(6)クロス・ファイア3

文字数 11,170文字

PM11:03 廃掃班<右陣>
          サミィ・マーカス組――

 正面ドアがあり得ない壊され方をし、驚きで対応が遅れたサミィ達を尻目に、状況は追い立てられるような速さで次々に展開していった。
 何者かが突入してきたかと思えば、味方の誰かが――恐らくディランで間違いあるまい――見事撃ち抜き、喜んだのも束の間、すべては幻となって消え去り、気づけば二つの敵影に目前まで迫られ、自分たちが危うい状況に陥っていた。
 その上、背後では本当に壁をぶち破って敵が挟撃戦術を実現してのけたのだ。

「何がどうなってやがる?!」

 『M870』――散弾銃(ショットガン)を構えながら、マーカスは敵に聞かれるのも構わず声を荒げてしまう。

「“なぜ”かはともかく――」
「?」
「要するに、俺たちがホットドッグのソーセージになった、てことよ」

 訳知り顔で応えるサミィに“残念な子供”を見る目でマーカスが聞き返す。

「何だって?」
「ソーセージさ」

 それを言うならサンドイッチだろーが、と胸中で悪態をつきながらマーカスは『M870』の銃口を忙しなく動かす。
 敵は積荷を巧みに遮蔽物として利用しながら、確実に距離を詰めてきている。時折、姿が見えるものの、一瞬の出来事だから狙いをつけても引き鉄(トリガー)を引くまでには至らない。おかげで格好(ポーズ)ばかりつけてるようで、状況も弁えず気恥ずかしくなってくる。

「くっそ……上手いな、こいつら」

 どうやってか知らないが、二人で申し合わせたようなタイミングで、交互に姿を見せるため、余計に振り回される格好となっていた。特に『M870』はポンプ・アクションで次弾を装填させる方式なため、隙が生まれやすく安易に撃てないのも厄介だ。

「マーカス、思い切った行動に出ないと、何もしないまま終わっちまうぜ」
「同感だ。で、何をしたいんだ?」

 一緒に修羅場を潜った中だ、何か策があっての台詞と承知している。マーカスに促されて、サミィが引き攣ったような笑みを浮かべた。

「簡単な話しさ。前の二人が来る前に、二人掛かりで背後の敵を討つ!」

 言うなり前方へ向き直り、サミィは『M4A1』を腰だめにして乱射した。狙うは敵そのものでなく、その数歩先の予測地点だ。これなら、照準を付ける時間ロスによって射撃が遅れる心配がない。
 仮に銃撃のタイミングが早すぎても、目前で銃弾の雨を見せられることで、敵も迂闊に飛び込めなくなってしまう。足止めが目的なら十分な成果だ。
 実際に敵の侵攻が確実に鈍ったのを見計らい、サミィは身を翻して一気に駆け始めた。
 サミィにしては見事な戦術――そう思いつつも。

「……単に、逃げてるだけに思うんだが」

 首を振って疑念を払い落とし、マーカスも全力でサミィの後を追った。
 潜んでいた高台からほとんど音を立てることなく飛び降りて、三歩でスピードに乗せて跳躍し、フォークリフトの操縦席を左から右へ身軽に潜り抜ける。
 先の“隠れ家(ハウス)”の一件では、体力を使いきった事情があったとはいえ、壁抜けに四苦八苦していた姿が嘘のようなその動き。
 小柄なサミィが身軽ですばしこいのは当然だが、100㎏オーバーのマーカスが同じレベルで飛んだり跳ねたりするのは、やはり驚くべき光景だ。

