第107話 二人の橋頭保 ~不器用な二人~  Aパート

文字数 5,277文字



 朱先輩が退いた後、優希君の視線が私から全く外れない。優珠希ちゃんもそうだったけれど、優希君もまた周りを一切気にする事なくあの統括会の時の熱量とは比べ物にならないくらい、熱のこもった視線を向けてくれている。
 私の好きな人、優希君からそんなにまで熱っぽい視線を向けられたら、倉本君やあのメガネみたいに嫌な気持ちになるどころか、本当に辛かったのにもかかわらず、やっぱり気恥ずかしくも嬉しくなってしまう。
 今日の朱先輩から借りた服と相まってどうにも気恥ずかしさをこらえきれなくなった私が、
「……優希君?」
 一声かけると、私と視線が絡み合うのがハッキリと分かる。
「……っ! ごめん。愛美さんに見惚れてしまって……」
 そう言って一度私から視線を逸らす優希君。
 そして何を考えたかすごく悔しそうな表情をする。
「……何を言っても納得してもらえないだろうし、僕がしてしまった事が消えるわけじゃない。それくらいの事をして愛美さんだけじゃ無く、優珠にまで傷付けてしまった。もし愛美さんが倉本

と僕がしてしまった事を、たとえ愛美さんの意思じゃ無くて倉本からされた形だとしても、僕は完全に自信を――」
「――何なのそれ。女の浮気は許せないけど、男の浮気は許せって事? 仕方ないって事? お兄ちゃんがそんな最低な考え方してるなんて全然知らなかった……不潔」
 本当に優希君に対して腹を立てている優珠希ちゃんが、優希君の言葉を途中で切って、本当に今日は辛辣な言葉を並べ立てている。
 本当に優希君が言ってた通り、優珠希ちゃんはそう言う貞操観念はしっかりしているんだなって分かる。
「……」
 もちろん浮気されたって言うか、雪野さんとの色々でボロボロになったのは確かだけれど、金曜日の時にお母さんが言ってくれていた通り、婚前にもかかわらず女の人も平気で浮気をすると言うのなら、女側だけが傷つく事じゃない。
 男の人だって今、優希君が浮かべているような表情をしたって何の不思議もない。
 女の子側も男の子側も本当に相手の事が好きなら、別の人に気移りされたら、浮気されたら悲しいに決まっている。
「……優希君、続けてよ。私はちゃんと優希君の話を聞きたい。私と朱先輩は今日、優希君と優珠希ちゃんの話を聞くために来たんだから」
 そう言いながらまだまだ頼りないけれど、優希君が好きだって、また僕に向けて欲しいって言ってくれた笑顔を向ける。
「愛美さんごめん。口だけ、言葉だけになってしまうけど、何をどう言っても許せないし納得出来ないのも分かる。それでも僕は愛美さんの笑顔も、愛美さんの事も好きなんだ。愛美さんだけが好きなんだ! だから僕は愛美さんと別れたくないし、僕には愛美さんが必要なんだ」
 最後には優希君が頭を下げて謝ってくれるけれど、女の私にはどうして雪野さんと色々したはずの優希君が涙しているのかが分からない。
 金曜日の日は雪野さんから無理やりって言っていたけれど、男の人の力だったら女の人のアレコレなんて力で簡単にどうにか出来るモノじゃないんだろうか。
 ただ、今の優希君の姿を見て、私だけじゃなくて優珠希ちゃんや朱先輩の前で言葉を聞いて、それが本心なんだなって事だけは伝わる。
 でもこの週末は何度も同じ事を思っている通り、女心だってそんなに単純じゃない。
「私の事、そこまで好きだって思ってくれているなら、どうして雪野さんとしちゃったの? お付き合いを始める前に“僕もここから先は初めてだ”みたいな事も言ってくれていたのに、その初めては雪野さんになっちゃったんだよね? ……私との初めては嫌……だった?」
 ――他のどの女の子でもない、愛さんにとっては初めてって
        とっても大切だったんだよって伝えれば良いんだよ――(106話)
 朱先輩の言葉を思い出しながら、一歩、また一歩と優希君に近づく。
 そして女としての、私の気持ちを優希君にぶつける。
「……私でも、倉本君が私に対して本気なのはさすがにわかるよ。次、優希君がいなかったら女の私じゃ倉本君の力に勝てないだろうし、そうなったら今度こそ――」
 ――好きでもない――
「――倉本君に抱きしめられて――」
 ――倉本君相手に絶対にしたくない、許したくない――
「――口づけ、されちゃうかも――」
「辞めてくれ! そう言うの聞くだけでも辛いから辞めて欲しい」
 私の言葉の途中で聞くに堪えなくなったのか、さえぎる優希君。
「最っ低っ! なにそれ。結局全部自分の事ばっかりじゃない! 愛美先輩もわたしもどうゆう気持ちになったのか、これっぽっちも考えてないのも丸分かりじゃない。結局お兄ちゃんも他の男と同じだったって事?」
 真夏の昼間。暑いのがあまり好きではない私が、思わず羽織っていたカーディガンを取り払ってしまう。
 そして優希君の視線が主に私の上半身に釘付けになる。
「……でも、私も倉本君としちゃえば、優希君と同じになれるよ? “初めて同士じゃない”同じになれるよ? 他の女の子はどうかは知らないけれど、私にとっては優希君との初めて、優希君と一緒って言うのは大切な事だったし嬉しかった事だよ。優希君も同じ気持ちだったから私との初デートの時に、あの喫茶店で嬉しそうに私との初めて同士を喜んでくれたんじゃなかったの?」
もちろん嫌いになれるわけがない優希君からの視線は嬉しい。でも私の気持ち、女心をどうしても分かって欲しい。
 

