第99話 落ちる心・救われる心 ~傷つく乙女心~ Bパート

文字数 5,959文字


 トイレの洗面所で念入りに目元をごまかそうかとも思ったのだけれど、まさかこんな事になるとは本当に思ってもいなかったから、朱先輩から教えてもらっていた、濡れたタオルも用意できないまま目元を拭ってしまっていた結果、目元が完全に腫れ上がってしまっている。
 本当ならこんな顔で人前に出るのは考えたかったのだけれど、突然の欠席に昨日咲夜さんにも電話をしていただけに心配をかけてしまうからと……いや、正直に言うと、このまま逃げ帰って雪野さんに何もしないまま負けを認めるのが嫌だからと言う女の意地で、いつもより遅くある程度登校して来ている生徒がいる教室内に足を踏み入れる。

 それでも目立たない様にと教室の後ろから入ったはずなのに、咲夜さん、実祝さんを含む何人かの生徒が私の方を見て、驚いたかのように目を見開く。
「おい岡本。ちょっとツラ貸せや」
 ただ私の方も自分の席にカバンを置く暇もなく殺気立った女子グループに囲まれる。
 仕方なくカバンを置くのを諦めて、仕方なく女子グループと一緒に再び廊下へ出る。
「何? 時間ないんだから早くしてよ」
 こっちは今それどころじゃないと言うのも相まって、何の事なのかは当たりが付いているから前置きなく促す。
「お前、統括会のくせに、ダチをセンコーに売っただろ」
 殺気立っていたところに、私の言い方で更に反感を募らせたのか廊下の壁際まで私を追い込んで、いわゆる壁ドンみたいな事をされる。
「売ったも何も、現場そのものを抑えられたんだからどうしようもないじゃない。それに私達はあんたらの親じゃ無いんだから責任までは取らないってちゃんと言ってる」
 私は、女としては雪野さんに負けたとしても、人としての矜持までは捨てたくないと、負けたくないと、ヒリヒリする目で睨み返す。
「岡本っ! この件でダチの内申が下がって進学できなかったら、岡本に統括会として責任を取ってもらうからな」
 だけれど、私の足を蹴った女子生徒を呼び出された事もあってか、私の言葉に全くひるむ様子が無い。
 まあ、目元を大きく腫らしてしまっていると言うのも大きいかもしれないけれど。
「そんな事。こっちの責任にすんな。私が言っている間に聞く耳持たなかったあんたらが悪いに決まってるじゃない」
 本当ならここで蒼ちゃんの話もしたかったのだけれど、これだけの緘口令が敷かれている手前、殺気立っている女子達の雰囲気も鑑みて、下手な刺激を与える事によって蒼ちゃんへの実害が行くのだけは避けたいからと、喉元まで出かかっていた言葉を寸前で飲み込む。
「じゃあ副会長と岡本の仲が壊れても、それは岡本自身の責任なんだよな。まあその様子だと昨日の事はもう知ってるって所か? だったらこっちから何かする必要は無いけど、岡本には借りがたくさんあるからな。覚えとけよ」
 そう言って歪な笑顔を私に向ける女子グループの一人。
「ちょっと待ちなって。昨日の事って何? 何の話?」
 何で優希君と雪野さんの事をこいつらが知っているのか。さっき優希君から聞いた話は、雪野さんと二人きりでした話じゃ無かったのか。雪野さんが皆の前で優希君に気持ちを伝えるなんて事は考えられない。
 それともまさかとは思うけれど、こいつから盗聴でもしているのか。私が頭の中で色々な可能性を上げていると、
「昨日の事って岡本、彼女なのに聞いてないのか? いや彼女だから副会長も言わなかったのか? 昨日の放課後、副会長が二年の女子とキスしてたぞ」
 ――私の頭の中が真っ白になる。優希君から聞いた話と違う。優希君からキスをすると言う行動を持って、返事をすると言う事じゃ無かったのか。
 優希君の事を信じたいのに、目の前の女子グループが言っている事を踏まえると、
つじつまが合わない。言葉でやり取りをするだけ、しただけと言うなら、その会話内容はよほど近くまで行かないと分からないはずなのだ。
 でも実際にその行為そのものをしていたとしたら……遠目で見るだけでも分かる――
 ひょっとして私は優希君に嘘までつかれたのかな……そこまで、もう私との信頼「関係」なんて何とも思わないくらいまで雪野さんに気持ちが流れてしまっているのかな……
「岡本ぉ。本当に知らなかったのか? 何でも良いけどお前一人だけが何でも順風満帆に行くと思うなよ。絶対に副会長との仲を潰して、ダチの分も合わせて引きずり落としてやる」
 私が完全に放心している間に、私の方に顔を近づけて来て恐らくは動機であろう本音を小さく口にして、本当に嬉しそうに教室の中に入って行く女子生徒。
 私は今まで少しでもみんなの笑顔を見たくて、みんなを笑顔にしたくて、私なりに一生懸命統括会の役員としても活動してきたつもりだったのだけれど、駄目だったのかな。
 私の意地でこれ以上の涙は流さないように歯を食いしばって耐えるけれど、それ以上の動作をする余裕が全くないのか、廊下の壁際でカバンを手にして目立つにもかかわらず、足は全く動いてくれない。
 そんな私の様子を見かねたのか、蒼ちゃんが私の元に廊下まで出て来てくれる。
「……愛ちゃん。何があったの?」
 そう言って知らず力一杯(ちからいっぱい)カバンを握っていた私の指を一本ずつ解くようにして、私の手からカバンを抜き取ってくれる。
「蒼ちゃんごめん。もう優希君とのお話は出来ないと思う」
 女の意地として、みんなの前ではこれ以上の涙は流さないと決めていたのに、また目に涙が浮かんでくる。
 だからそのまま曇天の空が広がる窓の方に体ごと向ける。
 そんな私の背中を優しく、優しくさすりながら、
「どうして? 優希君と喧嘩でもした?」
 蒼ちゃんが聞いてくれる。でも、喧嘩ならどれほど良かったか……もうそう言う次元の話じゃなくなってしまった。
「……優希君の気持ちが雪野さんに流れちゃったみたいで……」
 それ以上の事を私の口から説明するのは嫌だ。
「本当に愛ちゃんはそう思うの? 空木君にちゃんと聞いた?」
 午前中の授業開始の予鈴が鳴ったにもかかわらず、蒼ちゃんは私の側から離れずに近くにいてくれる。
「今朝優希君と一緒に登校した時に雪野さんから“ワタシの事が好きなら、ワタシの気持ちに応えてくれるのなら、キスして欲しい”……って……言わ……」
 口にして悔しくて、悲しくて、途中から嗚咽に変わって言葉にならなくなる。
「先生。あい……愛美ちゃんの体調が良くないので一緒に保健室に連れて行っていいですか?」
「おい岡本。大丈夫か? ――分かった。じゃあ(つつみ)。保健室まで頼む。朝礼が終わったら先生もすぐに保健室を覗くから(つつみ)は一限目に出るようにしてくれ」
 先生が来ていたのか、私の同意を得る事無く話が勝手に進んでいく。
「ちょっと蒼ちゃん。私授業に――」
「――愛ちゃんの涙、乙女の涙はそんなに簡単に人に見せたら駄目だよ。蒼依がこのままカバンを持つから保健室行こっ」
 そして私の意思は関係なく、蒼ちゃんと一緒に半ば強制で保健室へ連れて行かされる。


