幕間(3)スザンヌ号

文字数 3,377文字

数日前 太平洋上
       貨物船『スザンヌ号』――

 一瞬、閃いた稲光が闇に呑まれた船内を明るく映し出す。
 浮かび上がったのは複数の人影。それが船員であると認識する前に、船内は再び闇に呑まれる。
 一定間隔で設けられた丸い船窓から外を窺えば、映画でしか見たことのない高波と風雨に荒れる海原を目にすることができるはずだ。
 事実、船は揺り籠のように、絶えず大きく揺れ動き、近くあるいは遠くで不気味な軋み音を挙げ続けている。
 それは天の気まぐれに振り回される苦痛に、喘ぐ船の嘆きであったろうか。
 船倉に棲みつくネズミも含めて、乗船する誰もが不安に押し潰されそうになっている。
 この船は大丈夫なのか――と。
 いつもなら、脳裏から離れぬ“悪い予感”を必死に振り払いながら、航路の維持と船体の安全確保に駆けずり回るものを、闇の中、荒い息を吐く船員達の注意は別のことに向けられていた。

「……さっきより時化(シケ)が酷くなってる」

 船窓の外を一瞥したごま塩頭の男に、若い男が唾を飛ばしながら応じる。

「どうなってるんだ? ラジオでもレーダーにも嵐が来る素振りなんてなかったはずだぞ」
「いや。今だって(・・・・)そんな情報(データ)は入ってこねえよ」
「じゃあ、どうして?!」

 普段は温厚で自ら“ばあちゃん子”だと口にしていた若者の豹変振りを不思議がる者はいない。何しろ、陸地の情報網や最新の計器類で捉えられぬ“幻の嵐”に見舞われている状況下では、それはほんの些細な出来事にすぎぬからだ。しかもこの奇怪な悪天候は、『神戸港』を出港してから数度目――今宵が初めてではなかった。

「調理器具の故障から機関部のオイル漏れ……果ては突発的なガラスの破裂は何件だった? “どうして”なんて、子供じみた台詞はよせ」

 闇の中でも、ひときわ大きな質量の気配を感じさせる存在より、苛立ちに満ちた声の叱咤が飛ぶ。

「…………」
「とにかく、早いとこ何とかしねえと、取り返しがつかなくなるぞ」
「……だから、やるしかないんだろ」

 その一言で沈黙が落ちた。
 幾度目かの雷光がまたも一瞬だけ廊下を照らし出す。
 誰もが雷雨でずぶ濡れになり、手に手にバールやハンマーなどの得物を持ち、髪振り乱す姿はカルト教団の凶人か悪鬼たちの集会かと間違われても否定できない。そのくらい、誰もが目を血走らせて殺気立ち、尋常ならざる空気を醸し出していた。

「やっぱり“女”を乗せるのがいけねえんだ」

 当初から文句を口にしていたのは北欧系の船員だったか――しつこく吐かれた文句に別の船員も同意する。

「“迷信”は好かないが、ここまで祟られる(・・・・)と否定は出来ないな」
「俺はそうじゃねえと思う」
「何?」

 思いがけぬ台詞は誰の者か? 闇の中、見えもしない相手を探す無駄なざわめきが上がる。

「このごたごた(・・・・)が“女”のせいというのは正確じゃねえ。むしろ“女が持ってる物”のせいだと思う」
「何をわけのわからんこと――」
「あれは“巫女(シャーマン)”なんだ」
「――何だって?」

 突拍子もない言葉に耳を疑うのも当然だ。戸惑いが闇に広がるのを感じつつ、そいつは語り出す。

「俺の故郷には似たような人がいた。医者であり、教師であり、人生の相談者でもあったんだ。彼女は――ああいった人達は、“何か”と共感する能力を持っていて、“何か”の力を引き出すことも抑えることもできるんだ」
「つまり……どういうことだ?」

 明かりがあれば、ほとんどの者が眉間に大きな皺を作っているのが見れたかもしれない。ただひとり、“知性派”を自認する者であろう声が得心する。

「つまり、“女”が“巫女”であるならば、彼女自身が原因なのではなく、その意思疎通する相手――“何か”が原因だというわけか」
「俺、見たぞ――」

 ふいに、誰かが声を上げた。明らかな興奮に声を震わせている。

「食事を持って行った時、慌てて“何か”を隠しやがったのを見たんだ」
「“何か”って?」
「あんまりはっきりとは言えねえが……“黒い箱”さ。スティーブが持ってたろ? 10インチくらいの『タブレット』を。あれと同じ大きさだ」
「信じられねえな」

