コーヒーブレイク、こんな話いかがですか?

文字数 1,790文字

 何がどうしてこうなったんだ? 画面の表入力が何度やっても合わない。なぜ百万単位でずれるんだ…?
「あ、一宮さん、休憩してください」
「え、あはい」
 就職した会社で、一時的に経理の仕事の手伝いをしていた。こういうの本当に向かないなあ。
「诶,你也去便利店吗?(あれ、あなたもコンビニに行くの?)」
 振り返ると同期の中国人の男の子、(ドゥアン)さんがいた。
「うん」
 この会社、日本の会社だが、8割強の従業員が中国人だ。日本人は1割ちょっとしかいない。つまりほとんど中国人なのだが、わたしにとってそういう環境は慣れているのでむしろ楽しい。
「あ、どうもはじめまして」
 (ドゥアン)さんの隣にもう一人男の子がいる。眼が大きく、Right-onで買ったような大学生っぽい量産型ファッションをした男の子だ。
「笹本です。僕は8月から働いているんで、たぶん同期だと思います」
 大人しいしゃべり方。日本人っぽいなあ。
「一宮です」
 見ると(ドゥアン)さんと笹本さんは楽しそうに話している。
「二人は仲いいですね~」
「一緒の寮のルームメイトです」
「え!」
 中国人が多い会社なので、寮が完備されている。しかし2人部屋なのだ。まあ中国だと一緒にルームシェアすることは普通なのでそんなにめずらしいことではないのだが、(ドゥアン)さんは日本の大学出ているので日本人に慣れているだろうけど、笹本さんは大丈夫なのだろうか…。
「あのう、笹本さんも中国語勉強しているんですか?」
「あ、僕ですか。いいえ、全くですね」
「なんで笹本さんはこの会社に入ったんですか?」
「こういう業種がやりたかったからですね~」
 うちの業種は別に特殊な業種ではない。数ある会社から中国人8割強のうちの会社を選び、中国人とルームシェアしている笹本さんは一周回ってなんかすごい。わたしがいきなりロシア人の会社に入って、ロシア人と一緒に住むようなものだ。
「うちの寮の一番いいところは安いところですね!」
 笹本さんは外が雨の中、朗らかに笑う。

 中国語を勉強している人間は今でこそ多いが、10年ほど前だとやはり珍しいほうだった気がする。はじめの初級はまだ常人がいる。ただ年数を重ねれば上級クラスという猛者(もさ)クラスに押し込まれる。白髪を伸ばし、漢詩の知識豊富な仙人、副詞や形容詞、動詞などとにかくシステマティックに文法を理解していく数学者、ブロークンな中国語で積極的なバッグパッカーなどバラエティに富んでいる。前に会った同級生は、
「前に四川省の観光地へ行った時、キャリーケースが邪魔だったんで、預けることにしたんですよ」
と旅の思い出を語る。中国旅行は一般的に万人受けする旅行ではないと思う。英語はあまり通じないし、慣れていないと色々戸惑うはずだ。ただハマると抜け出せない。中国好きな人は何度も何度も旅行する。
「そしたら、預ける値段が高かったんで、“じゃあいいや”って言ったら」
「言ったら?」
「キャリーケースをひっぱるんですよ!」
 同級生はものすごく笑っている。うん?
「“いやいやいいから!”とか言ってこっちもキャリーケースひっぱって。なんかそういうのって日本ではないじゃないですか、生きてるって気がします」
 同級生の表情にはもはや恍惚(エクスタシー)の文字が浮かぶ。玄人の体験談である。

 このように中国にはまる人間というのは中々癖が強い。隣の韓国語教室なんて見ると、Kポップアイドルの話す言葉を理解するために、韓国語を勉強している女の子たちがきれいにお化粧をして、ノートに書きこんで勉強する様はとても愛らしい。まるで妖精のようだ。対してこちら中国教室を見ると、猛者ばかりの灰色の世界。これがわたしのよく知る中国好きの日本人である。
 
 この会社の日本人も帰化して日本国籍になった元中国人だったり、中国語を勉強していたりする人もいる中、笹本さんはそういうタイプの人間の匂いがしない。とても日本人ぽく、自然体だ。今まで総合格闘技のように猛者たちを見てきたが、ねずみの嫁入りみたいに、一周回って一番強いタイプのように見える。


 このエッセイ、“コーヒーブレイク・ブロークン”はただのOLの日記をしたためていきます。日によって話の長さと濃さはトールサイズだったりショートサイズになるかもしれませんが、こちらは本当にゆるゆる続けます。

 休憩時間(コーヒーブレイク)にサクサクっと読めるようなお話を用意しておきますね。良ければまたぜひ一杯、ご一緒しませんか?
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