第103話 寄り添いとは 1 ~準備・心構え~ Aパート

文字数 7,288文字



  今日は残念ながら雨だ。それでも今日は愛さんに会える土曜日だから、普段のわたしならもっと心が温かいんだよ。
 だけど、昨日の愛さんの声、鼻を啜る音。それにわたしに送るのすら躊躇ったかもしれない本文が空白のメッセージ。
 ピンと来たわたしが愛さんにすぐ電話をしたら、案の定愛さんの心が傷ついていた。だからわたしの気持ちも浮き上がらない。
 わたしはパジャマから外着に着替えて朝ごはんと愛さんの分の夜ご飯も合わせて準備をしながら、一通りのチェックする。
 まずは愛さんが今日も来てくれた時の為のココア。愛さんがわたしの家に来てくれて初めて口にしてくれた飲み物。これだけは絶対に外せない。
 次に愛さんが泊まってくれても大丈夫なように歯ブラシ。そして愛さんの着替え。愛さんの着替えはわたしが愛さんにたまには泊まってもらいたくて勝手に用意したものなんだよ。
 そうやって愛さんに心地良く泊まってもらうためのチェックを一通り済ませたタイミングで朝ご飯を、さすがに慣れたこの部屋の中で一人口にする。
 今日は雨が降ってるから、雨の日でもお外で遊べる遊びを考えなくちゃいけない。本当ならこれも愛さんにお任せしてみたいけど、今の傷ついた愛さんだと心の余裕が無いだろうから、わたしが今日の用意をするんだよ。
 少しでも早く、傷ついている愛さんがその傷を乗り越えられるように、今の愛さんの心の内を少しでも理解しようと、前もって心の中で整理をするんだよ。
 まずわたしから水曜日の夜に電話をした時には、声も元気だったしわたしに対してもちゃんと感情の起伏もあった。だから水曜日の夜の時点では愛さんは普通だったと思う。
 だから木曜日か金曜日に愛さんが傷つく何かが愛さんと空木くんと、そして雪野さんの間であった事は間違いないはずなんだよ。これは昨日電話口で愛さんが“優希君と雪野さんの事で”と言っていたからこれは確定なんだよ。
 その水曜日の電話で言っていた目下わたしが二番目に気になってる愛さんの親友さんの事も関係は無さそうではあるけど、それとは別で愛さんがどんな理由で親友さんとケンカしたのかは気になるんだよ。
 ……頭を元に戻して、あの時愛さんが電話で話してくれたのは……そうそう。“可愛い後輩さん”と、以前愛さんの顔を腫らせた憎き妹さんなんだよ。
 その妹さんにも文句を言いたいし、わたしは許せないのだけど、愛さんが直接受けた暴力と“可愛い後輩さん”も関係は無いと思う。
 ただ、空木くんが関係してる以上その妹さんが無関係だって決めつけてしまうのは早計な気がする。
「……」
 わたしは食べ終わった食器を、比較的静かな雨音を耳にしながら手早く洗って片付ける。

 そして愛さんの弟くんである慶久(のりひさ)くんの名前も全然上がって来ないから、これも除外して良さそうではある。ただ今までさんざん愛さんを悩ませてきた慶久(のりひさ)くんが、全然出て来ないって言うのも何となくおかしい気がする。
 ……また思考がそれてしまったんだよ。だから、今回注意して愛さんの話に耳を傾けるなら、昨日電話口で言ってくれていた空木くんと雪野さん。そしておそらく聞き逃してはいけないのが妹さんの存在と言うか動き。と。
 まずは頭の中でまとめてしまう。

 次に私が整理しておかないといけないのは、今までなら愛さんの心の内を聞くのにアレコレと手を尽くしながら何とか口にしてもらってたのに、昨日に限ってはわたしが少し聞いただけで口にしてくれたところなんだよ。
 本当ならわたしを信用してくれてるって大喜びしたいところなんだけど、そう決めつけたら絶対ダメなんだよ。
 マイナス思考・防衛本能に従うなら、わたしに喋りたい、聞いて欲しいって思うほどまでに深く傷ついてると考えた方が良い。
 その証拠と言うか、論拠としては、空木くんの事に関してわたしに“ヤキモチ”“嫉妬”を見せていた愛さんが、少しためらっただけで、わたし相手に空木くんの名前を出した事。
 そしてほとんどためらいなく空木くんの名前を出したにもかかわらず、わたしに会う事も含めて、仔細(しさい)を話す事を躊躇った事の二つがあるんだよ。
 だから愛さんを含めた四人の関係……と言うより、愛さんと空木君はお付き合いをして、少しずつではあるけど、お互いの“秘密の窓” “盲目の窓”を開け合いなら“解放の窓”を大きくして行って、信頼「関係」を築いているのだから、愛さんと空木くんの恋愛に、時々名前の挙がる雪野さんって言う人が震源な気がする。
 さっきの愛さんの周りの状況の整理をしている時にも同じ結論にはなったんだけど、この場合においても妹さんは関係ないと考えても良いはず。
 その上、水曜日の電話の時にはとても嬉しそうに、わたしまで嬉しくなるような声で、空木くんと男性慣れの件で話した結果を教えてくれたのだから、空木くん本人が震源もなんか違うとは思う。
 ただ愛さんが空木くんとお付き合いする前から、空木くんの近くに雪野さんがいた事は間違いないから、極めて震源に近いとは考えておいた方が良い。
 そうでないと、愛さんとの電話で、空木くんと恋敵の雪野さんが同列で出て来る説明が付きにくい。
 その時に全く名前が出て来ない憎き妹さんが鍵になると、一応頭の片隅に置いておく。
 ただ、今回は前回の時にちゃんと説明したはずだから、倉本って言う男の子の事は気にしなくても良いって考えておくんだよ。

