(4)クロス・ファイア1

文字数 8,660文字

<PM10:53――>

 黒塗りの腕時計(チタニウム・ウォッチ)で時刻を確認したディランは、周囲の空気に異変(・・)さえないと分かると、再びまぶたを閉じた。
 焦る必要はない。
 無論、奴らは今にも前方のドアを蹴破ってくるかもしれないし、あるいは数時間後――人の集中力が一番薄れる未明の時間帯を狙ってくるかもしれない。
 だからこそ、いつ強襲されてもいいように、作戦通り全員所定の配置についてはいたが、かといって、ずっと緊張を保っていられるはずもない。
 そのため、ある程度は長期戦も覚悟してそれぞれが持ち場での過ごし方に工夫を凝らすことになる。
 ディランの場合は実にシンプルで、事務所から引っ張り出してきた椅子を物陰に配置し、自身が思う楽な姿勢でただ静かに座っていることであった。
 勿論、そこには独自の工夫がある。
 握った愛銃『M1911A1』をカスタムしたDSヴァージョンを膝の上に置き、軽く目を閉じた状態で深くゆったりした呼吸に半分だけ意識を向ける。
 もう半分は漠然と周囲へ――空間を、世界を感じるというか――“意識の在り方”を説明するのは非常に難しい。
 とにかく目を閉じていても、周囲で何らかの動きがあれば、静謐な水面のごときディランの知覚に、一石を投じたようなさざ波が生じて、確実に異変を察知できるということだ。
 適度に休憩をとりながら、同時に待機状態を維持できる――今の状況に最も適した特殊な技能をディランだけが有していた。

 この特殊な“意識の調律”は、ディランが少年時代に受けた特殊技能訓練におけるヨガ系の『瞑想(メディテーション)』がベースとなっている。
 無論、礎となる『瞑想』の効果だけでも、例えば“睡眠の質”が劇的に改善され、たった二時間の睡眠で脳と身体が完全リフレッシュされるようになるなど、素晴らしい成果を上げている。
 それをさらに自己流でアレンジして磨きをかけることで、意識・精神に関する様々な調整が、ある程度できるようになったのだ。
 事実、この半分寝て半分起きている特殊な疲労軽減法を用いて、敵対勢力に追われながらも3週間シエラネバダ山脈を昼夜問わず駆けずり回った体験がある。あの極限状態で、睡眠不足に襲われ体機能が低下していれば、今も弔われることのない遺体となって彼の地で眠りについていることだろう。
 結果的には、二十人以上が動員された敵の戦闘部隊の全員を返り討ちにして生還することができ、LAにおける“隻腕の伝説”に新たな一ページを加えることになったのだが。
 当然、こんな離れ業は、特殊技能訓練を指導してくれた教官でさえ真似などできない。もはやディラン独自の技術として昇華されていた。

 今もまぶたを閉ざし半眠状態にありながら、奴らが突入してくれば、その瞬間、銃口は遅滞なく不動の直線を描いて怪人の影に揺るぎなくポイントされるはずであった。
 無論、他のメンバーが本職の軍人ではない以上、あるいはそれすら越えるディランのような真似をできるはずもなく、別の“技術”で対応している。といっても、ドアノブに“目印”としてボールペンをテープ止めしているだけであったが。
 奴らがドアノブをわずかでも捻れば、連動するペンの動きで察知できるようにするためだ。一種の簡易警報装置といったところか。その上、他の二組は交替で見張りを行い、三方攻撃という陣形を片時も崩さぬよう十分に配慮しているので、ディランのような一芸(・・)を持つ必要はなかった。

<PM10:58――>

 そういえば、この腕時計が贈られたのも似たような時刻だった。
 仕事(・・)の区切りがつき、軽い打ち上げをした最後に、帰り際、リディアに呼び止められたのだ。
 その場で開封した小箱には、本体(ボディ)が黒いツヤ消しで文字板も暗色系と控えめな配色ではあったが、一見して高級品と分かる造りのこの腕時計が納められていた。
 もうメーカー名さえ覚えていない。
 とにかく頑丈で、視認性がよく、時間の誤差が少ない――ディランが腕時計に求めるものはそれだけなのだが、掌に収まるサイズで千ドル以上したという。
 「別に安物でいい」と開きかけたディランの口を閉ざさせたのは、まっすぐこちらを見つめるリディアの「チームから」という一言だった。
 以来、共にいくつもの抗争を潜り抜けてきたために、今では時計の本体(ボディ)には幾つもの傷がついている。

