第3話 荀子

文字数 1,133文字

 孟子の「性善説」を立たせた土台。
・人間は、他人の不幸を哀れむ情をもっている。
・人間は、悪事を恥じ、憎む心をもっている。
・人間は、目上の者にへりくだり、譲る情をもっている。
・人間は、物事の正、不正を判断する能力をもっている。

「それなのに、なぜ人間は悪事をはたらくのか?」
「環境に原因がある」と孟子は言う。
 凶作、食物が不作の年、不良少年が横行する。それは経済的な貧窮がそうさせるのであって、その条件を改善すれば、悪事などはたらかぬようになる、と。
 しかし、「生まれもって人間が善であるならば、どんな環境にあっても悪事はなさないのではないか?」という意見に対しては、口を閉ざしている。

 孟子が、死ぬか死なないかという晩年に、「性悪説」の荀子が現われた。同じ、孔子の後を継いだ「儒家」のひとりだが、この人は「人間は欲望の塊であるから、放っておいたら大変なことになる」と主張し、先輩の孟子と真っ向から対立した。
 荀子としては、法律を厳格化し、民を縛りたかった。だが、それでは孔子の教えに反してしまう。かれは、深いジレンマに陥った。
 荀子の登場した頃は、戦乱も一層酷くなった時期で、かれは性悪説を唱えざるを得なかった、性悪説は、かれの本意ではなかった、という見方もある。性格的にリアリストで、師匠である孔子と似ているが、その師を飛び越えてしまうほど現実家であった。

 時代は繰り返す、荀子の横には、すぐ「法家」が、やはり罰則、法律を民に被せて、この戦乱を抑え込もうとした人々がすぐ横にいた。もう一歩のところで、荀子は法家の人となっても全くおかしくなかった。
 私は荀子の苦悩を想わずにはいられない。思想、あの偉大な凡人、孔子によって自分に根づいた思想。しかし、やはり人間は凶悪だ。この殺し合いの世を鎮めるには、法に頼るしかないではないか…

 結局、孔子から始まって2000年の間、かの国を支えた儒家思想、その門下からは孔子以上の人間は現われなかった。むしろ儒家を否定する「道家」、すなわち老子と荘子の思想を生んだ功績の方が、大きかったように思われる。
 とりわけ、孟子、荀子とほぼ同時代に生きたといわれる荘子の思想が、何としても広大無辺で、空気のように人間に必要なものとして、永遠に読まれていく、生命の拠り所のように思われる。

 しかし、やはり見捨てられない、あの偉大な凡人、孔子の存在。あの常識、平凡すぎる、今となっては、その主張は、地平線、平坦な水平線、凸も凹もない、平坦で一筋な、巨大な一直線。その道徳教育は、日本にも大きすぎる影響を与えている。
 儒家への反発から生まれた、極端な方向に走った特異な存在として、ほとんど歴史書から消されたような墨子の存在も無視することはできまい。
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