第8話 最後に。老子についての疑問と

文字数 1,321文字

 気になる存在、老子。
 近代では、存在していたことは当然ということになっている。学者、研究者が、老子解釈に用いるのは、老子の生きていた時代に近い文献、残っている資料で、そこからさまざまに「老子の言いたかったこと」、その主張を明文化する。
 私がこの「中国思想史を想う」、弱すぎる文を書くにあたって、参考にしたのは中央公論社の「世界の名著・老子荘子」、レグルス文庫の「中国思想史」講談社学術文庫の「老子・荘子」(いずれも森三樹三郎著)。
 何回も読み直して、頭の中に残ったものを自分なりに消化したつもりになって、書かせて頂いた。
 最後に、老子についての疑問。老子は、政治についても言及しているけれど、納得できない、分からなさがあって、それを書かざるを得ない。

「無為の政治」、これはほんとうに可能かということ。また、老子は「何もしなければ自然の力がはたらいて、物事は良い方向に進む」と断言しているけれど、ほんとうにそうだろうかということ。
「為政者は民に、いいものを与えてはいけない。こんないいものがあると、知らせてはいけない。それを欲しがる欲が生まれ、今あるものに満足しなくなる。それは不幸の始まりだ」
 そこまで、いってしまっていいのか、と思う。老子の言いたかったことは、分かる気がとてもするけれど、ちょっと、いいすぎではないかと思う。

 荘子は、政治的なことよりも人間の内面、人間そのものについて目を向けた人で、疑問も持たず、その文を楽しく、読めた。けれど、老子は、どうも分からない。「分かられる」ことを老子自身が拒否しているような気配も感じる。

「世界の名著」の解説に、中国人特有の考え方、もののとらえ方が記された箇所があり、それが印象に残っている。アーサー・H・スミスさんという宣教師が30年、かの国に暮らした際に書いた記録本から、森さんが引用していたもの。
「西洋人だったら、嘆くような環境、運命を呪うような状況にあっても、この国の人々はそれを淡々と受け止めている。今生きていることに、どんな不幸があっても、めげない。それは驚異的なほどである」
「メイファ(仕方ない)という言葉を、明るく使う」
「農耕民族であるから、自然に対する畏敬がある」
 等々、ともかくタフな、生きる力のようなものが、元来備わっている人たち、という印象。

 また、ギリシャ哲学のような論理的な展開を為さなかったのは、中国語という言語の形態、様式が、大きく影響しているということ。
 日頃使っている言葉、その人々を立たせる土地、国ならではの慣習をいえば、世界のあらゆる国々が、すべて独特のものと言えると思う。
 ただ、やはり最大の国の問題は政治だろう。日本もそうだけど、中国もひどい。犠牲になるのは、いつも一般市民だ。これを、一体、どうしたらいいのかという…

 公害問題でも、日本は高度成長期に、水俣病や光化学スモッグ、環境面、人身面で大きな大きな過ちをしたはず。原発だって、とんでもないものだ。
「こういうことをすると、ひどい結果になる」「経済ばかりを重く見る社会では、こんなふうになる」ことを、地球市民として、忠告し合ったり、聞き入れたりして、うまくやって行くことはできなかったかと思う。
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