<PM11:01――>

 三度、腕時計を目にしてディランは異変に気づいた。――自身がなぜに、こうも時間を気にして(・・・・・・・)いるのか(・・・・)と。
 無意識に虫の知らせ(・・・・・)のようなものが働いていると直感した時には、半眠だったディランの意識は完全覚醒し、肉体にほどよい緊張感が湧き上がっていた。
 ほぼ同時に、右方向で一瞬だけ光が煌めく。
 方角からリディア・クレイグ組の高輝度懐中電灯(フラッシュ・ライト)による合図だと気づく。それが何を言わんとしているかも、事前の打ち合わせで承知していた。

 警戒せよ――

 勘の鋭いクレイグの感覚に、そうすべき“何か”が触れたのだ。それを見て、さらに自身が捉えた予感のようなものにディランも確信を得る。

(リディア――)

 過剰な期待はしていない。いつでも戦闘には“想定外”が付き物だからだ。それが起きるたびに意識を乱されていては戦いにならない。
 だが、チームの大砲が威力を発揮するしないでは戦いの帰趨に大きな影響が出るのは明らかであり、戦果を挙げてほしいと望むのは当然だ。
 だから“ほどよい期待”くらいしてもいいだろう。
         *****

廃掃班<右陣>
     サミィ・マーカス組――


 ドンンッ

 サミィにとっては左後方――チーム全体の布陣からすれば、攻撃目標であるドアと正反対の後背から大きな音が響いたとき、その発生源が窓一つない単なる倉庫の壁であるだけに、すっかり意表を突かれていた。


 ――ズドンッ


 再び重く響いた音に一体何なんだと、マーカスと視線を交わし合う。いや、“隠れ家(ハウス)”での一件を忘れるはずもなく、奴らの仕業で間違いあるまい。それでも訝しんだのは、本気で倉庫の壁を何とかできると思っているのかということだ。
 その瞬間を見て取ったかのように、絶妙なタイミングで、今度は前方のドアが破裂したような音を立てる。

「「――!!」」

 二人一緒に視線を戻したときには、閉じたままの(・・・・・・)ドア(・・)がリディア達の方に向かって吹き飛んでいくところだった。

「――ンな馬鹿な」

 M4の引き鉄(トリガー)を引くのも忘れて唖然とサミィが口を開く。続けてハッとしたようなマーカスの叱咤は、己に対してのものだったのかもしれない。

「おい、ボサッとしてんな!」

 敵の突入を見過ごせば、圧倒的有利な攻撃権をみすみす手放すことになる。そうなれば、戦局はまったくの互角(イーブン)――振り出しに戻ってしまうのだ。マーカスが血相を変えるのも無理はない。
 だが右陣を担う自分たちが、明らかに“1テンポ遅れた事実”を取り消すことはできなかった。

         *****

廃掃班<中央>
     リディア・クレイグ組――


正面(ドア)だけに集中しろっ」

 クレイグの注意にさほど意味はなかった。
 なぜなら、後方の壁がドラムのような音で静寂を打ち破ったとき、既に戦闘態勢で照準器(スコープ)を覗いていたリディアの集中力はわずかも乱されることはなかったからだ。
 その卓越した集中力で、目標対象物(ターゲティング・ドア)が蝶番の呪縛を引き千切り、唐突に吹き飛ぶのをしごく冷静に知覚する。
 全身を圧迫するような破壊音に筋肉や血管が僅かも収縮することはなく。
 意識は早朝の湖面のように澄んだまま。
 リディアだけが刻の流れに取り残される。
 ゆっくりと迫ってくるドアをリディアは避けようともせずに、むしろ視界が開ける瞬間を待ち望み、引き鉄(トリガー)を限界手前まで――軽めに引き絞る。

 パパパ!

