(5)妖人『彫刻師』の脅威

文字数 10,803文字

「玄関はマズイ。裏口へ――」
「そっちも同じだろ? どのみち、塀を越えられなきゃ何にもならん」

 使用人達を制するリディアにサミィがツッコミを入れる。
 屋敷を取り囲む塀は、侵入防止として5mの高さと頂部に5万ボルトの電気線が張られているため、出入りは不可能となっている。
 仮に電気線を警護班長にカットしてもらったとしても高さの問題が残り、肝心の梯子がある倉庫へは、逃げてきたばかりの中庭を逆戻りせねば辿り着けず、本末転倒もいいところだ。
 とはいえ、残る手段は唯一の出入口である正門からの脱出だが、これとて中庭の周遊道を通ることになるので、結局は凶人達の群れと遭遇するのは必至だった。
 ほぼ同時に、八方ふさがりの状況を理解して、思わず互いに顔を見合わせる面々。

「車ならどうだ?」

 ディランの代わりにキッチン側を見張るマーカスが、拳銃を構えながら提案するのを「残念」とばかりにサミィが肩をすくめる。

「悪かないが、車庫も倉庫と同じで反対側だぜ。まさか、徒歩であの群れに突っ込むなんて言わないよな?」
「だが、このまま屋敷の奥に進んでもジリ貧じゃないか?」
「そうとも。でも、少しでも長生きしたかったら、そうするしかないさ」

 二人のやりとりを聞きながらディランは思案する。
 確かに引き返すのが自殺行為に等しい以上、連中の足止めをしつつ奥へ退いていくしか選択肢はない。とにかく時間を稼いで、ロス市警の到着まで生き延びるしかないだろう。
 問題なのは、連中がただ彷徨(うろつ)いてるだけでなく明確にディランを追ってきてるらしいということ。元凶である給仕の言動を思い起こせば理由にも見当は付くが、今それはどうでもいい。
 問題はロス市警到着までの恐らくは15分――迫り来る凶人達を心許ない現戦力で、かつ、撃退法に極度の制約を受けながら、抑え込むことができるだろうか。
 今夜は特別な日であるため、チームも護身用の拳銃しか帯同しておらず、唯一クレイグが手にする短機関銃は、駆けつける途中で警護員の一人から引ったくってきたせいで弾倉は残り1本きりと聞いている。
 あの東洋人達の底知れぬ力まで考えると、単なる“隠れん坊”で達成できるミッションとは到底思えなかった。

 “退却しつつ戦闘(おにごっこ)”か、“籠城(かくれんぼ)”か――

 皆の視線が知らず自身に集まっているのに気づいて、ディランは即断を迫られていると知る。

「このまま――」
「あの……車ならありますけど」

 腹をくくってディランが口を開いた時、思わぬ人物から打開策が持ち上がった。
 皆の視線がコック姿の使用人に集まる。
 胸前で包丁を握りしめる使用人の両眼が、落ち着きなく上下左右に動いてるのは緊張のためか。
 使用人とはいえ、マフィアの屋敷で働く以上、組織の実行部隊がどういうものかは理解している。言葉を交わすだけでも緊張を強いられるのは仕方あるまい。その上、こんな悪夢のような状況では。

「俺達の車が……パーティの邪魔にならないようにって、今夜は向こうの広場に停めてあるんです」
「マジか!」

 サミィが思わず嬉しげに声を上げると、びくりと使用人が肩を震わす。

「車種は?」
「……親父から譲り受けた中古のピックアップですが。ピンクの」
「イエローじゃなくて?」
「荷台に乗ればイケるか……」

 サミィの的外れな質問を無視してディランが乗車の検討を進める。この場にいるのは7名だが、対応法は何とでもなろう。視界の隅で車に関してサミィに食いつかれて困り果ててるコックの姿があった。

