(2)追跡者の影

文字数 4,848文字

 ふいに、スマホのコール音が静寂を破ってディランとリディアは顔を見合わせた。そのまま二人の視線は、ディランに掛けられた毛布へと、その下へと向けられる。

「どういうつもりだ?」

 “非通知表示”を承知でディランが“応答”すると、即座に有無を言わせぬ凄みの利いた男の声が発せられた。

「――デストリン」

 知らぬはずがない。
 マルコと比肩するLA三大組織のひとつを仕切る男の名を。
 ディランが平然と応じているのも、ライバル組織のNo.2が保持する携帯番号くらい彼ならばいつでも手に入れられると分かっているからだ。無論、リークに関与した者達について適切な処置を後日、施すことになるのは間違いないが。
 このタイミングでデストリンが接触(コンタクト)を図ってきた理由は一つしかなく、次の言葉がディランの予想を肯定した。

「お宅の催し物に招かれた叔父と連絡がつかなくてな。同席してるはずの友人(・・)に尋ねようとしたら、そちらも不通ときた。しかも、俺の耳が(・・・・)遠くなったわけでないのだとすれば、会場となっていたマルコ邸が暴動騒ぎ(・・・・)の末、炎上(・・)したという。――貴様ら、LAを戦場にしたいのか?」
「状況は複雑だ。悪いが――」

 あくまで冷静に努めたところで、ふいに窓外――向かい側の建物の屋上に、あるはずのない人影を見とめて、思わずディランは言葉を失う。
 忘れるはずがない。
 月明かりを背にして顔は見えないが、片手に握る長モノのシルエットに思い当たる人物があった。

「おい、何なんだ?」
「後で連絡する」

 固い声で応じて一方的に電話を切ったディランが、視線を逸らさずリディアに告げる。

「向かいのビルの屋上だ」
「――え?」
「奴だ」

 それで事足りるというように、言い捨てたディランが毛布をはねのけベッドから素早く抜け出す。
 リディアが視線を向けたときには、恐らくは先ほどの東洋人であろう姿は、始めからそうであったように消え失せていた。
 ならば“勘違い”と思うのが普通であり、それだけ心労も祟っていたはずなのだが、“事実”として当然のように身支度を始めるディランの姿に、リディアの躊躇いは一瞬で、すぐさま腰に差し込んでいた拳銃を抜き出し、窓際へと確認に向かう。

「無駄だ。それよりも撤退(・・)の準備をさせろ」

 ディランの制止にリディアが鋭い視線を返すのは、確認行為を止められたせいではない。
 彼女の不服を承知しているらしいディランが、ジャケットを掴んで手早く身支度を整えながら理由を簡潔に伝える。
 
「奴らの力は底が知れん。準備が整うまでは逃げに徹する方がいい」
「それほどのもの?」

 答えがないのは分かっているのに、問わずにはいられない。数秒後、予想通り“ディランの無言”を背に受けて、リディアは隣室へと指示を伝えに向かった。

「見つかった――すぐに撤退の準備を」
「ぇ……あ、いや嘘だろ?!」
「…………」

 開口一番、緊急を告げたリディアにソファでふんぞりかえっていたサミィが即座に反応できなかったのは無理もない。
 同様に、やけに真剣な表情で料理番組に釘付けになっていたクレイグと顔を見合わせるも、やはり半信半疑なままなのは、組織の手すら回っていないこの隠れ家の秘匿性にそれだけ自信を持っていた表れでもあった。
 自身も同じ気持ちだったのだろう。リディアは即座に説明を付け加える。

「ディンが奴を見た、と」
「何? いや、目を覚ましたのか」
「ええ。それで、ディンが向かいのビルに奴を見たと言っている」
「?」

 益々困惑する二人に「自分だってそうだ」と言わんばかりに天井を仰ぐリディアへ救いの神が隻腕の姿となって現れる。
 ディランは片手に、リディアがベッド脇に置き忘れていった散弾銃を携えたまま、まだ状況が呑み込めていない二人に、有無を言わさぬ口調で指示を出す。

