第99話 落ちる心・救われる心 ~傷つく乙女心~ Aパート

文字数 6,572文字


 優希君から一緒に登校のお誘い。朝から楽しみな事があるとやっぱり気分よく目も覚めるみたいだ。今日は陽も出ていない曇り空ではあるけれど、心の中だけは晴れやかな気持ちで、それでも少しでも早く優希君に会いたくて手早く身支度を整える。
 こういう時もやっぱり髪は短いと楽だし、私のはやる気持ちにも答えてくれるからお気に入りの長さでもある。

 最近慶の帰りは遅いし朝起きて来るのも遅いから、まともに会話すらしていない上に、顔もほとんど見ていない気がする。
 それに最近は少し前に戻ったかのように言葉も態度も悪いのだけれど、どう言う訳か自分が食べた後の食器だけはきちんと洗ってはいるのだ。
 もちろんガサツな慶の事だから洗い残しがあったり粗も目立つのだけれど、その行動と言うか、態度だけはちゃんと見てやるべきなのかもしれない。
「……」
 私はやっぱり甘いのかもしれないし、ただ単に気分屋なだけかもしれない。
 今日は二人分の朝ごはんに、私の分とお弁当。それに今週の頭にお父さんのお昼の足しにして欲しいと渡した、ラップに包んだおにぎり三個を慶にも作って置いといてやることにする。

題名:今から向かうね
本文:今から家を出るから慌てなくて良いから優希君もゆっくり来てね

 いつもいつも優希君に待ってもらってばかりと言うのは悪いから、今から家を出る旨をメッセージで伝える。
 そして最後に、結局今朝も慶の顔を見ることが出来なかった私は、今日は言っていた通りお母さんが帰って来る事と、作ったおにぎりをお昼の足しにでもするようにとの書置きだけをして、優希君との待ち合わせ場所へと向かう。


 優希君との待ち合わせ場所である最寄り駅に着いた時には、先にメッセージを飛ばしておいたにも拘らず、いつも通り優希君が私を待ってくれていた。
「ごめん……て言うか、もう待ってくれてたんだ」
 優希君の姿が目に入るのはとっても嬉しいのだけれど、今日は曇天とは言えもう真夏。優希君だって暑い中、待つのはしんどいはずなのに
「愛美さんを待つのは嫌いじゃないから全然大丈夫だって。それに、愛美さんがメッセージをくれた時にはもう家を出てたから」
 優希君が嬉しそうなと言うか、ほっとした表情を浮かべて答えてくれる。
「……もう家を出てたんだ。ごめんね。ちょっと送るの遅かったかな」
 家を出てから送ったところで、メッセージを送ってもらっても今更家に帰ろうとは思わないだろうし、ちょっと私の思慮不足だった気がする。
「気にしなくて良いよ。好きな人を待つって結構楽しいよ」
 でも、愛美さんを待たせてナンパとかされたら困るから、愛美さんを待たせる気はないけど。
 なんて、朝から何とも嬉しい事を言ってくれる優希君。
「じゃあ行こっか」
 だから私の方から嬉しさ勢いで、手を繋ぐために腕を差し出して優希君のすぐ隣へ並び立つ。
「……」
 その手を優希君が優しく取ってくれて、そのまま学校までの道のりを二人でゆっくりと歩く。


