第1話

文字数 24,529文字

   『バンブーコクテールより愛をこめて』

 第一章 『アドニス』

 令和五年の梅雨明け。
 記録的な暑さが続く東京の街は、灼熱の重力に押しつぶされたように静かです。それでも、コロナ禍騒動が明けた都会の飲食店には客足が戻ってきました。
 在宅勤務、リモート会議、出会い系アプリ。社会インフラが様変わりしていくなか、コロナ後の人々は生活パターンを変化させました。まるで紀元前と紀元後とでもいいましょうか。世界は一変してしまったのではないかと錯覚に陥る外食シーンが、東京の夜の街で繰り広げられています。

 肌を刺すような紫外線が弱まった午後七時。繁華街でネオンの灯が点り始めた頃、私は全国にチェーン店を展開する寿司屋のテーブル席にいました。
「あぁ、お待たせしました。もう注文しましたかぁ」
 私より遅れてやってきた編集者の阿坂さんが席に座ると、スマートフォンをテーブルの上に置き言いました。私は照れ笑いしながら答えます。
「いゃぁ。注文の仕方が分からなくて。店員さんに注文したら、スマートフォンで注文してくださいって言われちゃいまして」
 デジタル世界に疎い私は紀元後の外食レストランで、食事の注文をすることすらできない原始人になってしまいました。
 阿坂さんは笑いながら御自身のスマートフォンをメニューのQRコードにかざすと、私の注文を送信してくれながら答えます。
「はぁはっはっ。マスターはアナログ人間ですものね。デジタル化は収益が上がる確実なシステムですからね。合理化社会についていくのも大変ですよね」
 店内のテーブル席で、グループごとに賑わっている客たちを眺めながら、私は呟きました。
「この寿司屋さん、カウンター席がないんだ。寂しいなぁ」
「そうですね。僕は寿司屋のカウンターとバーのカウンターは似ていると思っているんですよ。だから敢えて、こういう最新のサービス形態のレストランで話してみたかったんです」
 阿坂さんはハキハキとした口調で、でも少しノスタルジックな眼差しを宙に浮かせながら、私の独り言に応対しました。
 味気ない会食をしながら、阿坂さんが切り出します。
「実は一度聞いてみたかったんですが、マスターって、どうしてバーテンダーになったんですか」
 私の意識は、四十年近く前の長野県にある野尻湖の湖畔に佇むシルクハットという喫茶店の店内にいました。

  ☆

「これ、本当に美味しいんだよ。絶対。飲んでみてよ」
 私に一杯のカクテルを勧めてきたのはアルバイト仲間である温井昌平の隣でお酒を飲んでいた女の子でした。
 当時、私は夏休みを利用して藤田観光が経営していた黒姫の観光ホテルで住み込みのアルバイトをしていました。夜、アルバイト仲間と出かけたのが、野尻湖近くにあるシルクハットでした。
 シルクハットの店内は若い人達が溢れ、色とりどりのカクテルを皆が楽しそうに飲んでいました。聞くところによりますと、夏休みの間は、このシルクハットの店主の息子さんが手伝いで働いていて、期間限定でカクテルメニューを提供しているそうです。
 店内の客層は様々です。関東圏からも関西圏からも色々な人が押し寄せ、冬はスキー客として、夏は避暑地としても賑わうらしいです。私達のようなアルバイトもいれば、山登りやキャンプを楽しむ大学生グループもいました。
 アルバイト仲間の温井昌平の隣にいる幼顔でショートカットの女の子は家族と一緒に近くの別荘に避暑で来ているというのです。なんで、この二人が一緒にいるんだろうと、少し嫉妬した私がそこにいました。ただ、その時の私は暖色の灯かりの中で揺らめく、沢山の笑顔を眺めながら一杯のカクテルに夢中になり、今まで味わったことのない心地よさを感じていました。そのカクテルは私をワクワクさせ、ほのかに切ない残り香がしました。
「アタシ忍。宜しくね。ねぇ美味しいでしょう。ここのバーテンダーさんって昔、銀座の有名なバーテンダーさんの御弟子さんだったんですって」
「いいえ。弟子だなんて。昔、少し御世話になっただけなんです」
 忍と名乗る女の子に誠実そうなバーテンダーの方が応えました。
 おしゃべりで陽気な忍は一杯のカクテルを飲み干すと、私達に御構いなくサッサッと帰ってしまいました。

「なぁ。あの忍って娘≪こ≫、昌平がナンパしたのか」
「別に。むこうから話しかけてきたんだよ。どうせ、どっかの御嬢さんの気まぐれだろう」
 シルクハットの帰り道、昌平と私は満天の星空を眺めながら、三十分かけてホテルまで歩き、将来の不安な気持ちを誤魔化すように、他愛もない話を続けました。

  ☆

「マスターって、やっぱりカクテルが好きでバーテンダーになったんですか」
 あの原色に彩られた世界から、私を現実世界に引き戻すように、阿坂さんは寿司をつまみながら質問をしました。
「んー。そうですね。きっと、あの世界にワクワクしたんだと思います」

 シルクハットでカクテルを飲んだ事が原体験となり、私はバーの世界に興味を持ち始めたのは確かです。
 夏休みのアルバイトを終え、東京に帰った私は一冊のカクテルブックを手に入れました。近年のフルーツカクテルにはない、着色料たっぷりで原色に彩られ煌めく数々のカクテルたちが、ページをめくるごとに私の目に飛び込んできました。
 シルクハットで飲んだカクテルがアドニスだと知ったのは、その時です。ギリシャ神話ではアドニスの流した血の跡からアネモネの花が咲いたとされています。アネモネの花言葉は儚い恋だそうです。学術名のアドニスに属する花で福寿草があります。福寿草の花言葉に悲しい思い出というのがありますが、福寿草は、福告げ草と言われ縁起の良い花とされていて、幸せを招く意味合いもあるそうです。思い込みでしょうか。シルクハットで飲んだカクテルが、私の人生の扉を開いたのかも知れません。

「ワクワクですか。確かに初めていくバーの扉を開くときは緊張感がありますよね。扉の向こうは別世界の聖域で、そこに身をゆだねながらカクテルグラスを傾ける。テキパキとしたバーテンダーの動きが、つかず離れずの距離感でバーの空気を作っているんでしょうね。バーカウンターにはカクテルグラスが似合うんだよなぁ」
 食通の阿坂さんは、各テーブル席で居酒屋のように会食する客たちを見渡しながら答えます。
 昭和という時代にいた頑固な寿司職人が、『丼物を食べるならテーブル席に行ってくれ』と言っていたのを思い出します。白木のカウンターで決まった時間に、決まった常連客が握りずしをつまんでサッと帰る。そんな江戸っ子気質の風景が、この街にはあったのです。
「マスターが初めて作ったカクテルって覚えているもんなんですか」
 阿坂さんは器用にスマートフォンを使い、追加の注文をしながら私に質問をします。
「あっはい。バンブーカクテルですね。バンブーって日本で生まれた初めてのカクテルともいわれているんですよ。んーでも実際には、日本をイメージして改良したバンブーが世界的に有名になったというのが正確なのかもしれませんが」

