(3)突破口

文字数 6,238文字

「お客さんだ」

 ディランが“脱出中止”を暗に告げれば、一拍おいて、サミィの慌てた声が上がった。

「――お、俺だけのせいじゃないだろ?」

 どうやらリディア達から非難の目を向けられたらしいが、ディランも擁護するつもりはない。二人とも、撤退のタイミングを逃した憤りを、サミィのイジりで晴らしてるに過ぎないからだ。
 それよりも、玄関から戻ってきたクレイグにディランは様子を聞く。

「どうだ?」
「今、3階あたりだ」
ここ(・・)に来ると思うか?」

 肝心な質問で、クレイグは無精ひげに手を当て黙り込んだ。まるで“yes”か“no”かの単純な二択が、生死を分かつ選択になったかのごとく。
 これは長くなるかと思われた回答は、意外にもきっかり3秒後に返された。

「……五分五分だ。1階ごとに立ち止まっているが、すぐに次の階へ向かってる。俺たちならば、気づいて何らかの反応を見せるとヤマを賭けてるのか、あるいは他に確実な探索方法があるのか……」

 さらに何か言いたげなクレイグに「どうした?」と促せば、「班長(ボス)の判断に従うが」と前置きする。

「……足音を聞いてるだけで、寒気がしてくる。できるなら、俺はやり過ごしたい」

 他の誰かが口にしたならばこれほど驚くことはなかったであろう。チームの攻撃員(ポイント・マン)として前衛を張る男の、まさかの言葉に、場が静まり返る。

「分かった」

 低いが力強いディランの声が静寂を破る。

「お前の感覚(センス)は無視できない。やはり玄関から出るのは諦めよう」

 無論、異議など出るはずもない。
 チームの誰よりも“鋭い”クレイグの感覚が、これまでどれほどチームの危機を救ってきたのか身をもって知るが故に。
 だからこそ、全員が思ったはずだ。その足音に、彼にしか分からぬ何を感じたのか(・・・・・・・)、と。
 決断すれば、ディランの次の指示は早かった。

「念のため玄関にバリケードを築く。マーカスとサミィでやってくれ」

 物音が外に漏れるとは思っていない。
 リディア達が隠れ家としているならば、例え安普請のアパートであっても、真っ先に玄関のドアを頑強なものに交換すると知っているからだ。それ即ち、防音性能の副次的な向上を意味しており、殊更、構築作業の音に気遣う必要がないと捉えられた。

「リディアは窓のカーテンを。クレイグは裏口の見張りだ」

 続けて、万一に備えた窓外からの狙撃防止と裏口を利用した敵の搦め手も警戒する指示を出す。この時点で、その意味するところが“籠城”であると誰もが気づいて訝しむ――戦力不足を承知で立て籠もるなど、愚策もいいところだからだ。
 それでも異議を発することなく、すぐに、放たれた指示に従って全員が行動を開始した。
 さすがに討論の時間は無いと承知しているためだ。事実、マーカス達が冷蔵庫を運び終えたところでドア越しに声がかけられた。

「分かってるのだろう? ならば、素直にドアを開けるがいい」

 全員の動きが止まる。
 若いとも年老いてるともとれる不思議な声。歓談レベルの音量なのに、防音性能を上げたドア越しでリビングにいる全員にまで支障なく聞き取れるのはどういうわけなのか。
 この世の法則に囚われない在り方に、クレイグでなくとも全員の脳内でけたたましく警報の嵐が鳴っていた。
 クレイグがぼそりと呟く。

「あの声――」
「ああ」

 知っているのは、同意を示したマーカスだけではない。ピックアップ・トラックの荷台で一緒に聞いていたディランが、ひとり玄関に近づき、ドア向こうの来訪者に応じる。

「あれだけ手土産(・・・)をくれてやったのに、まだ足りなかったか?」
「――ああ、あの女性(レディ)からの。悪いが普通の(・・・)土産には飽いておる。くれるならもっとマシ(・・)なものでなければ客に失礼だろう」

