(1)ロサンゼルス港へ
文字数 5,525文字
PM9:43 ロサンゼルス市郊外
インター・ステート・ハイウェイ110号路上
『ハーバー・Fwy 』に入って車速が一段上がると、さすがに追っ手の心配が薄れたせいか、車内の緊張感は若干薄れていた。
目的のサンペドロ湾にあるロサンゼルス港まではおよそ30㎞――Fwyを下りてからのもたつき を考慮しても、今の速度なら30分もあれば到着するだろう。
目指すは『エリオット貿易会社』の集出荷所となっている倉庫だ。装備調達で世話になった老人の店から、窓口であるオフィスへ電話をしたときに、まだ残業していた社員がいたため辛うじて情報を入手したその結果によるものだ。
「はい、セルジオです」
時間外の電話でありながら、その社員は不機嫌さを表すことなく丁寧に応対してきた。会社自体は可もなく不可もなく、経営規模など小さいくらいと聞いていたが、さすがに社員教育はしっかりしているようだ。
「夜分に失礼する。すまないが、エリンはまだ在室してるか?」
「社長ですか……失礼ですが、どなた?」
「ディランからだ、と言えば分かる」
静かだが有無を言わせぬディランの口調に、相手は躊躇ったのも一瞬ですぐに申し訳なさそうに応じる。
「いずれにせよ、社長は既に帰られてます。今夜は大事な用があるとかで」
「どんな用件だ? いや……先ほど電話をもらったんだが、こちらの所用で後回しにしてしまってな」
「そうでしたか……」
ディランの取り繕った話を、さすがに不審に感じたようだ。面倒になる前に情報収集を終えるべく話を強引に進める。
「仕事の邪魔をしたいわけじゃない。ただ、それきりになってしまったから、気になっている。俺の仕事は“厄介事を払う”ものだからな。“時間損失 ”が顧客にとって致命的な状況を生む場合も十分あり得る――分かるよな?」
この一言で、電話の向こうから一気に緊張が伝わってくる。マフィアと無関係の一般社員だったとしても、さすがに会社の背後 にどんな組織が存在しているかくらい薄々分かってしまうものだ。日頃から、役員連中が付き合う人物達を嫌でも目にすることがあれば尚更だろう。電話越しに伝わる緊張感は、社員がディランの言葉を十分に理解したという証拠であった。
「よ、用件の中身までは分かりませんが、行き先に見当はつきます。おそらく……港にあるうちの倉庫に出向いたかと。そ、そちらに電話されては、どうです? あそこには事務所を置いてますし、業務上、誰かは必ず常駐しているので。番号は――」
「助かる」
焦りながらも、捲し立てるように言葉を連ねる社員から電話番号を聞き出すと、さらに2,3質問を重ねた後で礼を述べた。
結局、倉庫の事務所へ連絡を取ってみたものの、誰も出なかった。たまたま手洗いで留守にしていただけなのかもしれないが、当然のようにディラン達の認識は違う。
どのみち、正確に状況を把握する必要がある以上、向かう先を変更するつもりはない。すぐにディラン達はアウディのSUVに乗り込んで、迷わずロサンゼルス港を目指したのだった。
「……追ってくると思うべきだよな」
M870散弾銃 を肩に掛けたマーカスが気にしているのは、無論、奴ら のことだ。
車を交換してスマートフォンを破棄し、衣類や靴も新調したが、それでも拭えぬ“何か”があるとチームの誰もが感じていた。
自らに巻かれた“見えない糸”があり、それをがっちりと奴らに握られている、そんな不快な感覚がずっと付きまとっているのだ。
先ほど老人の店で襲われなかったのは、むしろ“意図的”であると口にせずとも全員がそう思っているのは間違いあるまい。
「否定しないけど、追跡手段が分からないのは気味が悪いわ」
「尾行はどうだ?」
「ない、としか言えないぜ」
ディランの質問にサミィは否定するだけだ。それでも奴らは追ってきているだろう。この瞬間もきっと。
