第104話 寄り添いとは 2 ~聞く難しさ~ Aパート

文字数 6,443文字


 
 小雨の中、河川敷に戻って来た時にはもう何人かの児童たちの姿が見えていたんだよ。
「愛さん。わたしは河川敷の使用申請をしてから合流するから、先に行っててもらっても大丈夫?」
 安心と安心の隙間から見える喜びはあっても、元気にまではなってない愛さんに少しでも早く元気になって欲しくて先に児童の所まで行ってもらう事にするんだよ。
「分かりました」
     ――やっぱり児童たちと体を動かすと、私も元気を貰えます――
 愛さんだったらたとえほんの少しだけだったとしても、今よりも、もう少しだけでも元気になってもらえると信じてわたしはその姿を見届けてから、改めて申請の為に受付に足を向ける。
 今の愛さんの状態を考えても、何も考えずに児童たちと遊んだほうが愛さんの心の健康の為には良いと、自分の判断を信じて、今日は児童に愛さんの事は任せてみるんだよ。
「あ。お姉さん。今日は雨だから来ないかと思ってましたけど、来てくれて嬉しいです」
 申請を済ませて遅れて到着すると、少し前からわたしに懐いてくれてる、女の子らしいピンク色の合羽を着た女子児童がわたしの前にやって来る。
「今日のこの集まりが中止になったり、わたしに用事があるとき以外はわたしは来るんだよ」
 女子児童に返事をしながら一度しゃがみ込んで、合羽の上から少女の頭をポンポンと撫でる。
「朱先輩。雨の日でもお外で遊べる遊びって何がありますか? 私、本当に今日の事何も考えていなくて……」
 そこで愛さんがわたしに申し訳なさそうな表情を作る。愛さんは今は弱ってるんだからそんな事まで考えなくても良いのに。
 私は目の前の少女に小さく“ごめんね”と断りを入れてから、一度愛さんの方へ足を向けると、またあの男子児童が面白くなさそうな表情をしてるのが目に入る。
 わたしが引っ込み思案で大人しい男の子なんだなって横目で小さく苦笑いをして、
「今日はわたしが準備をして来たんだよ」
 愛さんの前で準備してきたものを見せる。
「えっと。これってシャボン玉ですか?」
 私が用意した液体の台所用洗剤と、紙コップ、ストローを見て明察する。
「えー! シャボン玉とか女の遊びじゃねーか」
「そんな事言うなら男子は帰れば良いじゃない」
 と、同時に男子児童と女子児童で言い合いを始めてしまう。
「こーら。男の子は女の子に優しくした良いと駄目だよ。それから女の子も仲良くしないとお姉ちゃんは悲しいよ」
 そこで空かさず愛さんが、本当に悲しい時の表情を作って、たちまち言い合いを止めてしまうんだよ。
 そうして言い合いが止まったところで、素早く男の子グループと女の子グループに“シャボン玉セット”を配って行く愛さん。わたしも家にあった分でしか用意できなかったから、そんなにたくさんは無かったんだよ。
「じゃあどれだけ大きいのが作れるか勝負しようぜ」
「誰が一番長くシャボン玉を割らずに出来るかやってみようよ」
“シャボン玉セット”を貰った児童たちが各々適度に散らばってシャボン玉を作り始める。

