第104話 寄り添いとは 2 ~聞く難しさ~ Bパート

文字数 6,553文字


 今週も最後まで愛さんから離れたがらなかった男子児童を、雨が降ってるからと何とかなだめすかして今は愛さんと二人、わたしの家へと戻る途中。
「あのくらいの男の子って純粋でかわいいですよね。慶なんて最近ひねくれてて何考えてるのか全然分かりませんし」
 まさかの弟くんの話が出て来る。
「ひょっとして慶久(のりひさ)君とも何かあった?」
 関係ないと思い込んでいただけに、恐る恐る確認してみるも、
「別にそんなに大した話でも無いんですけれど、自分のお小遣いの為にお弁当を作って欲しいと言って来たり、私の事とか、家の事を手伝うとか言っておきながら、不機嫌になったり顔を見せないとかも平気なんですよ」
 喋ってる間も目は潤まないし、声も震えない。ただ愛さんの口から呆れにも似たため息が漏れるだけなんだよ。
「ひょっとして慶久(のりひさ)君に何か言われたり、されたりした?」
 最近は全く弟くんの名前が出て来なかったから、一応のつもりで聞くも
「何も言われたりされたりはしていませんけれども、何故か自分の食べた食器だけは自分で洗っています」
 不思議そうな顔をするだけで、特に何かがあった訳では無さそうでほっと胸を撫で下ろす。
慶久(のりひさ)君が家に友達を連れて来るとか、そう言う話が出てきたら気を付けないとなんだよ」
 そして前に一度言った事を思い出したわたしは、念のためにもう一度口に出したところで、わたしの家に戻って来る。


 愛さんの寝間着なんかのお泊りセットを軽く整理した後、いくら夏とは言っても小雨が降り続いてたからと、汗を流して体を温める意味でも、一度シャワーに当たる。
 それから体の内側も温めようと考えて、今朝家を出る時に確認をしておいたココアを温めて愛さんの前へ、自分には紅茶をそれぞれ用意する。
 ただし、今日は愛さんのマグカップとわたしのティーカップを隣同士並べて。
「そう言えば、親友さんとケンカしたって言ってたよね」
 さっきまでの児童たちといた時の元気はどこへ行ってしまったのか、マグカップに口を付ける時以外動きのない、愛さんのすぐ隣に座ったわたしは、愛さんの肩にもたれながら会話を始める。
「はい。私が蒼ちゃんの事を心配している事は分かってくれているのに、どうしても私を安心させてくれなくて……私には何も親友の為にさせてくれなくて……」
 やっぱり愛さんの声に力は無いけど、その声自体に震えも涙の色もない。
「……愛さんにとってその親友さんはとっても大切なんだね」
 親友さんの為に色々したいのに、そのどれもが出来ないから、親友さんが愛さんの優しさを受け取らないからのケンカ。
「……やっぱり男の人から私って重たいんでしょうか。だから優希君も雪野さんに気移りしちゃったのかな……ただ私は、私の周りにいてくれる人たちには笑顔でいて欲しいだけなんですけれどね」
 せっかく喋り始めてくれたのだから、何とか驚く事も、声を上げる事も我慢して、愛さんの震えた声をなだめるために、愛さんにもたれかかりながら背中をさする。
「蒼ちゃんの事もそうなんです。大切な親友だから、私に三年って言う大きな時間をくれたかけがえのない、私にとっては唯一無二の親友だから、三年間はずっと笑っていて欲しかっただけなのにっ!」
 わたしは、愛さんの言葉に遅れないように、頭で整理しながらついて行く。その上で、声だけでなく肩から背中にかけて大きく震える愛さんの背中をさすり続ける。
「その親友さんは愛さんの前でも笑ってはくれてれるんだよね?」
 本当は気移りしたって言う空木くんと雪野さんの話を振りたかったのだけれど、空木くんの名前を口にした途端、崩れ出した上に、とても信じられない話を口にする愛さん。間違いなくこっちが当たりだと分かるんだけど、今日から明日にかけては徹底して愛さんに寄り添うって決めたんだから、愛さんが口にしてくれた気持ち、心の内に対して、たとえ真実・事実とはかけ離れていたとしても

