(2)別離
文字数 5,611文字
AM2:51 パームスプリングス
LAより東へ180㎞の位置に、セレブ御用達の避暑地ならぬ避寒地となっている砂漠のリゾート地『パームスプリングス』はあった。
年間の日中平均気温は30℃を越えるが、カラッとした高温のため不快さはなく、ハリウッドスター達が寒さを凌ぐため、休暇に訪れるのも頷ける。
このエリアには観光客を楽しませる数多くのゴルフ場や拠点となるリゾートホテルがあるのは勿論のこと、取り囲む大自然も観光地として秀逸だ。
東にはコロラド砂漠を抱え込む広大な『ジョシュアツリー国立公園』、南には『アグア・カリエンテ・インディアン・キャニオンズ』と呼ばれる先住民族の居留地があり、ディラン達の目的地は居留地近くにあった。
インター・ステート・ハイウェイ10号を下りて市街地郊外のサンヤシント山麓を目指す。
ここまでトラブルらしいトラブルはないが、油断は禁物だ。常識的に考えれば、掟破りの手段で制限速度を超えて車を走らせてきたのだ、桐生がすぐに追いつけるとは思えない。そうなれば、目的の人物と出会い、人心地ついたあたりが最も危険なタイミングと考えられる。――果たしてそうであろうか?
「いつ襲われるか分からないというのは、厭なものだ」
まるでディランが目覚めるのを見計らったようにデストリンが独りごちる。
「……あんたがそんなことを気に掛けるタマか」
「相手が相手だ。しかも“LAの運命”がベットされたルーレットともなれば落ち着かなくもなる」
「おかしいな」
わざとらしくディランが首を傾げてみせる。
「俺の知るあんたは、そういう勝負 にこそ、燃えるタイプだったはずだ」
「昔はな」と懐かしむように応じるデストリン。
「今の俺には背負うモノが多すぎる。単純に“怖いもの知らず”ではいられない」
「なら、こんなトコまで付き合わないことだ」
「……」
そこでデストリンが黙り込んだのは、十歳も離れた男にやりこめられた憤りのためではない。「いつまで続ける気だ?」という視線に突つかれて、ディランは仮眠から目覚めた理由を語った。
「……これはただの勘だが、ヤツがくる 」
「そうか」
あまりに唐突な重大発言を、しかし、さらりとデストリンが受け入れて、それが当然であるように誰からも疑念を投げかけられることはなかった。
なぜ分かる?
それよりも彼が本当に追いつけると?
質したい疑問はあるはずだが、口にする者はいない。ただ、『隻腕』の直感を一寸の疑念も過ぎらず信じただけだ。
「この先で降ろしてくれ」
「見届けは――不要か」
「悪い」
短く謝るディランに「お前もだ」と釘を刺されて立ち会う気満々だった『巫女』の笑顔が硬直する。
「おい、ヒロインが――」
「邪魔だ」
可愛らしい唇を尖らせる自称ヒロインを無慈悲な二文字でシャットアウトし、ディランは淡々と理由を告げた。
「時間が無いと言ったのはお前だ。少しでも早く同類 に会って打開策を見出す――寄り道せず自分の目的に集中しろ。俺もそうする」
「じゃが、お前は本調子ではない。それにあやつ は――」
「強い」
皆まで言わせず、ディランは承知してるとばかり断言する。数時間前、初めて邂逅したときにわずか1分とはいえ、濃密な時間を本気で戦り合ったのだ。桐生がどれほどの戦闘力を有しているかは誰よりも知っているつもりだ。
「どのみち、ヤツが“俺の影”を追ってくる以上、一緒にいるのはマズイ。ここは人気も無く操られる者もいないから、戦う舞台としてはちょうどいい」
「それでも、あやつの術は――」
「向こうは“刀 ”、こっちは“銃 ”――十分なハンデをもらってる」
それ以外の要素もあるはずだが、承知の上で断固と言い切るディランの意志を見せられて、『巫女』も翻意できぬと気づいたようだ。
「……わかった」
低木の植生と岩石ばかりが目立つ荒野にリムジンが止められる。
「世話になった」
「月並みだが、健闘を祈る」
交わされたのは言葉のみ。
映画のような握手をすることもなく、デストリンとの別れはあっさりしていた。特別な何かを期待していないし、デストリンもこうして誰かを死地に送り出すのは日常のことだ。一言声を掛けるだけでも、むしろ別格の待遇といえた。