 すぐ隣で発砲光(マズル・フラッシュ)が焚かれ、同時に迫り来るドアの表面で火花を散らして、その衝撃で変則的な回転運動がスタートする。
 誰の仕業か考えるまでもない。
 肝心なのはそれがもたらす結果だ。

 回転するドアが地面と水平方向になった瞬間――視界の向こうに“人影”が見えた。

 それが何かを知覚する前に、リディアの指は死神の得物を解き放っていた。
 久しぶりに味わう火薬の炸裂音とズシリとくる肩への反動に“手応え”という満足感がリディアの胸中を満たす。
 結果を待たず、無意識に右手がボルトを操って空薬莢を排出し、一度退いたボルトを前進させることで新しい弾丸を薬室に装填させる。
 正確無比、かつ、一連の流れるような動作は、まるで十年来の特級狙撃手を彷彿とさせた。

 肉体に刷り込まれるまで、ひたすら反復した操作訓練とある種の精神状態を維持する“意識と呼吸の調整法”により、リディアは“特殊な催眠状態”に入り込んで、常人離れした技倆を発揮する。
 無論、あくまで練度を高めた“ライフル狙撃”に限定される異能だ。
 それでも、悪条件に左右されぬ高次元の射撃精度、そしてボルトアクション式とは思えぬ神業レベルの早撃ちは、戦術レベルで比類無き存在となる。
 それ故、リディアは狙撃手として絶対的な信頼をチームから勝ち取っており、今回もまた、攻撃主力としての働きを期待されていた。
 当然、先の“決定的瞬間”を見逃す彼女ではない。
 
 ゴァン!!

 遮蔽物として利用していた積荷に、飛来したドアが当たって派手な音を立てた。
 一瞬、視界が遮られるが照準器(スコープ)越しにリディアは確かに捉えていた。見間違えようのないあの(・・)『彫刻師』が、必殺の7.62ミリ・ライフル弾を喰らって大きく仰け反る様を。
 ドアが床に落ちたときには、正面奥の廊下に斃れた『彫刻師』の姿をリディアは確かに捉えていた。

「――ッシ!」

 異様に気合いの籠もった歓喜を表したのは意外にもクレイグだった。それほど『彫刻師』を脅威に感じていた証でもあった。
 だからこそ、背後で奇異な音がしても、クレイグだけでなくリディアまでが、役目を果たせた安堵に知らず気が緩み、すぐに確かめるようなことはしなかった。

「うぉあ?!」

 代わりに右手で上がった声の主が誰の者かは考えるまでもない。それがリディアの背後で起きている事を目にしたが故の反応(リアクション)だということも。
 遅れてリディアも振り返ったのは、サミィの心底驚いた声に放置するわけにもいかぬと判断したためだ。
 いつでも前方へ向き直れるように、半身となって首を巡らせ、相棒の『M700』は土台としていた積荷の上に残して、替わりに右太腿のホルスターに手を伸ばす。
 全長1117ミリの長物(ライフル)は狭苦しい場所で振り回せるようなものではなく、それ故、緊急時対応には拳銃(サイド・アーム)を頼りにしていた。
 運良く目視可能な壁の一点に、刀剣の刃としか思えぬものがにょっきり(・・・・・)と生えているのに気づく。リディアが目にしたのは、それがゆっくりとではあるが、楕円を描く感じに“缶切りの要領”で切り進んでいるところであった。
 奴らは本気で壁を突破するつもりなのだ。

「――本当にデタラメね」

 苦々しい声にため息が混じる。あの壁材は多重構造で厚みもあり、リディアのライフル弾でも容易に撃ち抜けまい。それを不格好ながらも切り裂く刃に、軽い悪態ひとつで受け流す彼女の精神もまた、中々のものだ。

 パパパ!

 ダメ元としか思えぬ乱射が壁に撃ち込まれるがやはり貫通することはない。

「ダメか」

 予期していたように『HK416』で三点射したクレイグが、先制攻撃を諦めて、即座に対応案を提示する。

「背後の護りは任せろ。お前はあの野郎(・・・・)にもう一発撃ち込んで、確実に留めを刺すべきだ」
「わかった」

 だが、リディアが再び前方へ向き直ったときには事態は大きく進展していた。手遅れという最悪の意味で。

         *****

廃掃班<左陣>
     ディラン単独(アローン)――


 戦闘が始まって1分と経たずに戦局は目まぐるしく展開していた。それも初っ端から、チームにとっては悪い方向で。

「あの壁を抜くか――」

 まさかの“二正面作戦”。正面ドアが破壊されたことで、背後の行為はあくまで陽動(ブラフ)とディランは判じていた。それを嘲笑うかのように敵は新しい出入口(・・・・・・)をつくりはじめる。

「まさか、あえて……か?」

 ディランは思わず奥歯を噛みしめる。そこに敵の明確な意図(・・・・・)を感じ取ったからだ。
 そう。
 奴らがもし、“隠れ家(ハウス)”での“壁抜き戦術”で虚仮にされたと感じていれば、今回その戦術を自分たちが利用してみせることで、見事にやり返した格好になる。
 いや、間違いなく狙ってやっている。
 敵は今頃、してやったりとほくそ笑んでいるのかもしれなかった。

 パパパ!