 【height】193㎝
 【weight】110㎏

 紛れもない巨体を誇るマーカスは、その気になれば、【垂直跳び】94㎝、【100m走】11秒03という見た目のイメージからは考えられない驚異的な記録をたたき出す。
 もし学校に通いスポーツをやっていれば、今頃はNFL(全米フットボール・リーグ)で活躍していても不思議ではない身体能力を有していた。
 無論、いくら優れた能力を有しているとはいえ、マーカスが“特別な存在”というわけではない。
 “巨漢”が鈍重だというイメージは、俊敏で激しい動きを必要とするNBA(国際バスケットボール協会)の選手達や陸上界の英雄ウサイン・ボルトの例を挙げるまでもなく、世界のプロスポーツを知れば妄想に過ぎないと簡単に気づける。
 肝心なのは、筋骨格のバランスが見事に調和してさえいれば、“巨漢”はすぐにでも“超人”たり得るということだ。
 そういう意味でならば、マーカスには“才”があったということになろう。修学しない彼は、これまで自身に宿る能力を育て、開花させる機会が、ただ得られなかっただけに過ぎないのだと。それがディラン達と出会い、血生臭いものの、“戦闘”という実弾飛び交う異常な世界で己を磨くことによって、今の能力を覚醒させるに至った。――他者からすれば、“超人”としての能力を。
 “現代の超人”――それが彼の真の姿だ。

「よっ、とぅ!」

 短い距離で敵との間合いを稼ぐ必要があるため、わざと障害の多い、通りにくいルートをサミィが先導する。
 時に架台の下を這いつくばり、時にコンテナをよじ登り、積荷の上で前転して、一見、闇雲と思えるルートを切り拓く。
 実は万一を考え、事前に決めていた逃走経路を辿っているに過ぎず、承知しているマーカスもサミィに悪態をつくことなく、巨体を軽やかに踊らせながら、最小限の音のみを残して、相棒の動きを見事にトレースする。
 迷いなく積荷のジャングルを潜り抜ける二人に、さしもの怪人達もついてこれないのか、気づけば敵二人の気配が後方に薄れていた。
 逆に言えば、そろそろ新手の敵が気になる頃合いだ。
 
「気をつけろ。すぐに接敵(エンカウント)――」

 マーカスが相棒に注意を促し終える前にトラブルが発生する。それはサミィが積荷の角を曲がったときに起こった。

「――っとあ?!」

 何があったかサミィの奇声が角向こうで聞こえてきて、慌てて角を曲がったマーカスが目にしたものは、床で横倒しになったサミィと、辛うじてコンテナの壁にもたれかかっている暗色系のマントを羽織った怪人物――『網代笠』の姿だった。

「あ痛――っ」

 呻くサミィを見やれば、左腿に銀色のナイフが刺さっている。『網代笠』の仕業に違いないが、出会い頭のやりとりで、攻撃と回避を同時にこなすとは、何という戦闘センスか。
 咄嗟にその事を見て取り、感じた“脅威”が“恐怖”へと切り替わる前に、身中から押し出さんとマーカスが吼える。

「野郎――っ」

 叫びざま、『M870』を腰だめにして、感覚だけで狙いをつけた。
 近距離射撃での散弾が拡散するパターンは同心円状に10㎝程度広がればいい方だ。それでも、的に当てるだけなら、他の銃に比べて有効なのは間違いなく、何よりもこの距離で外す理由などあるはずもない。
 マーカスが必中を期して引き鉄(トリガー)を引き絞る――それがまさか外れるとは。
 散弾特有の炸裂音と共に誰もいない(・・・・・)コンテナの壁に弾薬OOB(ダブル・オー・バック)から産み出された九つの弾丸が食い込む。もう少し、弾が散るだけの距離があれば捉えたろうが、そういう問題か――今のは?

「避けやがった――」

 今のを、と絶句するマーカスに『網代笠』の声が耳元でと錯覚させられるほどの近くで囁かれた。

「お前達は本当にプロだ。だからこそ(・・・・・)、助かる」

 嘲るよりも感心した声に、それが本心からのものと感じてむしろ怒りが湧き上がる。それがマーカスの反応を遅らせた。
 いつの間に近づかれていたのか、『網代笠』が左側面に立ち、視線を向ければ右拳がマーカスの顔面に向かって飛んでくるところであった。

「ぐっ……」

 咄嗟に歯を食い縛り、ヘビー級のプロボクサーが放つそれを、軽く凌駕するような威力のパンチを受け止め、耐える。マーカスの、女性の腰かと思えるほどの太い猪首でなければ折れてしまいそうな衝撃だった。
 視界が瞬間的にブレる。
 さすがに衝撃を吸収しきれず、軽くよろめいたところへ左のもう一発。だが、軽い脳震盪に見舞われているために、避けることはおろか、もう耐えることさえできそうにない。