「間違いなく、泳がされている だろうな」
「例の“荷”を見つけるためにか?」
マーカスの問いにディランは小さく首肯する。巨漢が舌打ちしたのは、ここまで生き長らえたのも、敵の思惑があったからだと、“生かされた”という解釈にプライドが傷ついたからだろう。いや、解釈ではない、事実だからこそ癇に障ったのだ。
逆に言えば、だからこそ、今は追っ手の気配さえないのかもしれない。いつでも追いつけるという傲慢とも言える自負故に。
それを忌々しく思わず別の面で捉えたのはクレイグだ。
「空でも飛んでこないかぎり、ある程度の時間的余裕が持てるな」
何を言いたいか、リディアも気づいたらしい。
「なるほど。今度はこちらから“待ち伏せ ”を仕掛けるってわけ」
「そうだ。着いたら、“情報収集する組”と“罠を仕掛ける組”とで分けるのはどうだ?」
クレイグの案にマーカスも賛同する。
「いいぜ。下手すりゃ、奴らを三人同時に相手にするかもしれないんだ。正直、ひとりでも厳しい相手だ。罠をたっぷり仕掛けとくくらいで、ちょうどいいだろう」
「そうはいっても爆薬の類いがないからな。どれほど効果があるか……それに、本当にどれだけ時間が持てるかも……」
「そう悲観するなよ、クレイグ。“ちょっとなのに効果的なシブい罠”を張ってやろうぜ!」
サミィの励まし(?)に「どんな罠だよ」と思わずマーカスがツッコミを入れるが、当人は伏撃歓待 の妄想で夢中になってるのか聞いてないようだ。
確かに、正体不明の敵を相手にする場合、普通ならば“こちらが有利な舞台設定をつくる機会”など、そうそう得られるはずもない。しかし、今回は“必ず追跡してくる”という好条件があるのだ。これを利用しない手はないだろう。
しかも、ディラン達の武器に消音器 なんて高級品は着いておらず、図らずも市街戦を派手にやることになるのだ。港の倉庫ならばこれ以上ない適地といえる。それでも州や市の行政から離れ、独立採算で運営されるロサンゼルス港には、港湾警察 が常駐しているので、爆破行為など本当に派手なパフォーマンスをするわけにいかないが。
「お前の“無音暗殺 ”が鍵になるかもしれんな」
ディランの言葉にもクレイグは既に承知しているのか、目を瞑ったまま何の反応も示さない。
「隠れ家での事をみるに、奴らは少人数で組織的行動をとっていないようだ。ならば、あの三人をどうするかに、集中して考えよう」
ディランの言葉を切っ掛けに、リディアが中心となって作戦を立案し、練り込んでいく。
「基本戦術は、火力の集中で。奴らのうち一人でも隙が出れば、皆で集中的に叩いていく」
「その“隙”を隠蔽仕掛罠 で作ればいい」
リディアの考えをクレイグが捕捉する。
「なら、射線を交差できるように皆で散らばるか」
サミィが話しに参加するとマーカスが早速否定する。
「奴らの動きは速いから、単独で対応するのは危険すぎる」
「……」
「2人組で3班編制にする。ディンならひとりでイケるわね?」
リディアの目顔にディランは自信を持って頷く。
これで作戦の大筋が固まり、後は細部を煮詰めていくだけだ。
いつものことながら活躍の場がなかったサミィが、運転に集中すればいいものを思いついたことを口にする。
「ちなみに、リディアの特技は披露しないのか?」
「おいおい。いくら広い建物だからって、屋内で狙撃銃なんぞ使えるかよ」
呆れるマーカスに、だがリディアは意味ありげに笑みを浮かべる。口紅を塗っていないのに濡れたような唇から紅い舌をちろりと出す。
「機会があればね」
「大丈夫か?」
「恐らくね。いい“餌”があるから」
*****
同時刻 LA ダウンタウン近郊の路地裏
壁に押しつけられていた金髪の女が、力なく頽 れる。