二度とこんな思いをするのは嫌なのだ。

「好き勝手と何と言われても良い。でも愛美さんには今まで通り僕以外の男と仲良くとか、キスとかは絶対やめて欲しい。それと愛美さんが倉本と仲良くするくらいだったら、愛美さんの気持ちに応えることが出来なくなってしまったとしても、僕はもう雪野さんに関わるのは辞める」
 私の気持ちに対して、優希君が金曜日に話してくれた本音を改めて口にする。
「じゃあ、私のお願いは聞いてくれないの?」
 それって雪野さんと再び何か行動されても断り切れないって事なのかな。
 今一歩のところで優希君の中で、雪野さんに未練があるって事なのかな。
「信じられない。お兄ちゃん口では愛美先輩の事好きだ好きだって言うクセに、自分の彼女のお願いも聞けないの?」
 私が寂しい思いをしていると、なんとあの雪野さんの事を全力で嫌っていた優珠希ちゃんが、優希君に私のお願いを聞けと言ってくれる。
「……」
 一方で優希君は口を開けてくれない。
「私より雪野さんの方が可愛いから断ってくれないの?」
 私は蒼ちゃんに怒られながらでも、なんとか倉本君の誘いを断り続けているのに。
「違う! そうじゃない。愛美さんも見た事があるはずだけど、本当に雪野さんの勢いはすごいって言うのか、積極的って言うのか……僕も、もう嫌なんだ」
 途中から優希君の雰囲気ががらりと変わる。
「愛美さんのお願いだから、愛美さんの優しい気持ちも分かるから、僕だって愛美さんともっと一緒にいたいし、愛美さんと、もっとどうでも良い話から、これから先の話だってしたいのを我慢して、雪野さんのフォローに徹してる――」
「――結局全部愛美先輩、女のせい『良いよ優希君。そのまま思っていること全部話して。私はまだ優希君の彼女なんでしょ? だったら彼女である私は優希君の話を全部聞きたい』――愛美先輩」


