第12話 ヨミガエリ

文字数 5,612文字

 夫も子供も孫も得た。
 たった五十数年の『人生』。
 気づけば海に投げ出され、この島にただ、ひとりきり。

 ああ、こんな世界、はやく滅べばよいのに――

   ◇ ◇ ◇

 見渡す限り、黄金の海だった。砂金や黄砂を含む海水は、ざん、ざんと波音をたてて、この彼岸に打ち寄せる。
 島にただ一人生きる老婦人は、彼岸の砂浜に立って、此岸からやって来る帆船を待った。
「墓船では、なさそうね」
 島国というものは、墓地に使用できる土地が限られている。戦争などで、短期間に大量の死者が出れば、墓に見立てた船に遺体を詰み、海に流すことが多い。
「生きたままの人間がたどり着くなど、ずいぶん久しぶり」
 つぶやいて、老婦人は、船から降りてくる集団を見上げた。
 出迎えがあるとは思っていなかったのだろう。急峻な角度の渡し板を、おっかなびっくり歩く彼らの表情は緊張している。
「……ばあさんは、」
 こげ茶色の髪の少年が、最初に口を開いた。
「ダアトと呼んで下さいな、シェンナ」
「なんで、名前、」
「見れば、わかる。レティ…いえ、レイシアとユーグ。それから、」
 ダアトは、レイシアが背負った娘の顔を、のぞき込んだ。
「ティファレトよね。現世当代、不完全な玄女」
「ダアト様。こちらが世界の中心の島、でしょうか?」
 問われて、ダアトはうなずく。
「ここは、先の上帝マルセルが首都とした地域の残骸。今現在における世界の中心。名前はありません。ここに霊宮は、存在しないので」
「あなたの他には、」
「他に生きているものは、いません。ここは死者の国、廃都」
 ダアトは、一行を手招きした。
「立ち話もなんですから、こちらへいらっしゃい」
 そうして、中空の大半をおおう大樹の根元に誘った。
「ダアト婦人。これは、なんという種類ですか。桃や林檎どころか、苺まで実る果樹は、聞いたことがない」
「さて、なんだったかしら。世界樹とでも、呼ぼうかしらね」
 大木の根元には、芝生と、砂丘と、黄色に濁った泉が点在している。
「泉には、落ちないように。そこは黄泉。死者の魂を沈め、記憶や穢れを洗い流す泉です。生きた人間が落ちたら、無限の死者の記憶に囲まれて、発狂してしまう」
 危険地帯というべき場所を避けて、ダアトは一行を振り返った。木の根を指さす。
「お座りになって。いま、何か、もいであげましょう」
 ダアトが枝に向かって手招きすると、蛇のようになめらかな動きで、枝は木の実を差し出した。
「ばーさんも、木も、なーんか変だよなあ」
 シェンナが素直な感想を漏らした。
「はい、どうぞ。めしあがれ」
 抱えた果実を順に手渡すも、片眼鏡の男ユーグだけは辞退した。
「死者の国の食べ物ですね。僕は、いりません」
 シェンナやレイシアらは、すでに短刀を抜いて、果実の皮を剥いたり、切り分けて口に運んでいる。
「…そう」
 それよりも、と。ダアトは目を細めて、ティファレトの顔をのぞき込んだ。
「成体になったばかりかしら? まだ幼いのね。――みなさん、上帝と玄女の話は、どこまで?」
「あれだろ。全部の島国と戦争して、くっつけて、大陸にした王将は、最後に玄女によって、不老長寿だか不老不死の神となる。で、それを上帝って、いうんだよな」
 シェンナはかるく肩をすくめた。
「拾った黒くちなわの獣人が、じつはそんな立派なものだったなんて、誰がわかるかよ」
 口は悪いが、根は素直な少年である。
 ダアトが見るに、彼は亡父と伯父、そして自分の関係に悩んでいるようだった。その結果、人間ぎらいとなり、小動物を愛でる趣味につながったのだろう。
「霊宮のことは、もちろん知っているわね。王将やそれに連なる者なら、当然だわ」
「俺は今回、初耳。地下に蛇女もう一匹飼ってたなら、そっちにも顔だしたっての」
「島国を背負い、大海を泳いで移動する蛇女。国と国とをつなぐとき、自らの尾を橋としてかけ合う。すなわち国橋と」
「霊宮の心身の不調好調は、地上(おもて)に少なからず影響する。母もそうでした。ですから霊宮づきの神官は、母にだいぶ気をつかっていた――少なくとも、ユーグ以外は」
 レイシアがこの問答を終わらせ、ダアトにしっかり向き直った。
「単刀直入に申し上げます。ティファレトを癒やし、目覚めさせて欲しいのです」
「なぜ?」
「私が、終生のつがいに欲しいと思った女性ですから」
「この子、シェンナのほうになついているわよ?」
「ん? おれ?」
 シェンナはまばたきした。
「それでも救いたいの? 愛し返してもらえないかも知れないのに」
「………………」
「シェンナにとっては、かわいがっていた飼い蛇ね。ねえ、あなたは、こんな子にすがらなければならないほど、弱い男の子だったかしら?」
「はあっ? 何を言って、」
「そして、ユーグ――」
 シェンナの啖呵を聞き流して、ユーグを見たダアトは一瞬、口ごもった。
「……驚いた。あなた、本当に、おもしろいか、おもしろくないかだけで判断してるのね。ここまで割り切った単純な人間、見たことがない。あなた、猫か何か?」
「お褒めにあずかり、恐悦至極」
「おい、眼鏡、まったく褒められてないぞ。気づけよ」
「ユーグはわかっていて、そう答えているんですよ、甥御どの」
 レイシアが、シェンナの袖を引いた。
「……つまり、私が言いたいのはね。この子は生きていても、意味がない。このまま死なせたほうが、世のためになるかもしれないと思ったの」
「どうして!」
 レイシアが大声をあげた。
「なぜ島は動くの? なぜ霊宮は存在するの? なぜ戦争をするの? なぜ島国同士を完全につなぎ合うのに、いけにえが必要なの?」
 ダアトは謳うように、なぜ、をくり返した。
「そういうこと、考えたことは、ある?」
「それは、……あー、世界って、そういうものなんだろ」
「私は世界の生い立ちに、興味はありません。それより、」
「もちろん、ありますよ。世界の謎」
 ユーグだけが、同意を示す。
「生まれてこの方、いろいろと考えましたが、合理的でなかった。そして、それは僕の考えであって、おそらく真実は、ちがう」
「……私には、この世界は、はめ絵板(ジグソウパズル)のおもちゃに見える」
 ダアトは深く息を吐いた。
「世界という枠のなかに、島国という、かけらを置いていく。いろいろと組み合わせていって、綺麗で、すばらしい(くに)を作ろうとしている。王将も、霊宮も」
「……王将は、不老長寿の神になるという余録がつきますが。霊宮のほうは?」
「脚を二本、もらえるのよ。そして、おまえは、国を背負わなくてよいと、解放される。ほかの人間たちのように暮らしていけるの。……そのはずだった」
「………………」
「ここは、世界にとって不要なかけらとなった、人間や島国の墓場よ」
「………………」
「マルセルは上帝(かみ)になったあと、自分の築いた世界(ジグソウパズル)に絶望したの。そしてゲブラーに願った。『自分の世界を壊して、もう一度はじめから作り直して欲しい』って」
「まさか、あなたは、」
「上帝マルセルの国の、霊宮でした。当時、名乗っていた名前は、もうない。この世に国がひとつしかないのなら、国名も国号も、必要ないでしょ? 失われたのよ」
「たしかに、名前とは、ほかと区別するためにつけられるものですから」
「もう、わかるでしょう? ここは何をどんなにがんばったって、むくわれない世界。失われる世界。くり返される世界。その引き金が、玄女、ティファレトなのよ。不老長寿や、美貌を餌にして、英雄をあやつる女なんて、最初からいらないと思わない?」
「………………」
「考える猶予は、あります。時間をあげるから、一晩よく考えて」
「………………」
「頑丈な、くちなわ族のなかでも、黒くちなわは特に死ににくい。彼女を殺して、葬るのなら、私がその方法を教えます。よみがえらせるつもりなら……不本意ですけど、それも教えましょう」