細く白かった艶めかしい首筋には刃物で裂いた朱線が入り、そこから溢れる鮮血で喉を潤していた『彫刻師』が不満げに洩らす。
「――肌や髪の色が違っても、味は変わらないのだな」
「ほう。お前が『嗜好家』だとは思わなかった」
その声で初めて、路地の反対側の暗がりにも誰かが潜んでいた事が分かる。いや、ひとりでなくふたりか。
「『前鬼』はいいのか? そうそう食事 の時間がとれるとは限らない」
前鬼と呼ばれた者のすぐ隣から聞こえたのは男の声。“食事”という言葉に『前鬼』の回答に苦みが混じる。
「云ったろう。儂らの“血吸い”は言わば儀式のようなもの。体力を得るなら普通の食事がいいに決まってる」
「そうとも。ただ、どうせ繰り返すなら“愉しみ”にしたいとは思うがな」
「それはお前だけだ」
『彫刻師』の意見がさも心外だとばかり『前鬼』の声はより苦みを帯びる。
一歩前に出て暗がりから浮かんだ姿は“深編笠”と呼ばれる藺草 で編まれたつば広の帽子で顔を隠し、黒に近い深緑のマントに身を包んで、声のみが男であることを知らしめる。
つい二時間前にマルコ邸で『ピエロ』の大道芸人に扮装して暴れた者であるとは言われなければ分からない。
その背に男の声がかけられる。
「知ってるか? 西洋にも“吸血鬼 ”なる不死の怪物がいるそうだ。美女の生き血で喉を潤し、陽光を憎悪して、闇夜で永遠の生を甘受する者だと」
「ふん。そいつも『嗜好家』というわけか」
鼻で笑う『前鬼』の声に侮蔑が混じる。
「“儀式”を悪質な趣味に貶 めるような奴らと一緒にされたくはないな。まあ、そもそも我らと関係あるかも分からんが」
「似てる気がするがな」
「“似て非なる存在”など、いくらでもいよう」
指摘したのは『彫刻師』。凝りでもあるように軽く首を曲げてみせる。無論、ごきりと音が鳴るはずもなく、雰囲気を愉しんでいるだけだと男も最近は分かってきた。時折、ヘンに人間臭さを出してくるのは、どういうわけなのかは不明だが。
(こいつらを理解しようとするのが間違いか――)
男も壁に預けていた背を離し、暗がりから歩み出る。
整ってはいるが平面的な顔立ちは、男が生粋のアジア人であることを告げていた。
黒髪に黒眉、濃い栗色の瞳。そして黄色人種の肌を持てば自ずとその生国も絞られてくる。
事実、彼の国では今や珍しい“前髪を後ろに撫でつける髪型 ”は彼の代名詞ともなっている。マルコ邸では『給仕』の扮装をしていた桐生であった。
「準備はいいか?」
「ああ。必要な“鉄”は十分に採れた。最も、拳銃とやらでは大して削れて もいないがな。あくまでも念のために過ぎん」
不適とも傲慢ともとれる『彫刻師』に「奴らを舐めてかからん方がいい」と桐生は釘を刺す。
「ひとりはマシンガンを持っていた。あの手慣れた感じをみるに、奴らの主武器は拳銃 じゃない」
「“長物”がくるというのだろう?」
承知していると『彫刻師』が応じる。
「船旅が退屈すぎてな、それなりに学ばせてもらった。特に“戦 ”についてはな。儂の感覚では、ソビエト連邦 製の“長物”で使われる『7.62ミリ弾』であれば、儂の銀縛を抜けるかもしれん」
「…………」
桐生の眉間に皺が寄る。「いつの時代だ?」とその知識を疑いたくなったのだろうが、『彫刻師』の話しを遮るまではしない。
「今の時代に、儂らに通用する武器があるというのは、むしろ喜ばしい限りだ。それも武器さえあれば誰もが容易に“力”を発揮できるなど、素晴らしい技術だ。真に恐ろしいのは、“刻の流れ”なのかもしれぬな」
「お前は少し被れ過ぎ だ」
人間に対し、という意味だろう。『前鬼』が嘆息でも吐くように、哲学めいた感慨まで口にする相方に注意する。
「儂らは“約定”に従い、この男が滅するその刻まで助力するのみ。他にうつつ を抜かして下手を打つなよ」
