第4話

文字数 1,144文字

……………………人肉は食べたことがあるか? そう訊かれた。「人肉は食べたことがあるか?」そうだ。そんなふうにね。なあ、わかってほしいんだが、わたしの若いころには人肉食ブームなどというものはなかった。今の、現代の連中は人喰いマンガなどをよろこんで読んでいるらしいが。わたしの頃はパーヴァート(変態)なんてそんなにいなかったよ。だから無論、わたしはそう訊かれてキョトンととまどった。それにわたしはベッドの白いシーツのなかで裸だし、ホテルの大きな窓からはふんだんに光がはいってきていた。警官たちはスーツだのユニフォームだの、あげくの果てにわたしに向けてかまえた拳銃だの、フル装備でわたしを囲んでいるのだからね。部屋の白い清潔な壁には頭髪(頭皮ごと)がべっとりした赤い血糊ではりついていて、それ以外の体が行方知れずだというのだ。わたしは上体を起こした姿勢だったが、ふりかえって見たヘッドボードの後ろの壁にびしゃっと血飛沫を散らしてへばりついていたよ、毛髪(脂の滲みでた皮がついている)が。話はそれるが、アインシュタインはいま天国でどんな新しいことを考えついているかね。宇宙の秘密は解明できているだろうか? 興味がないって? 白壁にへばりついていた髪が何色だったか、それを言えというのだね。まあ、きみ早まっちゃいけない。慌てるな。きみに、もっと興味深い耳寄りの情報を差し上げようじゃないか。へばりついた髪だがどうやら散弾銃かなにかで吹っ飛ばされたらしく壁には細かい弾痕がいくつもあった(誰も銃声を聞いた者がいないのだから正確には散弾銃ではないが、効果面では散弾銃だ)。そして隣の部屋では無関係なカップルがどうやらセックス中だったらしく、せわしなく律動的な腰の運動中(おそらくは膝立ち・バックの体位、壁に対しては背を向けていた)の男が巻き添えを頭にくらって死んでいたというのだよ(巻き添え? のおかげで天使とともに昇天したわけだな。常にセックスの目的は昇天なんだしね、その点、彼も不満はないだろう)。そして被害者の下になって彼の息子を受け入れていた女は姿を消してしまってどこにもいないというのだからね。怪しいじゃないか? え? 鈍いのか? きみは。つまり、この凶行の本当のターゲットが髪を残して消えた誰かか、それとも隣室の二人のうちのどちらかか、あるいはその両方か、あるいは3人すべてが惨殺対象だったのか、不明だということだよ。それにね。もっと興味をひくことがあったのだ。ホテルの窓の外では叩けば砕けるガラスのように夏の湖が反射していてわたしの目はうまいこと機能していなかったのだ。「人肉は食べたことがあるか?」と訊かれたときは気づかなかったが、それを訊いた刑事はわたしの弟だったのだ……………………
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