 約束の時間までまだもう少しあったけど、雨の中、愛さんを独り待たせたくなかったのとあの大学生の男の人の動向が気になっている事もあって、少し早いめに傘をさして公園に向かう。
「危ない、危ない。もう少しで忘れる所だったんだよ」
 わたしは、ドアノブに手を掛けたところで思い出す。昨日電話で愛さんと喋った時に、涙声なのと鼻を啜る音とが、受話器越しに聞こえて来ていたと言う事は、考えなくても昨日愛さんが悲しい涙を流したって言う事は分かるんだよ。
 今日から明日にかけては愛さんに寄り添うって決めたのだから、今日のわたしは少しばかり本気なんだよ。
 わたしは少しだけ湿らせたハンドタオル2枚と、念のため愛さんの為のお化粧道具も合わせてバックの中に忍ばせる。

 静かな雨音と感じただけあって、雨自体は小降りだったからか、今日の“課外

”に関しての中止の連絡は無かった。
 いつもならわたしたちが準備する、今もカバンの中に忍ばせた道具で、児童たちが元気にはしゃぐ姿、児童たちと遊んでる時に見せてくれる愛さんの屈託ない笑顔を見られるのは、わたしの一つの楽しみなのだけど、今日はそう言う気持ちになれないかも知れない。
 先々週くらいからわたしに懐いてくれてるあの少女の事も、もちろん気にはなるけど今日、明日は愛さんの事で頭がいっぱいになると自分でも思う。わたしは雨の中、少しでも近くで愛さんに寄り添いたくて、今日は愛さんと二人で入れるくらいの大きさの傘で、改めて家を出る。


 待ち合わせ場所の公園に向かう途中、先週の事もちゃんと思い出しておく事にするんだよ。とは言っても先週は空木くんと愛さんの話がほとんどだったけど。
 ただ昨日の電話で“空木くんと雪野さんの事”ってハッキリ言ってたから、せめて空木くんの方だけでもしっかりと把握しておく方が良いと思うんだよ。
 一番大切で大きいのが、わたしが男性慣れの件を言っても中々聞いてくれなかった愛さんが、空木くんの言葉と言うか、説得ですんなりと納得してくれた事なんだよ。
 その時愛さんの口からしきりに、空木くんが愛さんに対して、独占欲や嫉妬心を見せてくれた話と、愛さんの気持ちがちゃんと空木くんに向いている事を分かってくれている事を分かってくれた上での説得だったんだよ。
 普通の人なら好きな人と仲良くするために、喧嘩なんてしなくて済むように、お互いの事を知るために、理解を示すために聞き入れる。全部が全部じゃなくてもそう言う交際が多いとは思うけど、人に《寄り添う視点》では、それだけじゃ駄目なんだよ。
 少しだけ見方をずらして、寄り添う人の気持ち、心が見えるように視点を変えないといけない。そうじゃ無いとそれは優しさでも何でもなくて、ただの独りよがりと同じになってしまうんだよ。
 この場合だと愛さんは空木くんの影響を受けやすい。そんなのはお付き合いをしていて、大好きな人なのだから、当たり前のはずなんだけれど、これはちゃんと確認と認識をしておかないといけない。それを少し工夫する事で違った見方が見えて来るんだよ。
 愛さんが空木くんの影響を受けやすいって言う事は、それだけ愛さんの中に空木くんがちゃんと住み着いているって事なんだよ。
 そしてここで注意しないといけないのが、先週感じた通り、愛さんと空木くんがお互い依存している訳じゃ無くて、お互いちゃんと言いたい事を言える「関係」であり、「関係」そのものの自立が成立しつつある対等な関係であると言う事。
 さっき思い返した水曜日の電話でもそうだったように、空木くんは愛さんに対して独占欲も見せてくれてる。
 ちゃんと愛さんに愛さんの事が好きだって言う気持ちを見せてくれてる。それが伝わったから、愛さんも男性慣れをすんなりと辞めてくれたのも大きいと考えて良いはず。
 つまり、愛さんが空木くんの影響を大きく受けるって言う事は、空木くんもまた愛さんの影響を大きく受けるって事なんだよ。
 それは、お互いがお互いを理解しようと思えた証拠にもなる。と言う事は、必然的に愛さんが、空木くんやわたしに対して嫉妬したように、空木くんもまた、愛さんや倉本くんに対して嫉妬している事にもなる……ああ。そう言えば、愛さんが水曜日の電話で言ってたっけ。空木くんから“倉本くんの