独り降り立つディランに『巫女』が白装束の裾を無理矢理破いて切れ端を差し出してくる。
「何のマネだ?」
「『護符』代わりだ」
「?」
「言ったであろう。儂の力は『箱』を抑えることが本分だ。その儂が常に身に纏う装束には、微少なりと『陰の力』を抑える効能が宿る」
それを聞き咎めてディランが問い直す。
「……それはあの『刀』と『箱』が“同質の力”を持つということか?」
「そうだ。あれは桐生の『至宝』でな――詳しくは知らぬが、ごく少量とはいえ『箱』の力を呪具として象ったモノ――そう思ってもらえばいい」
「少量……」
「そうだな……『箱』の力を“地球規模”と見立てるなら、桐生の『至宝』はここLAくらいか」
「――何だか、大したことのないように思えてしまうな」
微妙な表情をつくるディランに「ヘタクソか!」とツッコミを入れられた気分になったのだろう。慌てた『巫女』が補強する。
「い、いいかっ。量は少なくとも“同質”というのが肝心なところだ。光陰流の『光』は主に“実”を旨とするが『陰』は“虚”を旨とする。戦いにおいて最も厄介なのは“虚”を突かれることであり、あの呪具があればその部分が最も強化される。自慢の鉄砲もヤツに対しては何の気休めにもならんぞ!」
「……だからこれ を?」
あらためて、ディランが目の前に差し出されている布きれ――『護符』を見やる。
「そうとも」
若干、鼻息荒く胸を反らす『巫女』。「有り難くいただけ」とさらに突き出される白布をそれでもディランはうろんげ に眺める。
「どうした、早う受け取れ。『護符』に儂の髪 も挟んでいるから、それこそ“霊験あらかた”ぞ。まあ、本来ならば髪の毛ではなく、儂の陰毛 を――痛っ」
バシリと掌を叩く勢いでディランが『護符』をひったくる。「いたたた……」と掌をひらひら揺らす『巫女』を尻目にディランは憮然と言葉を投げた。
「……恥じらいを覚えろ。違う効能が出たらどうする」
「待て」
背に掛けられる声をディランは無視して後ろの車に向かう。リディア達に一声掛けるために。
「待てと言うに」だが粘る『巫女』の声に含まれた切実さがディランの足を止めた。
「みはや だ」
思い切って吐かれた声がディランの背にあたる。それが彼女の名前であると気づき、自身がまだ名乗っていないことも思い出してディランが口を開けば、時既に遅し――リムジンのドアが閉まる音を耳にした。
そのまま数秒。口を閉ざし、振り返ることなくディランは歩き出す。その瞳に未練はなく何事もなかったかのように。
「いいの?」
ディランを迎える人影はふたつあり、そのうちのひとつから問われたが、自然にスルーした。
「ヤツがくる。お前達はみはや を護ってくれ」
リディアが開き掛けた口をつぐみ、唇を引き結ぶ。クレイグは無言で頷き、「あいつらの分 も頼む」それだけを告げて車に戻る。
食い入るように向けてくるリディアの視線をディランは静かな面差しで受け止める。
「俺が戻らぬときは、これをマルコの墓に」
口を開かぬリディアに、ディランはジャケットから取り出した小箱を差し出した。パーティが始まる前に渡すつもりが、一度出しそびれたが故に、二度と手渡すことができなくなってしまっていた。
「できれば、後で回収して“俺の銃”も一緒に」
元々はマルコから贈られた“マルコの銃”だ。元に戻す意味もあれば“自身も共に”という意味もある。
両親の墓はマルコの最も大切な女性の墓と共にあり、マルコもそこで眠る予定でいた。自分も含め、いずれは皆で一緒になれると思えば、もはやこの世に未練などあろうはずもない。
どこかすっきりしているディランの表情を、それとは真逆の痛みに耐えるような表情でリディアは見つめる。
「ディン。貴方には――」
固い言葉をリディアは途中で呑み込む。
まぶたを軽く閉じ、再び開いたときには強い光がその黒瞳に宿っていた。
「貴方は、勝たなくてはいけない」
力強くディランに訴えてくる。
「勝たなくては――負ければマルコの死を肯定したことになる」
「――ああ。分かってる」
