第15話

文字数 2,524文字

質問
 『出入り禁止になる人って、本当にいるんですか?』

 答え
 います。飲食店は安全な場所であるべきだと、私は考えます。飲食物の安全性は勿論、安心できる店の環境も必要です。そして、他人に迷惑をかける人を排除しなくてはなりません。趣味で海外を一人旅するお客様が『道端で危険を感じたらパブに入店して危機回避をしていた』と以前、おっしゃっていました。
 気に入らない客を追い返してばかりで、名バーテンダーといえるかどうかは疑問です。一九八七年株式会社柴田書店発行『バーテンダーズマニュアル』に、お客様のタイプ別と対応のポイントが記されています。短気な客には明るく、スピーディーに対応する。酔っている客には、いやな表情をせず、余計なことをしゃべらない。等々のマニュアルは、昔からある接客方法ですが、どうしても酒癖の悪い、お客様はいらっしゃいます。酔って暴言を吐くような人は、店をストレスのハケグチにしています。そのような方に、二度と来店しないように警告したのは一度や二度ではありません。残念ながら私は感情が表情に出てしまうので、名バーテンダーにはなれませんでした。常連のお客様は、私を名物バーテンダーだと認識なさっているのでしょう。
 実際に店を経営しておりますと、綺麗ごとでは済まない事例が多々あります。ここでは極端な例を二つ御紹介いたします。
 数年前、近隣の飲食店を全て出入り禁止になった人がいました。その人は店の入り口で必ず『入店して良いか』と許可を得ます。入店して、飲み物の提供を受けたとたんに怒鳴り声をあげ悪態をつくのです。そして、会計の時に支払金額を値切るのです。チャージ料やサービス料などに難癖をつけたりするそうです。支払いを拒否すると無銭飲食の罪になります。その人は支払う意思表示をして値切るそうです。その人の噂は聞いていましたが、私は会ったことがなかったのです。ある日の深夜、バーの扉を開け、入り口で礼儀正しく『入店して良いですか』と尋ねる男が現れました。少し怪しい雰囲気を感じましたが断る理由もなく、店内に誰もお客様がいなかったので、入店を許可しました。その男はビールを一杯注文し、一口飲んだとたんに怒鳴り声をあげ、店の悪口など悪態を言い続けました。物凄い剣幕で付け入るスキがありません。この男が例の奴かと私は思い、誰もお客様がいなかったので、そのまま男にしゃべらせ続けました。私はロクに返事もせず、事務仕事をしていたので男が何をしゃべっていたのか覚えていません。四十分ほどして男が『会計っ』と言ったので私が飲食代金を提示すると一瞬、男がひるんだ表情になりました。当店はチャージ料もサービス料もなかったのです。男が千円札を出し、私がお釣りを出します。男が玄関を出るときに『また来る』と言いましたが、私は『もう入店できないよ』と言いました。その後一度、顔を見せましたが、その男は二度と当店に立ち入ることは出来ませんでした。
 もう一つの極端な事例は、お客様同士の借金問題です。その女性はお酒を飲んでいる時には人当たりも良く、バーで知り合った知人が多かったのです。ある日、Aさんという男性客から『あの彼女に金を貸したのだけど、返済期日が過ぎても連絡がない』と言われました。
 以前、私がAさんに送った内容の文章を割愛して以下に記載します。

彼女から借金を申し込まれたのは今回が初めてですか。
実は二十年程前から時々、彼女はお金に困っていたようです。
昔の事なのでハッキリとは覚えていませんが、
「他の人には借りないように。当店のお客さんの優しさに甘えて迷惑かけたら出入り禁止だよ」
みたいな事を私が言ったと思うんです。
彼女も水商売でアルバイトをしていましたから、お客さんが他のお客さんにお金を借りるようになったら
店を出入り禁止になる事ぐらいは把握している筈です。
彼女が当店に飲みに来たのは、正確には分かりませんが、多分、五年近く飲みに来ていないと思います。
今回、Aさんにまで、借金をしたのは驚きました。
お金がショートするスパンが短い事。地元の人たちや仕事仲間とか沢山知人がいる中で、Aさんにまで借りなくちゃいけない状況だというのは、もう、根本的に生活スタイルを変えるところから直さないといけない筈なんです。
例えばYママだったら週一回でもバイトさせてくれるだろうと思うんですよ。
彼女は無一文ではない筈です。
父上が亡くなった時に数百万円の預金があり、それを郵便局の定期預金にしたと聞きました。
母上が亡くなった時、病院の支払いで揉めたと言っていましたが。
引っ越した時期は分かりません。もう、何年も前なのかも知れません。仕事があるなら安い地方に住むべきだと忠告をしました。
とにかく、彼女自身が自分の生活スタイルを見直さないと同じ事を繰り返すだけです。
また、借金を申し込まれたらどうするか等もありますが。
彼女も覚悟のうえで、私の店には来る気がないのかと思いますが。
本来ならAさんに借金を申し込んだ時点で出入り禁止を言い渡さなければなりません。
彼女の事を知るお客さんを守る為です。
Aさんも御存知かと思いますが、彼女の知人とか他数人の人には知らせておきたいのですが。
今回はAさんの胸の内だけの事で納めたいとの事なので。大事にはしないつもりです。
ただ、他のお客さんにも借りているようなら対処しなくてはなりません。
Aさんも、もし、また、彼女から借金の申し込みがあったら、大変お手数ですが、私に御知らせして頂けますか。
私も店とお客様を守らなくてはいけませんので、何卒、宜しく御願い致します。

 その後、数年たっても借金問題は解決していません。幸い被害は広がっていないようですが、仮に彼女が当店を訪れたとしても借金問題が解決していないのに笑顔でむかいいれて接客などできません。本来ならバーで知り合った彼女の知人全員へ被害に遭わないように告知して、彼女の出入り禁止を告知するべき事案です。未然に防げなかったのが残念です。

 夢も希望もなくなってしまいますので、なかなかバーテンダーが店の暗部を、お客様に話すことはないと思います。しかし、現実を記しておくことも必要だと思い、書き留めました。

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  •  第一章 『アドニス』

  • 第1話
  • 注釈・参照

  • 第2話
  •  第二章 『ペイフォワード』

  • 第3話
  •  第三章 『アムール』

  • 第4話
  • 追記。 『おわりに』

  • 第5話
  • 付録・バーのショートショートストーリー五選『今宵、バーの片隅で』

  • 第6話
  • 質問『お客様との会話で印象的だったことはありますか?』

  • 第7話
  • 質問『日本のバーについて思う事はありますか?』

  • 第8話
  • 質問『是非、行ってほしいバーとは、どんなバーですか?』

  • 第9話
  • 質問『日本のバーは、どのように発展していくでしょうか?』

  • 第10話
  • 質問『バーで飲む為の嗜み方はありますか?』

  • 第11話
  • 質問『バーとは、どんな場所ですか?』

  • 第12話
  • 質問『印象深いバーやバーテンダーの方はいらっしゃいますか?』

  • 第13話
  • 質問『最近、マニアックな専門店のバーがありますが、どのように考えていますか?』

  • 第14話
  • 質問『出入り禁止になる人って、本当にいるんですか?』

  • 第15話
  • 文中の一部を抜粋

  • 第16話

登場人物紹介

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