「そう言えば、今日は妹さんは良かったの?」
 いつもよりも優希君の口数が少ないような気がして、私から話を振る。
「今日は佳奈ちゃんと一緒に登校するからって、僕よりも先に家を出たよ」
「で? 今日はその妹さんが一緒に登校したら良いって言ってくれたの?」
 だったら嬉しい。一番初めこそは何故か理由も分からないくらい最悪の印象だったのが、今では私と優希君の仲を取り持ってくれると言うか、応援してくれているのが分かる。
「……まぁ。そんな所かな?」
 だけれど、肝心の優希君からの返事と言うか反応があんまり芳しくない気がする。
「……何かあったの?」
 出来ればこの時間に咲夜さんを可能な限り優しく振って欲しい話と、蒼ちゃんと三人で一度ゆっくり話して欲しいから、その分の時間を取ってもらえるようにお願いをしたかったのだけれど……
「何かあったって言うか、雪野さんの話なんだけど……」
 聞き返す私に、ものすごく言いにくそうに口を開く優希君。
「私が雪野さんの話を聞くだけで、優しくするとか触れ『――っ』るとか、そう言う事は絶対にしない。そう言うのは無しでってお願いしたあの事だよね?」
「……まぁ。そうなんだけれど……」
「――」
 優希君の歯切れの悪さと、私が確認している最中の優希君の反応、手を握る力が弱くなる態度を見て感じて、急激に私の中に言いようのない不安が広がる。
 その手を離したくないと言う意思表示も含めて、私が慌てて手を握り直した所で優希君が口を開く。
「昨日雪野さんと何かあった?」
 私の中をかなりの勢いで広がって行く不安を他所に、ハッキリと思い当たる事を聞いてくる優希君。
「私とって言うより、彩風さんや二年のクラスと、結局途中から中条さんも絡んだ話なんだけれど、私も中条さんに呼ばれてその場に居合わせたから事の成り行きだけは知っているよ」
 心の中に広がる不安に押しつぶされない様に、慎重に少しずつ口を開く。
「……多分その話の事なんだと思うけど、僕が聞いたら“ワタシ全校集会の時にみんなに謝らないといけません”とだけ言って泣いてしまって……」
 それだけを言って露骨に私から視線を逸らす優希君。
 優希君のその口ぶり、雪野さんの言い方からして私の予想はやっぱりほとんど当たってしまっていたみたいだ。
 ただ、今の私はそれどころじゃない。それまでは私の事を熱のこもった視線で見てくれていたのに、今日は打って変わって私から露骨に逸らされる視線。
 それに“泣いてしまって……”の後に続く言葉がとても気になるし、その続きを聞きたがっている私と、耳を塞いでしまいたい私が心の中でせめぎ合っている。
 ただ、今繋いでいる手を離す訳には行かないから耳は塞げない。
「でも私、昨日居合わせたあの場で全校集会とか終業式は、そうやって誰かをつるし上げる場所じゃないから、無効だって言ったよ!」
 なのにどうしてみんなの前で謝ることが前提の話になっているのか。
「そもそも雪野さんは優希君になんて言ったの?」
 その話の流れが分からなくて優希君に聞くも、
「雪野さんって、まっすぐで良い子なのが周りに全く伝わってないと思うし、今回の雪野さんの行動にはたくさん問題もあったと思うけど、愛美さんが考えてくれてた通り雪野さんは責められるべき立場じゃないと思う」
 私の質問には答えずに半分はぐらかされるような回答しか帰って来ない。
「優希君。私たちお互いに出来るだけ秘密は無しにして、出来る限り正直に打ち明けようってデートに誘ってくれたあの日の最後に約束したよね。だから……雪野さんが優希君になんて言ったのか、ちゃんと教えて欲しい」
 この話は今、優希君からちゃんと聞いておかないと取り返しのつかない事になる気がした私は、その場に立ち止まって、その手だけは絶対に離さないつもりだと、私の気持ちを優希君に伝えるために強く握る。
 その気持ちを持っていたとしても、優希君の事を信じていたとしても、雪野さんが泣いてしまった後、優しい優希君が雪野さんに対して何をしたのか、いや
 ――どんな事をしてでも岡本先輩には負けたくありませんから!―― (73話)
 雪野さんの言い方からして、雪野さんの方から優希君に何かをしたかもしれない事を聞くのは、私には怖くて出来なかった。
 そんな私の手を優しく引いて、通学路から一歩離れた小道へ(いざな)ってくれる優希君。