男慣れするのは辞めて欲しい”って。
 それって考えるまでもなく空木くんもまた十分に愛さんに対して“ドキドキ”と“ハラハラ”を感じているのも分かるし、“好き”だからこその“やきもち”を焼いてる事も分かる。
 雪野さんの事なんて知らないんだけど、愛さんを取り巻く人間関係と空木くんの事。そして今週の水曜日までの愛さんの周りを取り巻く状況を整理し終えたところで、急ぎ公園に向かう。


「……」
 公園に着いた時、まずは愛さんを待たせてはいないか、一人ぼっちにはしてないか、小雨振る中、愛さんの姿を探す。
 一通り公園の内外を探して、愛さんの姿が無かった事を確認出来たわたしは、続けて最近愛さんに付きまとうあの軽薄そうな男性を探しておく。そうでもしておかないと先週みたいにわたしよりも先に愛さんを見つけられたら、困るんだよ。
「そんなにキョロキョロして、ひょっとして俺の事、探してくれてた?」
 わたしが周りを眺めていると、向こうからとても馴れ馴れしく声を掛けて来たんだよ。
「わたしが貴方を探す事なんてありません。わたしはいつも一緒に行動してる小さなレディを探してただけです」
 当然愛さんに男性慣れをさせようとする男の人なんて探す訳もないし、愛さんにそんな事を考えさせたこんな軽薄な男性の事を探すなんて以ての外なんだよ。
 さっきまでのわたしの行動は全部、この軽薄な男性から愛さんを守る為であって、それ以外の理由なんてある訳が無いんだよ。
「じゃあ先週も、先々週もよく分からないまま警戒されてたし、今週は一緒にペアを組むことを申し込ませてもらうよ」
 な……なんてことを言うんだよ。この軽薄な男性は。ただですらこの男の人は愛さんを怖がらせたからダメなのに、今日の愛さんは昨日涙して傷ついてるから、もっと駄目に決まってる。
「あのレディは未成年で、貴方と違ってとても純真なので、このお誘いは受けられません。早くどっか行ってくれないと声、上げますよ」
「未成年だったとしても売春をする訳じゃ無いんですから、相手の同意もあれば何の問題も無いですよね」
 ば、売春って……なんて目を愛さんに向けるんだよ。こんな下心を持つ軽薄な男の人をとてもじゃないけど愛さんに近づかせられない。しかも並べ立てられた理屈も、女性の事なんてこれっぽっちも考えてない事も丸分かりなんだよ。
「ちょっと! 離れて下さいっ!」
 だからわたしは迷わずに、休日の公園での入り口で声を上げる。
「っ?! わかりました。そっちがその気なら――」
「――なんだい! モヤシっ子! ホンッとに情けないねぇ。前が駄目だったからって、今度は別の娘かい。そんなに女にナンパがしたいなら、あたしが相手をしてやるからこっちに来なっ」
 わたしが声を上げると、町美化活動をするために集まりつつあった人垣の中から、いつものおばさまが顔を出して、嵐のような勢いで軽薄な男性を連れて行ってくれる。
「いや。俺はあんたには頼んで――『うるさいモヤシだねぇ。あたしだってまだまだ立派な

なんだからしっかりエスコートしなっ』――うわっ! ちょっと何するんですか!」
 その様子をホッとしながら耳を傾けていると、
「あのぅ……朱先輩?」
「――っ?! あ、あい……愛さん?!」
 後ろからかけられた声にびっくりして振り返ると、目の隈だけは何とかお化粧でごまかせたみたいだけど、目の腫れまでは全くごまかせていない愛さんが、いつもの空色の傘を手に、小間の隙間からわたしを覗くようにして、不安そうに立っていた。