「鍵は?」
「ど、どうぞ」

 ポケットから取り出したキーをサミィが受け取るのを見るや、ディランがリディアに頷いてみせる。

「クレイグ、前に出て。サミィは二番手で、辿り着いたら運転は任せる」
「了解」
「なら俺は殿(しんがり)だな」

 二人が前に出ると同時に、マーカスが当然のように申し出る。
 リディアの無言は肯定の意だ。

「いや違う。お前達は二階へ行け」

 続こうとした使用人二人をディランが制止した。
 驚きよりも血相を変える使用人達に「別行動の方がいい」と理由を説明する。

「凶暴化した時は、見境なく周りに襲いかかっていたのに、今は意図的に追いかけてきてるように見える。恐らく“俺”が狙われてるんだろう」
「ディンが?」

 思わず聞き咎めたのはリディアだ。彼女たちは東洋人達との会話を聞いていないため、寝耳に水の話だったろう。

「たぶん、な。正しければ追いかけられるのは俺たちの方だ。ならば一緒に行動せず、どこかに隠れてやり過ごした方がいい」
「そうしろ、そうしろ。俺らだけならチームワークも乱れないしな。なに、警察が来るまでの辛抱よ」

 あまりに楽観的なサミィの言葉にタキシードの使用人は露骨に顔を曇らす。

「いや、だけど……」
「じゃあ、一緒にドンパチするか?」
「…………分かった」

 一杯呑りに誘う感じでサミィに銃をチラつかされて、タキシードの使用人は渋々と承諾する。実際、持ってる鍋や包丁で、銃撃戦に参加してどうなるものかと想像したに違いない。

「いつまでも駄弁ってる時間はないぞ」

 緊張感漂う声に目を向ければ、キッチンの奥に銃口を向けていたマーカスが後ずさり始めていた。
 理由を問うまでもなく、奥から聞こえてくる派手な物音が、ついに凶人化した客達がバリケードを蹴散らし突破したことを告げている。

「早く上がれっ」

 ディランが使用人達を階段へと急かし、クレイグに前進の合図を送ると、分かれた二組は、それぞれの目的地へ向けて走り始めた。

         *****

 クレイグを先頭に、ディラン達は玄関ホールを横切り廊下を奥へとひた走る。
 突き当たりを右に折れ、その先を左折すればあとは真っ直ぐ進むだけで広場に出られる扉に辿り着く。

「本拠地にいるってのに、まともに撃ち合いもしないで逃げまくるなんて、釈然としないな」

 サミィの意見は誰もが胸に抱えてる不満でもあったろう。ディランも憮然たる面持ちで頷く。

「仕方あるまい。招待客を人質であり、かつ手兵として使われては、手も足も出ん――狙ってやったのだとしたら、相当厄介な相手だ」
「防弾装甲か何か着込んでたしな。俺たちの攻撃をことごとく封じてきやがる」

 これまでにない異質な手口に戸惑わされるが、よく考えると、根底には有効な戦術の組み立てが垣間見える。
 敵戦力の分析を誤り、勘違いしてしまうと勝負にさえならなくなる恐れがある。
 いくつか部屋の脇を過ぎたが、暴徒や東洋人らが現れることもなく、順調に逃走を続けることができた。そうなれば口を閉じてられないのが一人いる。

「奴らがとろくさくって(・・・・・・・)助かったぜ。……もう、追いかけてこないんじゃねえの?」
「ならいいが。ハリウッドなら、きっちり追いかけられた挙げ句、車に乗ったところでエンジンがかからなくなるのが“お約束”だぞ」