 保健室の扉の前。
「愛ちゃんの不安な気持ちはよく分かるけど、空木君の気持ちは愛ちゃんから絶対離れてないと思うよ」
 私の状態がよっぽど酷く見えるのか、蒼ちゃんにしては珍しく気休めを口にする。
「蒼ちゃん。私、嘘つかれていたのにどうしてそんな分かり易い気休めを言うの?」
 私はさっき優希君からも聞かされたし、女子グループも普通には知り得ない事を知っていたのだから間違いないはずなのに。
「気休めじゃないよ。確かに蒼依もびっくりしてるけど、愛ちゃんの話からすると、空木君からした訳じゃ無いよね。それに蒼依が空木君としたかったお話そのものなんだけど、空木君の中で愛ちゃんを独り占めにしたい気持ちと、愛ちゃんの良い所、優しい所を最大限引き出せる形で愛ちゃんが伸び伸びと動けるようにって気持ちの両方で葛藤をしてると思う。何となくだけど愛ちゃんの前ではカッコつけて“しょうがないな

が見ててやるか”って気持ちを持ってるって分かるよ。愛ちゃんの行動一つでそこまで色々考えてしまう空木君が、愛ちゃんを見ててハラハラしてる空木君が、他の女の子、えっと雪野さんだっけ。に浮気はしないと思う。そもそも愛ちゃんとお付き合いをする男の人に、そんな余裕ないと思うよ」
 そう言えば昨日中条さんと話していた時もそんな事言ってたような気がする。
「じゃあ何で名前呼びなの? 優希君。初めは嫌がってくれていたんだよ?」
 目から零れる涙はどうにか出来たとしても、声だけはどうにもならない。
「だから蒼依が直接空木君に聞いてみるよ。本当は愛ちゃんの事をどう思ってるのか」
 それでも私には怖くて優希君の本音を聞くと言ってくれる蒼ちゃんに返事が出来ない。
 そんな私をやっぱり“しょうがないなぁ”の表情で見た後、
「愛ちゃんはもう担任の先生は信用して大丈夫なんだよね?」
「……」
 私は声に出さずに首肯する。
「じゃ蒼依は授業に出るから行くね」
 それを確認した蒼ちゃんが、教室に戻って行ってしまう。
 よく考えたら、失恋のショックで授業を休むなんて事は、統括会に身を置く者としても受験生としても有り得ないんじゃないかって事に思い至る。
「……」
 そう思って教室に戻ろうと思うも、クラスの男子だとか、優希君以外の人からの好意とか心象とかはどうでも良いとは言え、女としてこの顔で人前に出ると言うのもまたためらってしまう。
 だから迷いはしても結局は
「失礼します」
 保健室の中に入るしか選択肢は無かったりする。