の否定は

。しては


「笑ってはくれています。何かを隠したまま私の前でだけは怒ったり笑ったりしてくれています……私に何か足りないから言ってくれないのかな。だから優希君も雪野さんとの事、言ってくれなかったのかな」
 正直に言って愛さんの言ってる事の意味が分からない。正確に言うと、今まで愛さんの言う事を聞いていただけで、空木くんから愛さんへの強い気持ちが伝わって来ていたのに、それを愛さんも疑う事なくわたしに木曜日の電話の時に話してくれてたのに。
 それなのにどうしてたった2日間でこんなにも変わってしまうのだろう。
 
――わたしは在りし日の昔に思いを馳せる――

 あれだけ愛さんの事を考えてくれてそうで、大切にしてくれそうだと思ってたのに、まさかの浮気なんだろうか。
 親友さんの事にしてもそうで、愛さんとの信頼「関係」をそこまでの物にしたうえで、お互い秘密にしている事、されている事を分かった上で、話が拗れてケンカになってる気がするんだよ。
「愛さんにも秘密にしてる事、秘め事。あるよね?」
 愛さんなら親しい相手だからって全て喋って欲しい、秘密は全部無しにして欲しいなんて分別の無い事は言わないと思うんだよ。
「……優珠希ちゃんから言って来たんです“自分勝手に壁を作って、取り繕って付き合う人間にわたしたちの事なんか何も教えられない。そんな女と信頼「関係」なんて出来るわけない”って。それに朱先輩が教えてくれたジョハリの窓。これもそう言う事なんですよね。だから私は、優珠希ちゃんの言葉に納得したんです」
 その時から、愛さんからは空木くんに出来る限り正直に全部を伝えて来たと言う。
 でもそれって、優珠希ちゃんって言う子が空木くんの妹さんで、愛さんの頬をぱんぱんに腫らした、憎き妹さん本人だって事なんだよね。わたしの中にあった確信に対する答え合わせが終わる。
「じゃあ、愛さんは、空木くんに秘密は無いの?」
「ありません。少なくとも意識して隠している事とか、やましい気持ちから隠している事は何もありません。なのに優希君も優珠希ちゃんも……」
 わたしにとっては驚きの回答だったけど、その先を口にしようとしたところで、そこが問題の震源なのか、声を殺してすすり泣いてしまう愛さん。
 ……本当にこの子は恋愛と言うか、人付き合いに関しては驚くほど不器用なんだなって実感する。わたしもとてもじゃないけど器用だとか、上手いとか間違っても言えないけど、愛さんのそれはもうなんて言うか次元が違う。
 そんな愛さんの事も、愛さんの気持ちも知っているだけに、慈愛とも言い換えてしまっても良いくらいに深い優しさを理解しているだけに、愛さんの心の声を聞くだけで、叫びを聞くだけで、わたしの心臓が潰れそうになる。
 だけど、今はわたしの心臓よりも先に愛さんに湿ったタオルを渡す。
 わたしは愛さんの心を守るって決めてるのだから、その愛さんの目をそれ以上腫らす事はしたくないんだよ。
「愛さん。少し横になろう?」
 そう言いながらわたしは、愛さんの肩を寝かせるように後ろ方向に押す。
 愛さんが抵抗なくテーブルの下に足を入れた状態で、仰向けに寝転がったのを確認して、改めて愛さんの目に湿ったタオルをかぶせる。愛さんの目がこれ以上腫れないように、これ以上愛さんの涙をお互いが見なくても済むように。
「……」
 まだ止まずに降り続ける雨音と、しゃくりあげている愛さんの悲痛な声だけを耳朶に響かせている時間が出来る。
 わたしは愛さんの小さな嗚咽を消したくて、少しでも安らかな気持ちになって欲しくて、愛さんの横に並んで寝ころんだ体を愛さんの方に向けて、小さな赤ちゃんを寝かしつける要領で優しく、優しくお腹を叩く。
 心がしんどいのならわたしがずっと隣で寄り添ってるから、安心して休んでて良い、このまま眠ってしまっても良いつもりでいる。
 それにここまで弱ってる愛さんを見るのはもう初めてだから、こんなにも良い子である愛さんを弱らせる空木くんの事も、空木くんの反応・出方次第では認識を改めた方が良いと考え直す。わたしは、何があっても、たとえ愛さんが悪かったとしても、愛さんの一番の理解者として、愛さんの絶対の味方なんだよ。
「どうしたの? 愛さん」
 わたしが優しくお腹を叩いてると、何かを探してるのか愛さんの手がさまようように動く。
「……あの。手、繋いでもらえると嬉しいなって」
 ただその中にあっても、わたしにだけはちゃんと心の鍵を開けたままにしてくれてる。今の愛さんの気持ちをわたしだけにはちゃんと教えてくれる愛さんに、一番の理解者でいたいわたしには、嬉しくも安心も出来るんだよ。
「すぐに気付けなくてごめんなんだよ。それから今の愛さんの気持ちを教えてくれてありがとうなんだよ」
 わたしに小さな喜びを与えてくれた愛さんに感謝を。愛さんが気持ちの内を教えてくれた事に感謝を。
「朱先輩……」
 愛さんがわたしの名前を呼んで、寝返りを打つようにしてわたしと向かい合った時、目にかぶせていたタオルが落ちる。
「わたしはどんな事があっても愛さんの味方だから。だから愛さんはもう少しワガママになっても良いし、言いたい事があればどんな話でも聞くんだよ」
 愛さんの赤くなってしまった瞳を見ていられなくて、わたしはそのまま愛さんを抱きしめてしまう。
 愛さんにわたしの温もりを渡したくて、愛さんの心を一人ぼっちにしたくなくて、隙間を埋めるように抱く腕に少し力を込める。
 更にしばらくそうしていると、
「優希君が言ってくれた通り、男性慣れもやめて優希君だけに慣れて欲しいと言ってくれていたのに……どうして……雪野さんと……口付け、しちゃったのかな? どうして、雪野さんの胸、触れちゃったのかな……」
 愛さんの言葉に絶句する。そして少しずつだけど支離滅裂だった愛さんの言葉が繋がり始める。
 そして小ぶりな雨の中、雨どいを伝う水の音の方が大きくなりつつある中、少しずつ整理を始める。