「がぁ――」

 それでも雄叫びを上げて己を奮い立たせ、マーカスは身の毛もよだつ衝撃に立ち向かう。

 タタタッ

 覚悟した凶撃が消え去る。
 思わぬ救い主はサミィの『M4A1』が放つ弾丸であった。5.56ミリ高速ライフル弾の三発が見事に全弾命中し、美しい金属音を響かせて『網代笠』の肉体をわずかに宙に浮かせる。
 理論上、体重約180㎏の生物を打ち倒すだけの威力を、皮肉にも貫通させたりいなす(・・・)ことなくすべて受け止めた結果だ。自慢の防御が思わぬ(あだ)となり、明らかに『網代笠』の動きが鈍くなる。
 それを好機と捉えたのは、これまで幾多の闘争で生を勝ち取ってきた戦士としての本能だった。
 霞がかった意識の中、マーカスは夢中で『M870』の銃床(ストック)を『網代笠』の顔面があると思われる辺りに向けて、思い切り振り回した。
 ベンチプレス170㎏を挙げる豪腕が単なる銃床(ストック)を恐るべき“戦槌(ウォー・ハンマー)”へと変える。
 ぶち当たれば、いかな『網代笠』も脳震盪を起こすだけでは済まされまい。剥き出しの頭部――そこには鉄壁の“金属防護”がないからだ。

 ギャリリィ――

 颶風となって襲った“戦槌”の一撃を、『網代笠』が寸でのところで跳び下がって回避した。信じられない神経と筋肉の反応速度に寒気さえ覚える。それでも、金属が擦れる不快な音は、跳ぶことで()の位置に移った胸部(・・・・・・・・・)を現代の“神の槌撃(トゥール・ハンマー)”が浅からず抉った証に他ならない。
 穿つことも切り裂くこともできずとも、打撃による衝撃は、確実にその身にダメージを与えたはずだ。
 一気に二メートル以上の距離をとった『網代笠』が耐えきれずに片膝をつく。
 表情は読めずとも、身中の苦悶はその姿が表している。
 追い込むなら今しかないっ。

「逃がすかよっ」
「マーカス!」

 留めとばかり走り出した巨漢を、制止したのはサミィの叫びだった。無視せず足を止めさせたのは、そこに込められた“必死の思い”だ。
 振り向いたマーカスの眼に二つの影が映った。

「……くそっ。もう追いついてきやがったのか」

 無念の呻きが洩れる。
 気づけば、背後には既に『網代笠』の気配はない。絶好のチャンスを逃さないのも優れた戦闘センスを持てばこそだろう。

「ま、これはこれでやむなし(・・・・)、か……」

 即座に気持ちを切り替える。
 千載一遇のチャンスを逃した無念よりも、下手すれば“三体同時に相手取る危地”を回避できたのだと前向きに捉えていく。
 何しろたった今、一体を相手取るだけでも苦しんだところだ。それが二体、三体ともなれば、マーカスの歯噛みする言葉に苦みが――気持ち尻込みするのもやむを得まい。
 しかも、相棒(サミィ)は足を怪我している。よほどのマゾフィストでもなければ、笑顔で歓待できる状況ではなかった。

そちらさん(・・・・・)と戦り合うのは初めてだな」

 銃身下部の先台(フォア・エンド)をこれ見よがしに前後にスライドさせて、映画で馴染みの音を響かせながら次の弾薬を薬室に送り込む。
 威嚇も兼ねた行為だが、一刀を手にした東洋人は表情も変えず、何を考えてるのか、さっぱり読めはしない。
 銃を相手に(ブレイド)で何とかできると本気で思っているのか? いや、こいつも銃弾を弾く能力を持っているのかもしれない。

「――ダメだ」

 何が? サミィの呟きを捉えたものの、マーカスが聞き返すことはない。視線どころか意識を逸らす余裕もないからだ。

「…………」
「…………」

 息詰まるような空気を感じているのは自分だけなのか。それはマーカスとサミィが互いに抱いていることに違いない。
 わずかな間、二組の緊張感が産み出す静寂を破ったのは、刀の男だった。