 そして、登校中の生徒の姿がほとんど見えなくなった場所まで引いてくれた時、その重い口を優希君が開く。
「……霧ちゃんや岡本先輩の言う通りって言うか、ワタシの友達が初学期の残り期間中“停学”になりました。ワタシはワタシの友達が今まで何をしていたのか全く知りませんでした。ワタシもどうしたら良いのか分からないんです。
 だから統括会役員として、みんなの前で謝って統括会を辞めます。当然そうなったら今まで間違っていたんですからワタシ一人になると思うんです。……だから空木――いえ、優希先輩。いつもワタシが間違っていたら優しく言ってくれていた優希先輩を、ワタシの話もワガママも聞いてくれていた優希先輩の事をお慕いしていました。ワタシは優希先輩の事が心から好きです。初めは同情からでも結構です。ワタシとお付き合いをして下さい。って言われた」
 優希君の言葉の途中で、私は目から涙があふれてしまわない様に、私の好きじゃない曇天の空を見上げながら聞いていた。
 正直雪野さんの“好き”を見誤っていた。もちろんそれは余裕をかましていたとかそんなんじゃない事は、今までの私の行動を見てくれていた人には分かってはもらえると信じてる。
 私だって優希君が良いって言ってくれた私自身の“笑顔”だって磨いてきたつもりだし、私の優しさ、良い所だって言ってくれたところも朱先輩・親友・可愛い後輩に注意されながらも、優希君にも、周りにも振りまきながら接してきたつもりなのだ。
 もちろんそんな打算ばかりで接してきたつもりは微塵も無いけれど、他の誰でもない優希君が、それは私の良い所だ、愛美さんの笑顔は駄目なんかじゃないよって、言い切ってくれたところでもあるのだから、自信を持って行動と態度で示してきたつもりなのだ。それに何より、私個人としてもなんとかして仲良くしたかった優希君の妹さんの優珠希ちゃん。優希君だって喜んでくれていたはずなのだ。
 もちろんこんな事は口に出す事じゃないから言葉にする事は無いけれど。
「私……優希君と別れるのは嫌だよ。また、私を景色の良い所、空に近い所、色々連れて行ってくれるんだよね。私の私服でのスカート姿、他の男の人には見せて欲しくないんだよね。優希君。私の事大切にしてくれるって言ってくれた事、今でもちゃんと覚えてるよ」
 優希君の心が他の女の人の所に移らない様に、自分自身を磨く事も忘れてはいなかったのに。
 他の誰でもない、優希君が良いって言ってくれた私の優しさを、ちゃんと私自身も納得の上で同じチームの雪野さんにも向けて優希君も喜んでくれていたはずなのに……私はどうすればよかったのかな……
「ちょっと待って。僕は雪野さんに告白の返事なんてしてない」
 私が優希君に涙顔を見せると、とたんに慌てだす優希君。初めて私は優希君に泣き顔を見せた事になる。
「ちょっと待ってよ! 返事はしてないって……断ってくれてないの? 何で? どうしてっ? それに何で名前呼びまで許してるの? それもなんでなの? 初めは雪野さんから名前呼びをされるの困ってくれてたんじゃないの? 何でなのよぉ……」
 朝から優希君とつないでいる手を離して、優希君の両腕を握って揺すって叫んで、通学途中に何をしているのかと思う。
 昨日の夜、優希君からメッセージをくれた時、まさかこんな話をされるとは微塵も想像していなかった。
 そして最も辛いのは、優希君の気持ちがその場で断れないほどには流れてしまっていると言う事……
「違う! 返事をしていない、断らないんじゃなくて返事なんて出来るわけがない!」
「それは雪野さんに気持ちが流れているから、返事が出来ないって事じゃないっ!」
 私の流した涙が、頬を伝い顎から一滴(ひとしずく)落ちた時、今日初めて優希君の方から私の手を強く握ってくれる。
 でも、私はもう顔を上げるだけの気力は残っていない。
 再び優希君から握ってくれたその手を、顔を俯けて見ながら続く優希君の言葉を待つ。
「……僕が雪野さんに返事をするって事は……雪野さんに……僕から……キスをするって事だから」
「何でそう言う話になるの? 雪野さんとそう言う話してるんだ。私に向けてくれていたあの視線は何だったの?」
 泣き顔だけじゃなくて、涙声も、もう隠すなんて事は無理だし、鼻だってズルズル出てる。でも今の私の気持ちは抑えられない。
 みっともなくたってこれが私の気持ちなんだから抑えられる訳がない。
