第88話 表面化 ~ 見えない綻び ~ Aパート

文字数 6,696文字


 疲れてはいたけれど早く寝た分、いつもと同じ時間に目が覚めても体の疲れはもう残ってはいない。
 それどころか眠りが深かった分、意識だけはいつもの寝起きよりもシャッキリとしている。
 昨日は一日中優希君と一緒にいて、優希君の新しい一面や私に対する気遣い。そして何よりも中々話してもらう事が出来なかった優希君の事、妹さんの事を聞かせてもらえたんだと言う事に、私は昨日の事が夢では無かった事を、改めてかみしめる。
 しかもそれを裏付けるかのような妹さんからのメッセージ。まあ中身に関しては恥ずかしいから割愛させてもらうけれど。
 私は痛む足を

ながら、三人分の朝ご飯と、自分の分のお弁当を用意するために制服に着替えて下へ降りる。
「おはよう愛実。足、どうかしたのか?」
 今週もまたお仕事に行くからか、私よりも先に起きていたワイシャツではあるけれど、スーツというかビジネス着のお父さんが歩きにくそうな私に声をかけてくれる。
「ううん。昨日の影響で筋肉痛なだけだから」
「筋肉痛って……愛実は彼氏と一体何を――」
「――お父さん? 朝から彼氏って……その件はお母さんから聞いてねって何回も言ってるよね」
 もちろんそのことは嬉しいのだけれど、お父さんがしつこい。
「いやでも愛実の言い方からしたら間違いなく男――」
「――お父さん。朝ご飯いらない?」
「愛実の朝ご飯。もちろんもらうに決まってるじゃないか」
 だから朝ご飯を盾にその話題を止めてしまう。
 それから金曜日に買った生ものは諦めるしか無かったけれど、使えるお野菜とかその他の物で三人の朝ご飯と自分の分のお弁当を用意してしまう。
 そして慶が起きてくるのを待ってたら、さすがにお父さんが間に合わなくなるって事で、私がお父さんに付き合う形で朝ご飯を頂く。
「……なぁ愛実。もう慶には弁当は作ってやらないのか?」
 朝食中。いつものテレビのついていない静かなリビングで、もう何回目かになる慶の話題を振ってくる。
 今日のお父さんは何かとしつこい日なのかもしれない。
「なんで私が慶のお小遣いのためにお弁当を作らないといけないの? もう作る気は無いって言ったし、それに来月からのお小遣い、お父さんからも増やすようにお母さんに言うんでしょ?」
 だけれど三年前と今、投げられたお弁当箱の事、作る側が文句を言われるアホらしさ。
 私は、もう作らないって決めてしまったのだ。他の女の人の事はなんとも言えないけれど、一度決めてしまったら変わらないって女の子は意外と多い多いんじゃ無いだろうか。
 女々しいと言われるほど長く迷う事は確かに多いけれど、最近では女も度胸と言われるくらいには、決めてしまう時には腹を括ってしまう人が多い気がする。
「その話は金曜日の日にもしたと思うけれど、許さなくて良い、水に流すだけで良いって言ってくれたのお父さんだよね」
 本当はご飯を作るのも別に良い、何かあったときだけ協力できるようにしてくれたらそれで良いって言ってたのも覚えてはいるけれど、それだとあまりにも同じ家族で寂しいから、優希君に私が作った物を美味しく食べて欲しい気持ちもあって作るようにはしているけれど。
「……」
 私の言葉に肩を落として落ち込むお父さん。
 投げられたお弁当箱の事、私がその時感じた恐怖心、今も三年前の事も言ってないのだから、お父さんの中でどうして私が頑なに作らないのか、その理由が分かっていない事は見れば分かる。
 でもこれは私と慶の問題だし、わざわざ両親の印象を落とす必要が無いから理由を口にする事は無い。
 それならまた

話なのだ。
 それに一見“お弁当箱を投げた”と、その事・動きだけを見ればあまりにも単純に見えるけれど、その時の気持ち、感情はとても複雑だ。投げられた方はやっぱりびっくりするし、相手は自分の弟とは言え、男の子だし、それにその時にはもう両親は家には週末しか帰ってこなかった。だからあのときの恐怖心も残っている。
 投げた方の慶はもう話はそれで終わっているかもしれないけれど、消えない恐怖心を持っている、忘れられないこっちは中々消えない。
 それは年を取った今でも変わりない。
 この話を一切していないのだから、私の両親が知っているわけは無い。
 この事は朱先輩しか知らない。蒼ちゃんにも言ってない。
「お父さん。今日のお昼の足しにしてよ」
 だから肩を落とした、何も