視線を切ったディランがリディアを残して道端に避ける。その身から斬れるような闘気を静かに放ち、相貌は厳しい戦士の顔つきに切り替わっていた。
安堵を胸中に満たしたであろうリディアは、己が知るボスのいつもの姿を見届けた上で車に戻った。 二台の車がその場を去り、月明かりの下で眠る荒野の植物や岩塊とディランだけが残される。
時刻は午前三時を迎えようとしていた。
朝を迎えるにはまだ早いが、もう少しで明けるといっても過言ではあるまい。
夜気の密度が最も高まる時間帯。
ディランが冷えた夜気に身を晒してから、さほど時間は経っていないはずだ。
「――待たせたか」
「いや」
いつの間にか、街の方に続く道の中央に人影が佇んでいた。それまで気配が感じられず、ふいに湧いたとしか思えぬ出現振りを内心でどう思っているのか、ディランの表情に変化は見られない。
「銃器しか扱えぬ『毛唐』に『前鬼』や『後鬼』が殺られるとは正直思わなかった」
「見解の相違だろう。普通は銃器の方が圧倒的に上 だ」
言い返すディランを無視して桐生はわざとらしく左右を見回す。
「お前だけか?」
「ああ」
「あいつらを倒したくらいで、俺を舐めすぎだ」
若干語気が強くなる桐生にディランは懐から愛銃コルト・ガバメントDSを取り出してみせる。
「俺にはコレがある。そして“秘策”もな」
「ほう」
桐生はそれで納得したらしい。声の響きに侮りはない。
「『箱』の話しは聞いた。いかにお前の『刀』が凄くても開封された『箱』の暴力的な力には抗えまい。そうまでして魔境の地で何がしたい?」
「知ってどうする」
「何も。ただ、LA を破壊すると言われれば、理由くらい知りたくもなる。滅茶苦茶になった街で富を搾り取れると思ってるのか。だとしたら――」
「地獄だ」
ぽつりと呟かれたために、ディランは思わず聞きそびれそうになる。確かに今、桐生は「地獄」と口にした。
「“魔境”ではない――“本物の 地獄”がこの街に現出する」
正気を疑う言葉に思わず絶句する。“魔境”が“地獄”であろうと結果的に同じ意味――狂人の戯言だ。
社会に馴染めず恨み、歪んだ悪魔崇拝 を唱える者になって社会が汚れ墜ちることを切望する――桐生もまたその一人なのか。
「俺は地獄に行って、会いたい奴がいる」
「……何だと?」
「俺には俺の目的がある。誰にも邪魔はさせん」
断ち切るように桐生は口を閉ざす。不可解な言動に疑念だけが渦巻くが、会話を遮断する心理的障壁が分厚くディランはこれ以上の会話を諦める。
元より話し合いをするために待っていたわけではない。桐生を知って殺意を鈍らせることはないが、益になることがないのははっきりしている。
「“荷物”を渡すか否か答えてなかったな――」
ディランは体内で“戦意”を練り上げつつ、言葉を重ねる。
「“荷物”を渡すつもりはない」
「なら――」
「――死ぬのはお前だ」
皆まで言わせず遮って、逆にディランが桐生へ宣告する。
悠長に戦り合うつもりはない。ペース配分など考えず、全力で肉体を暴れさせ、常に一撃必殺を桐生に叩きつけてやるだけだ。
一瞬で殺せるならそれがいい。
己の意志を眼光に込めるディランに、予期せぬ逆襲で目を見張らせていた桐生もすぐに理解したようだ。
「……いいだろう。全力で相手してやる」
桐生が胸前に手を伸ばし、首からネックレスのごとく下げている二枚の札をつかみ取る。あれは確かマルコ邸の中庭で見せた、招待客を凶人化させる呪符では――?
緊張するディランを前に桐生の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「これは俺の国で古くから伝わる“昔語り”に出てくる伝承の『三枚の札』でな――」
ふつり、と札を引き千切る。
「――この場に相応しい術を発現させてくれる。見ろ!!」
札を口元に近づけ、何か呟くと桐生は手指で挟んだ札を黒刀の刀身に絡ませ、根元から切っ先へとさっと滑らせ手を放す。
一体何を――?
いや、手法に変化はあれど一度は見たはずだ。
宙に舞う札を思わず魅入ってしまいそうになるのを強固な意志でねじ伏せて、ディランは辛うじて瞼を閉ざすことに成功する。
――――!!