  ☆

 当時、カクテルブックを読み漁っていた私は魅惑的な混合酒への憧れと共に、数十年前のカクテル発祥時の誕生秘話や、伝説のバーテンダー達の存在に胸を躍らせていました。北米がゴールドラッシュに沸いていた時代に活躍したジェリートーマス氏執筆のカクテルブックを探し回っていたのも、この時期です。
 私が所有しているいくつかのカクテルブックには『バンブーは日本をイメージしてルイス・エッピンガー氏が作った初めての日本生まれのカクテル』として紹介されています。バンブーとよく似た処方のカクテルにアドニスがあります。一八八四年にニューヨークで『アドニス』というミュージカルが大ヒットしました。そして、一八八五年にニューヨークのバーでアドニスカクテルが創作されたという説があります。
 アドニスの処方は、ドライシェリーとスイートベルモットとビタースです。現在、世界的に知られているバンブーの処方は、アドニスのスイートベルモットをドライベルモットに変えたものです。
 私は二十歳代の頃、バーを何件も飲み歩いていました。今から思うと赤面してしまいそうな恥ずかしい思い出があります。当時、私より年配のバーテンダーの方に「どんなカクテルを注文したらカッコイイですかね」と尋ねたことがあります。先輩バーテンダーは「アドニスをドライめに作ってくださいって注文してごらん。違うカクテルを勧められてもアドニスにしてくださいって言ってみな」と言われました。若かりし日の私はなんと当時、現役バーテンダーとしては最長老の中の一人かと思われていた伝説の人、名店クールの古川緑郎氏に「アドニスをドライめに作ってください」と注文したのです。古川緑郎氏は丁寧に「それでしたらバンブーというカクテルがあるのですが如何でしょうか」と答えてくれたのに、私は頑なに「いいえ。アドニスでお願いします」と返答してしまったのです。三十数年経った今でも恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちです。一九八〇年頃と思われる週刊新潮の切り抜き記事が私の手元にあります。その記事によると、古川緑郎氏は、小学校を卒業した年に開店間近だったサンスーシーに飛び込みで面接して一三歳から働きだしたのだそうです。カクテル一筋で半世紀以上働いてきた大先輩に生意気な注文の仕方をしてしまったものです。ちなみに今では私が御客様から「どんなカクテルを注文したらカッコイイですかね」と質問されることが度々あります。私は「まずは素直に御自分の好みを伝えたほうがスマートですよ」と答えます。

  ☆

「バンブー。竹ですか。イイですね。飲んでみたいなぁ。やっぱりカクテルの注文は機械じゃなくて、目の前のバーテンダーさんにオーダーしたいですね。マスターがバーテンダーになったばかりの頃って、どんなことを考えていたんですか」
「そうですね。早く一人前になりたくて。不安でいっぱいでした。とにかく何もかもが半人前でした。ただあの頃の私はお金を稼ぎたいというより、自分の納得できる仕事がしたいと思っていました」
 阿坂さんが三杯目のビールを飲み干した時、私の記憶に蘇ってきたのは、平成が始まったばかりの赤坂の街並みでした。

  ☆

 二十歳代の中頃、バー巡りをしていた私は赤坂にあるバッカスというバーで働くことになりました。入店して一年間は皿洗いと掃除が私の仕事でした。ある日、常連客の八神さんが一人の女性を連れて来店した時の事です。
「こちらの御嬢様はシェリーがお好きだそうだ。一杯、カクテルをお作りして」
 突然、マスターからカクテル作りを許された私は戸惑いました。今まで私は、自分の作ったカクテルで人様から代金をもらったことがなかったのです。丁度、前日の営業終了後に私はバンブーを試作してマスターに味見をしてもらったばかりだったのです。私は、やっと認めてもらったという嬉しい気持ちと緊張でカウンターに立ったのを今でも覚えています。
 カラッ。カラッ。カラッ。ドウクゥッ、ドウクゥッ。ドウクゥッ。サゥァ―。ミキシンググラスに氷を入れ、ドライシェリーとドライベルモットとビタースを注ぎ、素早くステアーすれば出来上がりです。黄金色≪こがねいろ≫の液体をカクテルグラスに注ぎ、シェリーとベルモットの香りが立ち上がります。心の中で『よしっ』と私は思いました。私はマスターから常々『自信のない物は出すな。首をかしげながら出すなんてもってのほかだ』と言われています。私には自信がありました。しかし、私が人生で初めて御客様にお作りしたカクテルを飲んだ女性は表情一つ変えずに深刻な顔をしたままです。その女性は、近頃にしては地味な花柄のワンピース姿で、背筋を伸ばし一点を見詰め、唇をかみしめていました。
 八神さんがマスターに女性を紹介します。
「マスター。この子、ハナさんの娘さんだよ。忍ちゃん」
「ええ、分かります。覚えてますよ。確か、うちの健一と同い年じゃないかな」
 マスターが忍という女性と私に目配せをしながら答えます。
「あっはい。宜しくお願いします」
 私はぎこちなく御辞儀をしながら思い出していました。
「あのー。失礼ですけど、四年前に野尻湖のシルクハットでお会いしたことありませんか」
 女性へ踏み込んだ質問をする私にマスターは怪訝な顔をしましたが、忍は驚いたように私から目を背け、下を向いてしまいました。八神さんは御機嫌な笑顔で答えます。
「あぁ野尻湖、行ったね。ハナさんと行ったことあったね」
 忍は恥ずかしそうに下を向いたままでした。ハナさんは、私が勤めるバーの近所で小料理屋をやっている女将さんです。忍はハナさんの娘さんだったのです。そうだったのです。忍は別荘を持っている御嬢様なんかじゃなかったのです。ハナさんと八神さんが、どんな関係かは分かりません。その日の私は八神さんとも忍とも会話をすることなく、一日中皿を洗っていました。ただ、聞くとはなしに聞こえてくるマスターと八神さんと忍の会話から深刻な状態だという事は伝わってきました。
「忍ちゃん、お母さんの病院とリハビリの手配はしといたから。問題はお店の事なんだけど」 
 八神さんは淡々と慣れた口調で話を進めました。忍は今、自分が置かれている状況を把握しようとしているようです。頭の中を整理するように黙っていました。これからの生活を想像しているのでしょうか。マスターも心配そうに会話に加わります。
「そうですか。大変でしたね。ハナさん、仕事中に倒れたらしいですね。脳梗塞って聞きましたけど、後遺症は大丈夫なんですか」
「んっ。リハビリして良くても車椅子だろうな。店は無理だろう。それでな、忍ちゃん。お店を引き継ぐ気はないかい」
「えっ。私が。無理です。バイトもあるし」
 ホステスの笑い声とサラリーマン達の声が飛び交う店内で、遠慮しがちな忍の声は新鮮な響きでした。シルクハットで出逢った陽気な女の子とは別人です。忍は困惑した様子です。そりゃそうです。いくら小さい店とはいえ、いきなり店をやれといわれても無理に決まっています。しかし、八神さんは既に決まっている事のように強引でした。
「忍ちゃんは絵の勉強しているんだっけ。勉強は続ければいい。まずはお母さんの事もあるし、生活を優先する事。悪いようにはしないから。小料理ハナを続けていれば大丈夫。必ず、良い事があるから」
 忍は不安そうな表情です。だが、現実問題として、八神さんの言うとおりでした。小料理ハナを他人に貸す事も出来ず、閉店も出来ない。まるで、大人達が作ったレールに乗せられ、トロッコ列車が走るように忍の人生が転がってゆきます。
 その後、近所の人達の中には、あれこれと言う噂好きもいました。でも、二十四歳の忍は経営者として店を切り盛りしています。その頃の私はバーテンダーを目指して、バッカスで働きだし一年になます。私の同級生たちは職人になったり、会社で働くなりしていました。いずれにしても、皆が私より先に進んでいるように感じていました。私はこの一年間、掃除と皿洗いだけの毎日です。みんなが私を残して一人前になっていくのです。焦っていました。将来が不安でした。平成という薄暗い道を歩いていました。陽炎を観るように夢を見ていました。遠い先の未来という灯かりを探していました。ただ、時間は無限にあると思っていました。
 それは昭和という時代の音色が止んだ年のことです。あの頃、街は見えない不安と根拠のない高揚感に溢れていました。ニュースを観て最近、やっと年号が変わった事を認識し始めました。
 平成元年の出来事です。
 丸ノ内線と銀座線が同時にホームに入構します。一気に改札口へ押し寄せる人の濁流です。乗車駅が印字された回数券を握りしめ、私は清算窓口に並びます。
「三十円です」
 乗り越し料金を支払い、改札口を出ると人の波の一部になるのです。エスカレーターを上がると、駅ビルの向かいのパチンコ店の音が鳴り響きます。
 ジャッ、ジャッ、バァリィ、バァリィ。パチンコ店の入口付近には、出玉の山が立ち並んでいます。街の喧騒が一気に押し寄せてきます。小銭の両替をする街角のタバコ屋に、近隣の店員たちが並んでいます。みすじ通りにネオンの灯かりが点ります。夕刻、赤坂の街が活気づきます。
 天麩羅屋を右に曲がると五メートル程の砂利道が続きます。左奥にある黄色い横看板が小料理ハナです。カウンター五席の小さな店はいつも満席です。と、いっても毎日同じ席に座るのは常連客の五人です。四六時中、ハンカチを巻いているのは大病院の院長です。活舌の悪いメガネの客は家電メーカーの会長です。筋肉質で色黒の客は広告代理店の局長です。大きな声のお喋りは飲料メーカー創業者一族の二代目です。一番奥の席に座る年配客が老舗商社の会長だという八神さんです。
 カウンターの中の忍は二十四歳です。着物に割烹着姿で五席の小料理屋を切り盛りしています。小料理ハナは忍の母親が営む店でした。女手一つで忍を育てたらしいです。一か月前に母親が脳梗塞で倒れ、二十四歳の忍は店を引き継いだのです。常連客五人のうちの誰かが忍の父親だと、近所で陰口を言う奴もいます。愛人の娘というレッテルを張られた忍は、この街で懸命に生きていました。

