第6話

文字数 3,214文字




〈竜の頭〉


二人の男が崖の上に座って話していた。「珍しいですね、雪ですよ。梅が満開だというのに。それも 大雪になりそうだ」二人の背後にはなだらかな丘が幾つか連なり、そこは梅園になっている。確かに梅は満開だった。地面に敷き詰められたような紅白の花びらが雪と重なっていく。純白のふわふわのカーテンを透かせてそれらの梅が、遥か先の丘まで続いているのが見渡せた。
一人がカッパをガサガサいわせて身を起こした。今まで危険な程崖から身を乗り出して下を見ていたようだ。「何をそんなに熱心に覗き込んでいたのです?今更、崖などを」その男にもう一人の男が続けて言う。「私など見る度にこんな景色しかないのかと思うばかりだ」「そうですが、初めてこの島に来た人間はこの崖を登ったのかと、改めて思いましてね」「まあ、それしかないでしょう」「なぜ、あちらの島にしなかったのでしょう。あの島なら平坦なのに。私だったら、あえてこの崖を登るなどとは考えない。しかも登ってしまったのですよ。だが、そのお蔭で私たちがこの島を出るには」「そう、この崖を飛び降りるしかない訳だ」もう一人の男が笑いながら言った。
だが、余り興味がないという風だ。それでも崖を指さすと「その後に隆起したのではないですか?最初からこんなに高かったはずがない」すると男がすぐに反論する。「いえ、逆ですよ、きっと、ここらへんは一度海に飲み込まれて沈んだのです。この島だって沈んだのですよ。海中へと。ただしほんの少しだけ。周囲の世界はもっと大ごとで陸は海に没し、逆に海の底が現れた。しかしこの島は逆転せず、少し沈んだだけ。なぜならここを何かが引っ張ったのですよ。見てご覧なさい。崖に引っ張った痕がありますから」「あなたの気のせいですよ。まあ、伝説ではそう言われていますが。竜が島を曳いた綱の跡だと。ああ、今日はくっきりと線が見えていますね。数年に一度見えるかどうかなのだが。」「確かに綱の跡ですよ。きっとその綱を引いた者がここの真実を知っているのです。」「しかし今更真実など意味ないでしょう?しかも伝説では七つの島など、どこにもない。そこに出て来るのは巨大な一匹の竜だけ。それは島などではない。それなのに、我々の島はその竜の頭で、だからこのように持ち上げられていると言われる。そして他の島は翼の先か、背中の鱗に過ぎないと」「そう、ただの思い上がりだ。それで我々が尊厳ある竜の一族という訳ですからね。巨大な竜の持ち上げられた頭に棲む者。私にはいまだ意味不明だ。まあ、竜などいない方がいいですが。」「まったく。それにしても今日はやけに鳥たちが騒がしいですね」「そうですね。今日のような日には、鳥など黙り込んでいるのが普通でしょうに」
風が出て来て雪は吹雪になっている。二人がいる崖は海に突如現れた壁のように、その風に立ちはだかっていた。そしてその壁からは吹雪にも関わらず、沢山の鳥たちが海へ向かって飛び立っていった。そして戻って来る時には、吹き付ける風と手を取り合って、まるで岩壁に激突していくように見えた。
二人がいる島の反対側、そこも海に突き出した断崖絶壁。しかしそこを支配しているのは岩ではなく金属だ。あらゆる金属。鳥のいないこちらの断崖はすべすべしていた。その上を絶え間なく水が流れて行ったが、その水は人間には錆臭いものだったろう。一番の高みでは一つの大きな車輪が回っている。何かを漉し取り何かを絡め取っているようだ。そこは二人が話していたところの伝説では大きく開けられた竜の口だろう。そして口の奥は深い闇をたたえた洞窟であり、その最奥にはこれら金属たちの心である一振りの刀が、岩に深々と突き立てられているという。それがなぜ刀なのかは語られない。しかし私たちが見ることの出来る場所には滝だけしかなかった。そこから滝の水が、一体どこからやって来るのか分からなかったが、流れて行くばかり。だが滝はここの心であってここの時間だという。そして滝から続く水の流れは断崖へと続き、そこで人間にも見ることの出来る大きな滝となって海へと落ちていく。そして島の船はみな海に乗り出して行く時にはこの滝を下ることになる。今もどこからか一つの金属の箱が流れて来たと思う間もなく滝から落ちて行った。しかし船は箱として滝を下り、海に出るとその箱が分解して船に戻るのだ。帰って来る時には再び船は滝の下で金属の箱となり、その箱が滝によって引き上げられる。まるで金属によって重力がコントロールされているかのように浮き上がる。
