第105話 寄り添いとは 3 ~心の整理~ Aパート

文字数 7,051文字


 愛さんが着信を見て涙を一筋落とした相手は、もちろん今愛さんが携帯を放り投げた事は知らない。
 だから着信音も鳴りやまない。
「……」
 愛さんがわたしに再び抱きついてからそのまま動かなくなってしまう。
 電話の相手がどっちかはとっても気になるんだけど、今はとにかく愛さんの気のすむようにさせてあげて、わたしは愛さんの背中に手を回して愛さんの心臓が動く音、その鼓動を体で感じる事にする。
「……」
 長い時間のように感じられた着信音が鳴りやんだ時、愛さんが身じろぎをする。
「愛さん。空木くんと喋りたくない?」
 だから一つずつ、少しずつ、かつ、愛さんが心を閉じてしまわないように慎重に、愛さんの本音を引き出していく。
 当然愛さんに質問する時も愛さんを抱く腕の力は緩めない。むしろ愛さんを逃がさないつもりで更に少し強くするくらいの気持ちで。
「……そんな事は……」
 意識したどっちとも取れる質問。今日は愛さんには否定の質問はしていないにもかかわらず、愛さんは否定の意味に取ってわたしに返事をしてくれる。
 それはつまるところ、愛さんの気持ちが後ろ向きになっている証拠で……でもその先を紡げない愛さんの気持ちが、滲み出ているようで……わたしの心もまた涙で濡れる。
「愛さんが男の人と喋るのは空木くん。嫌がってくれたんだよね」
 でも今一番悲しくて、わたしに心を開いてくれてるのは愛さんなんだから、わたしは心を濡らしてる場合じゃない。
 わたしは先週の愛さんとのお話、それから水曜日の電話でのお話を思い出しながら、一個ずつ慎重に、丁寧に、優しく愛さんの心、気持ちを解きほぐしていく事に意識を集中する。だから初めの質問は、直前と同じ質問から入る事にするんだよ。
「……はい。私が他の男の人と喋るのを見るだけでイライラする、自信が無くなるって言ってくれました」
 同じ答えを返してくれた愛さんにホッとしながら、空木くんの愛さんへの気持ちを、愛さん自身に気付いて貰えるように慎重に言葉を重ねていく。
「愛さんが倉本くんと仲良くしてるのも嫌がってくれてるんだよね?」
 その間も愛さんをずっと抱きしめたままなのは言うまでもなく、質問の内容を新しいものにしていく。
「……はい。優希君の前で、女子トイレの中にまで入って来て私を抱き寄せようとした倉本君と喧嘩してくれて……」
 愛さんの口から出る話全てに驚かされるけど、この話って、倉本君まで関係してるのかな。だとしたらわたしの想像する以上にややこしい事になってる気がするんだよ。
 しかも愛さん、空木くん、倉本君までいるとなると統括会――つまり全部金曜日の話って事になるのかな……愛さんの涙は全部金曜日なのかもしれないんだよ。
「でも、その時にハッキリと倉本君が、“空木は雪野さんを選んだんだろ”って言って、そのまま優希君に殴りかかって……」
 ちょっと待つんだよ。今のはとても大切な気がするから、愛さんの声が変わってしまった時に、心が苦しいんだけど、ココだけはちょっとわたしの方からお邪魔させてもらうんだよ。
「えっと。愛さん。一個だけ聞いても良いかな?」
 もちろん愛さんの心の方が優先だから、ちゃんと愛さんに前もって聞いてからなんだけど。
「……」
 わたしに抱かれた腕の中で小さく首肯する感覚が確かに伝わる。
「えっと。雪野さんを選んだって言うのは、空木くん本人からじゃなくてその倉本って人が言ったの?」
「……はい。でも、雪野さんと口付けした事も、雪野さんの……に触れた事も、一番最後に優希君の口から……」
 そこで愛さんの言葉が完全に嗚咽に変わってしまう。
 愛さんの話を聞くにつれて、愛さんの周りの複雑さが浮き彫りになってしまってる気がするんだよ。
 何となくだけど、愛さんが自分で気づいてないだけで、本当に色んな男子から人気があるような気がするんだよ。
 それに対して不器用な愛さんが全く対応できてない。いや普段の口ぶり、あの男子児童の相手をしてる時を見ても気付いてすらいないかも知れないんだよ。
 それに、愛さんに対して男慣れは空木くん本人だけでして欲しいと言って、倉本くんに抱き寄せられた愛さんを見て、その場で喧嘩するほどの気持ち、独占欲を愛さんに見せてる。
 さっきから愛さんの口から出て来る空木くんの行動・言葉を加味したとしても、空木くんの気持ちと言うか行動は一貫してるのに、雪野さんとキスをした、雪野さんの胸に触れたって言うのが、とっても異質に感じられるんだよ。
 しかも空木くんの反応からして、愛さんの人気が高い事を空木くんは知ってる気がするんだよ……まあ、自分の彼女の人気が高かったら、男の人がどういう気持ちになるか、例えば優越感に浸るのか、焦ったりするのか……
 ああっ。そう言えば愛さんの口から空木くんは、愛さんが他の男の人と喋ってるのを見てると“自信を無くす”って言ってくれてたんだっけ。それって焦るって事で良いのかな。
 しばらくわたしが頭の中を整理してる間に、再び愛さんが落ち着いてきたところで、少し空木くんから離れる事にするんだよ。


