第11話 荘子を読む(3)無有
文字数 486文字
「先生は存在しておられるのですか。それとも、存在しておられないのですか」
だが、返答は得られなかった。そこで、その様子をよく見つめようとしたが、まったく漠然としていて、つかみどころがない。
1日中見つめたが、ついに見ることはできず、声を聞こうとしたが聞くことができず、手でたたいてみても、一向に手ごたえがない。
「これはたいしたものだ。誰がこのような境地にまで達することができるだろう。私は無を自分のものとすることはできるが、無をなくしてしまうというところまで行けない。無さえもなくすところまで到達するということは、私などには、とうてい及びもつかぬことだ」
── 「私」は存在しているのか? 私は自問する。存在している、と自答する。
ほんとうに? と、また問うてみる。
… 存在している「はずだ」と、「私」が答える。
たぶん。
きっと。
だんだん、あやしくなってくる。
この「先生」は、無有という名の人物として描かれている。無を有しているのではなく、いっさいの有、さらに無さえも無くしている存在として。
「先生」は、どこにいるのだろうか。弟子の目には、存在しているようだが…。
だが、返答は得られなかった。そこで、その様子をよく見つめようとしたが、まったく漠然としていて、つかみどころがない。
1日中見つめたが、ついに見ることはできず、声を聞こうとしたが聞くことができず、手でたたいてみても、一向に手ごたえがない。
「これはたいしたものだ。誰がこのような境地にまで達することができるだろう。私は無を自分のものとすることはできるが、無をなくしてしまうというところまで行けない。無さえもなくすところまで到達するということは、私などには、とうてい及びもつかぬことだ」
── 「私」は存在しているのか? 私は自問する。存在している、と自答する。
ほんとうに? と、また問うてみる。
… 存在している「はずだ」と、「私」が答える。
たぶん。
きっと。
だんだん、あやしくなってくる。
この「先生」は、無有という名の人物として描かれている。無を有しているのではなく、いっさいの有、さらに無さえも無くしている存在として。
「先生」は、どこにいるのだろうか。弟子の目には、存在しているようだが…。