第9話

文字数 961文字

 まえに云ったとおり、咲良(さくら)は眼窩が空っぽになってもバーへの復帰を望み、相変わらず無給で客寄せをして人気を博していたのだが(目がなくったって咲良がチャーミングなのに変わりはないからね)、彼女の復帰に裏の目的があったとして(あったとして、だ)それは果たされなかった。
 というのもわたしがブエノスアイレスのそのバーについたときにはそこは退廃的通常営業をしていたが咲良はもう壁に埋め込まれてはいなかった。咲良を《輸出》した連中の差し金なのか、彼女は病院に収容されていたのだ。取り返しのつかないことになるというわたしの予感はこれのことだったのか、とわたしは慄然としたよ。病院なんかに入れたら治る病気も治らなくなる。人間が死ぬ原因はまさに入院なのだからね。知ってのとおり、入院するほど悪いのだもうだめなのだと気力が殺されるか これで安心という思い込みの《安心毒》が体にまわるのだよ。しかしまだ取り返しがつくかもしれないという淡すぎる期待が差し迫った脅威に呑みこまれるのを自分の心の闇の中に確かに目撃してわたしは咲良を病院から救出すべく急いだ。
 ベッドに横たわった咲良はやつれているということはなく天井に目を向けていたものの結局それは虚構の目であり空っぽの眼窩にすぎないから、オレにはそれが何であるか知ることのできない何かを彼女は見ていたことになる。そして彼女の口は切ない声でずっと、
「誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、誘惑しちゃうぞ、……」
と繰り返していた…………………
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