第14話 賢者の石から

文字数 1,865文字

 荘子の言いたかったことを、私は知っているつもりになっている。だが、漠然と、だ。
 漠然というのは、とりとめがないから、気体のように私の中に入ってくる。だがそれは私を包容し、私はその中で自由に飛びまわっている。
 私がすがっている「荘子」の訳者、森三樹三郎という人は、漠然とではなく、明確に荘子をとらえている。ここで私が学んでいることは、「思想というものは、そこに生きている国、そして時代を度外視することはできない」ということだ。

 荘子を知る具材として、森三樹三郎が引いたアーサー・H・スミスの「支那的性格」の一節がある。
 このスミスという人は、1872年に中国を訪れ、30年間にわたって農村や都市で民衆の生活に接した、アメリカの宣教師だそうだ。少し長くなるが、その「支那的性格」の「中国民族の運命観」によると(これも私が荘子の魅力を書き切れないための、引用なのだが)、

「中国人は、自分では全く気づかずにいるが、宿命論者である。… 中国人の実践的な天の概念は、全く漠然としたものであって、実相は単に『運命』である。
 彼らは天を怨まず、運命を呪わない。彼らは貧富に処する道を知り、富むもこれを楽しみ、貧しきもまた楽しむという、足るを知っているのである。
 彼らも、もとより幸福を望む。しかし、われわれと違って、おのれのできる範囲の幸福を望み、それ以上を願わないのである。衣食に乏しい庶民までが、われわれには驚異と思われるほどに、泰然としている。
 彼らには、多くの他の国民の特徴、特に19世紀末における特徴であるところの、落ち着きのない不安というものは見いだされない。

 中国人の辛抱強さは、外国人に深い感銘を与えるが、きわめて激しい天災が起こったとき、いたる所でその光景を見ることができる。中国人の生まれながらの楽天的な資性が、最もよく現われるのは病気のときであろう。彼らの楽天性は、病気に呻吟するときにも失われることがない。
 中国の患者たちが極貧で栄養も悪く、いろいろな病気をわずらって家を遠く離れ、ときには親類縁者からも見捨てられ、将来に何の光明もみられない時にも、しかも悠然として平静を持しているありさまを、われわれはいくらでも知っている。
 同じ事情に立ち入った場合に、アングロ・サクソンは必ず神経質に焦慮憂悶するのが特徴である。上記の中国人の例は、われわれに対する、無心にして不断の戒めではあるまいか…」

 これを受け、森三樹三郎さんは「農業は自然環境の影響を最も受けやすい産業であり、農民の長いあいだの生活が、老荘の無為自然や運命随順の思想を培ったのであろう。そこでは、自然を征服するとか、みずからの運命を開拓するとか、そういった思想が生まれにくかった事情が考えられる」としている。
「しかし問題は」と森さんは云う、「この運命に対する態度が、どのような評価を受けたかということである。近世におけるヨーロッパ文明の圧倒的な勝利は、東洋人の自然観、運命観を根底から揺るがすことになった。
 知足安分や、与えられた運命のままに生きよといった思想は、消極的なあきらめ主義として、何よりもまず克服しなければならない悪徳とされるようになった。

 だが、はたして、そうだろうか。ヨーロッパ文明の勝利は、いかなる時代にも見られなかった豊かな物をもたらした。しかし同時に、それは満たされざる心と組み合わされたものであった。
 満たされざる心 ── それは貧しい心と言えるのではないか。
 アーサー・H・スミスは、不安を19世紀の特徴だと言ったが、それは20世紀の半ばをすぎた今日において、いっそうはなはだしくなっているのではないか。

 20世紀こそ、まさに不安の世紀であろう。思うに、人類の永遠の課題として残るものは、釈迦が示した生老病死の四苦ではないであろうか。
 この世に生まれ、ままならぬ愛欲煩悩のとりことなり、やがて老いさらばえて、病いの果てに死ぬという、人間の永遠の運命に対して、政治や科学がどれだけの寄与をなしえたというのであろうか。
 また、どれだけの寄与を期待してよいのであろうか。この四苦が解決されないかぎり、人生の真の幸福もあり得ない。そして、それはおそらく宗教的悟達によって解決されるほかあるまい。
 ともあれ、荘子は中国民族の運命随順の思想を、万物斉動の説によって裏付けながら、それを最大限の規模に展開させた。
 人類に運命が存在するかぎり、荘子の運命論もその意味を失うことはないであろう」

 私は全身を前のめりにして、この森さんの言葉に共鳴する。
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