十代といったところか。
 まぶたは永劫に閉ざされ、左頬には治ることのない青あざ、無残な切り口をみせる首からは、もはや血が流れることはなく、ケチャップのような血塗られた痕を残すのみであった。むしろ、そんな状態で腐臭がキツくないのが不思議なくらいだ。
 右側頭部の黒髪が何かでべたつき、かつ若干窪んで見えるのは、それが致命傷であったものか。
 見る者が見れば、それらの傷痕が“拷問”の類いではなく、激烈な戦いの果てに負ったものだと気づけるはずだ。――ただ、“荷運び”と“死闘”がどう結び付くのかまでは分かるはずもなかったが。
 事実、今夜の会談は、互いに懐を探り合うことも目的のひとつとしていた。
 いずれにせよ。
 紳士がわざわざ見せつけたくらいだ、扁平な顔つきの相似性を踏まえれば、対面に座す東洋人と何らかの繋がりがあることは確かだろう。
 実際、反応は劇的だった。
 何を考えてるか読みにくい東洋人特有の無表情(ポーカーフェイス)を保ちつつ、だが、その中身が明らかに変わったことを紳士のみならず、周囲の部下達までもが本能で感づいた。
 東洋人の身内から放たれた無色透明の“何か”に気圧されたが為に――。

「ぐぅ……」

 紳士の背後で、思わず後退り、呻き声さえ洩らす者が出る。まるで、飢えきった獅子のいる檻に、突然放り込まれたような錯覚に陥ったからだ。――この場所はヤバい、と。 
 だが、息苦しいほどの緊張感に満ちた部屋で、紳士だけが傲然と、東洋人が放つ圧力(プレッシャー)を跳ね返す。この程度で萎えるような小物なら、今の地位に着けるはずもないのだ。

「言っとくが、こっちは船だけでなく乗組員全員がオシャカ(・・・・)になっちまった。もちろん、単なる嵐のせいじゃない――あんたら、いったい何を運ば(・・・・)せたんだ(・・・・)?」

 最後はむしろ囁くような声で、肋骨の下から冷たい刃を滑り込ませるがごとき殺意を向けられても、東洋人は顔色一つ変えもしない。
 ただ一言。

「倍払おう」
「十倍だ」

 それが“黙殺の金額”と気づいた紳士が間髪入れず両掌を突き出す。理由は簡単だ。

「いいか――あんたらは『マルコ・ロッシュ』をコケにしたんだ」

 その名にいかなる権能(パワー)が込められていると信じているのだろう。ゆっくりと言い含めるように告げる紳士に、だが、東洋人は毅然と首を横にふる。
 処置なし、と言わんばかりに。
 分かっているのだろうか。彼の力が及ぶ地は、ここではなく遙か太平洋の彼方にあるのだと。
 このLAにおいては、彼は一介の異邦人にしか過ぎず、尊大な態度が許されるものではないということを。にも関わらず――

「すでにチェックメイト(・・・・・・・)だ。“契約”を破棄して困るのは俺たちじゃない。お前たちだ」

 言い捨てた東洋人がふいに席を立つ。
 敏感に反応した紳士の部下たちが、何事かと一斉に銃を構えた。
 ナイフや山刀(マシェット)ではない――そこらのスーパーで百ドル以下で並んでる安物品(サタデーナイト・スペシャル)でも、全員が銃を手にしているのはさすがに壮観でさえある。しかも、そのうち数人が肩から提げているのは、この場を瞬時に地獄の戦場へと変える力を持つ短機関銃(サブ・マシンガン)だ。
 だが、それすら意に介さず東洋人はきびすを返す。

「Mr.キリュー」

 銃を前にするものとは思えぬあまりに泰然自若たる相手の態度に、思わず紳士が呼び止めるも、後の言葉が続かない。代わりに歩みを止めぬ東洋人の口から日本語が吐かれた。

〈ガイジンに媚びるつもりはねえ〉
「?」

 意味も分からず紳士の眉が不審げに寄せられると、その視線を異形の影が遮った。
 全身を覆う黒布に鍔広の帽子を目深にかぶり、性別さえ判断できぬ薄気味悪さ――この時になって初めて、その“付き人”の存在に全員が気づく。

 いつからだ――――?