 あまりに楽観的なサミィにクレイグが慎重論を唱えるが、彼はまったく意に介さず笑顔で返す。

「だったら安心だ」
「?」
「だって映画だったら、結局はギリギリ間に合うだろ?」

 クレイグが肩をすくめ、処置なしとリディアが首を振る。チームのムードメーカーの軽口だ、ディランも窘めることはしない。

「あの先か?」

 前方に扉を見つけてサミィの声が期待に満ちた。それを狙ったわけでもないだろうが、後方から切迫した警告が発せられる。

あいつ(・・・)だ! 銃弾跳ね返した『彫刻師』だ」

 マーカスの警告に思わずディランは振り返り、その姿を目にして立ち止まった。
 一瞬で双眸に宿す暗い翳りに、味方であるはずのマーカスが思わず巨体を震わせる。それに気づくこともなく、肉体からゆらりと殺気を放つディランはただ一点を見つめている。
 いつの間にあの群衆を掻き分け前に出てきたのか、破れた服の隙間から鈍い金属光を反射させる『彫刻師』が、廊下の角を曲がって悠然と姿を現していた。

「先に行け……車を見つけて、エンジンを掛けておいてくれ」
「ディン!」

 戻ろうとするリディアの気配を察して、ディランは怒鳴り返す。

「俺とマーカスで奴を押さえる。行って準備をしておけっ」

 有無を言わせぬディランの口調にリディアの動きが止まる。
 彼女の心配は当然だが、だからといって、狭い廊下では“人数の利”は望めずかえって邪魔になるだけだ。
 ならば、皆を先に行かせて、後続二人で撤退を支援する。当然の策にリディアは素直に引き下がったらしく、気配が遠ざかる。

「やるぞ、マーカス」
「おうっ」

 太い声が返ってくるものの、その背からは極度の緊張感が漂っている。銃が通じないかも知れぬ怪物相手に、さすがの大男も不安があるのだろう。

「退がりながら撃っていく。確実に当てていけ」
「いっそ、殴った方がいいんじゃないか?」
「名案だが、それは最後に取っておけ」

 じりじりとマーカスが退がるのに合わせて、ディランもゆっくりと後退る。互いに射線を遮らないように左右に位置取って、『彫刻師』の一挙手一投足に神経を集中する。
 目標の出口までは10メートルもない。
 敵を睨んだまま後退してもそれほど時間はかかるまい。そして、『彫刻師』との距離もまた10メートル弱――銃口をぶらさずに移動すれば、マーカスはもちろんのこと、隻腕のディランでも絶体必中の距離であった。
 二人がその場に残ったことで満足したのか、あるいはやはりディランが標的(ターゲット)だからなのか、『彫刻師』の足取りは緩やかになっていた。
 これで的を外す要素は更に少なくなった。

 そう思う油断を誘ったのか。
 
 ふいに床を蹴った『彫刻師』の身体が瞬時に3メートルの距離を潰して迫ってくる。

 タ・ターン!!

 2つの拳銃から発砲光(マズル・フラッシュ)が焚かれ、ディランの放った銃弾が当たって『彫刻師』の突進が止められる。

「今だっ。退がれ!!」

 チャンスとみたディランが叫ぶと同時に二人が大きく飛び退る。
 態勢を立て直した『彫刻師』が再び左足を大きく踏み込んだところで、第二射が叩きつけられた。
 服がさらに破れて、銃弾を跳ね返しながらも、バランスを崩してよろめく『彫刻師』。
 38口径とは比較にならぬ衝撃力(ストッピング・パワー)はディランの持つガバメントならではだ。
 銃王国であるアメリカで、いまだに人体制動力(マン・ストッピング・パワー)があると信奉される45口径弾の威力が、怪物の突進さえも見事に封じてみせる。特にディランが使う弾丸は発射薬を若干増量した強装弾(ホットロード)仕様であるため比類無い効果を実現する。
 街中で活動する悪党レベルの抗争では、滅多にお目にかかれない凶悪な弾丸の威力を目にして、心なしか、マーカスの緊張が和らいだようにも感じるが定かではない。それでも二人のコンビネーションがスムーズになったのは明らかだ。

 タンッ

 タンッ

 確実にヒットさせるべく、2挺の拳銃が一定のリズムで交互に銃弾を放ちはじめる。
 頭部や四肢では的が小さく、何よりも安易に狙い撃ちさせてくれるはずもないから、あくまでも胴体をポイントして正確に叩き込んでいく。
 それでも止まらぬ『彫刻師』。
 歩みは間違いなく遅くなってはいるが、上半身を仰け反らせながらも確実に一歩づつ踏み込んでくるのは異常なタフネスぶりだ。
 普通なら、例えケブラー繊維の防弾チョッキで防いでも、凄まじい衝撃力に息が詰まって動けなくなってしまうのに。