お父さんに、また今週も私たちのために頑張ってくれるお父さんに、余分に炊いたご飯で作ったおにぎりをラップとホイルに包んでお父さんに手渡す。
「ありがとう愛実。美味しく頂くよ」  
 それをお父さんは嬉しそうに受け取ってくれる。
「お父さんも、もうそろそろ行くんだよね。私も今日は筋肉痛だから早いめに家を出るよ」
「慶は起こさなくて良いのか?」
 でもお父さんからしたら私も慶も自分の子供なわけだから気にするのは当然かもしれない。
 そしてやっぱりそれを喜んでいる自分もいる。
 ただ、今はお父さんがいるからそれほど抵抗はないけれど、普段は私と慶の二人きり。
 あの慶からの露骨な視線の日以来、特に優希君とお付き合いをするようになってから、私は慶の部屋に近づいてもいない。
「朝ご飯も用意はしているから、起きてくるくらいは自分で起きてくるよ」
「……分かった。じゃあお父さんが起こしてくるからちょっと待っててくれ。せっかくだから学校の近くまでは送るから」
 そう言って慶を起こしに行くお父さん。


 筋肉痛と言う事もあっていつもより早く家を出た上に、お父さんに車で送ってもらった為にいつもよりも相当早く学校に着く。
 早い時間に来ている生徒も少なかったけれど、何か違和感を覚える。
 私は先に授業の準備だけをして、筋肉痛で足が痛いからと席に着いたまま覚えた違和感の原因を探ろうと教室内を見渡す。
 そうしていると登校してきた女子グループの一人が私の姿を見つけると、剣呑な雰囲気を纏いつつ私の元へ来る。
「ちょっと(つら)貸せよ」
 そう言って廊下を指さすグループ女子の一人。
 今までなら足が痛いからと一蹴するのだけれど、今までと雰囲気がまた違う。
「分かった」
 私はこの覚えた違和感の正体をつかめるのかと、足が痛い事を悟られないように廊下へと出る。
 まだ朝の早い教室内。誰も私たちの事を気にしない教室内に別の違和感を持ちながら。
「あのさ。あたしたちの友達が、バイトしている事を指摘したら、その腹いせに後輩にボコられて病院送りになんだけどさぁ。どうしてくれんの? 統括会で落とし前つけてくれんの?」
 廊下へ出た瞬間、今にも私につかみかからんとばかりに、私に詰め寄る例のグループ女子の一人。
 一瞬の昨日の優希君の言葉が頭をよぎるけれど、妹さんはバイトをしていない。優希君からも妹さんがバイトをしている話は聞いていない。
 と言うか、あれだけしっかりしたお弁当を作って、部活もしていて、勉強もしてい
るのなら、バイトまでしている時間はさすがに無いと思う。
 それに仮に妹さんがバイトをしていたとしたら、今の私と優希君の信頼「関係」ならちゃんと口にしてくれると思う。
「まず確認なんだけれど、そのバイトしているって話は本当の話?」
 二年の間で散発的に出ているバイト問題。
 雪野さんからと言い、例の彩風さんとやり合った男子からも聞いてはいるけれど、いずれも散発の噂だけで確証は無かったはずだ。
「おいこら岡本っ! ナメてんのか? 本当でも嘘でもカンケーねーんだよ! こっちはダチが病院送りにされてんだぞ!」
 だから事実確認をしたかっただけなのに、既に怒り心頭なのか私の胸ぐらをつかんでくる。
「関係ないわけ無いじゃない。事実無根の話なら誰だって文句の一つくらいは言うんじゃ無いの? それより離して」
 そう言って私の胸ぐらをつかんでいた女子の手をはたき落とす。
 友達が暴力を振るわれたのは本当なのかもしれない。明らかに今までとは違う種類の剣呑な雰囲気を纏った女子生徒。
 この雰囲気なら並の男子でも怖さを感じるかもしれない。
 ただ私はその程度ではなんとも思わない。
「なんだお前。悲鳴の一つも上げないのか? ほんっとに可愛くねーな。そんなんだから二年に男盗られるんじゃねーの? ――お前足が痛いのか?」
