第13話
文字数 628文字
質問『印象深いバーやバーテンダーの方はいらっしゃいますか?』
回答。
かつて、東京の蒲田に蟻というバーがありました。最盛期には人も雇っていたそうですが、晩年は御夫妻で店を切り盛りしていました。マスターは喉頭がんを患い、自身の声を失ってもカウンターに立ち続けたのです。お客様に愛された蟻は伝説的なバーだと思います。かつて、お客様から『年齢を重ねめほどに味がでるバーテンダーって、素晴らしい職業ですね』と私は言われたことがあります。しかし、正直に言いますと、蟻のマスターほどの覚悟があるのかどうか私には自信がありません。もう一人。四十七歳で亡くなった銀座オーパの創業者である大槻健二氏です。彼は病気であることをお客様に悟られることなく、亡くなる二か月前までカウンターに立ち続けました。そして彼が亡くなった後も、彼の後輩たちは各地のバーテンダーとして活躍しています。銀座オーパには今でも彼のカクテルの味を味わいにくるお客様がいます。これは一朝一夕には出来ないことなのです。金銭を稼ぐ為のシステムを修得しただけでは、人の想いは受け継がれないのです。バーテンダーという職業に想いを持って人材を育てた結果なのです。これから先、何年経とうとも、彼の酒に込めた想いやバーに対する想い、バーテンダーとしての姿は消える事がないのです。魂を受け継ぐ者がいる限り、その魂は生き続けると私は想います。志は受け継がれ広がっていくのです。そして、魂は永遠のものとなるのではないでしょうか。
回答。
かつて、東京の蒲田に蟻というバーがありました。最盛期には人も雇っていたそうですが、晩年は御夫妻で店を切り盛りしていました。マスターは喉頭がんを患い、自身の声を失ってもカウンターに立ち続けたのです。お客様に愛された蟻は伝説的なバーだと思います。かつて、お客様から『年齢を重ねめほどに味がでるバーテンダーって、素晴らしい職業ですね』と私は言われたことがあります。しかし、正直に言いますと、蟻のマスターほどの覚悟があるのかどうか私には自信がありません。もう一人。四十七歳で亡くなった銀座オーパの創業者である大槻健二氏です。彼は病気であることをお客様に悟られることなく、亡くなる二か月前までカウンターに立ち続けました。そして彼が亡くなった後も、彼の後輩たちは各地のバーテンダーとして活躍しています。銀座オーパには今でも彼のカクテルの味を味わいにくるお客様がいます。これは一朝一夕には出来ないことなのです。金銭を稼ぐ為のシステムを修得しただけでは、人の想いは受け継がれないのです。バーテンダーという職業に想いを持って人材を育てた結果なのです。これから先、何年経とうとも、彼の酒に込めた想いやバーに対する想い、バーテンダーとしての姿は消える事がないのです。魂を受け継ぐ者がいる限り、その魂は生き続けると私は想います。志は受け継がれ広がっていくのです。そして、魂は永遠のものとなるのではないでしょうか。