 困惑に縁取られた全員の視線を一身に浴びて、そいつがゆっくりと帽子を脱ぐ――病的な肌の白さに反した朱眼の異相!
 やはり東洋人であるその者の見た目の若さとは裏腹に、年嵩を経た者にしか出せぬ深みのある声が耳朶を打つ。

そいつ(・・・)の借りを返してもらうぞ」

 それが、大皿に載った首を差していると気づいた者がいたかは分からない。いやその前に、呟かれた言語は明らかに英語でないにも関わらず、なぜ適切に理解できるのか(・・・・・・・・・・)
 いずれにせよ、それらの疑念が永遠に解かれることはない。なぜなら、限界まで張り詰めていた部下たちの緊張が、ついに決壊したからだ。

「ひっ――」

 荒事に慣れてるはずの男達から、短い悲鳴のようなものが聞こえた瞬間、それが引き金となって、無数の銃声が室内に荒れ狂った。
 同時にはっきりと響く美しいとさえいえる金属音。 それが全身いたるところで無数の火花を散らす朱眼の人物から聞こえる音だと気づいたときには、男達の銃という銃の弾薬は尽き果てていた。

 カチカチカチ……

 誰かがなおも銃の引鉄(トリガー)を引き続ける音が空しく響く。
 むせるような火薬の匂いと靄のごとく立ちこめる発砲煙が、費やされた弾薬量の多さと叩きつけた攻撃力の猛威を物語っていた。標的にされた人影は数十回死んで、その身がぼろ雑巾のようになっているのは間違いない。だが――。
 煙る視界を透かして、悠然と佇む人影を彼らは信じられぬ物を見るように、目を反らせずにいた。

 ――ありったけだぞ?!

 さすがに目を見開く紳士を含めて、その胸中は誰もが同じだ。
 ひとり7発装弾の自動拳銃(オートマティック)を持っていたとして、7人×7発=49発。残り二人が合法部品で連射機能を追加した30発弾倉の短機関銃(サブ・マシンガン)を撃ち尽くして60発。
 この至近距離で的を外すこともないと考えれば、100発以上をぶち込んで、平然としていられる人間がいるなんて、悪夢以外の何物でもない。
 それでも、狼狽えることなく標的をしっかりと観察していれば、彼らにも気づけたことがあった。
 その足下に散らばる無数の金属片と潰れた弾丸を。
 その全身を覆う黒布に空いた無数の孔から煌めく何かの金属光を。
 それらが防弾の役目を果たして銃弾を弾く金属音を、彼ら全員が銃撃の最中、耳にしていたということを――。
 それに気づき、あわよくば逆転に繋げる転機を彼らはもはや得ることができなかった。
 放心、戸惑い、困惑、憤怒……様々な感情が渦巻く中心で、朱眼の人物が身動(みじろ)ぎする。

「…………それで、(しま)いか?」

 問いかけと同時に、右腕がすっと前に突き出される。二指を顔前に立て、瞼を軽く閉ざし気味に半眼としながら、朱眼の人物は何事か唸った。

「ならば、今度は儂の番だな」

 一瞬、その朱眼が光ったように見えた。いや、朱色に見えるほど浮き出た無数の毛細血管が、白目を塗りつぶすほどに膨らんだのだ。
 同時に、黒布がその内で何かを蓄えるようにゆっくりと膨らみ始める。まるで内側から鋭利な何かで突き上げるように、無数の棘が黒布から芽生え――そして爆ぜた。

 ――――!!

 大げさに言えば、小さな超新星爆発。
 そいつを中心に無数の白光が室内を疾り抜け、恐慌状態にあった男達に突き刺さり、ハリネズミと化した。
 交渉の始まりの時と同じ静寂が室内に戻る。

「ぐぶ……何なん……だ……てめ……ぇ?」

 口元から血を流す紳士が口にするが、応える者はない。その言葉を最後に、紳士が事切れていたからだ。

「……この後は?」

 去りゆく影に朱眼の付き人が問いかける。

「売られた喧嘩は買う」
「確か、この街でも三指に入る組織と聞いたが?」

 なぜか愉しげな声で念を押す付き人に、「だからなんだ?」と東洋人の声質に変わりはない。それは算盤(・・)も弾けぬ愚者故か、あるいは自信に値する強者故の言動であったのか。
 死者達に支配された室内に、ある意味相応しき不気味な含み笑いが響き始める。

「くく……喚ばれた介(・・・・・)があったというもの。よもや異国の地で、我が力を振るえる時が来ようとは……」

 陰々と響くその声は、まるでこの世に在らざる者が放つような――そんな異質で不快な喜悦に充ちたものであった。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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