「――っ」
 全くビビりもしなかった私に悪態をついた上、優希君を使って私を挑発してくる女子生徒。
 でも私はその優希君と昨日はデートをしてきたのだ。それも丸一日を使ったとびっきりのデートを。
 だから私は余裕を崩さなかったのだけれど、胸ぐらをつかんでいた女子生徒の手をはたき落とした時に、思わず痛がってしまった事に勘づかれてしまう。
 そして筋肉痛のところに足を、太ももを蹴られるとどうなるのか。
 力が抜けた私は、くず折れるようにしてその場に座り込んでしまう。
「はぁ? 何のマネだよ岡本。今度はか弱い女子アピールか? それか岡本がダチの落とし前を付けさせてくれんのか?」
「――っ」
 そう言いながら足にもう一発もらう。
 筋肉痛で痛みに敏感になっている分、どうしてもうめき声が漏れそうになる。
 もちろんそんな声を出して、この女子生徒を喜ばせることになるのは悔しいから、声は何があっても我慢はするけれど。
 ただ教室を出た廊下でそんな事をしていれば、その現場を登校して来た咲夜さんが目にするに決まっている。
 今は朝の登校時間真っただ中なのだから。
「おい岡本。お前がダチの分の落とし前をつけさせてくれるんなら、放課後に声をかけて来いよ。今までの分も合わせてしっかりと落とし前をつけさせてもらうからな」
「あんたらにつけてもらう落とし前なんてこっちにはないっての」
 人が増えてきて騒ぎになるのはマズいと思ったのか、中途半端に手を引く女子生徒。
 だったら初めから手を出さなければ良いのに。
 私に暴力をふるったと言う反撃材料を与えた事に気づかない女子生徒。
 ただ周りから見たら、暴力を受けた女子生徒が廊下に座り込んでいるとしか見えないはずだ。
 だからなのか、咲夜さんが目に涙を浮かべながら、私の方へ来る――
「岡本さん立てる? 足大丈『触んな』――」
 ――前にメガネ男子が、私の肩や背中をベタベタ触りながら、あろう事かスカート越しとは言え私の足に触れようとする。
「――またそんな言葉遣いして。今の弱々しい岡本さんなら可愛――っ」
 そしてどう言うつもりなのか――はもう何となく分かるけれど、そのまま私のお腹の方にまで手を回して来たから、思いっきり肘打ちをかます。
「何勘違いしてんのか知らないけれど、メガネのそれは完全にセクハラだから。後メガネの中で私をフッた事になってるんだったら、もう私に話しかけて来ないでくれる?」
 なんで優希君以外の男の人に触られないといけないのか。さすがに昨日の今日とは言え、いやだからこそなのか、優希君に見られなくて良かった。
「やっぱり岡本さんって暴力的だよね。だから俺にフラれたって言うのに。本当に岡本さんって可愛いのにもったいないと思う。まあ岡本さんがそこまで言うなら、岡本さんにはもう声かけないけど」
「――っ!」
 そう言ってお腹に回した手で、そのまま私のお腹を撫でるようにして、私から離れるメガネ。
 私があまりにもの気持ち悪さに鳥肌を立たせていると、今の現場を見ていたからか、目に涙を浮かべながら再び私の元へ来て
「愛美さん大丈夫? どこかケガした?」
 咲夜さんが腕を引っ張って立ち上がらせてくれる。
「ありがとう咲夜さん。私は大丈夫。足が筋肉痛でそこを突かれただけだから」
「……」
 私が咲夜さんに安心してもらおうと咲夜さんに笑いかけるも、教室の中を覗いて更に泣きそうになる咲夜さん。
「……咲夜さん?」
 そこで初めて咲夜さんの状態がおかしい事に気づく。
「ちょっと咲夜さんこっちで話そう」
 そう声をかけて、いつもの踊り場まで足を運ぶ。
 さっきの女子グループの話していた事の真偽も確認したいところではあるけれど、まずは目の前の