「知っていれば聞いてやってもよかったが……今、お前達に問う言葉はない。削らせてもらうぞ(・・・・・・・・)

 奇異な台詞も、言いたいことは伝わった。
 “殺す”という表現は世界中に五万とあるが、その感情は万国共通のものだからだ。まして、相手に向けるも向けられるも、マーカス達にとってはあまりに馴染みのある感情だったが故に。
 相手の明確な意志に反応して、即座にマーカスの脳内で、勝つための射撃関連データが閃く。

 敵との距離は10m弱。
      ――散弾パターンは20㎝程度。

 左手の先台(フォア・エンド)を支点に、右手で銃床(ストック)を軽く外側に滑らせ、瞬時に『M870』の銃口を刀の男へ向ける。
 動作の少なさにマーカスが何をしたのか、誰もが認識するタイミングを1テンポ遅らせてしまう。
 だが、気づいたとしてもなお遅い。
 銃口が向いたときには、12番口径の頼もしく太い炸裂音がマーカスの懐で轟いていた。
 反動で暴れる銃身を自慢の豪腕でねじ伏せて、マーカスの視線はもう一方の人影――今やそれが『彫刻師』であることは分かっている――の反応を注視していた。

「いけるか?」

 マーカスが声を掛けたのは、ようやく立ち上がったサミィに対してだ。だが、その返事を聞く間もなく、『彫刻師』から鈍色の何かが放たれる。

「くっ――」

 相変わらずのデタラメな速さに、辛うじて『M870』を掲げる反応ができたのは暁光でしかなかった。しかも偶然、いい位置に当たって鎖を弾き飛ばせるなんて。
 なけなしの“運”を使ってしまったことに冷や汗が噴き出す。なぜなら、連中は銃撃を防ぐ手段を持つが、こっちは敵の飛び道具を防ぐ手段は“運”しかないからだ。すぐに距離を取るのが得策でないと悟り、マーカスは『彫刻師』に向かって突撃を敢行した。

「ぅおあああぁあぁあっ」
「ば、よせっ」

 相棒の無謀な行為を見たサミィが叫ぶも耳には届かない。奴らとの近接戦闘(CQB)を避けるべきと皆で話し合ったはずなのに。しかも、相手が二人いると忘れてしまったのか?

「あの馬鹿――」

 それでも不意打ちが効き積荷の後ろへ吹っ飛ばしたのか、刀使いの姿はなく、それを確認したサミィが『M4A1』で援護射撃を始める。
 当てる必要はない。少しでも『彫刻師』の動きを鈍らせればいいだけだ。思考に僅かな揺らぎを与えるだけでも構わない。
 だが、サミィが引き鉄(トリガー)を二度引くことはなかった。相棒が敵に近づいてしまったのもそうだが、よりによってこのタイミングで弾薬が尽きてしまったためだ。

「――こんな時に」

 慌ててマガジン・キャッチのボタンを押して空の弾倉を捨てる。新たに胸の弾倉小袋(マガジン・ポーチ)から弾倉を取り出すのももどかしく、何とか30発入りの弾倉を叩き込んだ時には、既に――いや、この場合は“無事に”というべきか――『彫刻師』とマーカスの接近戦が始まっていた。

「うおらっ」

 マーカスが気合いに込めるものには、殺意よりも焦燥の方が勝っていた。
 必死で短距離選手並の速度で走っても、『彫刻師』の戦闘速度は次元が違いすぎる。つまり、距離を詰めるまでの永遠とも言える数秒で、敵はマーカスを3回は殺すことができる――それをサミィの支援射撃が未然に防ぎ、それでも足りない距離を、マーカスは『M870』を逆さに持って棍棒のごとく振り回すことで強引に間に合わせた。
 正に間一髪。
 ぎりぎりの緊張感が喉奥から雄叫びを迸らせる。