「サミィ、マーカスを呼び戻せ」
「ぉ、おう」
「クレイグは階段を見張れ」
「――分かった」

 相変わらず、長き風雨に晒し続けた巌のような表情に、彼らにしか分からぬ“焦燥感”を敏感に察知した二人が、発したい質問を呑み込んで指示に従う。

「弾はあるか?」
「ええ」
「なら散弾銃(こっち)を使え」

 ディランから散弾銃を渡されたリディアが、連絡を取り合ってるサミィの対面に腰を落ち着けて弾込めを始める。
 ディランはというと、疲労の陰りも見せぬ確かな足取りでキッチンに向かっていく。

「建物の出入り口は何カ所だ?」

 冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出し、口を湿らしながらディランがリディアに声を掛ける。

「階段がメインで、あとは裏手の非常用梯子のみ」
「ここは何階だ?」
「4階。隣はしょっちゅう出張してる」
「ちなみに今日も留守だぜ――悪い、コッチの話」

 器用に話に割り込んできたサミィをリディアが軽く睨み付ける。ウインクで返されただけだった。

「……マーカスはどこで監視してる?」
「ひとつ下の3階で。場合によっては挟撃できるようにね」

 明らかな殺意を持つ侵入者が知らずに4階を攻撃すれば、密かに侵入者の無防備な背後をとった監視役が痛烈な打撃を与え、混乱した侵入者を更に前後からの挟撃で殲滅する。
 これまでに二度、実際にその有効性を示していることはディランも聞き及んでいる。
 さらにディランが立て続けに質問を重ねて、必要な情報を仕入れ終わったときに、サミィの連絡を受けたマーカスが戻ってきた。

「具合はどうだ、ボス(・・)?」
「問題ない」

 脇腹の違和感を気にしつつ、大男の気遣いにディランはいつもの声音で健全さを示す。
 厳密には『廃掃班』のメンバーにディランは含まれておらず、班長(ボス)と呼ぶのは不適切なのだが、ディラン自身気にしたことはない。
 普段は、(くせ)のあるメンバーで真っ当な部類になるリディアが、メンバー間の調整というかまとめ役となっていたため、自然と意志決定を行う存在になっている。しかし、ディランと共に行動する場合は指揮権に変化が現れる。
 それが決定づけられたのは、やはり2年前の抗争が切っ掛けだ。
 あの頃のディランは常に先陣を切り、その上必ずといっていいほど『廃掃班』を付き従えていた経緯があって、気づけばメンバー全員が班長(ボス)と呼ぶようになっていた。
 抗争が落ち着き、『廃掃班』との接点が薄れるにつれ、マルコとの兼ね合いもあって名前で呼び合うようになってきたのだが、時にこうして昔の呼び方に戻ってしまう事がある。
 いや、むしろ彼らも(・・・)あの頃の感覚が蘇ってきたのかもしれない。

「あんたが無茶するのは毎度のことだが、な」

 言葉とは裏腹にマーカスの目が自重を投げかけてくるのは当然だ。集団(チーム)という視点で捉えれば、リーダーの不調は集団の存亡に関わる問題だからだ。
 ディランが沈黙で返すのを承知していたらしく、マーカスは軽く嘆息すると表情を引き締め、先ほどディランが放った指示の正しさを保証するように新証言を付け加えた。

あれ(・・)がそうなのか? ビルの屋根上に鉄パイプか何か持った人影を、俺も確かに見たぞ」
「マジか――」
「気づけばそこにいたから、最初は目を疑ったんだがな……だっておかしいだろ? あんなトコに人がいるなんて」

 驚くサミィに訴えるマーカスが珍しく興奮しているのが分かる。 
 確かに、わざわざ夜更けに不安定な屋根上に上がって、他人様の部屋を、それも長モノ片手にのぞき見る――単に“変態野郎の仕業”と断じる方があまりに無理があるシチュエーションだ。

「俺が知ってる“鎖野郎”でないのは確かだが、間違いなく同類だろうよ」
「どうしてそんな事が言えるんだ?」
「お前からの電話でちょっと目を離したら……もういなくなっててな。逆に確信したぜ……あれ(・・)はヤバいぞ、ディン」