 わたしは愛さんの事が大好きなんだから、愛さんの涙が一滴でも少ない方が良いに決まってるんだよ。
「あれから倉本くんには優しい言葉をかけてない?」
 先週会長さんの事に関してはちゃんと話したからと勝手に外してしまっていたけど、ここで名前が出て来るのだからと、少し聞いてみるんだよ。
「優しい言葉は掛けてないつもりなんですけれど……そう言えば昼休みに、倉本君から相談があるから乗って欲しいからって一緒にお昼をした時に、倉本君から誘われたデートの誘いと贈り物を蒼ちゃんが断ってくれました」
 そうしたらまたびっくりする話が出て来たんだよ。しかも今度は親友さんなんだよ……
「えっと……倉本君が愛さんの事を好きだって言うのを分かっててお昼を一緒にしたの?」
「はい……本当は断りたかったんですけれど、本当に倉本君が困ってそうで悩んでそうだったから……しかもその内容が統括会絡みだったからどうしても放っておけなくて……」
 要するに倉本くんは言葉は悪いけど、愛さんの親切心に、愛さんの優しさに付け入る形で近づいたのかな。
 でも、空木くんには隠し事なしって言ってたし……
「その事。空木くんには?」
「もちろん言ってます。優希君と喧嘩するなんて嫌だったから、私の方から前もって言っています。そうしたら優希君自身も雪野さんと、お昼とかに話を聞くために一緒しているからあまり強くは言えないけどって言ってくれて、お互いに出来る限り二人きりでは会わない、お互いに物を貰うとか触れるとかもしない、二人で遊びに行くとかは絶対ナシって、お互いに約束しました」
 本当に一つ聞く度に、わたしが考えもしなかった背景と言うか、人間関係が浮かび上がって来るんだよ。
 これだと空木くんの方も、女の子から相当人気があってもおかしくない気がするんだよ。
「えっとつまり、愛さんは空木くんと雪野さんが一緒にお昼をしてる事を知っていて、逆に空木くんは愛さんと倉本くんが一緒にお昼をしてる事も知ってて、倉本くんが愛さんの事を、雪野さんが空木くんの事を好きだって事を、お互いが分かってるって事? その上でお互いがお互い共に、その相手とお昼をする事に理解を示してるって事?」
 口に出すだけでややこしいとしか思えない。わたしには何でそんなにややこしい事になってるのか、しているのかがさっぱり分からないんだよ。
 わたしだったら……ナオくんがそんな事してたら、お尻をつねるだけじゃ絶対に済まさないんだよ。大粒の涙をぽろぽろ流して大声で泣いてやるんだよ。
「はい……」
 わたしの確認に力なく肯定する愛さん。
「えーっと。愛さんは雪野さんの気持ちを分かった上で、空木くんと雪野さんのお昼を納得してるの?」
 だからもう一回確認するんだけど、
「納得なんてしてる訳ないじゃないですかっ! 優希君の彼女は私だったのに学校の中じゃ私より雪野さんと一緒にいる時間の方が長いんですよっ? それに二年じゃ優希君の彼女は雪野さんだって言う認識なんですよ! そんなの悔しいし、悲しいし、納得なんて出来るわけないじゃないですかっ!!」
 突然に愛さんの激情とも言える、愛さんの本音らしき感情が爆発する。
 だったらここがタイミングだと判断して、愛さんの本音を全部吐き出してしまえるように、いつでもどんな時でも他人を優先してしまう愛さんの、自分の事を大切にする感情を引き出そうと愛さんの心をここで