 やはりどういう理屈か、ディランが殊更声高にならずとも、相手の耳には届くらしい。返答までの若干のタイムラグは、“聴き取り”に要した時間というよりも“記憶の呼び起こし”なのは明らかだ。
 あの時同様、横柄な態度は変わらず、だがこれで来訪者の正体は確実となった。
 間違いない――あの『彫刻師』だ。

「悪いな。俺たちの世界では(・・・・・・・・)、呼びもしないのに二度も尋ねてくる者を“客”とは呼ばん」
「ほう」

 ドア越しに、その声を耳にした途端、ディランは己の喉元に冷たいナイフが押し当てられた錯覚を覚えた。気づけば、玄関の気温も下がっているような。
 まさか気圧されているのか、この自分が。
 思ったときにはへそ下あたりに力を込めて力強く言い放っていた。

「帰って仲間に伝えろ。“今度はこちらから狩りに行ってやる”とな」

 ディランがドアを貫かんばかりに気力を込めて睨み付けると、微風を受け流すがごとく『彫刻師』の冷ややかな声が返ってくる。

「帰るとも――“用事”が済んだらな」

 言うなり、ドアが爆発したような音を立てた。あの時、凶人化した客達が振るった暴力と同等以上の力がドアに与えられたのは間違いない。
 だが客達は、催眠によって人体破壊を防ぐための制限(リミッター)を解除されたがために尋常ならざる力を発揮できたのだ。ならば、『彫刻師』はいかにして――。

 ――ドゴォ!!

 二度目で冷蔵庫が大きくぐらついたのをみて、咄嗟にディランが駆け寄り、肩で体当たりするようにして揺れを抑え込む。
 あまりの衝撃に、冷蔵庫越しに見えぬはずのドアが大きく(たわ)んだのを幻視する。強化したはずの鉄壁のドアに不安しか感じられないとは。

「早くソファを!! ベッドでも何でもいい。とにかく物を押し込むんだっ」

 ディランの叱咤のような鋭い声で、再び動き始めた仲間を尻目に巨躯が玄関に近づいてくるのに気づく。ぬっと突き出された太い腕を見るまでもなくマーカスだった。

「パワー勝負なら、俺がやらない手はないだろ?」
「助かる」

 蹴っているのか殴っているのか分からないが、凄まじい衝撃にディランひとりで抑え込むのには限界があると感じていただけに、素直に安堵する。
 逆に埒があかない状況に苛立ってきたのか、打撃の速さが徐々に上がってきて、もはやビル中に轟音が鳴り響いていた。
 これだけ騒げば、そのうち警察が来るのも時間の問題だが、それまでに決着をつけられる自信があるのか、『彫刻師』は意に介した様子もなく傍若無人に暴れ続ける。
 玄関の外で居住者からであろう罵声が発せられるのがかすかに聞こえたような気もするが、それも当然だろう。ただ、ディラン達にとって何の救いにもなっていないが。
 このままでは、結局、ジリ貧であるのは間違いない。
 
「任せていいか?」
「ちょうどいい。一対一(タイマン)勝負でないのに気が引けてたとこだ」

 口の端を大きく吊り上げるが、マーカスの顔は引き攣っている。圧倒的な筋肉の量で張り詰めたスウェットの背中からは、目に見えぬ確かな熱気が感じられ、今も全力を振り絞っているのは明らかだった。
 長くは保つまい――。
 大男の状態を的確に見取って、ディランは即座に行動を開始する。

「この後は?」

 目が合うなり問いかけてきたリディアにディランは目顔で右の壁を示す。

「テレビが何?」
「違う。この壁を撃て」
「?」

 リディアの眉根が大きく寄せられたのは僅かな時間。すぐにその意図を察して、腰だめに散弾銃をぶっ放した。

「本気か? 散弾だけではどうにもならんぞ」

 躊躇なく発砲したリディアに裏口を見張るクレイグが驚きの声を上げる。彼もまたディランの意図に気づいたからこそ、無茶な命令を出した班長(ボス)に非難混じりの視線を向けてくる。

「無論だ。――サミィ、お前もだ」
「あ、ああ」

 呆気にとられていたサミィが、戸惑いながらもモスバーグを構える。状況によるが、こういう“素直に動けてしまうところ”は彼の良さでもある。
 こと戦闘においては、思考や気持ちが混乱して身動きがとれなくなった者から簡単に命を落としていくことが多いからだ。


 ドガドガドガ――ッ!!


