第6話 白、黒、茶色。

文字数 4,866文字

 目つきが悪くなった、と言われる。とうとう父親に似てきたか、と。
 ……きっと、あいつに裏切られたからだ。あんなに、かわいがってやったのに。
 裏切った。
 この三毛猫も、いつか俺を裏切るのかも知れない。

 ◇ ◇ ◇

「よお、坊。半年ぶりか? 目つき悪くなったなあ」
 重量感たっぷりの机に、組んだ脚を載せたまま、その部屋の主人は片手を上げた。
「盗賊王の名代で来た。アギト、この目録にある物をそろえてくれ」
「まあ、座れや」
「…ああ」
 長短二本の剣に、革鎧という出で立ちのシェンナは、アギトのすすめで、長椅子に腰を下ろした。
「鞘の封は、破ってないだろうな? おかしな真似は、するなよ」
 武器の携帯は認められているが、外国人は、入国時に剣の鞘、槍の穂鞘は糊のついた紙、縄、蝋などで封じるのが原則である。それでも抜け道は、いくらか、あるのだが――。
「わかっている。戦争以外で、外国人が、他国の王将を殺してはならない。だろ?」
「わかってりゃあ、いい。しかしなあ、こりゃあ、なんだい。獣人全滅させて、領土まるごと奪って、食糧事情が落ち着いたってのに、おかしらは、また、やらかす気か」
 アギトは、眼帯で覆っていないほうの目で、目録を眺めた。
「クロイツ王兵師団国が一年くらい前、ハーフェン選帝国を潰して、国土面積一位にのし上がっただろう?」
「あそこの総長、急進派に代替わりしたからな。レイチャードっていう、若造」
「伯父貴が出した不戦の協定、条約を蹴られた」
「本気で、全島国に戦争しかけて、大陸統一目指してんのか。二、三年で終わるような事業じゃねえぞ。いかれてんな」
「完全に、いかれてる。自分の衛星国を、他の小国にぶつけて、完全接合。その衛星国が、そこそこの面積になったら、今度は本土に接合。衛星国の王将はみな、最初からクロイツ王兵師団に敗北するよう、圧力かけられているらしい」
「……おかしらは?」
「伯父貴は、暴君じゃない。各国の王将に判断を任せるとは言っていた。だが、もし、これからも衛星国として、リィゼンの庇護下にあるつもりなら、うちの兵隊をいくらか貸す。――その目録の数と同じだけの兵隊は。少ないか?」
 いや、とアギトは、かすれ声で答えた。
「これ。半分は軽犯罪の放免兵だろ。敵も味方も両方見張れってのは、きつい。うちはうちでなんとかしてみるさ。って、おい、なんだ、その目は」
「…裏切るなよ、アギト」
「はあ?」
「あんた、俺の母親のもと婚約者だからな。伯父貴は、あんたに引け目がある。だからって、」
「シェンナ」
 アギトもまた、きつく目を細めた。
「おまえの生い立ちを考えりゃ、身内の裏切りを警戒するのは、わかる。おまけに、蛇っこにまで逃げられたのも、きつかっただろう。だがな、」
「あ?」
「王位や王権ってのは本来、外圧から成り立つものじゃあ、ないぞ。俺は一般人に比べて、衣食住や娯楽に不自由しない。その代償として、政治の方針を決め、自国を富ませ、外国との戦になれば、戦場に立つ」
「そんなん、」
「だからな。ルヴァンの名代ってだけで、一国の王に舐めた口きくなよ小僧。おまえは、政治も、経済も、戦争も、何もわかっちゃいない。小事ばかりに目をやって、大事を潰すんじゃねえぞ」
「………………」
「いずれルヴァンの跡継ぎになる気なら、全部とは言わん、だが、できるだけ私情は切り離して、考えろ。いいな?」
 沈黙が場を満たした。
 しばらくして執務室の扉を叩く音が、沈黙を破った。
「アギトさん、お茶です」
「ああ、入れや、ティファレト」
 ぎくりとシェンナは肩を震わせた。
「ティファレト?」
「失礼し――あっ!」
 銀盆に茶器を載せた少女が、シェンナを見て、目を丸くしている。
「……シェンナ」
「あんた、いつかの、」
「んと。えーと。お茶、どうぞです」
 彼女は、おどおどとした様子で、茶碗を方形卓におき、逃げるように退室した。
「アギト、今の女、」
「知り合いじゃあ、ないのか」
「え? いや、それより、なんでティファレトって、」
「あー。おまえの蛇っこも、そんな名前だったか。まあ飲め、あれの茶はうまいぞ」
「……いい茶葉、使ってるな、おっさん」
「たしかに、ハーベス産だがな。他のやつが淹れても、こうはならん」
 しかし、と。アギトは、茶碗を両手のなかで揺らした。
「こういう状況ともなると、あのお茶くみ雑用係も、くびか。今から金を切り詰めて、軍事関係にまわしていかねえと」
 ずずっと音をたて、男は茶を飲み干した。