 優珠希ちゃんが感嘆の声を上げてくれるけれど、何度も言うように私と朱先輩は優希君の話を聞きに来たはずなのだ。
「……」
 その証拠に朱先輩が何かを言う気配も動く気配も何もない。
「愛美さん……ありがとう」
 私の言葉に鼻を啜った優希君が続きを口にしてくれる。
「――それに愛美さん気付いてないみたいだけど、学校にいる間、僕と一緒にいるより倉本と一緒にいる時間の方が長い。この気持ちって言うかイラつき、愛美さんに分かる? 男のくせに女々しいって言われるのも嫌で、愛美さんに男としての器が小さいって思われるのも嫌だって思ってたから言えなかったけど、倉本の事が頼りになるって僕の目の前で言われた時、どれだけ悔しくて倉本にムカついたか。愛美さんがどうかは分からないけど、男だって、好きな女には自分が一番だって思われたいし、他の男の事を褒めるって言うのはムカつく。それに僕は雪野さんの事一回も可愛いとか言った事も褒めた事もない」
 私の言葉の後に出て来る私が考えもしなかった優希君の気持ち。女の子だけじゃなくて男の人もする嫉妬“やきもち”その優希君の“秘密の窓”が二回目大きく開け放たれる。
 それでもまだ優希君の言葉は止まらない。
「なのに愛美さんは、確かに倉本には触れてないかも知れないけど、“今後は”倉本に何かの協力をするって言う話も直接倉本から聞いたし、僕と雪野さんとの事で目に余るようなら愛美さんが間に入って止めるって言ってくれてたのに一回も止めてもらった事もない。もちろん僕が雪野さんにした事は消えないから謝るしか出来ないけど、僕だって“愛美さんと同じ”何もかもが初めてだから、女の人の事は愛美さんに助けて欲しかった」
 優希君が喋り終えた時、肩で息をしているのを見て、本音、本心を全て語ってくれたんだなって分かった。
 その上、優希君の話を聞いて私自身も如何に優希君の話を聞けていなかったか、男の人の気持ちを分かろうとしていなかったのかを痛感する。
 これじゃあ雪野さんや倉本君の事は言えない。
 確かに自分でも何度か思ったはずなのだ。毎週日曜日のデート以外ではほとんど優希君と一緒にいないって。そして雪野さんとの事もそうだ。優希君とのデートの終わりに、雪野さんの行動が目に余るようなら、女同士である私が間に立つって言ったのも私の方からだ。 (87話)
 優希君だって初めてだって私にちゃんと言ってくれていたのに……なのに私もどうして自分だけが、自分は……なんて言えていたんだろうか。
 本当に、本当に。ケンカと言うか恋愛に限らずだけれど、相手の意見、言葉に耳を傾けるのって大切なんだって痛感する。
「……ごめん。確かに優希君の言う通り、私も、もう少し優希君の事を考えるべきだった」
 ――ちゃんと女も男を幸せに出来るように、女からも幸せになれるように、
     自分が選んだ人と幸せになれるように努力は必要なのよ―― (102話)
 本当にお母さんの言う通りだ。男の人だって女の人に幸せにしてもらいたいに決まっている。
 私と一緒なら幸せになれるって、楽しいって優希君が思ってくれたのなら、私もその気持ちに応えたのだから、やっぱり努力はしないといけない。
 自分磨きなだけじゃなくて、私も優希君を幸せに出来るようにちゃんと向き合わないといけない。
 お母さんの言葉と優希君の言葉を思い出して、聞いて……納得してしまった今、優希君の事を怒るに怒れない。
 それに私だけが悲しむ事なんて出来るわけもなかった。
 ……お母さんがお父さんと結婚した理由も、こんな気持ちが根底にあったのかもしれない。
 ただ、今の私の中にあるのは雪野さんに初めてを奪われてしまった事だけだ。
 しかもその半分は自分がふがいなさが招いた結果だ。
 そこまで分かってはいても、どうしても私にとっての初めてって言うのは中々どうにもならない。
 本当に私って面倒くさいと思う。
「愛美さんが謝る事は無いよ。実際どう言う理由があっても雪野さん

“頬”にキスをしたのも、雪野さんの胸に手を触れたのも事実だし、逆に愛美さんに対して倉本がそんな事したら、殴り合いじゃ済まない自信がある」
 そして全てを吐き出した後に残るのは、あのいつも優希君と一緒に歩んで行きたいと願った、穏やかな優しさと、私に対する気遣いだ。
「だから雪野さんと一緒にいるくらいなら、僕は今までの分もまとめて取り返すつもりで愛美さんと一番長くいたいに決まってる。だからもう一度言うけど、雪野さんのフォローはもう辞めたい」
 そして三度雪野さんとの事は辞めたい。雪野さんに気があって断れないんじゃなくて、私と一緒の時間をもっと増やしたいから、雪野さんのフォローを辞めるって言ってくれる優希君。
 私の大好きな優希君がそう言ってくれるなら、今度こそちゃんと優希君の気持ちに耳を傾けたい。
「朱先輩。出来ればこの後――ってあれ?」
 ここから先は付いて来てもらって恐縮ではあったけれど、二人で話したいって言いたかったのに、気付けば優珠希ちゃんともどもいなくなっている。
「あの綺麗なお姉さんなら、優珠が最後に文句を言った後に、どこかに連れて行ったよ」
 私が朱先輩の気遣いに感謝と言うか、驚いていると優希君が、顔は痛々しいし、腫れぼったいけれど、その眼差しだけは優しく私を見てくれている。
 それだったら尚、好都合。朱先輩の気遣いを勇気に変えて、この後優希君と二人だけで話を続けようと、真夏の昼間。
 自動販売機の飲み物を手に、二人の始まりのベンチにお互い並んで腰かける。

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