 どうやら気落ちしている暇はないらしい。
 誰かが部隊陣形の後背へ銃撃を仕掛け、全員の意識がそちらへ向いている空気感(・・・)に、集中力が途切れていたディランだからこそ、気づけたのは皮肉な話しだ。
 “想定外の攻撃”と奴らならば(・・・・・)と思わせる“人外の力”が重なれば、“背面を突かれる”ことの戦士が持つ本能的恐怖に誰もが逆らえないのは、むしろ致し方ない。
 だが、だからといってこの状況は――。
 ディランが状況の危うさ(・・・)に気づいたときには、人影が正面の廊下から飛び出してきた。

「――!」

 反射的に左手を閃かせて、人影を撃つ。それがただの“物”だと分かったときには新たな人影が飛び出して、ディランとは反対の方――サミィ達に向かって素早く突進していた。

 ――囮かっ

 簡単な手に引っ掛かったことで、ディランの心境に僅かな乱れが生じる。それは“一瞬の動揺”でしかなかったのだが、それでも。
 すかさず二撃目を放つも、今度は当人さえも当たるとは思っていなかったかもしれない。
 無事、物陰に入った人影は、これまでは“障害”に過ぎなかった積荷を逆に自分の“味方”に替えて、再び射線から身を隠してしまう。そのままサミィ達に迫っていくのは確実だ。

 何という痛恨のミス――。

 焦りを覚えたディランが思わず椅子から腰を浮かす。その隙を突くかのように、何と、さらなる人影が湧き出て先頭の影に続く。

 ――まだいたのか?!

 いや、冷静に考えれば三人目の存在など予測できたはずだ。だが、立て続けの奇襲作戦に、ディランの思考に乱れが生じていた。
 そしてそれこそが敵の狙うところ。
 思考の時間差(タイム・ラグ)が産み出す金縛りは一瞬でも、人影が逃げ切るには十分な時間であった。
 ディランが唇を噛みしめる。
 混乱の最たる原因は、あの一瞬、“長物”を手にする人影の姿を視認したことだ。その時点で、既に持ち前の精密射撃ができる心境は崩れ去っていた。
 間違いない。

 あの『給仕』だ――。

 思わず駆け出そうとしたとき、ディランから見て右手奥――リディア達の背後でメキメキと恐らくは壁が切り拓かれる音が谺した。

 マズい――

 既に“地の利”は崩壊し、この上、挟撃の形が完成すればどうなるか。ここから最も遠いサミィ達へ向かい、支援する前に、戦局が取り返しの付かない状態となっては元も子もない。
 即断したディランは近場であるリディア組の支援に駆け出していた。

         *****

廃掃班<遊撃>
     ディラン単独(アローン)――

 正面から敵二人がサミィ・マーカス組に迫り、後背の壁を切り裂いて敵一人がリディア・クレイグ組を強襲せんとしている。
 これで敵三人の位置取りは把握できたが、戦局は着実にチームにとって悪い方向へ流れていた。リディアの狙撃が実行されたのはライフルの独特の発砲音で聞き分けていたが、今の状況を考えれば不発に終わったのは間違いない。
 基本戦術が序盤で崩れ、しかも“主砲”と捉えていた火力が通じなかったという事実にディランの心中に“落胆”という名の闇が広がり始める。
 だがまだ序盤だ。例え本戦闘で一番の“賭け”に負けたとしても、まだ終わりじゃない。むしろ後背からの挟撃を相手が成功させたら本当に終わってしまう。
 最短で目的の位置に辿り着くために、ディランは足場を見つけて一気に積荷の上へ駆け上がる。リディア達に背面強襲(バック・アタック)せんとする敵にわざと身をさらして注意を牽く算段だ。