 平成元年五月七日、日曜日。
 休日だった私は、店の仕入れと片付けでバッカスに立ち寄りました。赤坂の街は平日と違い静かに息を潜めています。
 小料理ハナの扉が開いていました。
「やぁ。忍ちゃんだっけ。俺、そこのバーの」
「えぇ。はいっ」
 忍は、あどけない笑顔でお辞儀をしました。
「俺、沢村っていいます。沢村健一。大変だね、お店。ここの二階に住んでるの」
「はい。江古田のアパートは引き払って引っ越しました。取りあえず節約しないと。贅沢できないので」
「ふーん。そう。今度さ。飯でも食おうよ。御馳走するよ。あっ、そうだぁ。花やしきって行った事ある。浅草の。チケット二枚あるんだけど行ってみない」
 精一杯の誘いでした。それにしても何でディズニーランドではなく、花やしきだったのか。今思うと、それが功を奏したのかも知れません。忍は緊張が解けたかのように笑いました。
「えっ。あっはぁ。花やしき。行った事ない」
「そうっ。行ってみよう。今度の日曜日はぁ。神谷バーって知ってるぅ。そこで一時半に」
 神谷バーは店先で食券を購入する大衆食堂のようなところですが、百年以上前の創業当時にはハイカラな洋酒文化の草分け的存在だったそうです。今も残る電気ブランという商品のネーミングからも、当時の空気感が伝わってきそうです。ガス燈から電気の時代に変わりつつある時、洋酒と共に当時の日本人をワクワクさせたカクテルが登場したのです。私は忍と神谷バーの前で待ち合わせしました。

 平成元年五月十四日、日曜日。
 私は浅草の神谷バーの前で独り待っていました。忍がやって来たのは約束の時間から九十分が過ぎていました。小柄でショートヘアの忍は小走りで現れました。
「ごめんなさい。もう、いないかと思った。道が分からなくて」
 伏し目がちな瞳で苦笑いする忍に会った私は、彼女の気持ちを考える余裕もなく、ただ強引に誘った初デートに心踊っていました。
「花やしきに日本最古の木造ジェットコースターがあるんだって。俺、実はジェットコースターって苦手なんだよね」
「はぁ。アタシはジェットコースター大好きなの」
 私は神谷バーで御決まりの電気ブランとギネスを飲み干し忍を花やしきに誘いました。
「大丈夫。全部、飲める。残してもイイよ。そろそろ行かないと時間がないかな」
「大丈夫です」
 神谷バーを出ると、忍にお構いなく速足で私は前を歩きます。花やしき入ると私は苦手なジェットコースターに真っ先に向かいました。
 ガタッ、ゴォッ、グゥォ―。
「ヴッギャァー」
 ジェットコースターが動き出して直ぐに、信じられない大声で叫び出し、私は忍の手を力いっぱい握ります。
「ヴッギャァー」
 ジェットコースターが止まると気持ち悪くなり、真っ青な顔でフラフラしてしまいました。本当に怖かったです。そんな私を見て、忍はちょっと面白がっていました。

「似顔絵はいかかですか」
 似顔絵かきの人が声をかけてきました。
「おっ。やろう。二人で描いてもらおう」
「いい。いいです」
「やろうよ」
「いやっ。駄目っ」
「えぇー。じゃぁ、一人ずつ描いてもらおう。似顔絵、一人ずつ描いてください」
 私は強引に二人分の代金を支払って似顔絵を描いてもらいました。
 忍は、オレンヂ色に染まっていく浅草の街並みを展望タワーから見詰めていました。その横顔を見て私は、忍と自分の未来を想像していました。いくつかのアトラクションに乗り、花やしきを出た時には、もう日が沈んでいました。
 花やしきを出て、仲見世通りに差し掛かった時の事です。チィリィッ―。
「あっ、江戸風鈴。綺麗」
「んっ。何っ。風鈴。小料理ハナの窓に飾れば。買ってあげるよ」
「いいです」
「いいからっ」
 チィリィッ―。仲見世通りで江戸風鈴を買い、忍にプレゼントしました。水色の江戸風鈴を持って、水上バスで浜松町に向かったのです。日が沈み、すっかり夜になっていました。隅田川に吹く風が気持ち好くって。なんだか本当のデートみたいでした。隅田川を下る水上バスに吹く風には湿った街の薫りがまとわりついていました。遠くに点在する家々の灯かりが霞んで見えます。その時の浮かれた私は、忍の心の底を思いやる事が出来なかったのです。
 浜松町の駅に着くと、私はソワソワと落ち着かない様子だったと思います。
「これから、どうするの」
「あっ。アタシ、仕込みもありますから、もう帰ります」
「あぁ、そうだね。えっと、どったちだっけ」
「大丈夫です。アタシ、こっちなんで。有難う御座いました」
「あぁ、じゃ、また」
 駅の改札口で別れ、私はいつまでも手を振っていました。忍は一度だけ振り向くと会釈をしました。
 あの時、二人で描いてもらった似顔絵は今、何処にいったのでしょう。

 平成元年五月二十一日、日曜日。
 駅近くの喫茶店に忍を呼び出しました。約束の時間は三十分以上過ぎていました。小走りで忍がやってきます。挨拶もせず、私は忍に誕生日プレゼントを渡します。
「俺と付き合ってくれよ」
 返事はありません。私は忍の顔を見ずに言ったのです。
「忍が不倫しているって言う奴がいてさぁ」
 もちろん、私はそんな噂を信じていなかったのです。だが、自分に自信のない私は忍にも自信がなかったのです。
「誰がぁ。誰っ」
 その時、初めて感情的な口調で私と会話をしてくれたのに、当時の私は忍を理解しようともせず、向き合う術も知らずに黙ってしまいました。
 振り子時計が時を刻む音の聞こえる古い喫茶店には、私と忍以外の客は誰もいませんでした。二人の間に置かれたコーヒーが冷めてゆくのが分かります。私はただ、テーブルの上の冷めたコーヒーを見詰めていました。その日以来、忍は心を閉ざし、私との距離は遠く離れていったのです。
 バッカスに出勤する時、小料理ハナの出窓を覗くと忙しそうにする忍が見えました。私達は二人で会う事はなくなっていました。忍が遠い存在になってゆきます。

