(1)望まぬサプライズ

文字数 5,456文字

PM7:41 LA ビバリーヒルズ高級住宅街
      マルコ・ロッシュ邸(中庭)――


「やあマルコ。“おめでとう”で、いいのかな」

 主役の登場に招待客から次々と声がかけられる。親しみや極度の緊張、中には若干の戸惑いをみせる者もいるが「もちろんだとも」と壮年は気にした様子もない。

「老いとは“熟成”に他ならない。男の深みが増すと思えば、年を重ねることに楽しみさえ感じるよ」

 そうして滅多に見せぬ笑顔を浮かべる。常に付き従うディランでさえ、年に数度としか見たことがない笑顔を。
 そんな歓談を愉しむ壮年から、わずか数歩ばかり下がっただけの位置にいるディランには、声を掛ける者は誰もいない。
 見た目は黒の短髪に黒い瞳、割と端正な顔立ちは童顔で、黒縁の眼鏡でもかければ、どこぞ名家のご子息然として見え、乙女も悪女も放っておかぬと思われるのに。
 なのに、現実は“見えない磁場”があるかのごとく、ディランを中心にきれいな“無人の円”を描いている。
 それは“組織(ファミリー)”の幹部に対する態度として、甚だ礼を失する行為ではあるのだが、咎める者は誰もおらず、当人さえも不愉快な表情をその鉄面皮に示してはいない。
 あるのは、ただ、荒涼たる大地に吹く風に、怯まず敢然と挑み続ける遠き日の開拓者がごとき厳しさ(・・・)だけだ。その決然たる覚悟に満ちた双眸は、立ち塞がるものあらば、いかなる手段(・・・・・・)も辞さずと知らしめる。

 そしてもうひとつ――。

 客達は無意識に気づいているのだ。
 ディランの身に瘴気のように纏わり付く、血と硝煙の濃密な匂いを――いや、実際に“臭気”を嗅いだのではない。
 ただ、感じ取っているだけだ。
 羊や牛が捕食者の気配を察知するように。

 “危険な薫り”を――。

 かくして、今宵もまた無人の野を行くがごとく、ディランは誰にも邪魔されることなく壮年の後を追い、自らに課す護衛の勤めを全うする。

 いや、するはずであった――。

 招待客と挨拶を交わしつつ、芝上を進む壮年より、ほどよい距離間で背後に控えていたディランへ、黒服に身を包んだスタッフがスマホを差し出してきた。

「ミスター。エリン様から電話が入っております」
「エリン?」
「イエス。何か緊急の――」

 スタッフがさらに続けようとしたところで、ディランの手が翳された。制止の理由は、すでに何かを注視する彼の視線の先にあった。
 歓談する招待客達の間を大きめの箱を乗せた手押しワゴンが近づいてくるのが見える。今宵がマルコの誕生日会(バースデイ・パーティ)であり、ラッピングされた箱に有名スイーツ店のロゴが描かれているのをみれば、何が登場したかは容易に想像がつく。
 事実、給仕の手押しワゴンに道を譲る招待客達が笑顔で協力するのは皆同じ想像をしているからだろう。
 当然、受取人の側近たるディランも客たちに(なら)いワゴンの誘導に協力するはずであった。――壮年がこの手の趣向に、関心を示して(・・・・・・)くれていれば(・・・・・・)

「ディランだ。南手より手押しワゴンが接近」

 すぐに腰のポーチから無線を取り出し警護班の本部に連絡を入れた。
 今宵は邸内にある『監視モニター室』を仮本部とし、通常の警備業務に加え、中庭で開かれている誕生日会の保安管理も含めて統括している。
 当然、パーティにおけるイベント進行から関連資材・スタッフ等のすべての情報を有しているので、ディランが不審情報を流せば、即座に警戒体勢をとり、平行して情報の照合・分析した結果を返してくることになっている。
 連絡してから10秒と経たずにディランの無線に返答が入った。

「こちらブロウズ。報告のあった件については『不明事案(アンノウン)』と推定。なぜなら、宴席(フィールド)の芝条件を勘案し、給仕の手法として手押しワゴンの運用を見送っているからです」
「ならばイベントは?」

 あくまで念押しに過ぎぬ質問も想定済だったらしい。間を置かず、だが、今度は無線越しにも感じられる緊張感ある回答が、ディランの疑念を確信に変えた。

該当無し(ネガティブ)。メイン会場たる宴席(フィールド)以外の併設イベントも含めてすべてのイベントを確認(チェック)しましたが、ワゴンを用いた演出は、いずれにも入っておりません」

 ならば、視界に映るあれは何だと――?