「心外だな。“現在 ”を知らねば確かな助力もできまいて。儂らが去ぬる方法 は、何もその男の命運だけによらぬぞ」
「“長物”か」
今度は『前鬼』が、承知していると己を滅せる武器を口にする。
「“爆薬”もそうだ。“現在 ”はそいういう時代なのだ」
「……そういうことにしておこう」
若干、誤魔化された感はあるが、相方が言っているのは間違いではない。相方の銀縛に通用するなら自分に対しても同じことが言えるからだ。
「なら、あまり奴らに時間を与えるべきではないのでは?」
「少し削っておく」
桐生の答えは簡潔だった。
「生かすのはあの“片腕”だけでいい」
「戦い慣れておる奴らの準備が整えば、さすがに厄介だからな。……少々惜しい気もするが」
本気で言ってるらしい『彫刻師』の言葉に、『前鬼』でさえも同様の雰囲気を醸し出しているのを感じ取って、桐生が口調を厳しくする。
「“荷”を取り戻すのが最優先だ。お前らの“趣味”に付き合うつもりはない」
二人の怪人が並び合って静かに膝を着く。
「異論はないとも、“約定”の主よ。その望みを手にするために、儂らの力を存分に御使いいただきたい」
インター・ステート・ハイウェイ110号路上
『ハーバー・
目的のサンペドロ湾にあるロサンゼルス港まではおよそ30㎞――Fwyを下りてからの
目指すは『エリオット貿易会社』の集出荷所となっている倉庫だ。装備調達で世話になった老人の店から、窓口であるオフィスへ電話をしたときに、まだ残業していた社員がいたため辛うじて情報を入手したその結果によるものだ。
「はい、セルジオです」
時間外の電話でありながら、その社員は不機嫌さを表すことなく丁寧に応対してきた。会社自体は可もなく不可もなく、経営規模など小さいくらいと聞いていたが、さすがに社員教育はしっかりしているようだ。
「夜分に失礼する。すまないが、エリンはまだ在室してるか?」
「社長ですか……失礼ですが、どなた?」
「ディランからだ、と言えば分かる」
静かだが有無を言わせぬディランの口調に、相手は躊躇ったのも一瞬ですぐに申し訳なさそうに応じる。
「いずれにせよ、社長は既に帰られてます。今夜は大事な用があるとかで」
「どんな用件だ? いや……先ほど電話をもらったんだが、こちらの所用で後回しにしてしまってな」
「そうでしたか……」
ディランの取り繕った話を、さすがに不審に感じたようだ。面倒になる前に情報収集を終えるべく話を強引に進める。
「仕事の邪魔をしたいわけじゃない。ただ、それきりになってしまったから、気になっている。俺の仕事は“厄介事を払う”ものだからな。“
この一言で、電話の向こうから一気に緊張が伝わってくる。マフィアと無関係の一般社員だったとしても、さすがに会社の
「よ、用件の中身までは分かりませんが、行き先に見当はつきます。おそらく……港にあるうちの倉庫に出向いたかと。そ、そちらに電話されては、どうです? あそこには事務所を置いてますし、業務上、誰かは必ず常駐しているので。番号は――」
「助かる」
焦りながらも、捲し立てるように言葉を連ねる社員から電話番号を聞き出すと、さらに2,3質問を重ねた後で礼を述べた。
結局、倉庫の事務所へ連絡を取ってみたものの、誰も出なかった。たまたま手洗いで留守にしていただけなのかもしれないが、当然のようにディラン達の認識は違う。
どのみち、正確に状況を把握する必要がある以上、向かう先を変更するつもりはない。すぐにディラン達はアウディのSUVに乗り込んで、迷わずロサンゼルス港を目指したのだった。
「……追ってくると思うべきだよな」
M870
車を交換してスマートフォンを破棄し、衣類や靴も新調したが、それでも拭えぬ“何か”があるとチームの誰もが感じていた。
自らに巻かれた“見えない糸”があり、それをがっちりと奴らに握られている、そんな不快な感覚がずっと付きまとっているのだ。