するんだよ。

「じゃあ、雪野さんと一緒にお昼することを辞めてもらって、愛さんからも他の女の子と喋らないで欲しいって言えば良いんだよ。愛さんだってワガママ――」
「――そんな事言えるわけないじゃないですかっ! どうして朱先輩までそんな事言うんですか?! 色々な事があって優希君が話を聞いてあげないと、雪野さんの話を聞いてくれる人が誰もいなくなってしまってるんですよ?! 誰かたった一人でも良いから話を聞いてくれる人、自分の気持ちを吐き出せる人がいないと、本当に辛いって事を私は知ってるんです。逆に誰か一人でも良いから話を聞いてくれる人がいるだけで、頑張れるって事を私はもう知ってるんです。それを教えてくれたのは朱先輩じゃないですか。あの時本当に私は朱先輩に救われたんです。なのにその朱先輩がどうしてそんな事言ってしまうんですか?! 朱先輩が教えてくれた事だから。私が一番初めに朱先輩から教えてもらった事だから、周りにも伝えたいじゃないですかっ! 一人でも多くの人にあなたは独りじゃない! 自分は独りじゃ無いって伝えたいじゃないですか! 必ず誰かがあなたの言葉に耳を傾けてくれる。人から頑張れって言われ

、その行動と態度だけで人は楽にもなれるし、頑張れるって伝えたいじゃないですかっ! ……だったら嫌でも、納得出来なくても、雪野さん自身が優希君になら喋れる、自分の気持ちを吐き出せるって言うのなら……仕方が無いじゃないですか……」
 愛さんが激情と共に吐き出してくれた本音。そしてそこまでわたしとの「関係」を大切にしてくれてた愛さんの優しさ、気持ち、心……その上、たとえ恋敵で愛さん自身が傷ついたとしても、隠れる事も消える事もない慈愛。
 そして極めつけはここでも目に付く、徹底して他人を優先するその愛さんの性格と言うか、考え方。
 再びわたしが心から愛さんの味方で良かったと、愛さんの味方で愛さんの心をわたしが守らないといけないって思った瞬間でもあったんだよ。
「愛さんありがとう。わたしとの「関係」をそこまで考えてくれて。そして愛さんの本音を教えてくれて……ありがとう」
 でもそんな事よりも何よりもまずは感謝の言葉をもう一度。
 わたしの言葉もこもってしまうけど、愛さんのわたしを信頼してくれるその心に喜びを。
 そして、だからこそどうしても聞きたいんだよ。
「そこまでわたしとの事を、雪野さんの事を考えてくれる愛さんが酷い女の子なんて、とても思えないんだよ」
 あの女子児童に言った言葉の真意を。
「“みんな”そう言ってくれますけれど、それは、私が本当の気持ちをみんなに言っていないからですよ……それが駄目だったのかな」
 でも、ここの真意と言うか本音はわたしでもすぐには開けてもらえない。教えてもらえない。
 つまり普通に考えたら、愛さんの真意、本当の気持ちに

愛さん自身の感想は、思い込みだけの可能性が高い。
 だとしたらそれはちょっと前に話した、人が持つ防衛本能でマイナス思考なだけな気がするんだよ。
 だから余計に冒頭でも決めてたように、寄り添うと決めた以上は愛さんの気持ちを否定しては


「愛さんはそんなに酷い事を考えてるの?」
 何度だって言う。自殺しようとしてる人を止めてしまうのと同じように、それは絶対にやっては


「わたしは愛さんの良い所も悪い所もある程度知ってるんだよ。だから今更一つくらいとっても悪い所が見つかったとしても、たくさん良い所もあるんだから、嫌いになるとかそんな心配はいらないんだよ」
「……」
 わたしの

に対して、尚渋る愛さん。
「わたしはいつでも、どこでも愛さんの一番の理解者で、愛さんの味方なんだよ」
 だからわたしは、愛さんが酷いと思ってる考え方自体も

んだよ。
「でも優希君と同じように私のひどい部分を朱先輩が知ってしまったら……」

がそれを

雪野さんの方に気持ちが傾いたの?」
 やっと見つけられた愛さんの心の隙間。
「……」
 当然答えられる訳が無いんだよ。
 これでやっとわたしから愛さんに喋れるようになるんだよ。
「空木くんにそれだけ

をされても、愛さんの気持ちは変わらないんだよね」
「……」
 愛さんの体に力が入るのが抱きしめてる腕から、呼吸から分かる、伝わる。
 本当に愛さんは、マイナス思考・防衛本能まで聡いから心の鍵と心の壁を開錠するのが大変なんだよ。
「同じように愛さんが