 警備班長であるブロウズの確たる返答を耳にした時には、ディランは傍で立ち尽くしていたスタッフを下がらせ、ワゴンを運ぶ給仕の挙動に鋭い視線を向けていた。

 “表情”や“歩み”は勿論のこと。
 ハンドガイドを握る手。
 笑顔で向ける視線。

 意志を持って動く人間のあらゆる挙動には、必ず何らかの示唆が含まれており、見る者が見れば、実に多くの情報を得ることができる。
 ディランは数秒で多くの事項をチェックしたが給仕の挙動に違和感は見出せなかった。それでも無言で手を掲げワゴンを制止する。

「おい、どうし――」
「しっ」

 近くの客も空気の異変に察したらしい。
 明快な“警戒”の意思表示に、気づけば周囲の客人達による会話が途切れていた。

 その距離わずか5メートル。

 銃による平均的な交戦距離は6、7メートルで起きているとするFBI(連邦捜査局)の調査報告があるという。
 拳銃の殺傷性能が30メートルとして、人体に当てるだけなら20メートル――射手が“抜き打ち”に慣れてるならば、今、互いの距離が5メートルであることの意味するところは説くまでもない。

 専門知識のない民間人といえど、銃社会に生きる者が、この距離で産み出された緊張感の意味に無頓着でいられるはずもない。

(涼しいものだな――)

 顔色を変えるどころか、制止された給仕の顔には困惑の色さえ浮かんでいなかった。むしろその態度に、ディランは初めて、捉えることのできなかった“違和感”をはっきりと掴みとる。

 確信すると同時に、躊躇なくワゴンへと歩み出す。

 手は自然と脇に下げたまま、その実、見る者が見れば一分の隙もない慎重な歩みで。懐に秘めた愛銃の存在は、招待者ならば誰もが承知しており、警護員を除けば、彼にのみ許された特権だ。

「ねぇ、ママ――」
「ダメ。お願いだから静かにして、エリス」

 片袖が風に揺れる違和感に、気づいた年端もいかぬ少女が指さすのを、母親にそれとなく咎められている。
 招待客でディランの事情(・・・・・・・)を知らぬ大人は誰もおらず、むしろあえて気づかぬ振りをしていた。

 ディランが実力で(・・・)マルコの“右腕”と認知させたが故に。

 事実、異論を唱えて生きている者は、銃を手にしなかった者だけだ。
 そんなディランが目前に迫っても、あくまで穏やかに微笑を浮かべたままの給仕に警戒心を最大限に引き上げつつ、断りも入れず箱に手をかけた。
 給仕の瞳に揺らぎはない。

(勘繰りすぎか――?)

 そのまま無造作に蓋を開ける。


 ――――生首(・・)?!


 あまりに想定外すぎる中身に、しかしディランは一瞬の遅滞なく、懐からの抜き打ちで給仕に銃口を突きつける。
 支障となるジャケットを着た上で、1秒とかからぬ瞬速の早抜き(クイック・ドロウ)――組織内で“最速”と謳われる抜き打ちは、これまで敵対する者に応戦の余裕を与えたことはない。
 それも左腕で。
 利き腕は遠き日に失っていた。

「何の真似だ?」

 ディランの言葉は硬い。2年前に終結したメキシコやコロンビア系組織との長き抗争を通して“残忍な手口”は散々見せられてきた。
 裏社会で生きるディランの精神でさえ擦り切れるほどに容赦がなく、恐怖を感じるよりも吐き気を催す行為に虫ずが走った。
 アレ(・・)を思い出させられた“不快さ”にディランの頬がひりつく。その凄みだけで十代のギャングなら声を詰まらせ、思わず小便を漏らすだろう。
 給仕の笑みは微も揺らがなかったが。

(こいつも同じか――)

 諦観と共に、訪れた“平穏”がたった2年で終わりを告げたことをディランは悟った。
 舌の上に苦いものを感じる。ゆっくりと胸中に満ちてくる諦観を、だが、下腹に力を込め吹き飛ばす。
 すべき事はわかっていた。

 2年前と同じだ。

 敵の心をへし折るために“残虐性”をアピールするのは彼らの常套手段であり、ディランはそれを“苛烈さ”で圧倒した。
 尻込みする幹部を叱咤し、躊躇なく100万ドルを投入して軍隊に匹敵する装備を整え、闘争を戦争(・・)に変えた(・・・・)
 ささいな戦闘にさえ惜しみなく弾薬をまき散らし、継戦能力を失った相手でも一度敵対すれば容赦なく止めを刺していった。
 奴らの“やり口”を真っ向から否定するように。
 敵をいたぶることなく、ただ、殺害した。

 確実に。

 徹底的に。

 己が先陣を切ることで味方に無言の檄を飛ばした。

 ――視界に入るだけで殺される。
 ――“隻腕”に関わるな。

 陳腐な都市伝説のごとき噂が裏社会に広まるだけでなく、誰もが本気で信じたほど凄愴な戦いだったということだ。
 あの戦争で、ディランは『No.2』の地位を組織内だけでなくLA中に認めさせることとなった――。