 愛さんのおばさまが、愛さんが外に出歩ける様にってお化粧を施してくれたのは分かるけど、それでも尚、目元の腫れは分かってしまうんだよ。
 本当に、昨日一日でどれくらい涙を流せばこんなに腫れてしまうんだよ。わたしは愛さんの心に付いた傷を想うと、もう居ても立ってもいられなかった。
「ちょっと朱先輩。そんなことされたら私……」
 わたしは自分がさしていた傘を放り出して、そのまま愛さんの傘に入って愛さんを抱きしめてしまう。
 さすがにわたしの突然の行動にびっくりした愛さんが、私の名前を呼ぶ途中ですぐに涙声に変わってしまう。それに加えて愛さんの方からわたしに体を預けるようにしてもたれかかって来る。
「大丈夫なんだよ。わたしが何度だって愛さんのお顔をお化粧で可愛くするんだよ」
 わたしは思ってる以上に弱っている愛さんの頭と背中を、優しく優しく撫でる。

 少しの間、愛さんをなだめて少し落ち着いてきた頃に、
「先ほど何か言い争うような声が聞こえたとお伺いしたのですが……『大丈夫です。落ち着いたら今日の活動の道具を取りに伺いますので』……分かりました。何かありましたらいつでもお申し付けください」
 多分だけど、さっきの軽薄な男性との時に上げた声を聞いて、誰かが主催者さんに教えてくれて駆け寄って来てくれと思うんだけど、わたしが愛さんの傘に入ったがために転がったわたしの傘を見て言葉を止める。
 その隙に当たり障りなく、主催者さんにも一度お引き取り頂く事にする
「すいません。私のせいで色んな人にご迷惑をおかけしまして」
 わたしたちのやり取りを聞いていた愛さんが、恐縮して謝ってしまう。
「そんな事は気にしなくて良いんだよ。愛さんはいつでも頑張り過ぎなんだから、たまに迷惑をかけても良いし、わたしにならいくらでも迷惑をかけても良いんだよ」
 だからあの男の人の事を出さないで、迷惑をかけても

と口にして、気持ちを少しでも楽にしてもらう。
 愛さんのお話を聞きたいと思って、愛さんに会いたいと思って愛さんに出て来てもらいはしたけど、わたしが思ってる以上に愛さんの心が弱ってるのを見て肌でも感じる。今日出て来てもらったのは、決して強制ではないこの美化活動に一緒に参加しようとしたのは反省しないといけない。
「今日。もう帰る?」
 だけどこの場合、愛さんに謝るのは前と同じ理由でやっぱり駄目だ。
 もし謝ったら愛さんの事だから自分を責めてしまう。
「せっかくここまで来たのと、私の事を気にかけて――」
「――ちょっとどこ見てんだい! 今日はアタシをエスコートしてくれるんだろ。大の男があっちへフラフラ、こっちへフラフラしてんじゃないよ。全く情けないったらありゃしない」
 愛さんからの返事の途中で、さっきのおば様からの喝が聞こえる。
「――今日も朱先輩と一緒で良いですか?」
「もちろんなんだよ! そしたらまずは愛さんのお顔を綺麗に可愛らしくしてから、道具を借りに行くんだよ」
 先週、愛さんの前で格好をつけて、わたしにお手付きをして愛さんの心を盗んだ事は許してあげるんだよ。
 わたしは心の中でおばさまの所業を一個だけ許す事にするんだよ。

「よし。これで完成なんだよ。愛さんの可愛さを出来るだけ消さないようにして、目の周りの腫れとか炎症とかを分かりにくくしたんだけど、どうかな?」
 わたしも自分の傘を拾って、愛さんと並んで公園に備え付けられている洗面台で愛さんをおめかしする。
「ほとんどいつもの私の顔ですね」
 少し目が赤いのが気になるけど、それでも物珍しそうに自分のお顔を見てる愛さんがやっぱり可愛く見える。
「ちょっとどうしたんですか? 朱先輩」
 洗面台の端に立てかけた傘のおかげで両手が空いたからと、鏡越しに自分のお顔を見ている愛さんに後ろから抱きつく。
 本当に今更なんだけど、愛さんのおばさんが愛さんを大切に大切に可愛がるのがよく分かるんだよ。
「外に出て活動を始めたら傘を持ちながらになるから、今だけなんだよ」
「……ありがとうございます」
 言葉と共に今度はわたしの腕に、頬をもたれかけるようにしてくる愛さん。本当に今日の愛さんは弱ってるのを、随所に見受けられる。
     ――今日はわたしが何としてでも愛さんの心を守るんだよ――
 今日の愛さんの心理状態だと、声に出したら最後、せっかくのおめかしが崩れるからと心の中だけで、愛さんに声を掛ける。
「それじゃあ、そろそろ活動が始まる時間なんだよ」
 そして何とか愛さんの状態が整ったところで、主催者さんの所に道具を借りに行く。

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