そして全体が何か大きな金属の生き物であるかのようなのだ。つまり自己再生しているのだ。竜の鼻だと言われる二つの洞窟には溶鉱炉があってそこから金属が絶え間なく流れていく。そしてそれは再生された金属だという。そして二つの鼻の孔の奥、二つの洞窟深くには金属たちのプールがある。それは彼らの心であり、金属たちはそこに沈んでいくことによって意思疎通を図っているといわれる。星々とさえ連絡を取り合っていると。それらの情報は金属の箱に収められ、時にそれをどこからやって来るのか七つの車輪が取りに来るらしい。さらに洞窟の天井はいくつかの層になっていて、そこを様々な水が流れる事によって、その心に知恵と力を与えており、そこには又七つの島の心が生きづいているという。むろんこれらも又この島に伝わる伝説の一つでしかなかったが。
伝説は他にもあり、それによるとこの島は少しずつ沈んでいって、とうとうただの島となり、やがて人間にも見えるようになったというもの。だが他の島は再び海へと戻っていったということだ。海と言われるものが人間の知っている海かどうかはわからなかったが。だが、その島の一番目の洞窟からは炎熱の風が吹き出し、二番目の洞窟からは阿鼻叫喚の叫びが吹き出していったという。そして不死だった人間に死を与えたということだ。しかし三番目の洞窟からは清い水が湧き出し、それは新しい滝となった。そして滝と共に竜の一族が生まれその滝を守った。その滝だけが人間の心を理解したからだそうだ。しかし彼らはそれを忘れていったのだとある。しかしそんな時どこからか金属の男がこの島にやって来たのだと言う。だが、その先の物語は語られなかった。その男が島に新しい金属をもたらしたのかどうかもわからないし、その島を金属の男が守り続けたのかもわからない。そして人間がその後どうなったのかも。
今私たちが空からここを見たら海中に沈んでいる竜が見えるだろうか。そしてここはその竜が持ち上げている頭だと思えるだろうか。しかし竜の痕跡はここに残された金属たちが保持し続けているといわれる。断崖の下、大波が砕け、海中から金属の箱が浮き上がってきた。それはあの箱車に似ている。しかしその箱車には先頭の車輪がないようだ。そしてもう一つの伝説では、金属の箱を取りに来た車輪の一つは海中で竜を見つけ、その口の中へ自ら飛び込んで行ったとも。金属の心を知ろうとして、だろうか。いや、竜に咥えられたのだったか。そしてその車輪を竜の黄色い歯が噛み砕く毎に、己が何者かを思い出しているのだったか。
二人の話声が聞こえてくる。「ここで海に向かってごたごた言っていても仕方がないですね。そろそろ 反対側へ見回りに行くとしましょうか」「そうですね。
梅林を通って行きましょう。久しぶりの雪景色を堪能しましょう」「反対側は気がめいりますからね。今日あたり車輪が又箱を引き上げているかもしれない」「そうですね。しかし我々が竜の民だなどと言うのは、お笑いくさだ。私など箱車の壁にめり込んでいたという竜の爪をたった一つ持っているだけだ」「それを見せて下さいよ」「またですか」一人が大きく鋭そうな爪を取り出すと、もう一人の手に渡した。「それにしても竜はなぜあの箱を掴んだのでしょう」「これが竜の爪だとして、でしょう?」









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