「オオッ!!」

 さらに吼えながら積荷の山を跳んでいく。
 洞穴のように暗い穴が開いた壁の前に、人影が佇んでいるのがディランの目に入った。初めて見る網代笠に暗色系のマント――それが先の『ピエロ』であるとはディランが気づくはずもない。
 手に持つ柄のない剥き身の刃こそ、壁を裂いた得物なのか、『ピエロ』あらため『網代笠』は、リディアを支援するクレイグに銃口を向けられても動じることなく、騒々しく駆けているディランの方へ首を巡らしている。
 その大きな隙を見逃さず、クレイグの『HK416』から火線が走るも、『網代笠』はどうやって射撃タイミングを察したのか、すでに手近な積荷の影に移動していた。そのままディランと同じように足場を見出して積荷の上に跳び上がりざま、宙で左手を閃かせる。

 ――チン!

 クレイグが咄嗟に脇へ転がったときには、その場に金属の澄んだ音が響いて何かの攻撃がされたと気づく。だが、それに思い当たる節はある。磔死体などを産み出した(くだん)のナイフだ。
 さらに『網代笠』の左手に二本のナイフが煌めくのを見たディランが、積荷の上で立ち止まり、勘だけで愛銃を連射する。
 さすがに命中せずとも『網代笠』の投擲動作をキャンセルさせた。だが、奴が降り立った位置はクレイグに近すぎる(・・・・)
 承知しているクレイグの判断は迅速だった。即座に首から吊すスリングを活かして『HK416』を背中に回し、収納装具(ホルスター)から拳銃を抜き放って身構える。だが、それで問題が解決することはない。
 いかなる状況でも奴らの“(パワー)”と“速さ(スピード)”を相手に、ディラン以外の隊員では単独での近接戦闘(CQB)は荷が重すぎるのだ。
 二人掛かりで――。
 『網代笠』にプレッシャーをかけるべくディランが一歩でも近づこうと積荷から飛び降りる――その不用意な行動を敵に狙われる!

「――ツおっ!」

 跳んだ瞬間、『網代笠』が振り向くことなく後ろ手にナイフを放つ。ディランが捉えたのは、いつか見た死を招くナイフの銀線だ。
 猫並に宙で身を翻し、脇腹を擦らせて逆に反撃の銃弾を見舞う。
 ディランの体操選手並みに鍛え抜いた空間把握能力と平衡感覚が中空での軽業まがいの精密射撃を可能とする。
 その想定外の反撃を最小限で回避させたのは、『網代笠』の有する尋常ならざる戦闘経験であったのかもしれない。
 ディランの二連射を一度の火花を咲かせるのみで、45口径弾の威力かあるいは自ら跳んで衝撃軽減を図ったか――『網代笠』の身体が横に倒れて積荷の影に呑まれる。

「奴も“鎖”を纏ってるのか」

 同じ怪人であればむしろ当然で、それを失念していたことにディランが自嘲するのはやむを得まい。それでも奴らは無敵というわけではない。顔や四肢、肌が剥き出しになっている部分は自分たちと何も変わりなく、ホローポイント弾が当たれば内部でズタズタになるか、四肢なら千切れかかる。
 決して倒せぬ相手ではない。

「リディア、下がれっ」

 ディランの指示が何を意図するかはリディアも分かっている。現戦場から離脱する方向で、倉庫の奥へ向かうのを見ることなく、ディランはクレイグと『網代笠』の後を追う。
 何となくだが、既に奴がこの場から移動したことを察していた。だが、マズイのはその方角だ。

 サミィ・マーカス組――

 チームとしての危機は未だに去っていない。
 焦りがディランの口数を増やす。

「急げっ」
「サミィ、そっちに敵1!!」

 ディランより感覚が鋭いクレイグも当然状況は理解している。だからこそ、もはや隠す必要なしと声を張り上げたのだ。
 ディランが『網代笠』が消えた積荷の影に辿り着くも当然誰の姿もない。そして、うっすらと見える床にも血で汚れたような跡はなく、やはり何のダメージも与えられなかったことが確定する。
 前方を見る。サミィ達からの応答はない。
 聞こえてくるのは散発的な銃声と激しい呼気――闘争の猛々しい音のみだ。
 湧き上がる焦燥を抑え付けながら、ディランは急いで『網代笠』の背を追った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み