「くそっ――なんて奴だ」
「問題ない。このまま奴の動きを封じ込めればいいだけだ」

 『彫刻師』から放たれる、攻撃とは異質の、ただ歩むだけのプレッシャーに身を晒しつつ、ディランとマーカスは類い希なる克己心で胸中から湧き上がる恐怖心をねじ伏せて、的確に全弾をヒットさせ、じりじりと撤退距離を稼いでいく。
 目標まであとどれくらいか。
 一瞬たりとも目が離せないため、出口の扉までどこまで迫れているかは不明だが、恐らく5メートルもあるまい。
 不安なのは、それまでに二人の弾丸が持つかどうか――数秒でも弾倉交換の隙が生じれば、間合いを詰めてナイフを突き立てるなど、『彫刻師』ならば造作も無い行為であったろう。
 その上、『彫刻師』の背後に凶人化した客達の姿が見え始め、集団がすぐそこまで追いついてきたのを実感させる。

「まずい。奴らに追いつかれる」
「耐えろ、もう少――」

 ディランが檄を飛ばす途中で、カシンと乾いた響きがして、ガバメントの遊底(スライド)が後退した状態で停止した。
 弾丸撃ち尽くし――装弾数わずか7発という現代の自動拳銃では考えられぬ設計の古さがディランの足下をすくい、加えて、思わず視線を向けるというミスまで重ねてしまう。

 だんっ

 大きな踏み込み音にディランが視線を戻したときには、誰もいない空間をマーカスの9ミリ弾が貫いて、すぐ後ろにいた客の肩を撃ち抜いていた。

 ――奴は?!

 一瞬の隙を突いた『彫刻師』は、ディランからみて左の壁を蹴り抜き、すでに三角飛びの要領でマーカスに襲いかかっている!
 即座に床を蹴り、猛然とダッシュするディランの支援は間に合わない。
 咄嗟にマーカスが太い左腕を折り曲げ頭部に密着させることで頑強なトーチカを構成するのと、『彫刻師』の跳び蹴りが叩き込まれるのがほぼ同時。
 鈍い打撃音と共に110㎏に達するマーカスの巨体が真横(・・)に吹き飛ばされ、壁にぶち当たる。そこへ――

「シッ」

 間合いを詰めていたディランが、蹴り終わりの着地点を狙って渾身の下段蹴り(ローキック)を放っていた。
 鉄の塊に叩き込んだような鈍い手応えを感じつつ、「おおおっ」と気合いで蹴り足を押し込んで、ディランは『彫刻師』の軸足をなぎ払う。
 ぐるりと「彫刻師」の身体が回転して頭から床に叩きつけられた。
 苦行ともいえる肉体強化をやり遂げたディランの蹴りは、150㎏のサンドバッグを浅く“くの字”に曲げるほどの威力を叩き出す。その上、ムエタイの訓練を取り入れて徹底的に脛を鍛えたディランならではの芸当だった。

「来るんだ、マーカス」

 普通なら頸骨損傷もあり得るが、『彫刻師』の様子すら確認もせず、ディランはよろめいているマーカスの腕を取る。
 すでに客達が目前に迫っている。
 『彫刻師』に留めを刺す余裕はなく、あるいは、掌がぴくぴくと痙攣し、まるでロボットか何かのように『彫刻師』の身体が再起動をはじめているのを見るに、下手に手を出せば強烈なしっぺ返しを喰らうかもしれない。
 ここは逃げに徹するのが得策だ。