「うおらっ」

 叫べば、今以上に力が湧き出るというように。
 『M870』にありったけの殺気を込めて。
 間に合え、と必死に祈りながら渾身の一撃を『彫刻師』に叩きつける。

 バギィ――ッ

 それを片腕で防ごうとしたのは、目前に迫る猛牛のごとき巨漢を見てなお、侮っていたがためか。あるいは、自身の膂力に対する絶大な自負が為せるものであったか。
 現代の“超人”と異邦の“怪人”の途方もない力がぶつかり合って、真っ先に耐えられなかったのは、弾薬の炸裂すら抑え込む頑健な銃身を有するはずの、散弾銃であった。

「むぅ」

 その上、銃身破壊でも費やされぬ余剰衝撃を吸収しきれずに『彫刻師』がたたらを踏む。
 肉体に巻き付く鉄の鎖は、それだけで優に50㎏に達し、中世の騎士が身に着けた全身板金鎧(フル・プレートアーマー)の重さを軽く凌駕する。
 総重量ではマーカスさえ凌ぐ『彫刻師』とのウェイト差を乗り越えて、“超人(マーカス)の攻撃”は、小型車両で衝突するに等しい痛撃を『彫刻師』に叩きつけていた。
 だが、明らかに見た目のダメージはさほどでなく、軽い絶望感に顔を歪めたのはマーカスの方だ。

「――この、ヘンタイ野郎がっ」

 もはや埒外の頑丈さに、どうにでもしてくれと放り出したくなってくる。それでも、『彫刻師』の腕に鎖が巻き付いているのをみて、「待てよ――」と逆にわずかな勝機を見出した。

(防御する前は、腕に鎖はなかったはずだ)

 それが今は何重にも鎖が巻き付き、銃身がへし折れるほどの衝撃にも傷一つつくことなく、肉体を守り抜いている。

(“傷つく”から“守る”ということだよな)

 傷が出来れば血も流す――どんな色かは分からぬが――本当に“異界の住人”であったとしても、やつらも生物であることに変わりはない、ということだ。
 ならば、攻撃を当てさえすれば――その方法さえ考えれば、この強敵を倒すことができるのでは?

「――マーカス?」

 ふいに動かなくなった巨漢の相棒に不安げなサミィの声が掛けられる。だが、マーカスは眼前の敵に不意打ちを食らわないよう注意しつつも、己の考えに没頭する。

(問題は、こいつの鎖が反応する仕組みだ)

 自動的か意識的なのか、攻撃されれば、敵の鎖は自在に肉体の上を這い動き、適切に防御してのける。
 一見して“無敵感”が強いものの、本当に“無敵”というわけではない。なぜなら、その仕組み自体が弱点と言えるからだ。
 “意識的”なものであれば、隙を突けばいい。
 “自動的”なものであれば、その反応限界を探ればいい。

 それが突破口になる。

 実際、速さ(スピード)で敵わなくてもマーカスの(パワー)は有効だ。何も相手に勝る必要はなく、単純に効けばいい(・・・・・)のだ。
 “脅威”に目を奪われ、“事実”から目を反らしていたことに、マーカスはようやく気がついた。

「自分から勝機を手放しちゃいけねえよな」

 “事実”を検証するんだ。
 分かっている“事実”から、何が出来るか、何をすればいいのかを考えろ。
 冷静にさえなれば、有効な戦術は必ず見出せる。そう気づけば、不思議なことに、これまで忘れていたことも思い出してきた。
 すべてを出し切ればいいのだ。そうすれば自ずと勝機が――。

「――見えてきたぜ」
「?」
「お前を倒す手段だよっ」

 言うなり、壊れた『M870』を『彫刻師』の顔面に向かって、ぽいと放り投げた。そのあまりに何気なくやんわり(・・・・)とした投げ方に、さしもの『彫刻師』も訝しげに見守ってしまう。
 一瞬、ひしゃげた銃身が『彫刻師』の顔前を覆ってマーカスの姿を隠す。
 咄嗟に『彫刻師』が右手で払いのけたときには、マーカスが猛然と地を這うような低空タックルを仕掛けていた。
 右肩から『彫刻師』の両腿にぶちかまし、そのまま両腕で抱え込むようにして足の踏ん張りを封じ込める。そこから流れる動作で、自分より重い『彫刻師』を持ち上げようと、マーカスは背筋・腰・両足の力を全開で振り絞った。