 わたしが、それぞれの児童たちの色とりどりの合羽を着ているのを見てお花みたいだなって眺めていると、
「男の子も女の子もみんな仲良くして欲しいですね」
 寂しそうな表情を浮かべた愛さんが、濡れたベンチの上をタオルで拭きながらわたしの横に腰掛ける。
 つまりそれはほんの少しの機微ですらも、空木くんを連想してしまってるって事なんだよね。
「……今日のお姉ちゃん。元気ないですか?」
 わたしじゃなくて、愛さんの傘の中に入った女子児童が、座ったまま傘をさしている愛さんをじっと見つめる。
「ごめんね。昨日学校で喧嘩して、それでお姉ちゃん元気でなくて」
 そう答えて愛さんもまた女子児童の頭をポンポンと撫でる。
「それ、隣のお姉さんもやってくれました。私にお姉さんを元気にすることが出来ますか?」
 女子児童の言葉で、また少しだけ愛さんの表情が柔らかくなる。
 そんな女子児童と愛さんのやり取りを見てると、児童たちの力って本当に大きいって思うんだよ。
「ごめんね。じゃあお姉ちゃんは普通に頭を撫でるだけにするね――それと私は大丈夫だけれど、もしケンカして自分が悪いなって思った時にはちゃんと謝って欲しいかな。でもケンカなんて悲しい事になってしまう前に、男の子も女の子も関係なくみんなに優しくしてくれた方が、お姉ちゃんは嬉しいかな」
 愛さんと女子児童の中にも、空木くんに対する想いがあふれ出てるのが分かる。もう本当に空木くんが好きで好きで仕方が無いと言う気持ちが手に取るように分かって、わたしの方が切なくなってしまうんだよ。
「じゃあこっちが悪くなかったらどうするんですか?」
 愛さんがなんて答えるのか興味をそそられる質問が出て来たんだよ。
「その場合は謝らなくても良いけれど、相手に対する思いやりとか優しさだけは忘れたらダメだよ」
 愛さんらしい答えにわたしは、こっそりと笑みを零す。
 だからあれだけ傷を付けられた担任の先生とも仲直りが出来るし、倉本君を好きな“ポット出の可愛い後輩”も含めたみんなが愛さんを好きになるのかな。
「お姉ちゃんはとっても優しいんですね。私、喧嘩してる相手に喋るとか優しくするとか出来ないです」
「そんな事無いよ。お姉ちゃんは酷い女だよ」
 それまでは暖かい気持ちで聞いていただけに驚く。
 愛さんが酷い女の子って誰かに言われたのか、それとも自分でそう思ってるのか。これだけはちゃんと確認しないといけないと思ったところで、男子児童の方から声がかかる。
 その男子児童の近くに顔ほどの大きさになったシャボン玉が出来上がっているのを目にして、今日の仕掛けが成功したんだと、わたしは満足したんだよ。

 愛さんがその男子児童の所に入って行って、少しの間楽しそうに喋ったり、騒いだりして愛さん自身もシャボン玉を造ったりした後、一組の“シャボン玉セット”を借りてわたし達の所に戻って来たんだよ。
 と思ったら女子児童にそのセットを渡して、ああ。少し離れたグループの中で、こっちを気にしながら遊んでいた最近愛さんに懸想してる男子児童を連れて来る。
 その様子と言うか、何かに驚いた女子児童が目をまあるくしている。
「せっかく雨の中遊びに来ているんだから、楽しく遊ぼうね」
 愛さんが、わたしたちの目の前に連れてきた児童の正面にしゃがみ込むようにして、笑いかける。
「うん」
 そしてさっきまでとは別人みたいな表情と声で返事をしてから、今度はわたし達四人での遊びと言うか、お喋りが始まるんだよ。