「……やったのか?」
「一時凌ぎにすぎん。とにかく合流することだけを考えるんだ」

 顔をしかめつつ問うマーカスに、ディランはきっちり否定しながらも出口へと促す。
 リディアの配慮か、扉は開け放たれている。
 マーカスの背を押しながらディランは外に出た。
 パーティ会場としていた中庭と違って明かりもなく、慣れぬせいで異常に暗く感じる広場を思わずリディア達を探して首を巡らす。

「――ここ!」

 勇ましいリディアの喚び声を聞くまでもなく、ディランはすぐに気づいた。
 ひとつだけヘッドライトを点けたピックアップ・トラックはさすがに目立つ。
 縦列する使用人達の車を迂回しながら二人が走り始めると、後方の扉口に誰かの気配が――『彫刻師』なのは言うまでもない。

 ――ドガンッ

 盛大な音に首を巡らせば、車の屋根を凹ませて跳び移った『彫刻師』の姿が。膝立ちでバランスを保っているのは少なからぬダメージのせいだと思いたい。
 痩身の見た目からは信じられぬ屋根の凹み具合は、全身に大量の鎖を巻き付けるが故の超重量からくるものか。
 身動ぎするたびにメキメキと音を立てる鋼板を気にせず、『彫刻師』はそのまま真っ直ぐ、車伝いにディランとマーカスを追いかけ始める。盛大に車を破損させながら。
 窓にひび入れ、ボンネットをひしゃげさて車の保安装置が作動し警報が鳴り始める。 

 一台。

 二台。

 ほとんど障害物競走になってるが、それでも平地を走るのと変わらぬ『彫刻師』の速さに、二人は血相を変えて懸命に速度を上げる。
 それでも見る間に距離が縮まっていく。

「サミィ!!」
「出せっ――車を」

 二人が顎を上げ空に向かって叫ぶのへ、呼応したようにピックアップ・トラックが緩やかに発進する。
 荷台にはひとつの影。そこから鮮やかな火線が迸り、フォードのトランクを踏みつけた『彫刻師』に叩きつけられて、バランスを崩した肉体が車の向こうに転げ落ちた。

「助かった」

 一度停車したピックアップに追いつくと、荷台の人影――クレイグへディランが今日二度目の謝辞を述べるも、今度は軽い笑みを浮かべただけだった。

「……派手だな」
「いい色だろ?」

 苦いマーカスの声をどう受け止めたのか、運転席のサミィが自慢げにウインクしている。
 月夜でも目立つショッキングピンクが塗りたくられた車は所有者の神経を疑いたくなるが、サミィには好評だったらしい。
 先に乗ったディランとクレイグの二人で、マーカスを荷台へ引っ張り上げるや、砂地を蹴散らしつつピックアップ・トラックがスタートした。

「やれやれだな」
「まだだ。正門を抜けるまでは緊張を保て」

 マーカスがどかりと腰を落ち着けるのをディランは横目で見やりながら、ガバメントを口でくわえ、器用に弾倉交換を始める。

「おい、サミィ。間違ってもお客さんを轢ぃちまうんじゃねえぞ」

 マーカスも分かってはいるのだろうが、多少緊張感をゆるめたいのは分からないでもない。
 相棒を構う大男に小言は加えず、ディランは弾倉交換を終えると、即座に実弾を発射できるように、口で咥えて遊底を引き初弾を送り込んでおく。
 あえて撃鉄を起こしたままセイフティ・ロックを掛けるのは、危険域を脱してない現状を考え、暴発のリスクより攻撃遅延のリスクを回避すべきと考えた結果だ。
 淡々と作業を続けるディランを誰もが見守りながら、しかし、隻腕だからと手伝いを申し出る者はいない。
 それが侮辱であると知っているからだ。
 そしてそれ以上に、ディランが健常者以上にこなせることを知っているが故に。
 事実、彼らは一緒に戦闘訓練を受けるべく過ごした日々で目にしているのだ。課せられる訓練とは別に黙然とこなしていた、世界のトップ・アスリートさえ歯牙に掛けない凄絶なディランの修練を。
 命を削るような鬼気迫る修練の理由を結局は誰も尋ねることはできなかったが。