「おるぁああああっ!!」

 まるで鉛の人形を相手にしているような感覚で、それでも『彫刻師』の両足を地面から引っこ抜く。同時に背中へ凄まじい打撃が落とされたが――恐らく肘打ちだったに違いない――気合いで痛みをねじ伏せ、『彫刻師』の身体を地べたへ横倒した。
 すかさず、身体を起こして馬乗り(マウント)――になろうとしたマーカスの巨体が、身構える『彫刻師』の胴を跨いで、片腕をとりざま股に挟み込む。

 一体何を――?

 マーカス以外の誰もが思うだろう――その時には、とった『彫刻師』の腕を軸に身を翻し、背中を地面に向け、片足を首に叩きつけた。そのまま己の骨盤を支点に奴の片腕を思い切り引っ張り――仰け反るように全体重をかけて――『腕ひしぎ逆十字固め』を仕掛ける!
 それを無造作に、腕力まかせで引き千切る『彫刻師』。
 しかし、振り払った勢いでマーカスに背を向けたところを追い縋り、後ろから顎下へスルリと腕を滑らせ、『裸締め(チョーク・スリーパー)』へと技を繋げるマーカス。その執拗な攻めにも『彫刻師』が動じることはない。
 処刑執行を意味する頸動脈へのロック寸前で、首との間に手指を挟み込んで防ぎつつ、首筋を剛化させて強引にマーカスを背負い投げにて振り落とす――を瞬時に察したマーカスが自ら跳び、鮮やかな前転を披露して無傷(ノー・ダメージ)で立ち上がった。
 あらたに立ち位置を入れ替え、対峙する二人。
 腕力馬鹿に思えたマーカスの熟練した関節・絞め技にも驚いたが、それを理不尽としか思えぬ圧倒的な腕力でぶち壊して見せた『彫刻師』には、もはや驚愕を通り越して呆れ返るばかりだ。
 今のめまぐるしい攻防がまったくの互角であることを二人は無論理解している。

「――参ったな、これは」
「二百年ぶりだぞ……儂を地に転がしたのは」 

 互いに、双眸に殺気をギラつかせながらも、口元を堪えきれぬ喜悦で綻ばせる。
 持て余し気味の力を持つ両者の戦闘経歴において、これだけの時間、全力で暴れて相手が壊れなかったことなど初めてのことであったろう。
 あまつさえ、逆に自身が追い込まれそうになった瞬間がどれだけあったことか。これを直に体験して喜ばずにいられるはずがない。

「よいな……」

 浮き立つ『彫刻師』に「男と汗をかく趣味はないんだがね」マーカスは複雑な笑みを口の端に浮かべる。

「だから……これで終わりにするっ」

 再びの低空タックル!
 それを「二度目はない」と自信すら窺わせて迎え撃つ『彫刻師』。当然、その対応力を見越していたマーカスが、タックルと見せて、『彫刻師』の目前でジャンプし、『跳び膝蹴り』の荒技を繰り出す。
 まさかの大技に、反応が遅れた『彫刻師』の顎先を膝蹴りが掠めて飛んだ。だが、外すのは想定内。
 着地しざまに、マーカスはがっちり組んだ両腕を『彫刻師』の首に回して、『ムエタイ』でいうところの『首相撲』に絡め取る。

「っらあ!!」

 思い切り『彫刻師』の首を引きつけ、右膝を叩き込もうとするが、驚くべき事に、『彫刻師』の首が彫像のごとく固着して微も動かなかった。
 二度、三度と試みるも結果は同じ。

「ちっ――」

 埒があかないと舌打ちしたところで、逆に『彫刻師』の膝が跳ね上がって、マーカスの腹腔で受けたこともない強烈な衝撃が文字通り炸裂した(・・・・)