 平成三年七月二十七日、土曜日。
 浅草のスナップ写真が色あせていきます。二年近くの歳月が過ぎていました。やっとの思いで連絡をとり、強引に忍を隅田川の花火大会に誘いました。忍をむかえに行った時には、もう陽が傾きかけていました。隅田川沿いには人が溢れ、二人は数珠つなぎの群衆の列の中にしました。
 それまで忍は自分の言葉を語る事は一度もなかったのです。初めて忍の生い立ちを聞かされました。忍の実の父親というのは元商社マンで八神さんの部下だったらしいです。忍の母親とは不倫関係だったそうです。月に一度、忍の家に来る父親はクズでした。産まれたばかりの忍の背中に煙草の火を押し付けた事もあったそうです。結局、その男は会社の金を横領して失踪しました。八神さんがハナさんに気を使ってる訳が少し理解できました。丁度、その頃に住み着いた野良猫のトミヲが忍の家の中を和ませました。初めて訪れる安らぎのひととき。アルバムの中には静かに過ぎていった時間の分だけ色あせていくスナップ写真がありました。

  ☆

 平成元年五月二十一日、日曜日。
 健一さんに駅近くの喫茶店へ呼び出されたの。
「これっ。誕生日プレゼント」
「あっ、ありがとう」
「俺と付き合ってくれよ」
「えっ」
 なぁにぃ。ヤメテよ。困ったなぁ。そんなつもりじゃなかったのに。浅草の時は楽しかったけど、付き合うとかじゃないし。
「忍が不倫しているって言う奴がいてさぁ」
 えっ。最低。何なの、この男。私は声を荒げた。
「誰がぁ。誰っ」
「いゃぁ。うっー」
「誰っ。誰よっ」
 もう、嫌っ。こんな所にいたくない。アタシは席を立った。
 その日以来、健一さんと二人で会う事はなかったわ。それなのに彼は時々、私を誘ってくる。彼と付き合う事はない。男性として見れない。
 一か月後、母が介護施設に入所したの。アタシは母の居る介護施設とお店を往復する毎日。

 二年近くの歳月が過ぎた頃、健一さんに隅田川の花火大会に誘われたの。正直、乗り気ではなかったんだけど、花火くらいイイかなって思ったの。
「凄い人混みなんでしょう」
「一度だけでイイから行こう」
「じゃ、今回だけ」

 平成三年七月二十七日、土曜日。
 隅田川沿いは身動きが取れない程の人混みだったの。人の群れがゆっくりと流れていく。健一さんと、はぐれそうになる。遠ざかっていく私に気付き、健一さんがアタシの手を握ろうとしたの。アタシは反射的に手を引っ込めてしまったわ。アタシは人混みをかき分け、健一さんの背中にピタリと寄り添って歩き出したの。
「大丈夫。凄い人だね。そろそろ花火、始まっちゃうかな」
「うん。大丈夫。ここからでも観えるから」
 二人分の小さなスペースが空いた駐車場を見付けた。
 ヒシュー、ピィー、ドォッ、パァーン。パリッ、パリッ、パリッ、、、、。ヴヲァーン。
 花火が始まる。夏の夜風も気持ち好かったわ。
 アタシは心の垣根がなくなっていくように楽に話が出来たの。
 今まで誰にも話した事がない、幼い頃の気持ちを話し出した。何故、健一さんに話したのだろう。本当のアタシを見ておいて欲しかったのかも。

 小料理ハナの二階。六畳一間の部屋で母とアタシは暮らしていたの。物心がついた時、アタシには優しい父親はいなかった。
『今日、お父さん、来るよ』月に一度、お母さんが、そう言う日が嫌だった。その日はお店を早く閉め、父は母を殴る。大きくなって分かったのだけど、アタシの背中の(あざ)は父がつけた火傷の痕だと知った。小学生になって、父には別の家族がいる事を理解し始めたの。
 母の背中が哀しかった。
 アタシが中学生の時、父が会社のお金を横領して失踪した。新聞の記事にもなったの。世間の冷たい眼は母に向けられたわ。何より辛かったのは、父の奥さんが母を訪ねて来た時だった。
 
 昭和五十三年五月八日、月曜日。
 風邪気味の母とアタシはグッスリ眠っていたの。午前六時。激しく戸を叩く音で目を覚ましたわ。
 ドォゴォッ、ドォゴォッ。ドォゴォッ、ドォゴォッ、。
「高橋さん。高橋ハナさん」
 訪問者は三人の私服警官だったの。二階の部屋まで上がり、室内を見回していたわ。母は、そのまま警察署に連れていかれたの。二時間ほどで母は家に帰ってきた。後で聞かされた話では、父が失踪したらしいの。父は商社で働いていたの。元々、八神さんの部下だった父。八神さんに店へ連れて来られた時に母と知り合ったの。父の会社は五月末に株主総会を控えていた。その総会の準備責任者が父だったの。その父が会社のお金を横領し姿を消した。しかも、暴力団関係者との交流があったらしいわ。後日、分かった事だけど、多額の借金もあったらしいの。総会屋。サラ金。横領犯。その愛人。世間は母を犯罪者扱いした。

 昭和五十三年五月二十七日、土曜日。
 昼過ぎ。アタシは母とお店の掃除をしていたの。
 その女性は、母より十歳くらい年上かしら。気付いたら玄関に立っていたの。母は黙って、その女性に頭を下げた。いつまでも。いつまでも頭を下げ続けたの。アタシは訳が分からず、母の背中を見ていたわ。その女性は、アタシと目が合うと何も言わずに立ち去ったの。父の奥さんだと分かった。その十日後。父が遺体で発見された。父の遺体は解剖され、他殺、自殺、事故で調べられたけど、たいした捜査もせず、自殺で処理されたらしいわ。なくなったお金の使い道は分からずじまい。翌日から、アタシの家にまでサラ金業者が来るようになったの。その頃から、頻繁に八神さんが母の相談にのっていたわ。
「大丈夫。もう心配ないから」
「申し訳ありません」
「いや。私こそ、すまない」
「八神さんが謝る事は一つもないですから。やめてください」
 母よりも、八神さんの苦しそうな表情が印象に残っている。

 昭和五十三年七月十六日、日曜日。
 サラ金業者は一切、来なくなったわ。八神さんや常連客の方は、毎日、小料理ハナに通ってくれて生活も安定してきたの。
 八神さんは、いつも私に御土産を持ってきてくれたわ。その日は八神さんの誕生日。お母さんはケーキを用意して待っていたの。八神さんは花火を持ってきてくれたわ。
「忍ちゃん、線香花火も持ってきたよ。ハナさんも一緒にやろう。いいでしょう。玄関で」
「はーい。今、用意しますから」
 なんだか母も嬉しそうだった。まるで家族みたい。アタシにとって初めての花火。
 バァバァバッー、バァバァバッー。
「綺麗」
「忍ちゃん、まだ、あるよ。線香花火ってね。(つぼみ)、牡丹、松葉、散菊って、四つの段階で変化していくんだってよ」
「へぇー」
「まるで人の人生みたいですね」
 母が呟いた。
 バァバァバッー、バァバァバッー。
 線香花火の火花が煌めき、母の顔を照らす。黒色火薬の匂いが漂っては消えていく。火の玉の塊が地面に落ちる。夜の光に母の顔が浮かぶ。
 母は、いつまでも消えた線香花火を見詰めていたの。
 小料理ハナの玄関から漏れる灯かりが、暗い砂利道を照らす。
 ニィャァ、ニィャァ、ニィャァ。
 野良猫が玄関先に座っていたの。
「あらっ。また来たのっ。困ったわねぇ」
「お母さんが追っ払っても戻ってきちゃうんです」
「ほう。招き猫かも知れないよ」
 その日以来、猫がうちに居ついてしまったのよ。常連客の人達は八神さんの名前からとって、猫の事をトミヲと呼ぶようになったわ。