 ――――ズダンッ

 轟音と共に荷台が揺れて、ディランを始め三人の身体が強張った。
 それを目にして。
 着地の衝撃で両足のところが大きく凹んでいる。

「……嘘だろ」

 呆然と呟くマーカス。
 先に反応したのはクレイグだ――短機関銃の銃身を荷台の中央で仁王立ちする『彫刻師』に向ける途中で“何か”に弾かれる。
 あまりの速さに、それ(・・)が手から延びる鎖であると気づいたのはディランだけであった。

「クソがっ」

 湧き上がる恐怖を押し潰すかのように、必死の形相でマーカスが銃を構えたところで、やはり銀線が疾って弾き落とされる。
 だが、それで防御手段は打ち止めとなり、狙い撃つがごとくディランのガバメントが火を吐いた。

 渾身の二連射(ダブル・タップ)――。

 ほぼ一度にしか聞こえぬ瞬速の射撃で、確実に『彫刻師』の動きを止めにいく。

 まさか、それを躱されるとは。

 読み切っていたように『彫刻師』が斜め前に踏み込んで銃撃を躱し、逆に両腕の鎖を振り回してディランの首に叩きつけてくる。
 鍛え抜かれた脅威の動体視力で、ディランは右からの鎖を辛うじて躱したものの、もう一方は咄嗟に手を上げ、首との間に差し込むので精一杯だった。
 叩きつけられた鎖が腕ごと首をぐるりと巻き取り締め上げる。

「……っぐう」
「ディン!!」

 助手席からリディアの悲鳴が。
 細身に見える『彫刻師』の力は見た目以上に凄まじく、修行とも言うべき決死のトレーニングで練り上げた、片腕のベンチプレスで50㎏を楽に上げるディランの剛力と拮抗する。

「『前鬼』の言ったことを撤回させてもらおう」
「?」
「思った以上にやりおる」

 どこか上から目線で語る『彫刻師』の唯一仮面が隠さぬ口元にうっすらと浮かぶそれは笑みであったか。
 狭い荷台の上で上級戦闘員に匹敵する力を持つ彼ら3人を同時に相手しながら、悠然と佇む姿が憎らしいほどに()になっている。
 ふいに車が大きく揺れた。
 中庭に戻ってきたところで、道をうろつく暴徒化した客を発見し、慌てて回避したのだ。だが幸いにも、集団の多くは館に入り込んでいるようで、道路上をさまよう姿はちらほらと散見するのみ。
 このままであれば無事に正門から脱出できそうであったが、荷台にいるディラン達にとってはあずかり知らぬ情報であり、知ったとしてもそれどころではなかったろう。 
 懸命に力を振り絞るディランの目に、『彫刻師』の背後からそろりと近づくクレイグの姿が映る。揺れる車の挙動をチャンスに変えるべく、冷え切った目は一瞬の隙を逃すまいと敵の挙動を怜悧に観察する。
 その手元に握るのはキッチンで失敬してきた包丁だろう。
 ならばクレイグを援護すべく、ディランは注意を引きつけようと遮二無二身体を動かしてみる。

「――残念」

 様子を窺っていたクレイグが車の挙動の変化に合わせて包丁を突き出すのを、『彫刻師』は気配で察したのか、絶妙のタイミングで踵を飛ばして難なく迎撃した。
 その片足となったところをチャンスと察して、ディランは首の筋肉を締め、身体を捻り倒すようにして思い切り鎖を引っ張り込む。

「ちぃっ」

 さすがに片足の状態で体重を掛けた“綱引き”には抗えず、バランスを崩した『彫刻師』は、それでも身体を一回転させて膝立ちとなりながらも踏ん張りきる。
 それへたたみ掛けるようにして、今度はマーカスが吠えながらNFL張りのタックルをたたき込み、ついに『彫刻師』諸共、荷台の後ろに倒れ込んだ。