 信じられない事に、許せない事に空木くんは愛さんと言う、誰がどう見ても可愛くてとても良い女の子の彼女がいるにもかかわらず、わたしの“大っ嫌い”な雪野さんと、空木くんはキスをした。
 それだけでも到底許せる話じゃ無いのに、更にその事を兄妹揃って愛さんに隠した。さっき“空木くんに隠し事は無いの?”って聞いた時の愛さんの返事から、その事は簡単に想像が付くんだよ。
 隠したって事を言えるって言う事は、当然その事は他の誰かから聞かないと知る事が無いと言う事なんだよ。
「……」
 想像するのも嫌になるくらい、愛さんが深すぎる傷を負ってしまったと言う事が分かってしまう。
「……やっぱり優希君も男の人だから、女の人ならだれでも良かったのかな? 私が良いって言ってくれた言葉は嘘……だったのかな……それとも、雪野さんも可愛いし、何より私より大きいから気移りしちゃったのかな……」
 だけど、何度も言うように、今日明日は愛さんに寄り添うって決めたのだから、喋ってくれる愛さんの言葉をわたしが止めては

。それにどれだけ空木くんの事が許せなかったとしても、わたしが愛さんの心を、気持ちを決めつけてしまっては、否定してしまってはいけない。わたしは愛さんの相談に乗るんじゃなくて、あくまで愛さんに寄り添うと決めてるんだから。
 愛さんに寄り添うのだから、愛さんの意思を最優先にする以外の選択は無いんだよ。
 そしてここで見落としてはいけないのが2つ。
 一つ目がこうまでされても、まだ愛さんは空木君の事が大好き