 優希君は私としたいって思ってくれていたとばかり思っていた。なのにいつの間に雪野さんとそんな話をするまでの仲になったのかな……でも、優希君も男の人だからやっぱり女の人なら誰でも良いのかもしれない。そう考えたらもう涙が止まらない。
 私は目が回る感覚と、足元が崩れる感覚が同時に襲って来る恐怖心と言うか気持ち悪さに見舞われる。
「私、優希君の事本当に好きだったのに。だから男の人慣れ、倉本君の事もちゃんと正直に隠さずに話したのに。優希君が私の良い所だって言ってくれたところ、不器用な私でも良いって言ってくれたから、他の誰でもない優希君が言ってくれたから男の人慣れだって辞めようって。私らしくいようって決めたのに……ひどいよ。あんまりだよ……」
 優希君に手を引かれた通学路とは一本離れた小道。当然人の往来は少なくなるから、私の涙顔と涙声は目の前にいる優希君以外には見られてはいないと思う。
 それは優希君から私への気遣いと取って良いのか、それとも今日こうなる事を分かった上でのお誘いと、そのつもりだった行動なのかな。
 いずれにしても雪野さんに流れ始めてしまっている優希君の心は止められないし、人の心はやっぱり強制できるモノじゃない。ただ、雪野さんのあの不器用なまでのまっすぐな心に、私は負けたって事なんだと納得出来る訳がない自分の心を無理やり納得させにかかる。
 ホント彩風さんに言った言葉
 ――私は酷い女だよ――
 私を選んでもらえる前提で口にした言葉。
 ――大丈夫。私と優希君の仲は咲夜さんでは壊せない――
 咲夜さんを笑顔にしたくて、少しでも咲夜さんの罪悪感を取り除きたくて口にした言葉。そのどれもが砂上の楼閣のように崩れる。本当に私はなんて滑稽なんだろう……何が人の笑顔が好き。なんだろう……自分すら笑顔になれないのに人の事をとやかく言うなんて、厚顔無恥(こうがんむち)以外の何物でもない……
「……ねぇ……優希君。私の気持ち、男の人には重かった? 私、優希君に甘えすぎてた?」
「違う! 愛美さん! 早まらないで欲しい! 僕は返事するつもりは本当に無いんだ! 確かに雪野さは愛美さんの言った通り悪い子じゃないし、本当は根の良い子なんだと思う。でも僕は雪野さんじゃなくて愛美さんだけが好きなんだ! 愛美さんじゃないと駄目なんだ! だから僕の手だけは離さないで欲しいっ! それに今まで僕が愛美さんに言った事で嘘なんて一つもない。重いなんて思ってなかったし、愛美さんが僕を頼ってくれて少しずつだけど、自信もついてた。だから間違っても甘えすぎって気持ちも感想も持ったことない!」
「でも嫌ってくれていた名前呼びはそのままなんだよね。私に言ってくれた事、嘘じゃ無かったのなら何で名前呼びの事、辞めてって言ってくれなかったの?」
 私が面倒くさい女、嫉妬深い女だと言おうとした口を、人差し指一本で止めてくれた優希君。私に二択と言う選択肢で、実質は一択の選択を迫ってくれた優希君。
 私は雪野さんには優希君が許すまでは名前呼びは絶対ダメだって言い切った。雪野さんもその場でわかってくれたから名前呼びを辞めてくれたはずだから、優希君が許さない限り呼ばないはずなのに。
 色々な出来事、やり取りが無差別に頭の中を駆け巡って行く。
「……」
 だけれど私の質問には答えてくれない優希君。
「私、倉本君からデートに誘われているの。絶対私を楽しませるからって。私に感謝の気持ちを伝えたいからって。一回は蒼ちゃんと一緒に断ったけれど、また改めて私をデートに誘うって言われた『――っっ』」
 それでも優希君の事が好きな私は、優希君の事が諦められない私は、少しでも嫉妬して欲しくて、私を止めて欲しくて口にするけれど、私の手を痛いくらいに強く握ってくれるだけで、私の欲しい言葉は優希君からはもらえない。
「……ごめん。この顔のままでさすがに教室には入れないから、洗面所寄らないといけないし先に行くね」
 私は朱先輩に教えてもらっていた湿ったハンカチを用意できないまま、目元を乾いたハンカチで拭いながら優希君に断りを入れて一人、先に学校に向かう。
 その時でも優希君は抵抗なく私の手を離してしまうのを、とても寂しく感じながら。

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