のことに決まってる。あんな女子グループの友達のことなんて知ったことじゃない。
「どうしたの? 何があったの?」
 まず先に体が震えている咲夜さんに安心してもらえるように手を取ってさする。
「大丈夫。ゆっくりで良いから」
「あた、あた……し」
 そして震える声で何かを言おうとするけれど、言葉にならない。
 私は震える咲夜さんごと抱きしめてその震えを止めようとする。
「大丈夫。私は本当に何ともないから。どこもケガしてないし」
 咲夜さんをしっかりと抱きしめて、背中を優しく叩いて何とか少しずつ落ち着いてもらう。
「……本……当に? 大丈……夫?」
「大丈夫、大丈夫。私はただの筋肉痛なだけ。咲夜さんも筋肉痛になったことくらいあるでしょ? あの痛い時に打ち付けたら力が抜けるやつ」
「筋肉痛ってあたしもなった事ある」
 そして咲夜さんの震えが少しずつ収まってくる。そのやり方が正しいのかどうかはわからないけれど、一番初めに朱先輩に出会った時にしてもらったことを思い出しながら、意識して私自身の呼吸を遅くして、慎重に対処する。
「じゃあ何があったの? ゆっくりで良いし、言える事だけで良いから話してみて? 本当にゆっくりで良いからね」
 焦る必要は何もない事を重ねて、重ねて咲夜さんに伝える。
 次に咲夜さんの背中をさすりながら、この場合は喋ると言うよりむしろ吐き出してもらわないといけない気がすると思いながら、咲夜さんの声に耳を傾ける。

。ごめん」
 咲夜さんの口からはそれしか出て来なかったけれど、咲夜さんの震えが止まった代わりに泣き始める。

 そしてひとしきり泣いた後、
「ごめん。あたしももう大丈夫だけど……愛美さん。お願いだからあたしを


 本当に辛そうにお願いをしてくる。さっきの咲夜さんを見る限り、本当に咲夜さんの心が限界に来ている気がする。これ以上は駄目なのかもしれない。
「じゃあ咲夜さん。さっき蒼ちゃんの事で謝ったけれど、何が――『おい咲夜こんなところで何してんだ? 早く教室来いよ。みんな咲夜を待ってるぜ』――」
 私が咲夜さんを叱るための理由を咲夜さんの口から聞こうとしたところに、咲夜さんグループの一人が友達(づら)をしながら咲夜さんを呼びに来る。
「あのさぁ。今、私が咲夜さんと喋ってるんだから待ってくれる?」
 そして咲夜さんグループの声を聞いた咲夜さんが強張る。
 私が反論するにはその咲夜さんの反応だけで十分だ。
「何勘違いしてんだ? こっちは咲夜を待ってたのに岡本

人気の少ない場所に連れて来たんじゃないのか?」
 二つのグループともそれが地なのか、男子顔負けの言葉を

口にする。
「咲夜さんはどうしたい? 私で良ければ話、聞くよ?」
「おい咲夜! 友達待たせんのか?」
 私がそっちを意に介さず、あくまで咲夜さんの意思で選んでもらおうと思ったのに、必要

に大きな声で咲夜さんを強制しようとする。
 こいつら咲夜さんにまで圧をかけているのか。本当に友達だと思っていた分、圧力をかけられたらそりゃ咲夜さんからしたら信じられないくらいしんどいんじゃないのか。
 それに大体いつからこんな関係・空気になってしまっていたのか。
 十分気を付けていたはずの私でもこの変化には気づけていなかった。咲夜さんと実祝さんの事にばかり気を回しすぎていたと言う事なのか……これじゃあ担任の事を責められないのかもしれない。
「あのさぁ。本当に友達って言うんなら、そこまで不必要に大きな声を上げる必要。あんの?」
 そんな事も分からずに友達だって平気で口にするのか。
「……ごめん愛美さん――すぐに行くから」
 私に一言謝って、咲夜さんグループの元へ行ってしまう咲夜さん。
 結局咲夜さんを叱る事も出来ずに、咲夜さんから話を聞く事も出来ないまま見送った私は、

 ①例の女子グループの友達が後輩から怪我をさせられた“らしい”と言う事
 ②咲夜さんが蒼ちゃんの事で何かを知っている“かもしれない”と言う事
 そして教室に戻って来た時に
 ③今日は蒼ちゃんと実祝さんがそろって学校を休んだ

 事を知っただけで、具体的な事は何も分からないまま、今まで以上にしきりに私の事を気にしている担任の中での朝礼で、未提出の人の進路希望調査票の回収だけをして、午前中の授業と形だけはいつも通り学校での時間は過ぎる。


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