 しばらくの間は愛さんが借りて来た“シャボン玉セット”で男子児童が遊んでるのを見てると、
「どうしてシャボン玉は割れずに大きくなるんですか?」
 河川敷を叩く小さな雨音と、周りの児童たちの喧騒の中、ぽつりと女子児童がわたしに質問してくる。
「それはシャボン玉が雨水に混ざって大きくなるんだよ」
 私は小学校の時の理科の授業を思い出しながら、女子児童に答える。
「じゃあお風呂とかプールとかで作ったらもっと大きくなるのかな」
 わたしの答えにワクワクした瞳を向けてくる女子児童。わたしが可愛いなって思いながらなんて答えようかと迷ってると、
「お風呂とか、プールの中だと泡になって消えちゃうよ」
 男子児童が夢の無い答えを女子児童に言ってしまったんだよ。
「へえぇ。確かにそうだね」
 でも、女子児童が可愛く喜んでるから許してあげるんだよ。
「もう僕は十分遊んだし、これ使って良いよ」
 それで男子児童も気分を良くしたのか、ちょっと嬉しそうにそのままシャボン玉セットを渡そうとするけど、そこはさすがに児童とは言え女の子。
 恥ずかしそうに断る。
 まさか断られるとは思ってなかったのか、男子児童の元気が無くなりかけたところで、
「じゃあ次はお姉ちゃんが遊んでみようかな」
 愛さんがカッパの上から男子児童の頭を撫でながら立ち上がって、雨に濡れてしまう事も厭わずにもう片方の手で女子児童に伸ばされた手から、そのまま“シャボン玉セット”を取り上げるようにして受け取る。
 その様子をわたしの横にいつの間にか腰かけた女子児童が、小さく開けた口に手を当ててる。
「じゃあ、あっちで遊びたい」
「分かったけれど、そんなに引っ張ったら零れちゃうから」
 男子児童は本当に嬉しそうに耳まで真っ赤にして、愛さんを引っ張って行ってしまう。
 あんなに誰彼構わずに優しくしてしまうから、あの男子児童まで本気の初恋になってしまったと思うんだよ。
「あの男の子の事、お姉ちゃん好きなんでしょうか? 私には恥ずかしくてあんなに“オトナ”の恋愛なんて出来ません」
 そして私の隣にいる女子児童も小さくても立派なレディなんだよ。だから愛さんの行動を見てドキドキしてハラハラもして、意味も分かってる事をわたしに教えてくれるんだよ。
「違うんだよ。あれが愛――あのお姉ちゃんの優しさなんだよ。だからいつもあのお姉ちゃんの彼氏さんはドキドキ・ハラハラしてるんだよ」
 女子児童の合羽の隙間からのぞく頬を、小さく撫でてから愛さんの人となりを教える。
「彼氏さんって、彼氏さんがいるのにそんな事をするなんて見損ないました」
「違うんだよ。あのお姉ちゃんは全部気付いてないだけで、彼氏さんの事が本当に大好きで、それ以外は全くこれっぽっち考えてなくて、むしろ迷惑に思ってるくらいなんだよ。それにさっきあのお姉ちゃんが、男の子にも女の子にも優しくして欲しいって言ってたんだよ? だから今の言葉はあのお姉ちゃんに言ったら駄目なんだよ。これはお姉さんとの約束。守ってくれる?」
 危ない危ない。もうちょっとで愛さんがどこぞの“モヤシの人”になってしまうところだったんだよ。
「お姉さんとの約束で思い出したんですけど、夏休みにその友達と遊ぶことになりました」
 愛さんの約束を皮切りに、一旦私たち二人だけになったからか、2週間前からの友達になりたい人の話を始めてくれたんだよ。


 しばらくの間、私に懐いてくれてる女子児童と秘密の話をしながら、初めこそは二人だけで楽しそうにしてたところに、他の児童たちが集まって来るのを眺める。
「そう言えばお姉さんは、あのお姉ちゃんとは仲良しさんなんですよね」
「もちろんなんだよ」
 ぽっと出の後輩にも、あのおばさまにも負けないんだよ。
「じゃあ、今日元気の無いあのお姉ちゃんの喧嘩を止めてあげるんですか? どうやって止めてあげるんですか?」
 愛さんが男子児童に連れられて行ってしまった後、代わるようにしてわたしはベンチに敷かれたままのタオルを畳ん
 でカバンの中に直して、自分のを敷き直す。そうしたら今度は女子児童がわたしの傘の中に入って来るんだよ。
「違うんだよ。わたしは、あのお姉ちゃんの話を聞くだけなんだよ。あのお姉ちゃんが喋り易くなるように、わたしから話を振る事はあっても、聞くだけなんだよ」
 私の手をいつものようにふにふにと揉んで来る、女子児童の思うがままに任せる。
「聞くだけで喧嘩を止めたりはしてあげないんですか?」
 女子児童の年齢ならまだ近くに誰もいないかも知れない。
「そうなんだよ。ケンカを辞めるのも、相手と仲直りをするのも、全部あのお姉ちゃんが勝手にする事なんだよ」
 普通の人なら女子児童の考え方をするし、実際そう言う意思を持って行動すると思う。もちろんその行動に対して“

”、止める事も否定する事もしないんだよ。
「勝手にって言うのはさすがに冷たいと思います」
 女子児童がしょんぼりと俯いてしまったから、私は服が濡れる事には気にしないで女子児童に“ピタッ”と引っ付いて座り直す。
「……」
 さすがに服が濡れると思ってくれたのか、少しだけでも離れようと、更に横にずれるのを、
「……」
 わたしがそのまま追いかけるようにして、女子児童の横に“ピタッ”とくっつき直す。そんな事を繰り返して、女子児童がベンチの端まで来た時、出来る限り女子児童にも分かり易くを心掛けて口を開く。
「わたしがくっつきたかったから