今も涙して悲しんでるって事なんだよ。
 寄り添う愛さんの意思を尊重するって言う事は、当然今の愛さんの意思をないがしろにするって事も、見落とすって事も論外なんだよ。でないと独りよがりな考え、意見になってしまうんだよ。
 二つ目が忘れそうで絶対忘れてはいけないのが、今朝家を出る前に整理しておいたように、愛さん同様空木くんもまた愛さんの影響をたくさん受けているから、愛さんがここまで弱っているって事は、空木くんの方も何らかの形で弱ってしまってる事だけは忘れちゃダメなんだよ。
 本当にお互いが好き合ってる恋人同士がケンカしてしまったら、どっちが悪いかは別として、気持ち的にはどっちもしんどくなると思うんだよ。
 もちろんわたしは何があっても愛さんの味方だから、
[感情的]になってしまえば空木くんなんてただポイってしてしまうだけじゃなくて、ゴミ箱の中にポイってしてしまった上で、フタをしたいくらいだし、
[心情的]に言ってしまえば、顔も見たくなければ声も聞きたくない相手になる。
 そして最後に
[心理的]に言えば、わたしと愛さんは、どんな理由があっても浮気するような軽い男の人なんて、生理的にも嫌悪感しか出ない
 に決まってるんだよ。
 でもさっきから言ってるようにわたしは愛さんの相談に乗るんじゃなくて、愛さんに寄り添うと決めてるんだよ。
 そして愛さんはまだ空木くんの事を好いてる。その上、現時点では空木くんの気持ちが雪野さんに気移りしたと判断してはいけない。
 なぜなら空木くんの話も聞いていないし、何よりも話を聞くと、寄り添うと、一番の理解者でいたいと思う愛さんの口から、空木くんの気持ちは雪野さんに移ったとハッキリ聞いたわけじゃない。
“空木君の事を信じたいのに信じられない。信じる勇気が出ない”そのしんどい心の声が口から漏れ出てるのをわたしは聞いてるだけだから。
「……だったら。空木くんの事、諦める?」
 だからたとえ今がしんどくても、
“自分の言葉でハッキリと、自分の気持ちを口にしないといけない”
 人に寄り添うと言うのは、そう言う事なのだから。
「……」
 当然答えられる訳が無いんだよ。
 だって、こんなに苦しむほどに、深い悲しみに暮れてしまうほどに愛さんは空木くんの事が好きなのだから。

 ちなみに、ココで何らかの形で答えが出れば、この時点で寄り添いは終わり。後はその気持ちと、目的・目標に向かって“協力”ないしは“行動”へと行程が移って行く。
 そして今のようにここで終わらない事も多い。
 だからここから先は、寄り添いの中でも相手の気持ちを気付かせる。相手の、この場合は愛さんの心の整理をするためにわたし

の方が少しだけスタンスを変えるんだよ。
「愛さんが他の男の人と喋るのは嫌だって言うのは、ハッキリ言ってくれたんだよね」
 もうそろそろ雨も上がるのか、部屋の中からは雨の音は全く聞こえなくなった代わりに、屋根からトタンに落ちる水音が不規則に鼓膜を震わせてる。
「水曜日の時点では。ですけれど、自信もなくすし、絶対怒る自信があるとまでは言ってくれました」
 少しは落ち着いたのか、涙声な上にたどたどしくはあるのだけど、答えてはくれる。
 その一つの質問をするだけでも、空木くんの愛さんに対する独占欲みたいなのはすごく伝わっては来るのに……空木くんが、自分の好きな子だけ束縛をして、空木くん自身は好き勝手する……ような人を愛さんが選ぶとも思えないし……たった一つの質問だけで頭をひねってると、
「愛さん。電話。良いの? おばさまからだったら、ちゃんとわたし、挨拶するんだよ」
 大切に育てているであろう愛さんのご両親にわたしも、気持ちを込めてご挨拶をしようと声を掛けたのだけど、
「……」
 愛さんが寝ころんだまま携帯を一目見ただけで、目から涙を一筋落として、携帯を放り投げてしまう。


―――――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――――
       「あれから倉本くんには優しい言葉をかけてない?」
      中心となる話で話題狭窄にならないために注意しながら……
      「もう一回言うんだよ。わたしは愛さんの味方なんだよ?」
     追い込まれた時は何度言っても剥がれてしまう、言葉は何度でも
      「愛さんのご両親さん。とっても良いご両親さんなんだよ」
            変わらないものを力とする事も

       「すいません。明日会って欲しい人が出来ました」

          105話 寄り添いとは 3 ~心の整理~
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