第6話 荘子

文字数 1,945文字

「地上には野馬がゆらぎ立ち、塵埃がたち込め、様々な生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした空は、天そのものの本来の姿なのだろうか。それとも、遠く果てしないために、あのように見えるのだろうか。おそらくは、後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見下ろした場合でも、やはり青一色に見えていることだろう」
 荘子は言う。下から見ても、上から見ても、遠くに見えるのは同じ青一色だろう、と。

「万物斉同、絶対無差別」を、荘子は思想の根幹におく。万物は、「1」から生まれた、分け隔てのないものである。それを人間は「2」に分ける。分かる=分ける、理解するというのは、ものを分ける行為であって、そこから差別が生じてしまう。万物には、本来、差別などないのに。
 上下関係とか、人種差別とか男女の性差とか、ちゃんちゃらおかしいではないか ──

 美があるからには醜がある。優と言えば劣が生じ、善と言えば悪が生じる。しかし、そのような相対から成り立つものは、真ではない。真理は、相対対立を必要としない。つねに一つなのだと荘子は言う。
 言い争いや諍い事は、「自分の言い分が正しいことである」と双方が主張することから始まる。それは対立する相手があって、初めて自分が正しいと言えるのであって、そんな対立がなければ立てない正しさなど、正しいわけがない。すなわち、真ではないということだ。

 荘子の生きた戦乱時代、政治家を目指していた多くのエリートたちが職を失った。失業者となった彼らは、為政者に「このような政治をするといい」と進言する、アドバイザー的なことをして、臨時的に雇われ、収入を得ていたという。自分の進言主張が採用されるために、職にあぶれたインテリたちは各々の主義主張を唱えた。
 荘子は、エリートの言葉使い達が、自分が正しい自分が正しいと言い争う「政治コンサルタント」集団に加わらなかった。
 老子と同じく、その目線は、悠久的な、永遠的な「真」のものに向いていた。ただ、老子が、孔子への反発を強めて政治的なことを言っていたのに対し、荘子はどこまでも人間の内面に目を向けた。存在、生命、そこから始まる宇宙的な流れの輪へ飛んでいった人のように、私には思われる。

 荘子が「死の哲学者」と呼ばれていたのは、死は、むしろ喜ばしいことだというニュアンスで書いていたからだ。生きることばかりがヨシとされ、死ぬことが疎まれるのは、「万物斉同」「絶対無差別」の荘子からすれば、生命の差別化に繋がってしまう。それはとんでもないことで、荘子には断じて受け入れがたいものだった。

 この「荘子」という書物には、妻が死んだとき、盆を叩いて歌っている、荘子自身と思われる姿が描かれている。
「長年連れ添った奥さんが死んだというのに、ちとひどいのではないか」
 弔問に訪れた友達の非難へ、かれはこう答えている。
「いや、違う、そりゃ、わしだって、悲しんでいなかったわけではないよ。だが、考えてみれば、妻は元の世界に還っていくのだよ。我々はあっちから来て、束の間のこの世にいるのだ。これからあっちへ戻ろうとするものを、引き止めるようなことはしたくない。」

 インドから仏教思想が入ってきたのは、老子と荘子の思想が、かの国に浸透していく頃だった。中国人は、この「輪廻思想」を大歓迎したという。「何回も生まれ変われるなんて、なんて素敵なことだ!」と。
 インドには古来から「生きるのは苦である」とする考え方をする土壌があったから、生まれ変わることに対して、おそれる見方をする人々が一般的だった。だが、中国にはそのような思考の仕方は皆無で、「苦を苦としない」「生きることがイイのは当たり前」とする民族性があった。仏教が受け入れられ、流行する状況の中で、荘子は異端すぎる存在であり、老荘思想も一時、消えかけたという。
 それでも、忘れ去られることなく、地下水脈のように今も流れ続けているということは、人間にとって必要な、捨て切ることのできない思想であるからだと思わざるを得ない。いや、人間に限らぬ、もっと大きな、生命とか空気とか、この世の「存在」のようなものが、荘子の思想を必要としているように思える。

「胡蝶の夢」は有名だ。
 夢の中で、荘子は胡蝶だった。だが、目が覚めれば、胡蝶ではなく、荘子自身であった。
「胡蝶が、私の夢を見ていたのだろうか。それとも私が、胡蝶の夢を見ていたのだろうか。私には分からない。けれども、私と胡蝶とでは、確かに区別があるはずだ。なのに、区別がつかないのは、どうしたわけか。それはほかでもない、これが変化というものなのだ」

 戦乱時代を生きた荘子からすれば、戦国時代も、過去にあった平和な時代も、「変化」を「私」が見ただけであった。
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