 昭和五十八年六月十七日、金曜日。
 不安になり手のひらを見詰める。アタシは血まみれの卵を抱いていた。
「いやぁっ」
 夢だった。下着を取り換える。月蝕の月のように赤黒い色をした経血の塊が獣の臭いを放つ。ここのところ、重い生理に悩まされていたの。硬い乳房が割れるように痛い。早熟の同級生の大きな胸を羨ましがる子もいたけど、自分の身体つきが女性らしくなっていくのがアタシは怖かった。女という生々しい肉体に、思考まで支配され、逆らえない世界に引き込まれてしまいそうだったの。
 その日の午後。母の声は慌てていたわ。
「忍。喪服と香典袋を出しといて。八神さんの奥さんが亡くなったって」
「えっ。御病気だったの」
「分からない。心筋梗塞だって」
「そう。お母さん、落ち着いて。お通夜はいつなの」
「明日だって」
「そう。どうするの。今夜はお店開けるの」
「そうね。そうね。あたしが今夜、駈けつけても迷惑よね。お店も開けなきゃね」
 落ち着きを取り戻した母は開店準備を始めた。

 昭和五十八年六月十八日、土曜日。
 母は、お通夜には行かず、お店も閉めていたの。
 その日は一晩中、小雨が降っていた。

 昭和五十八年六月十九日、日曜日。
 雨上がりの街に現れた木漏れ日がリズムよく煌めきだす。
 母は喪服を着て、告別式の会場に向かった。アタシも高校の制服を着て母について行ったわ。
 高校の運動部員達が無縁坂を全力で駆け上がり、母とアタシを追い抜いていく。
 告別式の会場に着くと、母は受付に香典を置いて引き返した。
「お母さん、焼香とかしていかないと」
「いいのよ。行くわよ」
 あの日の母の後姿。高校生だったアタシは、母と八神さんに関係があったかも知れないと想像した。

 平成三年七月二十七日、土曜日。
 パァーン。パリッ、パリッ、パリッ、、、、。ヴヲァーン。
 隅田川近くの駐車場が紅く染まった。花火を見上げる幸せそうな人たちの笑顔。アタシが幼い頃、家族団らんの幸せな風景はなかったわ。
 パァーン。パリッ、パリッ、パリッ、ヴヲァーン。バァバァバッー、バァバァバッー。
 打ち上げ花火の連打の煙が浅草の夜空を白くする。
「これで最後かな」
「そうね」
「今日は話せて良かったよ」
「うん」
 駅に着いて電車に乗るまで、一時間近くもかかってしまったわ。駅のホームで手を振る健一さん。アタシは頭を下げた。
 ピィーッ。プィシュッゥ。 ドゥオッ。
 電車のドアが閉まり、プラットホームから走り出したの。

  ☆

 平成三年七月二十七日、土曜日。
 パァーン。パリッ、パリッ、パリッ、、、、。ヴヲァーン。
 隅田川近くの駐車場が紅く染まります。私の観た花火の風景と、忍の観た花火の風景は、まるで違うものだったことに、その時の私はまだ気づいていなかったのです。
 私は忍に優しい言葉の一つもかけてあげられなかったのです。

 平成三年十一月二十三日、土曜日。
 忍の家に偶々居ついてしまった白猫が妊娠したというのです。忍が飼い猫のトミヲに餌をあげていたら、若い雌の白猫が二階の窓から入って来たというのです。トミヲは歳だし去勢手術も済ませているから安心していたらしいけど、既に白猫のお腹が大きかったのです。二階の軒下で一晩中、鳴いている白猫を部屋に入れてしまったら翌朝、三匹の子猫が増えていたそうです。トミヲは知らんぷりでマイペースだったそうです。忍は近くのペットショップに電話して里親探しを頼んだのですが無駄でした。誰も頼る人がいない忍が私に連絡をしてきました。私は里親探しに精を出しました。それがキッカケになり、二人で会うようになったのです。いつも、青山墓地近くのカフェで待ち合わせしました。大抵、私が二杯目のカクテルを飲む頃に忍がやって来ます。忍は母親の介護、店の準備、赤坂の開発計画が本格的になって来たので、小料理ハナの立ち退き問題とストレスが溜まっているようでした。
 仔猫たちの、里親が決まった日に忍が癌だと聞かされました。忍は一見、健康そうに見えました。忍は母親にも秘密にしていて、癌センターに入院し、手術をした後、独りきりで全部を抱え込み、癌治療を続けているというのです。放射線治療と一緒に抗うつ剤も服用しているらしいです。見た目には何も変わっていないが忍はいっぱい、いっぱいで生きていました。
「体調は大丈夫なの」
 やっと見付けた言葉を私は絞り出しました。
「うん。今、症状は落ち着いているの。アタシは大丈夫だから。もう、ありがとう」
「イヤ。傍にいたい」
「ダメヨ。健一さん。沢山、色々な所に行ったね」
 忍が呟くように、私へ語りかけてきました。
「そんな事ないよ。ぜんぜん。まだ、行っていない」
 そう言って私は忍を抱きしめるのが精いっぱいでした。いつ消えるかも知れない忍の命の燈火を私はずっと見詰めていたかったのです。
 その日以来、私は毎日、小料理ハナを覗き、忍に声をかけるようにしました。

 平成三年十二月二十三日、月曜日。
「白猫が出て行ったんだって」
「うん。だけど、トミオが調子悪くて。夕べから何も食べないの」
「えっ。どうしよう」
「もう、駄目かも。健一さん、上がって。トミヲ、上で寝てるの」
 初めて忍の部屋に入りました。六畳一間の小さな部屋です。部屋の片隅には忍のスケッチブックが置かれています。
「絵、まだ、()いてるんだ」
「スケッチだけ、時間ないし」
 忍のスケッチブックには何が(えが)かれているのだろうと想像しました。
「体調は大丈夫なの。このへんの開発も進んでいるみたいだし」
「うん。八神さんも相談にのってくれるし。でも八神さん、体調崩して、先週、入院して。今、八神さんの息子さんに色々教えてもらってるの」
 私だけが部外者でした。何もしてあげられない自分が情けなかったです。重い病気を抱えて、母親の看病をし、店を切り盛りしている忍。しかも、開発計画の会合にも出席しているのです。忍は小料理ハナの地権者でもあるのです。
 忍が遠くに行ってしまいそうで、ただ怖かったのです。ゆったりとしたワンピースにマニュキュアもせず、派手さがない幼顔の忍が大きな瞳で私を見詰めています。私は忍を抱きしめました。
「でも、俺の事、好きだろ」
「ぜんぜん」
 笑顔で、すねてみせるように、つれない返事を忍がします。私は忍の小さな薄い唇にキスをしました。忍は私の左手首をつかみながら言いました。
「アタシ、今、放射線治療をしているから子供は諦めているの」
「そんなぁ。忍は、まだ若いんだからさっ。うんっ。ん。そうっかぁ。ゴメン。ただ何ていうか、忍は小さい頃から家族の愛情に恵まれなかったから、忍には母親になってほしかったって思って。ゴメン。無責任な事を言って。俺と一緒になって」
「駄目。駄目よ」
「忍と一緒にいたい」
 私の言の葉をかき消すように陽が暮れてゆきます。暗い部屋の中で私は忍を強く抱きしめます。
 ニィャァ。飼い猫のトミヲが力なく鳴きました。
「トミヲ」
 忍は私から離れて、トミヲに添い寝をしました。
 冬の空気が、ただ冷たかったのです。私は呟くように言いました。
「寒いね。温泉でも行きたいね」
「いいね」
「よし。行こう。年明けの日曜日。予約するよ」
 忍は黙って頷きました。
 その日の晩、トミヲが亡くなったのです。