「――あ」
 アギトの執務室を退室後、シェンナは待ち伏せにあった。先のお茶くみ娘だ。
「シェンナ!」
 銀盆を抱えたままの、彼女はシェンナを見るなり、ぱっと立ち上がる。
「あんたも、しつこいな」
 強く、吐き捨てる口調に、彼女は一瞬ひるんだが、
「人間も、みじかい間にいろいろ変わるんだね。背が伸びた。あと、髪も切ったんだ?」
「だから、なんだよ。なれなれしい」
「ラックとルヴァンおじさんと女友達さんは、元気?」
「あんたには関係ないだろ」
 ずばりと言えば、お茶くみ娘は、しょぼくれた表情を見せる。
「あー。まあ、なんだ、茶はうまかったよ。ごちそうさん」
 たった一言で、また顔を輝かせる。
「また、飲みに来てくれる?」
 次は、廃業だろうが、と思ったが、適当に、
「そのうちな」
「やった! 今度は、ちゃんと話そうね」
 明日の運命も知らずに、お茶くみ娘は、脳天気に笑っている。
 シェンナはため息をついて、アルゼンの王城――というには、あまりにも簡素な建物を出た。
 高台から、市街地を眺め下ろす。
 蜘蛛の巣のようにめぐらされた水路が、午後の光を反射して、まぶしい。その水路を、色鮮やかな荷物や、人間を載せた小舟が行き交っている。水路の行き着く先は、沿岸部の倉庫街だ。
「あー。とりあえず、今日、寝るところの確保か」
 まがりなりにも王族なのだから、アギトのところに泊めてもらうつもりだったが、今日はもう顔を合わせたくない。
「……やべ。こっちの手紙渡すの、忘れた……まあ、いいか。明日、届けに行けば。出港までに終わらせりゃいい話だし」
 シェンナは用件を先延ばしにした。
 そうして、ぶらぶらと町中を歩く。母国のリィゼンよりも治安がよく、自分の顔も知られていないので、少しだけほっとした。