 ふたつの散弾銃が織りなすパワードラムに、アパートの住民達はよほど混乱しているに違いない。
 瞬く間に壁がぼろぼろに崩れていき、だが、すぐに弾薬のほうが尽きかける。

「サミィ、あとはリディアに任せてこっちを手伝ってくれ!」
「あ? ――あいよっ」

 気持ちよさげにぶっ放していたサミィが、ディランに止められ、ちょっと惜しそうに唇を曲げならも指示に従う。

「で、これは何をやってるんだ?」

 ここまでやっておいて、まだ理解していなかったらしい。50インチのテレビを部屋隅へ移動させながらサミィが問えば、短い答えが返される。

「壁を壊して隣室へ抜ける」
「――ハッ。ぶっ飛んでるな」
「いいんじゃない? 今夜は“まともなコト”なんてひとつもない」

 無謀とも言える行為にサミィが半笑いとなるのに対し、あっという間に二連式を撃ち尽くしたリディアが、空の弾殻を排莢しながら作戦を擁護(?)する。と、そのとき――。

「ディン!!」

 切迫したクレイグの声を“警告”とディランは捉えた。皆まで聞くまでもなく、裏口に侵入者(・・・)が現れたのは間違いない。

「リディア――」
「分かってる」

 弾込めを終えるなり、再びリディアが散弾を撃ちまくる。
 部屋の隅ではクレイグが放つ短機関銃の発砲音。
 玄関からは激しいドラミングの音。
 耳が馬鹿になりそうなお祭り騒ぎにサミィがしかめっ面で耳を押さえている。
 精神が弱い者ならば嘔吐や目眩を覚える中で、ディランはわずかに眉間にしわ寄せる程度であった。

「ダイニングのテーブルを使う! あれを壁にぶち当てるんだっ」
「何でもいいから、とっととやろうやっ」

 一分一秒でも早めるべく、ディランは自分たちでできる作業をサミィと協力して進めていく。リビングに残された椅子を荒々しくどかしてスペースを産み出し、ダイニングからはテーブルを運んでくる。
 これも意図的に(・・・・)選んだのだろう。分厚く、重量がそれなりにある樫のテーブルは、恐らくリディア達が想定する『遮蔽物』としての役割どころか、洋画でみられる城門破りの『破城槌(バッテリング・ラム)』として使っても、相応の威力を発揮するに違いない。

「後は……任せなっ」

 威勢のいい声とは裏腹に、必死に重量と戦っているサミィが、歯を剥き出しにしながらリディアを部屋の隅へと追いやる。

「よし。いいか?」
「聞くまでもねえ」

 あらためてディランが尋ねれば、余裕風を吹かすサミィが、腕をぷるぷる振るわせながら固い笑みを浮かべる。
 そして、壁までの歩数合わせを素早く丁寧に行った二人が、見事に呼吸を合わせて強烈なぶちかましを壁に叩きつけた。
 とても一発目とは思えぬ手応えに、二人の顔が自信を漲らせる。
 だが、助走距離が短すぎるのか、渾身のぶちかましに、壁は軋み音を立てるばかりで穴が空くまでに至らなかった。
 即座に、サミィが罵りであろう口を開けたところで、別の鋭い声に阻まれる。