先ほど老人の店で襲われなかったのは、むしろ“意図的”であると口にせずとも全員がそう思っているのは間違いあるまい。
「否定しないけど、追跡手段が分からないのは気味が悪いわ」
「尾行はどうだ?」
「ない、としか言えないぜ」
ディランの質問にサミィは否定するだけだ。それでも奴らは追ってきているだろう。この瞬間もきっと。
「間違いなく、
「例の“荷”を見つけるためにか?」
マーカスの問いにディランは小さく首肯する。巨漢が舌打ちしたのは、ここまで生き長らえたのも、敵の思惑があったからだと、“生かされた”という解釈にプライドが傷ついたからだろう。いや、解釈ではない、事実だからこそ癇に障ったのだ。
逆に言えば、だからこそ、今は追っ手の気配さえないのかもしれない。いつでも追いつけるという傲慢とも言える自負故に。
それを忌々しく思わず別の面で捉えたのはクレイグだ。
「空でも飛んでこないかぎり、ある程度の時間的余裕が持てるな」
何を言いたいか、リディアも気づいたらしい。
「なるほど。今度はこちらから“
「そうだ。着いたら、“情報収集する組”と“罠を仕掛ける組”とで分けるのはどうだ?」
クレイグの案にマーカスも賛同する。
「いいぜ。下手すりゃ、奴らを三人同時に相手にするかもしれないんだ。正直、ひとりでも厳しい相手だ。罠をたっぷり仕掛けとくくらいで、ちょうどいいだろう」
「そうはいっても爆薬の類いがないからな。どれほど効果があるか……それに、本当にどれだけ時間が持てるかも……」
「そう悲観するなよ、クレイグ。“ちょっとなのに効果的なシブい罠”を張ってやろうぜ!」
サミィの励まし(?)に「どんな罠だよ」と思わずマーカスがツッコミを入れるが、当人は
確かに、正体不明の敵を相手にする場合、普通ならば“こちらが有利な舞台設定をつくる機会”など、そうそう得られるはずもない。しかし、今回は“必ず追跡してくる”という好条件があるのだ。これを利用しない手はないだろう。
しかも、ディラン達の武器に
「お前の“
ディランの言葉にもクレイグは既に承知しているのか、目を瞑ったまま何の反応も示さない。
「隠れ家での事をみるに、奴らは少人数で組織的行動をとっていないようだ。ならば、あの三人をどうするかに、集中して考えよう」
ディランの言葉を切っ掛けに、リディアが中心となって作戦を立案し、練り込んでいく。
「基本戦術は、火力の集中で。奴らのうち一人でも隙が出れば、皆で集中的に叩いていく」
「その“隙”を
リディアの考えをクレイグが捕捉する。
「なら、射線を交差できるように皆で散らばるか」
サミィが話しに参加するとマーカスが早速否定する。
「奴らの動きは速いから、単独で対応するのは危険すぎる」
「……」
「2人組で3班編制にする。ディンならひとりでイケるわね?」
リディアの目顔にディランは自信を持って頷く。
これで作戦の大筋が固まり、後は細部を煮詰めていくだけだ。
いつものことながら活躍の場がなかったサミィが、運転に集中すればいいものを思いついたことを口にする。
「ちなみに、リディアの特技は披露しないのか?」
「おいおい。いくら広い建物だからって、屋内で狙撃銃なんぞ使えるかよ」
呆れるマーカスに、だがリディアは意味ありげに笑みを浮かべる。口紅を塗っていないのに濡れたような唇から紅い舌をちろりと出す。
「機会があればね」
「大丈夫か?」
「恐らくね。いい“餌”があるから」
*****
同時刻 LA ダウンタウン近郊の路地裏
壁に押しつけられていた金髪の女が、力なく
細く白かった艶めかしい首筋には刃物で裂いた朱線が入り、そこから溢れる鮮血で喉を潤していた『彫刻師』が不満げに洩らす。
「――肌や髪の色が違っても、味は変わらないのだな」