「あらこんな時間にっ――って岡本さん? どうしたの? しかもその目。何があったの?」
 私以外の誰かが来るのを待っていたのか声を上げるも、私の姿を見て驚いた穂高先生が、私の顔を見てさらに驚く。
「ちょっと色々ありまして。後で担任の先生も来ると思います」
 本当なら授業時間中に利用する保健室。明確な理由がいるのだと思うけれど、
「先にその顔だけは何とかするから、ちょっとこっちに来なさい」
 何も聞かずにお化粧で分からなくしてくれると言う。
「それはありがたいんですけれど、とてもじゃないですが今は理由を話す気にはなれません」
 ただ、今は誰に何をどうされたって優希君の事を口に出来る気がしない。
「良いわよ。それに巻本先生も一度覗きに来るんでしょ」
「確かに覗きに来ますけれど、蒼依の事だけは喋るつもりはありませんけれど、やっぱりあの先生も良い先生ですよ」
 そこまでで一度会話を中断して、巻本先生が来てしまう前に先にお化粧で何とか見られる顔にしてもらう。

 こんな時だしお化粧を使って私の顔に何かをするとかはさすがに思ってはいないけれど、初めてしたお化粧に一応おかしなところは無いか鏡で自分の顔を確かめる。
「頼りになる先生って、何かそう言えるきっかけみたいなのがあったの?」
 私の目元をうまく隠してくれた先生が、私の言葉に食いついて来る。
「それは私と巻本先生だけの話ですから、誰にも言うつもりはありませんよ」
 さっきの蒼ちゃんの言葉からこっち、今、保健室には私と穂高先生しかいないからさっきよりかは少しだけ気持ちが紛れて落ち着いてくる。お化粧をしてもらった今、涙を流すことが出来ない私には助かる。
「でも岡本さんの中で、巻本先生の事をそう言えるだけの何かがあったって事よね」
「だから何も喋りませんって」
 私は、先生に先生の理想とする先生を目指して欲しくて、本当の意味で先生の理想を叶えて欲しいって思っているのだから、口にするわけがない。
「岡本さんって、私の事だけは信用してくれないわよね」
 でも今の私にとっては何でも良いから、優希君とも、恋愛とも何の関係もない話をしてくれるのは助かる。
「申し訳ないですけれど、先生があのテストの日、私と蒼依にした事、言った事は忘れていませんから」
 だから同じやり取りだったとしても、私は敢えてその流れに沿って問答をする。

 ある程度気が紛れたところで、保健室のドアがノックされるや否や
「岡本! 大丈夫か? 何があったんだ?」
 私たちが返事をする前に巻本先生がドアを開けて入って来る。
「はい。もう大丈夫……とまではとても言えませんが、少しだけ落ち着きました。二限目からは授業に出られそうなので、受けようと思います」
 だから私は、先生に少しでも安心してもらえるように、安心して欲しくて、弱くて頼りないかもしれないけれど、笑顔を向ける。
「それより昨日の女子生徒、ちゃんと放課後に先生の所に来てくれましたか?」
 だけれど私を心配してくれるこの先生もまた、優しい先生ならではの不安と言うか心配事を抱え込んでいたはずなのだ。
「ああ、ちゃんと来てくれた、ありがとう岡本」
 そう言って私に頭を下げる先生。
「それで思い出したんだが、朝礼の時に岡本に連絡事項があって、昼休みに教頭先生と養護教諭の先生が、岡本に確認したい事があると言う事だったんだが……」
 言いながら巻本先生が私から穂高先生に視線を移す。
「私は大丈夫ですが今、岡本さんがこんな状態なので……」
 その視線を受けて、
 ――事情を聞きたいから、朝少しだけで良いから
                    早い目に来ておいてもらえるかしら――
 巻本先生に席を外す事を言外に含ませる穂高先生。
「そう……だな。じゃ後は『待って下さい。さっき話していた女生徒の件なら、放課後にあった暴力騒動の話でしたら、巻本先生が聞いても良いんじゃないですか?』――岡本? さっきの女子も関係あるのか?」
 夢を叶えた、その舞台に立てた人が浮かべる顔じゃない先生を見ていると、どうしても応援してしまうのだ。
「どうなんですか? 穂高先生」
 巻本先生を引き留めた私に驚いて、次に少しだけ表情を歪めた穂高先生。
「岡本さんがそう言うなら分かったわ。すみません巻本先生。少しだけお時間を頂いても良いですか?」
「はい! もちろんです」
 でもそれも一瞬の事。先生の気力が満ちるような返事の後、すぐに表情を戻した穂高先生からの、とても簡単なあの放課後の聞き取りが始まる。

―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
      「岡本。ここがしんどかったら応接室の方へ来るか?」
            不器用ながらも気遣う巻本先生
     「岡本さんは私の事嫌い? どうしたら信用してくれるの?」
             どうしても勝ち取れない信頼
          「優珠希ちゃん。この事知ってたんだ」
               後ろめたい優珠希

     「アタシ、清くんとはずっと幼馴染のままでも良いかなって……」

      100話 私が好きになった人 ~私を好きになってくれた人~
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