 平成四年一月五日、日曜日。
 私と忍の最初で最後の二人旅でした。
 駅を出ると、西の空が青から桃色のグラデーションに染まっています。私と忍は無言で、その空へと続く一本の道を歩き出しました。空がオレンジ色から紫色になっていきます。やがて、海の香りが漂い始めます。海岸沿いを歩くと、潮の香りが私達を生き返らせるようです。海から吹く風に全てが洗い流されていきます。誰もいない浜辺で波の音が私と忍の鼓動のように繰り返します。
 ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、、、。
 海原に夕陽が反射して、遠くの水平線まで輝いています。私は忍の手を握ります。忍は黙ったまま身を任せ、何も話さずに海岸線を歩きます。
 ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、ズゥワァーバァ、、、。
 二人は同じ波の音だけを感じていました。砂と波と大空の世界に私と忍だけがいるのです。
 廃墟のような小屋がありました。
「さすがに海の家は、まだ、やっていないか。国道の方に行ってみよう」
 道路沿いの定食屋に入ります。
「えーと。海鮮丼二つ。あとビール一本にグラスを二つでお願いします」
 私の笑顔に応えて、忍がはにかむような表情を見せます。ビールグラスを忍に勧めます。ためらった表情で忍は下を向きます。
「飲めるんでしょう」
「じゃ、少しだけ」
 忍がグラスを両手で受け取ります。
 潮の香り。海の近くの定食屋。私は子供の頃に行った家族旅行を思い出しました。ふと、目の前にいる忍との生活風景をイメージします。

 湯河原の小さな温泉宿でした。個室に小さな露天風呂のある部屋です。その部屋風呂の湯船にスーパーで買った生卵を浮かせてみます。
「これで温泉玉子が出来るかな。多分、三十分位で何とかなるじゃないかな」
 子供じみた実験は大成功でした。大笑いしながら食べた自家製の温泉玉子は人生で一番美味しい格別の味でした。
 暖房の音だけがする静かな部屋。私は窓の外の暗い海原をぼんやりと眺めています。窓ガラスに滲む漁火が揺れています。大浴場から帰ってきた忍が窓ガラスに映ります。忍は口を閉じたまま、私の背中を見ています。振り向くと、艶やかな洗い髪の忍が微笑みました。
 あの時、私が観た未来は一瞬で儚く消えていた事に、まだ気づいていませんでした。
 あの頃、私は忍の心の支えになったのでしょうか。それとも、心の重荷になってしまったのでしょうか。
 翌日、東京へ帰る電車の中でウトウトしている私を忍はジッと見つめていました。あの時、忍は何を思っていたのでしょう。

 平成四年一月七日、火曜日。
 小料理ハナが閉店していました。私は何も知らされていなかったのです。忍は私と、さよならをする為に二人で最後の温泉旅行をしたのでしょうか。目の前には、誰もいない空き家があるだけでした。戻らない時間が、昨日までの涙や笑顔を連れ去っていってしまいました。
 
「マスター。ハナさん、閉店したんですか」
「そうだね。この地域一帯が開発地区でホテルが建つらしいよ。忍さんも地権者だから色々大変らしいし。しばらくは、お母さんの介護に専念するらしいね」 
 マスターは忍が癌だという事は知らないらしいです。
「このビルは大丈夫なんですか」
「さぁ、いつかは立ち退き話があるかも知れないけど、五年先か十年先か分からないね」
 空き家になった小料理ハナの前を通り過ぎて、毎日、私はバッカスに通い続けました。小料理ハナの出窓には、割れた江戸風鈴が風にさらされていました。
 開発された赤坂の街を知る事なく、マスターは三年後に心筋梗塞で亡くなりました。
 平成七年にマスターが心筋梗塞で倒れ、一か月後に意識が戻る事なく亡くなりました。マスターの奥さんから、バーの経営を引き継いだのは、その年の暮れの事です。店の保証金を奥さんから借り入れるかたちで、私はバーのマスターになりました。独立して二年。やっと、仕事と生活のリズムが整ったと思い始めた頃。大衆酒場の女将さんから、忍の噂話を聞きました。忍が母親になったというのです。

 平成九年五月二十三日、金曜日。
 私の目の前にいる女性の話題が、誰の話をしているのかが分かりませんでした。それは私の知る忍とは、あまりにもかけ離れたイメージの女性の噂話でした。
「うっそぉ。ケンちゃん、何も知らないのぉ。忍ちゃんねぇ、子供、産んだんだよ。五年前の暮れに。シングルマザーで」
「えぇー。何でぇ。いつです」
「五年前の暮れよ。何でも、帝王切開で産んだんだけど、障害がある子供らしいのよ」
「えっ。あぁ。そうなんだ。一人で育てているのかぁ」
 信じられませんでした。五年前の暮れって。いったい誰の子供を産んだのだろうと、私は混乱しました。
 忍は、現実と向き合って、一人で障害のある子供を育てているんだと思うと、いてもたってもいられません。五年前に使っていた財布の中からメモを見つけ出し、私は忍に電話をしました。
 五回のベルの音は忍に届く事はありませんでした。

 私は数年前に忍と一緒に、よく行っていた青山墓地近くのカフェに顔を出しました。昔の常連客の姿はなく、店長以外のカフェの定員達も大半は知らない顔です。
 私はカウンター席でアドニスを注文しました。懐かしい酒です。でも、遠いモノクロの風景は深い靄で霞んでしまい思い出せません。
 アドニスを飲み終えた私の目の前に、二杯目のアドニスが注がれました。
「えっ、注文してないですけど」
「実は、もし元気のない人がいたら一杯のカクテルを提供してくださいって、ある人が代金を前払いしているんです」
 照れくさそうにカフェの店長が答えました。
「そんな。困るなぁ」
「イタリアのナポリには、金銭的余裕のない人の為にコーヒー飲ませてあげる仕組みとして飲食代金を余分に支払うカフェ・ソスペーゾという風習があるんです。当店も、悩んでいる人に見ず知らずの人がカクテルを御馳走するサービスを始めたんです。今回は是非、私にも免じて一杯召し上がってください」
 困惑する私に、店長はカクテルを勧めました。私はグラスに口をつけます。先ほどのアドニスより、ドライめの味です。その時、モノクロの風景に鮮やかな色が蘇り、シェリーの香りが立ち上がります。それは十二年前に野尻湖畔のシルクハットで飲んだカクテルと同じ味でした。ほのかに感じる切ない残り香が、私の時間を停止させます。
「これって。代金を前払いした人っていうのは、女性でしたか」
「すみません。何年も前で覚えていません。それにカフェ・ソスペーゾは見知らぬ人の為に見知らぬ人が御馳走するシステムですからお答えできかねます」
 私は宙に浮いた心の置き場所を探しながら、自分のバーに向かいました。止まり木に集う人達の為に、今夜も私はカウンターに立ちます。

 平成九年五月二十四日、土曜日。
 紅く高揚した忍の肌。荒々しい息で、苦しそうな表情は汗でびっしょりと濡れている。ドゥッザァッ。生々しい湯気が立ち昇り、胎盤の肉片が落ちる。肉感的な生臭い匂いのする夢でした。
 目覚めの悪い朝を迎え一日中、体が重かったです。仕事の後、久しぶりに朝まで飲み歩きました。明け方、私は地下道を抜けて駅へ向かいます。浮浪者の一人が段ボールを抱えて階段を昇っています。地上から差し込む朝日が光明の階段を造り、その先には青空が広がっています。浮浪者は一歩一歩階段を上がっていきます。その姿を私は、ただ眺めていました。やがて、私は仄暗い井戸から這い出るようにして地上に立ちました。