 すぐに否定の声が上がったのには理由がある。

「そんな大きな箱を持ってたら、すぐに分かるだろう。他に見たって奴は? いないよな。あの女は間違いなく手ぶらだった(・・・・・・)

 他からも賛同の声が上がる。それでも、煮え切らない態度だったはずの目撃者は、今やはっきり見たと主張し始めて、水掛け論になってしまう。

「――何だっていい」

 周囲を圧する声に場が静まり返る。

「とにかく、これ以上のトラブルは御免だ。早いとこあいつらを放り出さねえと、船が沈んじまう」
「船長。おかしなもん(・・・・・・)を持ってたら?」
「どうでもいい。あいつらを海に放り出せば同じだ。いいか、契約なんて犬に食わせちまえ」
「当然だっ。命あっての物種だろ?!」

 闇を払うかのような熱気が辺りに満ちて、誰かの懐中電灯が点けられた。すぐさま、壁に据え付けられた客室ドアに向かって光が跳び、無骨なドアノブを照らし出す。

「いくぞ」

 逞しい手がドアノブを握り、ライトが照らす輪に災害時用の手斧を掲げる人影が映り込む。奇妙なことに、押し入るなら、真っ先に心配すべき鍵のことを口にする者はいない。
 皆、知っていたのだろうか――案ずる必要はないのだと。
 がちゃりとドアが開けられ、船員達が勢い込んで室内に雪崩れ込む。
 扇状に飛び込んだ船員達の足取りが止まった。

「――――」

 そこだけ静寂が舞い降りたのは、誰もがその光景に魅入られて、周囲の音や光が意識の外へ弾かれてしまったからだろう。
 船窓から差し込む光に浮かび上がるのは、設えられた椅子を使わず、床上に座す三つの影。
 中央に白の民族衣装を纏う者――なで肩の稜線に女性のそれを感じさせ、その両脇を固めるいかつい肩の二人は、対照的に黒いスーツ姿で拳を膝上に置いて、突然の来訪者に身動ぎ一つしなかった。

「“要石”を盗ったな?」

 船長が弾劾を発する前に、場違いとしか思えぬ涼やかな声が響いて、居並ぶ船員達が戸惑いを浮かべる。

「この中におるだろう。石を盗った愚か者が」
「何を言ってやがる?」

 船長が主導権を取り返すべく、乱暴に話しを断ち切る。先ほど、目撃談を語った給仕担当が明らかに狼狽えるのに気づくことなく、怒りも露わに手斧を振り回す。

「やっぱりおめえ……何か持ち込みやがったな?」
「……」
「いまさら特別料金をもらうつもりもねえ。契約時に伝えてあるはずだ。“ルール”を守らない奴は客じゃねえ、と」
「聞いてなかったのか?」

 応じたのは向かって左側の影。よく見れば目を閉じたまま、それでも交渉相手とすべき船長の方へ正確に顔を向けながら告げる。

「こうなったのも自業自得だ。やり合うのは構わんが、行動する前によく考えろ。――後悔することになるぞ」

 守護者としての自負がそうさせたのか、傲慢な物言いが、致命的な結果を招くことをその者は理解していなかった。
 結界のほつれ(・・・)が女へ過剰な負担をかけ、それが黒スーツ達の力を維持できず減衰させる結果を生んでいることなど知る由もなく。
 逆に船員達がほつれ(・・・)から洩れるエネルギーの影響を受け、思わぬ力を与えられていることなど――想定外の結果をもたらすには十分な要件が満たされていることを理解していなかった。
 船員達の怒りに火が点けられたのは当然のこと。
 腹腔で荒れ狂う獣性を解き放ち、船員達は三つの影に向かって躍りかかっていった。

 拮抗した力のぶつかり合いは戦いを思わぬ長期戦へと導く。
 長期戦は戦う者達の精神を蝕み、その原因である室内に渦巻く異様なエネルギーは徐々に濃度を高めていく。
 だが、唯一の希望たるはずの“女”には何もできなかった。ただ、額に汗の珠を浮かべ、必死で交渉を続ける。
 結局は周囲の事象が落ち着くべきところに落ち着くのをひたすら待つしかなかった――。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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