「ほう。お前が『嗜好家』だとは思わなかった」
その声で初めて、路地の反対側の暗がりにも誰かが潜んでいた事が分かる。いや、ひとりでなくふたりか。
「『前鬼』はいいのか? そうそう
前鬼と呼ばれた者のすぐ隣から聞こえたのは男の声。“食事”という言葉に『前鬼』の回答に苦みが混じる。
「云ったろう。儂らの“血吸い”は言わば儀式のようなもの。体力を得るなら普通の食事がいいに決まってる」
「そうとも。ただ、どうせ繰り返すなら“愉しみ”にしたいとは思うがな」
「それはお前だけだ」
『彫刻師』の意見がさも心外だとばかり『前鬼』の声はより苦みを帯びる。
一歩前に出て暗がりから浮かんだ姿は“深編笠”と呼ばれる
つい二時間前にマルコ邸で『ピエロ』の大道芸人に扮装して暴れた者であるとは言われなければ分からない。
その背に男の声がかけられる。
「知ってるか? 西洋にも“
「ふん。そいつも『嗜好家』というわけか」
鼻で笑う『前鬼』の声に侮蔑が混じる。
「“儀式”を悪質な趣味に
「似てる気がするがな」
「“似て非なる存在”など、いくらでもいよう」
指摘したのは『彫刻師』。凝りでもあるように軽く首を曲げてみせる。無論、ごきりと音が鳴るはずもなく、雰囲気を愉しんでいるだけだと男も最近は分かってきた。時折、ヘンに人間臭さを出してくるのは、どういうわけなのかは不明だが。
(こいつらを理解しようとするのが間違いか――)
男も壁に預けていた背を離し、暗がりから歩み出る。
整ってはいるが平面的な顔立ちは、男が生粋のアジア人であることを告げていた。
黒髪に黒眉、濃い栗色の瞳。そして黄色人種の肌を持てば自ずとその生国も絞られてくる。
事実、彼の国では今や珍しい“前髪を後ろに撫でつける
「準備はいいか?」
「ああ。必要な“鉄”は十分に採れた。最も、拳銃とやらでは大して
不適とも傲慢ともとれる『彫刻師』に「奴らを舐めてかからん方がいい」と桐生は釘を刺す。
「ひとりはマシンガンを持っていた。あの手慣れた感じをみるに、奴らの主武器は
「“長物”がくるというのだろう?」
承知していると『彫刻師』が応じる。
「船旅が退屈すぎてな、それなりに学ばせてもらった。特に“
「…………」
桐生の眉間に皺が寄る。「いつの時代だ?」とその知識を疑いたくなったのだろうが、『彫刻師』の話しを遮るまではしない。
「今の時代に、儂らに通用する武器があるというのは、むしろ喜ばしい限りだ。それも武器さえあれば誰もが容易に“力”を発揮できるなど、素晴らしい技術だ。真に恐ろしいのは、“刻の流れ”なのかもしれぬな」
「お前は少し
人間に対し、という意味だろう。『前鬼』が嘆息でも吐くように、哲学めいた感慨まで口にする相方に注意する。
「儂らは“約定”に従い、この男が滅するその刻まで助力するのみ。他に
「心外だな。“
「“長物”か」
今度は『前鬼』が、承知していると己を滅せる武器を口にする。
「“爆薬”もそうだ。“
「……そういうことにしておこう」
若干、誤魔化された感はあるが、相方が言っているのは間違いではない。相方の銀縛に通用するなら自分に対しても同じことが言えるからだ。
「なら、あまり奴らに時間を与えるべきではないのでは?」
「少し削っておく」
桐生の答えは簡潔だった。
「生かすのはあの“片腕”だけでいい」
「戦い慣れておる奴らの準備が整えば、さすがに厄介だからな。……少々惜しい気もするが」
本気で言ってるらしい『彫刻師』の言葉に、『前鬼』でさえも同様の雰囲気を醸し出しているのを感じ取って、桐生が口調を厳しくする。
「“荷”を取り戻すのが最優先だ。お前らの“趣味”に付き合うつもりはない」
二人の怪人が並び合って静かに膝を着く。
「異論はないとも、“約定”の主よ。その望みを手にするために、儂らの力を存分に御使いいただきたい」