第1話

文字数 1,342文字

……………30歳になった頃には大学講師になって『映像概論』の講義をもっていた。専任講師なので年収800万円ほどで、同じ大学を出て一流企業に入った同級生にくらべれば200万円~400万円ほどビハインドしていたわけだが、講義はただ映画やなんかを垂れ流して適当なことをしゃべくれば済んだのでぼろい商売だった。映画は必ず講義ひとコマではおさまらないので、しゃべくるのは次の回になるし短くて済んだ。エイゼンシュテインだのタルコフスキーだのブレッソンだのゴダールだのブニュエルだのパゾリーニだのベルイマンだの、適当にしゃべくれば何とかかっこうのつく監督が無限にいるのでわたしは楽にやっていた。ところが3年目、教室でわたしをバカにした視線でとらえている男子学生に気づいた。その回はイヤな気はしたものの無事に終えた。次の回もその学生がわたしをせせら笑って見ている。その回は前回途中までだった映画(『サクリファイス』)を最後まで観て、適当なしゃべくりをする回だった。しゃべくりの途中でその学生が手をあげた。発言を求めたのだ。無視したが彼はわたしがしゃべくっているにもかかわらず声をあげ、詳細にわたしの間違いを指摘した。いけないことにその学生はわたしの何倍も映像について博識であり、わたしは知識がいいかげんなうえに記憶があいまいだった。震えがきて、がくがくしながらわたしは冷や汗をぬぐった。大勢の学生たちがわたしの恥辱を目撃している。堪えきれず、固まった身体を不自然にうごかして、わたしは教室をあとにした。そのまま逃げるように大学を去った。大学がうるさいのでメールと郵送で後日手続きはとったが。
 その後は中国地方に落ち延びてスナックの店員になった。収入はクソみたいなものになるのはわかっていたが、他のおいしいものを当てにしたのだ。スナックといえば女が働いているわけで、わたしのようにインテリで若い男は彼女たちからちやほやされて性的に充実した暮らしができるだろうと確信していたのだ(カモメが舞うのも寂しい、うらぶれた町で、スルメと大関だか大五郎だかのにおいをぷんぷんさせた酒焼けした漁師のおっさん連がメインの土地にちがいない)。彼女たちの母性もこみで、確実な期待があった。ところが地方の場末のスナックの20代も後半の女たちは、期待どおり無教養でうす汚れた感じではあったが、わたしに対して母性本能(年上の男にだってにじみださせるものである)すら浮かべず、わたしに対しては地方スナックの店員に落ちたわたしの地位を理解させることにのみ腐心していた。彼女たちはわたしを役立たずのゴミのように扱い、売上げの計算があわなければわたしが盗んだとみなし、じっさいには彼女たちの計算ミスでありわたしが盗っていないことがわかっても、わたしに謝るそぶりをみせなかった。そして地方にはレクサスをやんちゃに乗り回す、いきのいい二十歳くらいのイケメンがわんさかいて、彼女たちは男に飢える機会がなかったし、彼女たちはわたしを卑屈にさせるほどのそれらのシャレたイケメン男子たちにカネをみついでは泣かされることに幸せをみいだしていた。わたしの存在価値はわたし自身に対してすら証明不可能な状況だった。
 そしてわたしは34歳になり…………………
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