 ダアトが少し場を離れると、三人は話し合いを始めた。
「三人です。多数決にしましょう。決は明朝に」
 最初に口を開いたのは、ユーグだ。
「ちなみに僕はもう決めました。揺れない地面は久々ですから、すこし横になりますよ」
 ユーグは荷ほどきを始め、シェンナは、うんうんうなっている。
 レイシアが立ち上がり、ダアトに近づいてきた。
「ダアト様、無礼を承知でお訊ねします」
「無礼と知っていて、どうして?」
 ダアトの切り返しに、レイシアは一瞬、言葉を詰まらせている。
「――ここにある黄泉を介して、故人に会わせていただくことは、できますか?」
「日没後になら。あとは望んだ相手が、亡くなった時期の問題」
「死後何日か、ということですか」
「一年以内なら、今夜にでも会えるわ。二年前なら、二晩呼びかけ続ける。けれど、四千年もまえなら、四千日、毎晩の呼びかけが必要になるわ」
「そういう決まりですか」
「そういう決まりよ。ふるい記憶(たましい)ほど、下に沈んでいるから」
 ダアトは苦笑した。
「そうやって、みな、過去のひとになる。私も、毎晩、大事なひとたちを呼んだけど、だんだん、呼びかけるのもつらくなって。でも、そうやって、みな、死者を忘れるのね」
「………………」
「頭のよい子ね。マルセルやゲブラーを呼び出して、世界の真実や、玄女のよみがえりの方法について、直接、聞こうとしたんでしょう」
「……はい。さきに訊ねておいて、よかった。時間を無駄にするところでした」
「よかったわ、ただの色ボケじゃなかったのね、あなた」
 ははは、とレイシアがひきつった笑みを浮かべる。
「ユーグが多数決、と言いましたが、三人で、決めてしまうのは、あまりにも……。私は、ティファレトのことは、個人の問題と思っていたので」
「個人の問題、ね」
「私も、亜種とはいえ、くちなわですから。普通の人間よりも頑丈で、そしておそらく長命になると、母から聞かされていました。……人間の父を愛した母ですが、それでも、たまにこぼしていたのです。『人間は人間と、蛇は蛇とつがいになるのが正しいだろう』と」
「それで、彼女に執着する。おなじ、くちなわだから。おなじ時間を生きられると」
「はい」
「その、長い人生のなかで、他に、かわいい雌蛇さんが、見つかるかもしれないわよ?」
「そんな保証、どこにもありません」
 問答をくり返しながら、やがてレイシアの赤い目が据わってきた。精神の重心を取り戻したのかも知れない。
「むくわれなくても。どんなかたちでも。彼女に生きていて欲しい」
「彼女の一番が、シェンナだとしても?」
「つがいとして欲しいのは、たしかです。けれど、私はもしかしたら、死んだ妹を重ね見ていて……妹が死んで、私が生き残ったこと。それをティファレトの件で、清算しようとしているのかも知れません」