 ディランと共に屋敷で直接『彫刻師』と戦り合っているだけに、マーカスには感じるものがあるらしい。大男にしては珍しい緊張を含んだ声に、さすがのサミィも軽口を叩かず、代わりにどうしても拭えぬ疑念を口にする。

「しかし、どうやって奴らは“隠れ家(ここ)”を突き止めたんだ?」

 しごく最もなその疑問は皆の思いを代弁していたのには違いない。しかし、「悪いが、その件は後にする」というディランの制止で強制的に中断される。理由は明快だ。

「忘れたか? 不意打ち(アンブッシュ)を受けたら、即時撤退が鉄則だ」

 撤退の判断ほど難しいものはなく、そして重要なものはない。なぜなら、この判断が必要とされる場合とは、ほぼ9割以上が“不利な情勢に立たされた場合”のはずだからだ。
 それ故に、判断のミスは落命に繋がる確率が非常に高く、彼らが受けた訓練では最善の策を『鉄則』として叩き込まれていた。
 ちなみに、林野戦における状況次第では、撤退どころか突撃こそが唯一活路を見出す手段となるケースもあるが、それをこの場で持ち出す者はさすがにいなかった。

「で、どうする?」

 サミィが了承の意としてディランを促す。

「あいつら、もしかすると本当に銃も持っちゃいねえようだし……玄関から正面突破しちまうか」
「よせよ。数を揃えてないとは限らないぞ」

 いつもの冗談と知りつつも、敵戦力に対する見誤りを避ける狙いも含めてであろう、マーカスが敵の“組織的行動”の可能性を示唆する。
 同様に、リディアも残されたもう一つの選択肢に対する懸念を指摘する。

「銃だってないとは限らない。いきなり非常用梯子を使うのは、賢い選択とは思えない」
「それじゃ八方ふさがりだろ?!」

 何言ってくれてるんだとサミィが両手を広げたところで、ディランがまさかの第三の選択肢で結論づける。

「一度、1フロア上がってから非常用梯子を使う」
「狙撃は?」
「この短時間でそこまで準備できるとは思えん。そんな力があるくらいなら、肝心のパーティ会場でもっと派手なパフォーマンスをしてるはずだ。それでも念のため、敵の思惑を外す形で1階上から探りを入れる。問題なければそこから脱出だ」

 ディランの口調はにべもないが確かに説得力はあったため異を唱える者はいない。
 そもそも、リディア達の武装は万全でなく弾薬も心許ないからだ。本来ならこの隠れ家で補給もできたはずなのだが、借家したばかりで、万一に備え多少の武器弾薬を持ち込んでいる程度にすぎない。撤退の選択は既定路線だった。
 ちなみにクレイグがマルコ邸から持ってきた『イスラエル製ウージーSMG(サブ・マシンガン)』――マイクロ版なため全長500ミリを切る携帯性の割に、毎分1400発で9ミリ弾を吐き出せる驚異的な連射速度が魅力な銃については、適合する弾薬があったので、所持(キープ)していた空弾倉に手ずから弾ごめを終えている。同様にリディアのショットガンもわずかであるが弾薬を確保できた。
 なお、いずれも備えていた拳銃『ベルギーFN社製ブローニング・ハイパワー』と散弾銃(ショットガン)
『モスバーグ社製M500暴徒鎮圧銃(ライアット・ショットガン)』はそれぞれクレイグの予備武器、サミィの主武器として持たせている。
 
「さあ、もういいだろう。玄関でクレイグがしびれを切らして待ってるぞ」

 ディランに急き立てられて、ようやく皆が移動を始めるが、さすがに時間を浪費しすぎていたらしい。
 ふいに、小さな口笛が玄関から聞こえてきて、ディランがリビングから見通せる位置に移動する。

 来訪者。1名。

 ちょうど、玄関のロックを掛け終えたクレイグが手信号(ハンド・サイン)で状況が悪化したことを伝えてきたのだった。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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