やはりというべきか、迸る閃光を瞼の裏で感じ取る。閉じていても分かる白い輝きは、この場に一人しかいないディランの精神を絡め取ろうとした術の働きか。
だが闇夜を取り戻し、目を開けたディランが目にしたのは、周囲に湧き上がった文字通りの人影達であった。それが閃光に照らされた植物や岩塊の影から産まれ出でたモノとは目を閉じていたディランには分かるはずもなかったが。
「一対一が多対一――確かに最も分かり易い効果だな」
人影の数と所持弾数とを念頭に置きながら、ディランは憮然とした声で独りごちた。
LAより東へ180㎞の位置に、セレブ御用達の避暑地ならぬ避寒地となっている砂漠のリゾート地『パームスプリングス』はあった。
年間の日中平均気温は30℃を越えるが、カラッとした高温のため不快さはなく、ハリウッドスター達が寒さを凌ぐため、休暇に訪れるのも頷ける。
このエリアには観光客を楽しませる数多くのゴルフ場や拠点となるリゾートホテルがあるのは勿論のこと、取り囲む大自然も観光地として秀逸だ。
東にはコロラド砂漠を抱え込む広大な『ジョシュアツリー国立公園』、南には『アグア・カリエンテ・インディアン・キャニオンズ』と呼ばれる先住民族の居留地があり、ディラン達の目的地は居留地近くにあった。
インター・ステート・ハイウェイ10号を下りて市街地郊外のサンヤシント山麓を目指す。
ここまでトラブルらしいトラブルはないが、油断は禁物だ。常識的に考えれば、掟破りの手段で制限速度を超えて車を走らせてきたのだ、桐生がすぐに追いつけるとは思えない。そうなれば、目的の人物と出会い、人心地ついたあたりが最も危険なタイミングと考えられる。――果たしてそうであろうか?
「いつ襲われるか分からないというのは、厭なものだ」
まるでディランが目覚めるのを見計らったようにデストリンが独りごちる。
「……あんたがそんなことを気に掛けるタマか」
「相手が相手だ。しかも“LAの運命”がベットされたルーレットともなれば落ち着かなくもなる」
「おかしいな」
わざとらしくディランが首を傾げてみせる。
「俺の知るあんたは、そういう
「昔はな」と懐かしむように応じるデストリン。
「今の俺には背負うモノが多すぎる。単純に“怖いもの知らず”ではいられない」
「なら、こんなトコまで付き合わないことだ」
「……」
そこでデストリンが黙り込んだのは、十歳も離れた男にやりこめられた憤りのためではない。「いつまで続ける気だ?」という視線に突つかれて、ディランは仮眠から目覚めた理由を語った。
「……これはただの勘だが、
「そうか」
あまりに唐突な重大発言を、しかし、さらりとデストリンが受け入れて、それが当然であるように誰からも疑念を投げかけられることはなかった。
なぜ分かる?
それよりも彼が本当に追いつけると?
質したい疑問はあるはずだが、口にする者はいない。ただ、『隻腕』の直感を一寸の疑念も過ぎらず信じただけだ。
「この先で降ろしてくれ」
「見届けは――不要か」
「悪い」
短く謝るディランに「お前もだ」と釘を刺されて立ち会う気満々だった『巫女』の笑顔が硬直する。
「おい、ヒロインが――」
「邪魔だ」
可愛らしい唇を尖らせる自称ヒロインを無慈悲な二文字でシャットアウトし、ディランは淡々と理由を告げた。
「時間が無いと言ったのはお前だ。少しでも早く
「じゃが、お前は本調子ではない。それに
「強い」
皆まで言わせず、ディランは承知してるとばかり断言する。数時間前、初めて邂逅したときにわずか1分とはいえ、濃密な時間を本気で戦り合ったのだ。桐生がどれほどの戦闘力を有しているかは誰よりも知っているつもりだ。
「どのみち、ヤツが“俺の影”を追ってくる以上、一緒にいるのはマズイ。ここは人気も無く操られる者もいないから、戦う舞台としてはちょうどいい」
「それでも、あやつの術は――」
「向こうは“
それ以外の要素もあるはずだが、承知の上で断固と言い切るディランの意志を見せられて、『巫女』も翻意できぬと気づいたようだ。
「……わかった」
低木の植生と岩石ばかりが目立つ荒野にリムジンが止められる。
「世話になった」
「月並みだが、健闘を祈る」
交わされたのは言葉のみ。