 平成九年五月二十五日、日曜日。
 雨上がりの碧い空は何処までも高く、果てしなく広がり、太陽の光は音もなく地上に降り注ぎます。落ち着きを取り戻した人達の笑顔が輝いています。日曜日の公園には家族の笑顔が溢れています。
「ケンちゃん。ケンちゃんでしょう」
 聞き覚えのある声に振り向くと笑顔の女性が立っています。忍ではありませんでした。スラっとしたスラックスに胸元の開いたブラウスから大人の女の薫りが漂う女性です。
「あぁ。ああっ。メグちゃん。あれっ。メグちゃんだよね」
 中学時代の同級生の山口恵でした。メグちゃんは中三の冬、バレンタインデーにチョコレートをくれたのに、私が返事も御礼も言えなかった相手です。
 中学を卒業した後、私とメグちゃんは高校も同じ学校に進学しました。私とメグちゃんは学校の帰りに、たまに電車の中で会い、昔話をする程度の仲でした。高校二年の夏、休み明けの校内で広まった誹謗中傷は山口恵を孤立させてしまいました。いわれのない噂はエスカレートして『恵が中絶した』なんて話まで、でっち上げられました。いつの間にか校内で独りでいる山口恵を見かけるようになったのも、この頃だったと思います。私は意識したつもりはないのですが、今思うと山口恵から目をそらした事があったかも知れません。何ででしょう。戻る事のない季節を後悔してしまいます。
「やっぱり、ケンちゃんだ。元気。どうしているの、今」
「うん。まぁ。何とかやっているよ。メグちゃんはどうしてたの」
「私。まぁね。うんっ。今、私、実家にいるのよ。コブ付きで出戻りよ。去年、離婚しちゃった」
「あぁっ。そう。子供、いくつ。男の子。女の子」
「五歳。女の子よ。もう、うるさくて。写真、見る」
 写真の女の子の笑顔は一点の影もなく、私を和ませてくれます。中学時代のメグちゃんの面影がありました。
 大きな口を開けて大笑いしながら自分の離婚話をする山口恵は、私のイメージの中の高校時代のメグちゃんとは、かけ離れた違うものでした。今、私の目の前にいる生きた山口恵はハツラツとした表情で私を見詰めています。メグちゃんの笑顔が雨上がりの太陽の光でキラキラして観えます。
「なぁ。メグちゃん、良かったらさぁ。今度、ビールでも飲みにいかない」
「そうねぇ。来月の夕方当たりなら、大丈夫」
 私の今という時間が明日にむかって動き出した。と、その時は思いました。

 平成九年六月八日、日曜日。
 心の棘は深く、私は傷をまだ引きずっていました。
 華やかなカクテルパーティーも今は色あせて観えます。人混みの中で孤独な私の前に忍が立っています。何も変わっていない笑顔。伝わってくる空気感も髪の薫りも体温も昔のままです。私は、どう声をかけていいか分からず、ただ微笑みました。目が覚めると現実が降りてきました。そこは忍のいない世界でした。
 割烹料理店で働く友人から電話がありました。
「なぁ、健一。知っているか。髙橋忍。五年前にシングルマザーで子供、産んだんだってよ」
「あぁ。つい先月に聞いたよ」
「それでよ、一昨年に結婚したんだってよ。あの老舗商社の元会長。信じられないよな。愛人の子じゃなくて愛人だったのかな」
「えっ、あぁ。知らないよ。それよりハナさんはどうしてるの」
「三年前の秋に亡くなったらしいよ」
「あっ。あぁ。そうかぁ」
 信じられません。私の心は(ちゅう)に浮いたまま、置き場がなかったです。

 平成九年六月八日、日曜日、夕刻。
 乾杯のビールを一口飲みます。まだ、陽の明るいうちから飲むビールの味は爽快な味わいです。心地好い酔いのせいか、私は私という人間に蘇っていく気分になります。
 西の空がオレンヂ色から赤紫に変わります。薄暮の空に吹く風が初夏の薫りを運んできます。
 山口恵は中学時代には想像もしなかった艶っぽい表情で遠くを見詰めています。
「私ね。ケンちゃんの事、好きだったんだよ。中学の時」
「えぇっ。んっん。今はどうなの。彼氏は」
「ぜんぜん。もう、結婚とか、いいっしっ。何で結婚したんだろう」
「結婚するのに理由が要るのかよ」
「ふっはっはっは。ケンちゃん、ロマンチストね」
 ロマンチストか。恵は、私に現実を見ろって言っているのでしょうか。
 忍は理由を付けて結婚に踏み切ったのだろうか。
 私は山口恵と、また会う約束をせずに別れました。
 翌日、東京が梅雨入りしました。

 平成九年七月にビルオーナーからバッカスの立ち退きの話がありました。私は前から目星を付けていた六本木の芋洗坂の物件に移転する事を決めたのです。 

 平成九年八月三日、日曜日。
 山口恵から連絡がありました。待ち合わせのカフェに着くと、笑顔の山口恵が手を振って待っていました。綺麗です。山口恵は五歳になる娘の弥生ちゃんを連れていました。弥生ちゃんは、ちょっと大人びてみせるように、気取って私に挨拶をしました。
「こんにちは。母が、お世話になっています」
 私は、ほころんだ顔で弥生ちゃんに答えました。
「お母さん、そっくりだね。美人になるよ」
 弥生ちゃんは、はにかんだ笑顔をみせ、すました顔でクリームソーダを飲みながら絵本を読みだしました。メグちゃんは静かに微笑んでいます。
 私とメグちゃんは冷えたビールを一杯ずつ飲み干し、三人で晴れた渋谷の街に出ました。
 太陽の薫りが漂う街には若いカップルが楽しそうに歩いています。その笑顔に影はなく、その瞳には明るい未来が映っています。自分が何者かを分かっていて未来を信じていた、あの頃の私達のようです。何処までも高く、青く映える空が眩しく光り輝いています。二度とない、今、という瞬間。私は隣にいる山口恵をしっかりと観ました。