 どんっ

 まるで、呑み込んだ爆弾が腹中で炸裂したようだった。いや、そうとしか考えられない威力に、一瞬思考が停止し全身が機能不全に陥ってマーカスの膝から力が抜けそうになる。

「ぐふっ……」

 マルコ邸のキッチンで摘まみ食いしたものが胃から迫り上がってきた。必死でそれを呑み込んで、マーカスは思わず自分の腹を確認した。
 あるのかないのか(・・・・・・・・)、を。
 痛みも度を超すと何も感じなくなるらしい。
 あまりに非常識な破壊力に顔を青ざめさせつつ、また、二撃目が炸裂する前にマーカスは決断する。
 『首相撲』をやめるのでなく、続行する方向に。

「なら……これでどうよ?」

 引きつけられぬなら、自分から行けばいい。歯を食い縛り、顎の筋肉を締めながら、マーカスは思いきり『彫刻師』の顔面に頭突きをぶちかます。

 ごぢっ

 がづっ

 一撃目は腹筋に力が入れられず、威力的に不発に終わるが、気合いが脳内物質の大量分泌を促した成果か、腹筋の感覚が戻って三発目からは渾身の頭突きをぶちかませた。

 みきっ

 顔を覆う仮面がひしゃげて、堪らずたたらを踏む『彫刻師』。顎を伝い落ちる滴は紛れもない彼の血だ。
 人外魔境の住人かと思えば――やけに濃厚な血臭を漂わせるものの――人間と同じ色の血液に思わず安堵を覚える。

「――ようやく、俺も愉しくなってきたぜ」

 鉄壁の防御を抜き、これまでの戦闘を通して初めて与えたダメージに、会心の笑みを浮かべるマーカス。

「そら、もう一丁――」

 言いざま、大きく頭を仰け反らせたところで、すぐ近くに人影がいることに初めて気づく。

「な――お前――」
 ――――斬っ

 言いかけたマーカスの言葉を鋭い斬撃が、文字通り遮断した。

 ぴしゃり、と床に飛び散る血。

 『彫刻師』の首に巻かれていたマーカスの筋肉質の腕がゆるりと解かれる。即座に危地から脱すべく、『彫刻師』が外れそうになる仮面を抑えつつ、手近な積荷の山を脱兎のごとく跳び上がり、そのまま逃れてしまう。

「……また……かよ……」

 何が起きたかを明確に察し、悔しさに顔を歪ませるマーカス。その傍らで、血に濡れた黒塗りの一刀を提げる男が留めを刺さんと袈裟斬りに構え直す。
 出現したタイミングからみて、今までも、すぐ近くに潜んでいたのだろう。先ほど、散弾で撃たれたフリをして、完全に気配を断って相手の意識から外れ、隙ができるのをひたすら待っていたのに違いない。
 獲物を狙い待つ、狩人のような忍耐力で。
 そしてマーカスという名の獲物が罠と知らずに踏み込んでしまったのだ――その“刀の間合い(デッド・ゾーン)”へ。
 状況を理解していても、震えるマーカスの両腕が動くことはない。始めのたった一撃で、“死に体”となっていた。
 既に単なる供物と化した強敵(マーカス)を見る男の双眸に、勝利者としての感慨は微塵もみられない。すべきことをする――そんな自然な動きで刀を掲げ、ただ振り下ろした。
 防弾プレートを差し込んだマーカスの防護服を滑らかに切り裂いた刀だ――この世の物理法則に従わない異境の武具に違いなく、そんな斬撃を今一度受ければどうなるか――。

「――おいっ」

 床に力なく両膝をつきながら、マーカスはその信じられない光景に思わずツッコんだ。だって、そうではないか。なんでそんなところに――

「――お前がいねえと、困るんだよ」

 一刀を浴びたサミィが唇の片側を吊り上げて、ぎこちない笑みをみせる。
 戦いに夢中になっていたマーカスには気づけなくとも、端から見ていたサミィには、ふいに物陰から湧いた刺客の接近を察することができたのだ。ただ、警告を発する余裕もなかったのが、彼にとっては悲劇だったのだが。
 いや、そう断じることが憚られる彼の満足げな笑みであった。

「ふざけるなっ」

 流れ出る血と共に失った力が、一瞬蘇って、マーカスは声を荒げていた。それが最後の言葉になる。
 やがて、声にならぬ慟哭が倉庫に響き渡った――。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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