映画のような握手をすることもなく、デストリンとの別れはあっさりしていた。特別な何かを期待していないし、デストリンもこうして誰かを死地に送り出すのは日常のことだ。一言声を掛けるだけでも、むしろ別格の待遇といえた。
独り降り立つディランに『巫女』が白装束の裾を無理矢理破いて切れ端を差し出してくる。
「何のマネだ?」
「『護符』代わりだ」
「?」
「言ったであろう。儂の力は『箱』を抑えることが本分だ。その儂が常に身に纏う装束には、微少なりと『陰の力』を抑える効能が宿る」
それを聞き咎めてディランが問い直す。
「……それはあの『刀』と『箱』が“同質の力”を持つということか?」
「そうだ。あれは桐生の『至宝』でな――詳しくは知らぬが、ごく少量とはいえ『箱』の力を呪具として象ったモノ――そう思ってもらえばいい」
「少量……」
「そうだな……『箱』の力を“地球規模”と見立てるなら、桐生の『至宝』はここLAくらいか」
「――何だか、大したことのないように思えてしまうな」
微妙な表情をつくるディランに「ヘタクソか!」とツッコミを入れられた気分になったのだろう。慌てた『巫女』が補強する。
「い、いいかっ。量は少なくとも“同質”というのが肝心なところだ。光陰流の『光』は主に“実”を旨とするが『陰』は“虚”を旨とする。戦いにおいて最も厄介なのは“虚”を突かれることであり、あの呪具があればその部分が最も強化される。自慢の鉄砲もヤツに対しては何の気休めにもならんぞ!」
「……だから
あらためて、ディランが目の前に差し出されている布きれ――『護符』を見やる。
「そうとも」
若干、鼻息荒く胸を反らす『巫女』。「有り難くいただけ」とさらに突き出される白布をそれでもディランは
「どうした、早う受け取れ。『護符』に
バシリと掌を叩く勢いでディランが『護符』をひったくる。「いたたた……」と掌をひらひら揺らす『巫女』を尻目にディランは憮然と言葉を投げた。
「……恥じらいを覚えろ。違う効能が出たらどうする」
「待て」
背に掛けられる声をディランは無視して後ろの車に向かう。リディア達に一声掛けるために。
「待てと言うに」だが粘る『巫女』の声に含まれた切実さがディランの足を止めた。
「
思い切って吐かれた声がディランの背にあたる。それが彼女の名前であると気づき、自身がまだ名乗っていないことも思い出してディランが口を開けば、時既に遅し――リムジンのドアが閉まる音を耳にした。
そのまま数秒。口を閉ざし、振り返ることなくディランは歩き出す。その瞳に未練はなく何事もなかったかのように。
「いいの?」
ディランを迎える人影はふたつあり、そのうちのひとつから問われたが、自然にスルーした。
「ヤツがくる。お前達は
リディアが開き掛けた口をつぐみ、唇を引き結ぶ。クレイグは無言で頷き、「
食い入るように向けてくるリディアの視線をディランは静かな面差しで受け止める。
「俺が戻らぬときは、これをマルコの墓に」
口を開かぬリディアに、ディランはジャケットから取り出した小箱を差し出した。パーティが始まる前に渡すつもりが、一度出しそびれたが故に、二度と手渡すことができなくなってしまっていた。
「できれば、後で回収して“俺の銃”も一緒に」
元々はマルコから贈られた“マルコの銃”だ。元に戻す意味もあれば“自身も共に”という意味もある。
両親の墓はマルコの最も大切な女性の墓と共にあり、マルコもそこで眠る予定でいた。自分も含め、いずれは皆で一緒になれると思えば、もはやこの世に未練などあろうはずもない。
どこかすっきりしているディランの表情を、それとは真逆の痛みに耐えるような表情でリディアは見つめる。
「ディン。貴方には――」
固い言葉をリディアは途中で呑み込む。
まぶたを軽く閉じ、再び開いたときには強い光がその黒瞳に宿っていた。
「貴方は、勝たなくてはいけない」
力強くディランに訴えてくる。
「勝たなくては――負ければマルコの死を肯定したことになる」
「――ああ。分かってる」
視線を切ったディランがリディアを残して道端に避ける。その身から斬れるような闘気を静かに放ち、相貌は厳しい戦士の顔つきに切り替わっていた。