「ぐっ……ほ」

 あまりの勢いに、一緒に引っ張られたディランが前にもんどり打って咳き込む。下手したら首がおかしくなっていたところだが、幸運にも無事で、しかも鎖がゆるんでいる。
 すぐさま首を引き抜いたところで、視界の隅に黒い棒が差し出されているのに気がついた。

「マーカス、離れろっ」

 それが狩猟用のショットガンだと分かったときには拳銃とは桁違いの轟音が放たれた。
 ディランの警告に反応したマーカスが振り返ることなく脇に転がって、ほぼ同時に、派手に鳥打ち用の散弾が『彫刻師』の胸部で炸裂する。
 そういえば、自分で獲ったものを調理するコックだと壮年が言っていたのを思い出す。車内に置いてあったのをリディアが見つけたのだろうことは想像に難くない。

「もっと……マシな援護はできないのかよ」

 間一髪で避けたマーカスが愚痴を零しているが気にしない。
 散弾の直撃を浴びながら、なおも、ふらつき立ち上がる『彫刻師』の姿を見たからだ。
 もはや完全に服が千切れ飛び、露わになった身体には鎖が幾重にも巻き付いていた。
 不気味なのは、その鎖がまるで蛇のようにゆるりと身体の上を蠢いているからだ。ちゃりちゃりと微かに響く金属音が悍ましさをいや増している。
 生きているのか――その鎖は。

「――二百年も経つのに、お前達の得物は進歩がないな」

 『彫刻師』が不適に笑う。

「そんな豆鉄砲では『淫蛇の銀縛』を抜くことはできぬぞ」
「その割には足に“きてる”けど?」

 リディアの嘲笑を相手が耳にできたかは分からない。
 二度目の轟音で『彫刻師』の身体が後ろによろめき、そのまま車から転がり落ちた。

「やったか?」
「……そうでないと、困る」

 不安げなマーカスの問いに、答えたところでディランは力尽き、意識を手放した。

         *****

「逃がしたか」

 中庭の片隅で、ピックアップ・トラックから人影が転がり落ちるのを目にして、その東洋人――桐生一馬(きりゅう かずま)はひとりごちた。
 特に感慨もない口調は、獲物を逃がした事実に何ほどの憤りも感じていないようで、「追うか?」と傍らに立つピエロの進言にも否と首を振る。

「問題はない。先ほど、ヤツの“陰”をいただいたからな」

 足下に突き立つ刀には、黒々とした切れ端のような影が地面に縫い付けられている。月明かりだけとはいえ、明らかに“刀の影”とは違うことは影自体の形を見ればよく分かる。

 ならば何の影だと――?

 いや、桐生は“ヤツの陰”と言ったではないか。
 疑念は解かれることなく、続く怪異な作業によって更に深まっていく。

(おん)

 桐生が腹から声を発して、刀の柄に右手を置く。

「ノウ・マク…………」

 短い文言が『真言(マントラ)』であると知る者は、桐生の祖国にあってもごく少数に限られる。同じ韻律を繰り返し、桐生は懐からコンパクトな羅針盤を取り出し、柄の上に置いた。
 掌サイズの羅針盤には、能面を被る真っ白い小さな人形が据えられ、右手を天へ掲げ、左手を前方に差し出す姿勢で、いかなる仕掛けか盤上を浮いたまま落ちることなく、くるくるとゆっくり回り続けている。

「久しぶりに“導き手”を使ってみよう」

 言うなり、驚くべき事が起こった。
 刀の先に縫い付けられていた影がすっと消え、同時に雪のように白かった人形が黒く染まったのだ。しかも能面だったはずの顔には、妙に艶めかしい人相が浮き上がり、まるで生きているような肌つやに薄気味悪さしか感じない。
 その顔がディランに似ていることは何を意味するのか。
 盤上で変わらず浮いたまま、しかし、ぴたりと止まる黒人形。その差し出す左手が示す方向に、逃げ切ったはずのディランがいると知る者は術者である桐生以外にいるはずもなかった。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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