 みなが寝静まった深夜に、レイシアひとりだけが起き上がった。
 ダアトは彼の様子に気づいていたが、あえて声をかけず、眠った振りを続ける。
「――セシリア。そこに、いますか?」
 レイシアが黄泉に、その名を呼びかけている。
『……泉下の霊に、今さら何用だ、廃太子』
 ダアトは薄く目を開き、そちらを見た。
 黄泉の水面に、仏頂面の女戦士が立っている。
「あなたに、きちんと、謝っておきたかったから」
『何を、』
「私たち親子のために、あなたを苦しめました。ごめんなさい」
『そのように謝られても、困る』
 大の男がこどものように頭をさげるのを見て、女戦士は慌てふためいている。
『……じゃじゃ馬などと言われた私が、レドリック総長や親族のすすめだけで、貴様の添伏に行ったと思われているなら、心外だ』
「では、私たちは両思いだったのですね」
『寝床に入る寸前までな』
 だが貴様が、と女戦士は吐き捨てた。
『いきなり、人間が蛇に、化け物になったんだぞ。さすがに萎えた』
「すみません。今はもう少し、自制できるんですが」
 レイシアが平謝りしている。
「自分の意思では蛇になれないのに、興奮し過ぎると、かってに本性が飛び出るようで」
『次の、夫になる予定の男が、普通の人間で、胸をなで下ろしたものだ』
「フロイデンの王将(こくおう)ですね」
『やけに、なよなよした男だったが、私が守ってやればよいと思ったんだ。きらいじゃなかった。どちらかというと、弟のように思っていたかもしれん』
「――お亡くなりに?」
『毒殺だよ。私が跡継ぎの男子を産んで、まもなくな。だが、赤子に王将はつとめられないから、私が一時、王位を預かるというかたちに収まった。そして……総長に、あの子と、クロイツ本国に残っていた母や姉妹を人質にとられた。その結果が、あの戦争だ』
「総長……。では、父が、そこまで、」
『貴様の弟のほうだ。知らないか? 貴様が国外追放されたあとから、先代総長レドリックは毒を少しずつ盛られていたという噂。おそらく、私の夫を殺したものと、おなじ』
「あのレイチャードに、そのような真似が、できるだろうか。正妃ならば、ともかく」
『あれは、とんだ男だぞ。やわい男とあなどり、かるい神輿と思って、レイチャードを推していたやつら全員、見事にだまされた』
「………………」
『あれのせいで、廃太子の復位召喚を望む声も出てきたそうだ』
「……母は、そんな男に従っているのか」
『廃太子』
 女戦士は、水面に膝を折って、頭を低くした。
『お頼み申し上げる。のちに我が子、我が親族と接する機会があれば、お伝えいただきたい。おまえの娘は、姉は、母親はただ、みなが幸せに生きることを望んでいた、と』
「…こちらも国外追放の身。そう易々と母国の土を踏めぬが、機会あらば」
『ありがたい。――手のひらを返すような真似をして、みっともなかった』
「いえ。私も、あなたを殺してしまった一方で、」
『あの娘か。戦前に会ったよ。いい子だ。少し頭は足りなさそうだが』
「彼女も、くちなわ族、蛇なんです」
『霊宮フロイデンのおかげでな、以前より、蛇嫌いは解消したんだ』
「セシリア……」
『我が夫が嫉妬する。夜這いは、もうこれきりにして欲しい』
「それは……失礼しました」
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