安堵を胸中に満たしたであろうリディアは、己が知るボスのいつもの姿を見届けた上で車に戻った。 二台の車がその場を去り、月明かりの下で眠る荒野の植物や岩塊とディランだけが残される。
時刻は午前三時を迎えようとしていた。
朝を迎えるにはまだ早いが、もう少しで明けるといっても過言ではあるまい。
夜気の密度が最も高まる時間帯。
ディランが冷えた夜気に身を晒してから、さほど時間は経っていないはずだ。
「――待たせたか」
「いや」
いつの間にか、街の方に続く道の中央に人影が佇んでいた。それまで気配が感じられず、ふいに湧いたとしか思えぬ出現振りを内心でどう思っているのか、ディランの表情に変化は見られない。
「銃器しか扱えぬ『毛唐』に『前鬼』や『後鬼』が殺られるとは正直思わなかった」
「見解の相違だろう。普通は銃器の方が圧倒的に
言い返すディランを無視して桐生はわざとらしく左右を見回す。
「お前だけか?」
「ああ」
「あいつらを倒したくらいで、俺を舐めすぎだ」
若干語気が強くなる桐生にディランは懐から愛銃コルト・ガバメントDSを取り出してみせる。
「俺にはコレがある。そして“秘策”もな」
「ほう」
桐生はそれで納得したらしい。声の響きに侮りはない。
「『箱』の話しは聞いた。いかにお前の『刀』が凄くても開封された『箱』の暴力的な力には抗えまい。そうまでして魔境の地で何がしたい?」
「知ってどうする」
「何も。ただ、
「地獄だ」
ぽつりと呟かれたために、ディランは思わず聞きそびれそうになる。確かに今、桐生は「地獄」と口にした。
「“魔境”ではない――“
正気を疑う言葉に思わず絶句する。“魔境”が“地獄”であろうと結果的に同じ意味――狂人の戯言だ。
社会に馴染めず恨み、歪んだ
「俺は地獄に行って、会いたい奴がいる」
「……何だと?」
「俺には俺の目的がある。誰にも邪魔はさせん」
断ち切るように桐生は口を閉ざす。不可解な言動に疑念だけが渦巻くが、会話を遮断する心理的障壁が分厚くディランはこれ以上の会話を諦める。
元より話し合いをするために待っていたわけではない。桐生を知って殺意を鈍らせることはないが、益になることがないのははっきりしている。
「“荷物”を渡すか否か答えてなかったな――」
ディランは体内で“戦意”を練り上げつつ、言葉を重ねる。
「“荷物”を渡すつもりはない」
「なら――」
「――死ぬのはお前だ」
皆まで言わせず遮って、逆にディランが桐生へ宣告する。
悠長に戦り合うつもりはない。ペース配分など考えず、全力で肉体を暴れさせ、常に一撃必殺を桐生に叩きつけてやるだけだ。
一瞬で殺せるならそれがいい。
己の意志を眼光に込めるディランに、予期せぬ逆襲で目を見張らせていた桐生もすぐに理解したようだ。
「……いいだろう。全力で相手してやる」
桐生が胸前に手を伸ばし、首からネックレスのごとく下げている二枚の札をつかみ取る。あれは確かマルコ邸の中庭で見せた、招待客を凶人化させる呪符では――?
緊張するディランを前に桐生の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「これは俺の国で古くから伝わる“昔語り”に出てくる伝承の『三枚の札』でな――」
ふつり、と札を引き千切る。
「――この場に相応しい術を発現させてくれる。見ろ!!」
札を口元に近づけ、何か呟くと桐生は手指で挟んだ札を黒刀の刀身に絡ませ、根元から切っ先へとさっと滑らせ手を放す。
一体何を――?
いや、手法に変化はあれど一度は見たはずだ。
宙に舞う札を思わず魅入ってしまいそうになるのを強固な意志でねじ伏せて、ディランは辛うじて瞼を閉ざすことに成功する。
――――!!
やはりというべきか、迸る閃光を瞼の裏で感じ取る。閉じていても分かる白い輝きは、この場に一人しかいないディランの精神を絡め取ろうとした術の働きか。
だが闇夜を取り戻し、目を開けたディランが目にしたのは、周囲に湧き上がった文字通りの人影達であった。それが閃光に照らされた植物や岩塊の影から産まれ出でたモノとは目を閉じていたディランには分かるはずもなかったが。
「一対一が多対一――確かに最も分かり易い効果だな」
人影の数と所持弾数とを念頭に置きながら、ディランは憮然とした声で独りごちた。