 翌朝、二日酔いをおして、ふたたびアギトの館にやって来た。挨拶もそこそこ、アギトにルヴァンからの私信を渡して、すぐに退室する。
 えい、おうと裏庭から太い声がしたので、のぞいて見れば、木槍を握る集団がいた。
 長身の青年が、その白銀髪を踊らせ、わら人形を相手に武芸の指導をしているようだった。腕の延長のように、槍を振るうさまは見事なもので、生徒たちは憧憬の目で、彼を見ている。
「…シェンナ?」
 背後から声をかけられ、ぎくんとシェンナは震えた。
「おはよう。もしかして、お茶飲みに来てくれたの?」
 昨夜の寝酒が祟ったらしい。よもや、こんな間抜けそうな小娘に背後をとられるとは。
「じつはね、今朝で、くびになっちゃったの。だから、もう、お茶は、」
「…アギトは仕事がはやいな」
「銀髪さんとユーグは、まだここのお仕事もらってるんだけどね」
「銀髪ってのは、あれか?」
 シェンナが、裏庭を指さした。
 先のシェンナと同じように、建物のかどから庭を見て、彼女はうなずいた。
「銀髪さん強いし、ユーグは頭いいんだ。だから、ひっぱりだこ。私は、今のところ、二人のおまけ」
 しゅんとうなだれるも、すぐに気を取り直して、
「シェンナ、もう用事は終わった? よかったら、うちにおいでよ。お茶、ごちそうしたい」
 断ろうにも、もうアギトへの用事はすませた後だ。
「…わかった」
 シェンナがうなずいてみせると、
「こっちだよ、こっち」
 足取り浮ついたお茶くみ娘は、かってに人の手を握って、歩き出した。小舟に乗り、橋を渡り、海鳥の看板が出ている宿まで連れて行かれる。
 宿と女、という組み合わせに、シェンナはげっそりした。人畜無害そうな顔をして、結局、こいつも……、と。
「おじさん、おばさーん。ただいま」
「おかえり。早かったねえ」
「えーと。その。くびになっちゃって」
「あれまあ」
「今日、友達つれてきたんだけど、厨房、借りてもいい?」
「お茶なら、私らの分も頼むよ」
「まかないついでの菓子、もっていきな」
「はーい! あ。シェンナ、そこの部屋に入って、待っててね」
 しかし、宿の主人夫婦と彼女の会話は、いかがわしいものではなかった。
 案内された部屋には、たしかに寝台はあるが、寝わらに布をかけただけの粗末なもの。寝台の下には古本が押し込まれ、小さな卓には、たどたどしい書き取りの帳面や小さな黒板が載っている。
「使用人部屋というか、勉強部屋か?」
 用心のため、窓とその鍵を調べて、椅子のひとつに腰掛けた。ここからでも、裏庭の花壇の花が見える。
「おまたせ」
 かるい足音のあとに扉が開いて、花のような香りが流れ込んできた。
「これね、くちなしの花で香りづけしたの。はい、どうぞ」
 彼女が先に飲み物に口をつけ、その前後の様子を観察したあとで、少量を含む。
「……おまえ、本当にお茶くみにむいてるよな」
 毒は、ない。本当に花の香りだ。茶葉自体は安物だが、抽出の技能がよかったのだろう。
 シェンナは警戒心を解いて、ふーっと息を吐いた。
「最初は、へただったよ。でも、水を硬くしたり、軟らかくできるようになってから、」
「は?」
「だから。水を硬くしたり、軟らかくしたり」
「なんだそりゃ」
 お茶くみ娘の、理解不能な言動に、おたがいの渋面を見た。
「……説明できない。まあ、いいや。忘れて」
 黄色の目が、先にそれた。
「ユーグなら、説明できたのかなあ」
「ユーグってのは、なんだ? さっきのやつらか?」
「ユーグはね。銀髪さんの……えーと。執事とか、従者? すごく頭がいいし、言葉づかいも丁寧だけど、なんだか意地悪というか」
 彼女は寄り目を作って、天井をにらんだあとで、
「そうだ! シェンナを上品にした感じのひと!」
「下品で悪かったな」
「べつに悪くないよ。わたし、ユーグよりも、シェンナのほうが好きだもん」
 あやうく紅茶を吐き出しそうになった。
「ユーグは卵と苺、食べようとすると、ちくちく文句いうの。シェンナは、たくさんくれたよね」
「……おまえさあ、ティファレトって、本名か?」
 シェンナの質問に、彼女は顔をしかめる。
「ずっと、そう言ってるのに」
「源氏名じゃねえだろうな」
「ずっと私はティファレトだったよ」
 彼女はふくれつらを作り、あさってを向いた。
「私は、私だよって、言ったのに。シェンナは、私に脚が生えたら、信じてくれなくなっちゃった」
「たちの悪い冗談にしか聞こえねえんだよ」
「……いい。もう、信じてくれなくって、いい!」
 彼女は、こちらに向き直って、一気に紅茶を飲み干した。
「用事があるなら、今日すませたほうがいいよ。もうすぐ戦争になるかもって、アギトさん言ってた。外国人は国外退去するか、残留申請して、避難所に行かなきゃいけないんだって。でも避難所にいても、襲撃されたら無差別に殺されちゃうから、やっぱり逃げたほうがいい」
「そう……だな」
「行こう。お見送りは、するから」
 娘は立ち上がり、うつむいたまま、シェンナの袖をひいて、うながした。
「――じゃあ、」
 玄関を出るときになって、目が合った。泣き笑いに歪む、珍妙な表情だ。
「さようなら、シェンナ」
 別れの挨拶を受けて、シェンナは背を向けた。背中で、扉の閉まる音を聞き、ひどい罪悪感を覚えた。
 もう今夜の宿探しも億劫だ、アギトのところへ泊めてもらおうと歩き出す。
 ――途中で、白に近い銀髪の青年と、片眼鏡の男の二人連れに出くわした。
「秋になろうというのに、くちなしの花の香りがするね」
 赤い目の、銀髪の男がすれ違いざまに、つぶやいた。
「くちなわ族が食べる梨。くちなわ梨が転じて、くちなし、となった逸話があるそうですよ」
 得意げに知識を披露する片眼鏡の男、その声が妙に耳に残る。
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