くっつかせてもらってるんだよ。服が濡れてしまう事なんて、わたしが

くっついただけだから、何にも気にしなくて良いんだよ」
 この甘えん坊さんの少女にはこれが一番分かり易いと判断して、少しでも伝われば、少しでも分かれば良いなと思って、少女の顔を笑顔で覗き込む。
「えっと……」
 やっぱり今まで言われた事も、された事も無かったのか、不思議そうな顔をする。当然さっきまでしょんぼりとしていた表情もなくなってる。
 もう少し分かり易くした方が良いのかなって考えたわたしは、そのまま女子児童の方へもたれかかるように体ごと預けてしまう。
 初めはびっくりしてたけど
「今の行動も、いつもみたいに手を揉んだり欲しいから、わたしが

もたれかかっただけなんだよ。嫌だったら教えてくれたら離れるんだよ」
 わたしの思った通り、わたしの言葉で逆に女子児童の方から体重をかけて来てくれて、わたしの腕に抱きついて来てくれて甘えだしてくれるんだよ。
 この女の子は前から思ってた通り、かなりの甘えん坊さんなんだよ。
「お姉さんの事冷たいなんて言ってごめんなさい。なんか分かんないんですけど、ちょっと嬉しいです」
「謝らなくても良いんだよ。難しいかもしれないけど、ただ知っておいて欲しいのは、本当にその人の悩みを聞く、力になる、寄り添うって言う事は、何も一から十まで全部一緒に何かをする訳じゃ無いんだよ。こうやってただ近くにいるだけで、嬉しい気持ちに、優しい気持ちになれる事もたくさんあるんだよ」
 そう。私と愛さんの事でもそうだけど、“基本”は話を聞くだけなんだよ。もちろん話を聞かせてもらうために、あの手この手を使うし、本当に苦手だった電話だってわたしが克服するくらいには使って話を聞いてる。
 でも、それだけなんだよ。今までの事は特にわたしから何かをした事も、相手に何かを働きかけた事も無いんだよ。
 ただあるのは、相手の心に寄り添って話を聞くだけなんだよ。
「もしわたしが、貴方と貴方のお友達を仲良くしたのは、わたしのおかげだって言ったらどう思う?」
「色々教えてもらったのは本当なので、お姉さんにはありがとうです」
 ……なんて事なんだよ。仲良くなりたいと初めに思ったのも、努力して工夫して、実際に仲良くなったのもこの子の想いからなのに、
 素直すぎてわたしの方がひねくれてるみたいに聞こえてしまってるんだよ。
「お姉さん? 私、何か間違ってましたか?」
「そんな事無いんだよ。とっても良い子だったからお姉ちゃんがびっくりしただけなんだよ」
 でもそれはこの子の考え方で、決して間違ってる訳じゃ無い。ただ本当に素直な子なだけなんだよ。
「じゃあ私、良い子ですか?」
 ……なんて子なんだよ。愛さんと同じ事、いや反対の事を聞いてくるとってもかわいい子なんだよ。
「もちろんなんだよ。良い子だって分かるから、夏休み中にもっと仲良くなれるようにお姉さんも応援するんだよ」
 愛さんの時の癖で、座ったままの女子児童を肩から抱き寄せてしまう。
「また仲良くなれたらお姉さんだけに言いますね」
 最後は安心したのか、嬉しかったのか、初めの遠慮はどこへやら。いつも以上にわたしの腕に抱き着いて来て、わたしの手を頬にまで持って行ったり、頭を撫でて欲しいのか、わたしの手を頭の上に持って行く女子児童。
 わたしはリクエストに応えるように、女子児童の頭を優しく撫でながら、ある程度の児童が集まった愛さんの方に目をやると、もう遊び終えたのか児童たちのまとまりが無くなって行く。
 そして愛さんが児童たちが遊び終えたゴミを集め始めたところで、
「じゃあわたし達も、あのお姉ちゃんと一緒に後片付けを手伝うんだよ」
 女子児童と一緒に愛さんの元へと向かう。

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