として、ただ考えただけで他の人

愛さんの事を嫌いになるかな?」
 でも愛さんにそこまでさせてしまった周りと言うか、空木くんが悪いって事にしておくんだよ。だから愛さんが悪いんじゃ無いんだよ。女の子が悪いわけが無いんだよ。
「もう一回言うんだよ。わたしは愛さんの味方なんだよ?」
 わたしだって空木兄妹と穂高先生に物申したい事で一杯なんだよ。
「……私は雪野さんの話を、雪野さんが一人ぼっちになってしまわない様に、優希君に優しくしないで話を聞いてもらった上で、優希君には雪野さんじゃなくて、雪野さんの前でもう一度私を選んで欲しいって思ってるんです」
 えっと。どっちかな。愛さんの性格からなのと、愛さんの今の気持ちを思うとどっちなんだろう。 
「愛さん。それは酷い事でも何でもないと思うんだよ」
 ただ、どっちにしてもこれだけは変わらないんだよ。
 だって愛さんは空木くんの事がやっぱり大好きで、雪野さんにもその優しさを向けることが出来てしまってるんだから。
「だって私は雪野さんの気持ちを知った上で、優希君には雪野さんに優しくしないで話だけを聞いた上で、雪野さんの目の前でもう一回私を選んで欲しいと思ってるんですよ! そんなの雪野さんの気持ちを知った上で、雪野さんを弄んでいるのと同じじゃないですか! 私はもう優希君とお付き合いをしていて結果ありきの勝負をしていたんですよっ! ……今となっては優希君の気持ちがどっちか分かりませんけれど……」
 安心したわたしが愛さんに笑いかけながら答えたら、すごい勢いでまくし立てて来たんだけど、今のでどっちかがハッキリしたんだよ。
 本当に、愛さん自身が愛さんの優しさを理解してないんだから、とんだ天然さんなんだよ。
「愛さん? それは愛さんの優しさなんだよ。つまり、雪野さん自身が

好きになった空木くんに対して、雪野さんが全力のアプローチで空木くんに告白してフラれないと、雪野さん自身が心に折り合いを、けじめを付けて次の恋へと、ステップへと進めないから、雪野さんを本気にしてから優希君には雪野さんを振って欲しいんだよね?」
「……」
 愛さんの目に涙が溜まるところを見るに、まだ理解出来て無さそうだから、一番簡単に言うんだよ。
「フラれるのは分かってましたけど、ワタシの気持ちだけは知っておいて欲しかったんですよ」
「フッてくれてありがとうございます。気持ちとしては残念でしたけど、スッキリしました」
「ハッキリ断ってくれてありがとうございました。これで踏ん切りがつきそうです」
「ワタシを振った事を後悔するくらい魅力的な女性になってやりますから、その時に後悔しても知りませんからっ!」
 思いつく限りの、どこかで聞いた事のある言葉と言うか、セリフを並べる。
 でも、愛さんが分からないのは仕方がないんだよ。だってこのけじめと踏ん切り、切り替えは、脳とスイッチの話だから、愛さんの学府では絶対に講義には出て来ないんだよ。
「……」
 これで愛さんにも理解してもらえたのか、その証拠に久々に愛さんの心底驚いたお顔を見ることが出来てるんだよ。
「朱先輩は魔法使いですか? どうしてそんなに私でも分からなかった事が分かるんですか?」
 だから愛さんには、わたしにとって一番都合がいい答えを言っておくんだよ。
「わたしは愛さんの味方で、一番の理解者なんだから、空木くんや親友さん。ポッと出の“ちょっと可愛いだけの後輩”よりもよっぽど愛さんの事を理解してるだけなんだよ。だから決して魔法なんかじゃないんだよ」
 でも、ちょっとだけちゃんとお話をすると、愛さんは空木くんから別れを切り出された訳でも無く、明確に空木くんから雪野さんを選んだとも聞いていない。ただ空木くんとの喧嘩中に倉本くんから“空木は雪野さんを選んだ”と言われただけなんだよ。
 だから愛さんの脳内で切り替えも出来なければ、スイッチを(さわ)れてもない。だから諦める事も当然できない。でも今この場でそこまでは要らない。
 愛さんのわたしに向けてくれる、その驚いた表情を少しでも長く見ていたいわたしはこの間に、
「じゃあ、晩御飯の準備をするんだよ」
 楽しく愛さんとごはんを食べたい。
 その後でもう一個の話をしないと駄目だから。

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