 また、あの血と硝煙にまみれる争いが始まるのか。

「ひっ――」
「くぅっ」
「に、逃げ……っ」

 周囲から上がる悲鳴は、“凄惨なプレゼント”に気づいたからではなく、ディランから立ち昇る“異様な殺気”に反応したせいであった。

 それを“狂気”と言ってもいい。

 戦鬼と化したあの頃(・・・)の感覚が蘇り、不安定で荒ぶるままの殺意がディランの身中でうねり、胸を高ぶらせる。
 給仕が小指の先でも動かせば、即座に7+1発の45口径弾を全弾ぶち込んでいるに違いない。それほどの危うさ(・・・)がディランの身より醸し出されていた。
 それなのに。
 ディランと給仕――二人を中心に波のように人の輪が広がる中、急な状況変化に思考が追いつかないのか、当の給仕だけは、銃を目前にしながら笑顔のままであった。いや、視線は一度も銃口に向くことなく、あくまで背後の壮年――マルコへと確かな意図を示して向けられている。

(――こいつ?!)

 ディランが疑念を抱いたときには給仕の表情から笑顔が抜け落ちていた。
 無表情という名の表情が、むしろ給仕の“素顔”だとわけもなく確信する。

〈“子の不始末は親の不始末”〉
「何だと?」

 応じたのは壮年だ。“不明な言語”に不審を表すが給仕は承知の上だったらしい。今度は流暢(りゅうちょう)な英語で用件を伝えてくる。

「お前の身内が駄々をこねて(・・・・・・)契約の履行を拒んでな。あまつさえ、屁理屈を捏ね上げ(・・・・)、値段を吊り上げる恥知らず振り……躾をした“親の顔”を見たくもなろうってものだ」

 それで乗り込んできたというのか、こんな手の込んだマネをして? どうにも腑に落ちぬ状況に当惑を隠せぬ壮年が問う。

「契約? 失礼だが――」
ごたく(・・・)はいい」

 見た目三十代で出せると思えぬ“凄み”のある声が、その倍する時間、裏社会で生き抜いた壮年の言葉を問答無用で断ち切った。

お前に(・・・)与える選択肢は二つ――契約に従い“荷”を渡すか、それとも死ぬか好きな方を選べ」

 あまりに一方的で、かつ不遜な給仕の振る舞いに、「貴様」と憤りを見せるディランが壮年を庇うように踏み込んで、その身を割り込ませた。
 銃口はぴたりと給仕の額に合わせたまま。

片わ(・・)が俺の前に立って何とする?」

 給仕の無神経な暴言に、周囲の空気が凍り付く。彼がただ者でない雰囲気は伝わっているものの、それでも対峙しているのはLAで最も危険な男の一人だ。それを――

 分かっているのか、あの男――?!

 だが、傍観者たちの脳裏を即座に過ぎったのは、給仕の心配ではなく、巻き添えを食うに違いない自分たちの心配だ。なのに足は地に根を張ったように動かせず、ある者は妻の肩を、ある者は娘の手を強く握りしめ、二人の対峙の行方を固唾を呑んで見守ることしかできない。
 その場にいる全員の、声にならぬ非難を一身に浴びながら、しかし給仕はさらに言葉を連ねる。

「立ちはだかるなら、子供も女も老人も、等しく排除するだけだ。――無論、お前のような者(・・・・・・・)も含めて」
「奇遇だな。俺もその口(・・・)だ」

 淡々と事実を述べるかのような給仕に、同質の声でディランが応じる。
 いつもなら既に撃っている。不愉快な暴言を耳にすることもなかったろう。
 だが即座に引き金を引かないのは、先の意味不明な給仕の言葉に真意を探ろうとする慎重さ故であった。その判断を一生後悔することになろうとは。

「――――っ」

 背後でただならぬうめき声が聞こえてディランが思わず振り向くと、壮年の側頭部に突き立つ銀のナイフが真っ先に目に映った。

 ――――――!

 時間にして1秒に満たない寸瞬だったろう。あまりの衝撃に“時が凍りつく”という事象をディランは文字通り体感していた。
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登場人物紹介

ディラン・ウェイアード。黒髪黒目。マルコファミリーのNo.2。【役目】警備主任(ボス専属護衛者だが、攻撃部隊の指揮もとる)。LAでの通り名は『隻腕』『戦鬼』

『彫刻師』。マルコの誕生日会を襲った怪人のひとり。『邪淫の銀縛』なる鎖を全身に纏い、銃弾すら跳ね返す絶対防御を誇る。

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