 山口恵と毎週会うようになって、二年後、私達は結婚しました。幸せでした。結婚当初、生活もバーの仕事も順調でした。
 平成九年九月。六本木の芋洗坂でバーを新規開店。新しい御客様も増えていきました。役者風、ミュージシャン風、役人風、職人風、青年実業家、スナックのママ、様々な人が出入りしていました。充実感もあり、バーテンダーとしての自信もついていきます。
 平成十一年九月に恵と結婚しました。私生活も一人前の人間として歩き出した気になっていました。恵と弥生との生活も楽しかったです。クリスマスや正月。年に一度の家族旅行。学校行事に、街のお祭り。そんなイベントも心地好かったのです。
 私達は確かに家族でした。今でも、私にとっての家族は恵と弥生です。
 平成十五年頃から私の店の売り上げが半減しました。気難しくなっていく娘の弥生とは、上手くいっている方だと思っていましたがギクシャクしだします。妻の恵とは毎日、口論が絶えなくなりました。
 平成二十一年に妻の申し出を受け入れて離婚が成立しました。今、恵と弥生は近くの公団住宅に住んでいます。半年に一度は三人で食事をします。結婚していた頃より、気楽に話せて仲が良いとさえ感じます。ただ、恵に二度の離婚を経験させてしまった事が後悔でならないのです。
 平成二十二年一月七日、木曜日。
 押し入れの整理をしている時、懐かしいアルバムが出てきました。恵と結婚した当初、娘の弥生と三人で撮った写真です。去年と同じに、街は流れて日常が過ぎていきます。毎日の繰り返しがあるだけです。仕事があるのは有難いことです。淡々と月日が過ぎてゆきました。そんな生活が十年続きました。店は何とか食べていけるぐらいの経営状態です。なんとなく老後の不安を感じながらも独り暮らしを続けています。自由と引き換えに、時々、空虚な時間が訪れるのです。先日、家の電球を交換する時、椅子から落ちてしまいました。真っ暗な部屋で自分が今、独りなんだと初めて知ったのです。
 救いはバーという私の居場所があったことです。グローバル化していく世界の中で新自由主義の波に飲み込まれると、自分はどう生きるのかという道標を見失ってしまいがちです。ソーシャルネットワークに映し出される見知らぬ人の価値観に惑わされてしまうと、自分の存在が分からなくなり、幾ら金銭を稼いだかが人の価値だと勘違いしてしまいます。私が私らしく生きられたのは、バーという場所と一杯のカクテルの御蔭です。
 バー業界で三種の神器と言われていたものがありました。私が六本木の芋洗坂にバーを開店させた頃、葉巻、ワイン、フレッシュジュースがバー業界のトレンドでした。その当時、葉巻やワインの消費量増大に合わせて、輸入される種類も増えていきました。葉巻を保存するヒュミドールやウォークインのワインセラーを設置するバーが増えたのも、この時期です。その昔、バーにビールやワインは置かないという時代では考えられない事でした。日本のバーで提供される繊細な味のフルーツカクテルには数年前から定評があったのですが、二十一世紀に突入した頃から海外のニューウェイヴカクテルが飲食業界を席巻します。いかに美味しい果物のジュースをカクテルに活かすかが繁盛店の課題になっていました。その後、料理業界のエル・ブジが話題になると、カクテルの世界でもエスプーマなどの新しい手法が次々と導入されます。スモークガンや蒸溜器を使用するバーシーンが展開されていくのです。インスタ映えという言葉も進化するカクテルシーンを後押しします。現在はボタニカル、ネオクラッシック、ミクソロジストという言葉がバー業界のトレンドになっています。
 日本初のバーといわれているのは、桜田門外の変が起きた一八六〇年開業の横浜ホテルのバーです。製氷機が一般利用される以前なので今、私達がイメージするカクテルシーンとは異なります。新しい技術や文化の導入でカクテルは進化し続けているのです。例えば、ギムレットというカクテルは、ジンとライムをシェークするのですが、創作当初はシェークせずに作られていたと考えられています。今もサヴォイホテルのカクテルブックには、その頃の処方が記載されています。バーテンダー修業時代の私は、カクテルの逸話や古い処方の本を読み漁っていました。私の手元にパリのハリーズ・ニューヨーク・バーのカクテルブックがあります。そこには一九一九年のホワイトレディの処方が記載されています。現在の一般的なジンベースではなく、ホワイトミントリキュールベースのホワイトレディなのです。そのカクテルを飲みに私はパリを訪れました。その時、ハリーズー・ニューヨーク・バーのチーフバーテンダーをしていたのがムシュ・ロフォンです。彼のお気に入りのカクテルはムッシュ・ロフォンの特別処方で仕立てたアメリカ―ノです。元々、アメリカーノというカクテルは、一九〇〇年代の初期にイタリアで出来たカクテルです。意味合いはイタリアの亜米利加人といったところでしょうか。カンパリとイタリアンベルモット(スイートベルモット)を炭酸で割る物です。イタリアの酒だけを使用しています。 このアメリカーノというカクテルはその後、フランスで流行ったという事です。そして、彼のレシピはこうです。大きめのロックグラスに氷を入れ、 カンパリとチンザノ・ロッソを入れる。ノイリープラット・エクストラドライを少々多めに注ぎ、発泡水を少なめに入れる。オレンジのスライスとレモンピールを落とせば完成です。美味しいカクテルです。食前酒としても間違いない。フランスのお酒のノイリープラットを注ぐあたりが巴里っ子らしいのかも知れません。帰国した私は自分のバーで、そうした古い処方のカクテル作りに没頭しました。
 アナログ人間と言われている私のバーの店内には、ダイヤル式の黒電話やレコードプレイヤーが現役で動いています。自分の中では何一つ変わっていないと思っていたのですが気づくと私の頭髪は真っ白になり、新聞を読むときには老眼鏡をかけます。
 バーの扉を開くと、外の世界は著しく変化していました。イヤホンのコードがなくなると、街から商店街が消えていました。

 平成二十九年の秋に娘の弥生が結婚しました。気を使った弥生から結婚式に出席してくれと頼まれましたが、私は断りました。
 平成三十一年三月十七日、日曜日。
 雲一つない天気の青い空に誘われて、あてもなく街に出たのです。気づいたら、私は赤坂の街を歩いました。
 
  ☆

「そういえば百二十年ぶりに花が咲いた竹林があるんだってね」
 阿坂さんが突然、妙なことを口にしました。
「どういうことですか」
「竹って未だに解明されていない事が多いらしいんですけど、百二十年周期で花が咲いて、竹林全てが枯れた後に、生まれ変わる事があるんですよ」
「へぇー百二十年ですか。百年以上前の明治末期に銀座ではカフェブームが起きて、カクテルのファンも多かったみたいですよ。世界的にも、今よく知られているカクテルの多くが、その時期に誕生したと言われているんです」
「バンブーもそうなんですか」
「バンブーは百三十年以上前にあったらしいのですが、ルイス・エッピンガーの改良したレシピが百年前には世界中に知られていたらしいです」
「はっはぁー。それじゃ世界中のバーテンダーが百年以上前のルイス氏の遺伝子を引き継いでカクテルを作っているんですね」
「そうですね」
 なるほど。そういう言い方ができるかも知れません。阿坂さんの言う通りです。私達は先人の魂を引き継ぎ、自分自身の人生を投影しながら、次世代にバトンタッチしているんです。
「マスター、今日はありがとう。最後にお聞きしたいんですけどマスターが一番、尊敬しているバーテンダーの方って誰ですか」
「んー。綺麗ごとじゃなくて、全てのバーテンダーの方達だと本当に思います。みなさん、色々なことを抱えながら一所懸命にバーを守っているんですから」
「マスターらしいな。そういえば次の週末の花火大会は、いつもの場所に行くんですか」
「はい。また特等席で花火観賞をしながら一杯やります」
「そうですか。僕も行くので宜しくお願いします。楽しみだな」
 そう言って、阿坂さんは優しく微笑みながら頷くと、スマートフォンを手に取り、立ち上がりました。
 阿坂さんを見送り、私は自分のバーに向かいます。六本木の交差点では、西の空に太陽が輝いています。芋洗坂を下ると、急に薄暗くなり、夜が顔をのぞかせます。昔、この辺りは日ヶ窪と呼ばれていたそうです。
 そろそろバーの開店する時間です。きっと、いつもと何も変わらずに、そこにあると信じているから御客様はバーの扉を開くのでしょう。
 日に日に変化していく街並みを眺めながら、私は敬愛する全てのバーテンダー達に想いを馳せていました。
 日本のバー業界に多大な影響を与え、日本発信でバンブーカクテルを世界に広めたルイス・エッピンガー氏。ルイス・エッピンガー氏がいたグランドホテルで働いたのち、世界中にミリオンダラーを広めた浜田昌吾氏。チェリーブロッサムを創作し、日本人発案のカクテルを初めてサヴォイホテルのカクテルブックに登場させた田尾多三郎氏。数をあげればきりがありません。そして、今夜もバーカウンターで御客様を迎える準備をしている全てのバーテンダー達に敬意を伝えたいと思います。アディオス・アミーゴ。
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  •  第一章 『アドニス』

  • 第1話
  • 注釈・参照

  • 第2話
  •  第二章 『ペイフォワード』

  • 第3話
  •  第三章 『アムール』

  • 第4話
  • 追記。 『おわりに』

  • 第5話
  • 付録・バーのショートショートストーリー五選『今宵、バーの片隅で』

  • 第6話
  • 質問『お客様との会話で印象的だったことはありますか?』

  • 第7話
  • 質問『日本のバーについて思う事はありますか?』

  • 第8話
  • 質問『是非、行ってほしいバーとは、どんなバーですか?』

  • 第9話
  • 質問『日本のバーは、どのように発展していくでしょうか?』

  • 第10話
  • 質問『バーで飲む為の嗜み方はありますか?』

  • 第11話
  • 質問『バーとは、どんな場所ですか?』

  • 第12話
  • 質問『印象深いバーやバーテンダーの方はいらっしゃいますか?』

  • 第13話
  • 質問『最近、マニアックな専門店のバーがありますが、どのように考えていますか?』

  • 第14話
  • 質問『出入り禁止になる人って、本当にいるんですか?』

  • 第15話
  • 文中の一部を抜粋

  • 第16話

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