「クソッ。あいつも(・・・・)化け物か」

 吐き捨てるような声はクレイグのものだ。焦燥が苦渋となって声に滲んでいるのは、それだけ戦況が芳しくないということだ。
 確か会場(パーティ)で見かけたのは『給仕』に『彫刻師』、そして『ピエロ』の3人だったはずだ。玄関に『彫刻師』がいる以上、裏口の侵入者は他二人のうちいずれかの可能性が高い。
 即ち、同類がもうひとり(・・・・・・・・)――『彫刻師』ひとりと相対するのがどれほど厄介かを思い出せば、クレイグひとりで抑え込むのは至難の業だ。彼の焦燥がいかばかりかは、推して知るべし。
 そしてそのことは、今やチーム全体が、二人の怪人に“挟撃”されるという危機的状況に陥ったことを示していた。
 もはやディランに選択の余地はなかった。

「マーカス、そこはもういい。こっちを手伝ってくれ!!」

 撤退させればどうなるかは承知だ。
 それでも、防衛がジリ貧であることが分かりきってる以上、マーカスの力を脱出に当てるのが最善とディランは判断した。

「マーカスッ」
「――どうすればいい?」
 
 二度目の呼び声で、ようやく玄関からやってきた大男にテーブルを指さす。

「このテーブルで壁を壊すんだ」
「俺を“重機”と勘違いしてないか?」

 散弾でぼろぼろになった壁を見て、状況は飲み込めたようだ。皮肉を口にしながらも、「まあ、確かに俺じゃないとダメだろうがな」と満更でもなさそうにマーカスは樫のテーブルに取り付く。

「もっと端に寄っててくれ」

 上腕二頭筋が膨れ上がり、ふわりと、持ち手のバランスからすれば体感的に50㎏を越す樫のテーブルが持ち上げられる。
 そのままプロレス技の『大車輪投げ(ジャイアント・スウィング)』よろしく、マーカスはテーブルを振り回し、十分に遠心力を効かせて壁に叩きつけた。


 バキキッ


 三度目でテーブルの角が壁に深く食い込んだ。
 マーカスが顔を真っ赤にしてテーブルを揺さぶり、裂け目を広げようとする。と――


 ――メキャ!!

 
 玄関の方から聞こえてきたのは、スチール製のドアがひしゃげる音。大男の剛力という強力な支援を失ったドアが、ついに、『彫刻師』が振るう圧倒的な暴力の前に屈したのだ。

「来るぞ、マーカス」
「うぉら、おらあっ」

 さすがに焦りをみせるディランの檄に、大男が雄叫びを上げながら無我夢中でテーブルを振り回す。
 さながら檻で暴れる巨獣のようだが、この巨獣は得物を手にして存分に暴れているのだ。相手にさせられている壁の方は堪ったものではない。
 確実に破壊されていく壁同様、玄関では、ドアの軋みに合わせて冷蔵庫が押され始め、それに押された周囲の物もリビングに向かって少しだけ動き始めていた。
 そこにどれだけの力が働いているのか、バリケードに使われた重量物を物ともせず、ひしゃげたドアが少しづつ、少しづつ開き始めていく。

 まるで地獄の門が開け放たれるように。

 そこからあふれ出す狂気と暴力はいかほどなのか、漂ってくる気配に本能が拒否反応するかのごとく、マーカスの肉体は一層荒れ狂う。

「があああっ!!!」

 一息さえつけずに顔が紅潮し、汗が飛び散る。何かに追い立てられるように振るわれるテーブルもまた半壊し、飛び散る残骸にディラン達が腕を上げて防御する。

 メキッ

 メギッ

 メギキ、ギギ……ッ

 一際盛大な破壊音が響いて、テーブルが半ばまで壁にめり込んでいた。

「やったぞ、マーカス!」
「まだまだっ」

 サミィの喜びに、マーカスが応じて食い込んだテーブルに猛烈なタックルを喰らわす。肩に食い込む痛みに耐えた一撃が、ようやく留めとなってテーブルが壁向こうに突き抜けた。

「――よくやった」

 思わず床に片膝を着ける大男に、ディランが肩に手を置き短く労った。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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