第3話

文字数 1,910文字




    〈箱車〉


暗い森の中、暗いのは私が目だけで見ようとしているせいかもしれないが、とにかく暗い森の中を、七つの車輪が行く。大きく重そうな車輪だ。黒ずんだ銀色、そしてとても古そうだ。ギシギシガラガラいっている。横に三つずつ六つ、先頭にやや大きいのが一つ、その先頭の一つが他の六つを率いているようだ。木々がなぎ倒された道、折られた枝の傷口がいつも生々しくどこか痛々しさを感じさせる道だ。折れ曲がり千切れた木々の傷からは今も、かつての絶叫のような、しかし諦めのような香りが立ち昇っていく。そして今まで森を満たしていた噂話や不満の声が、車輪の音に今黙り込んだというような何とも言えない違和感。
しかし車はそのまま森の奥へと進み、しばらくすると七つの車輪の上に錆色の大きな金属の箱が見えてくる。その四角い形。それはどこか不気味な気配を漂わせている。七つの車輪が曳いているのはその箱らしい。他にも何か引いているようだが見えてこない。見られることを拒否しているのかもしれない。静かだが箱の中に何かがいるようだ。動き回っている。生き物のようだ。何匹いるのだろう。格子のはまった窓から覗いている目は沢山だ。
やがて、森が途切れた。七つの車輪が軋みながら止まる。そして静かにその息を止めた。箱の中の生き物も同じように息を止める。すると箱車が不意に消えた。いや、しばらく空間を飛んで別の森に落ちたようだ。箱が落ちた途端、森の中の木々が骨を鳴らした。ボキボキ ゴキゴキ ズキズキ と。どこか痛そうな音だ。
先導の車が考えている。「小さな森だ。また山中へ入るしかないか。だが続けざまに飛ぶのは気が進まない。この箱で人間の道を行く訳にはいかないし、このまま行くしかないか。だが、相当しんどいぞ」恐らく、そのようなことを。彼らは今まで山中で散々苦労してきたに違いない。車輪は傷だらけだ。しかも、最近は海辺を走ったせいで錆び付きも激しい。車輪は今や喘ぎながら自らを回しているようにみえた。程なく砂地に出てしまった。車輪が沈み込んで、軋み声を上げ始める。それに丸見えだ、まずいなと先頭の車輪は考えたに違いない。慌てて岩場に身を隠した。そしてその岩場を進む。
そのうち吊り橋に出てしまった。先頭の車輪が間違ったのだろうか。もう森はなかった。しかし、彼らは戻れない。それはバックすることのない箱車だから。しかしあの大きさではとても渡れそうにない。きっと途中で吊り橋ごと海へ落ちてしまうだろう。七つの車輪も背負っている金属の箱車も途轍もなく重そうだ。それらはそれが今まで巡って来た土地の重さを背負っているのだ。しかも、箱の中にはどれだけのものが詰め込まれているのやら。私たちはそれらが上げる濃厚な気配に、いや、それが人間の苦しみというものなのだろうか、少し悲しくなる。しかしここに来たのならそうなる運命だったのかもしれなかった。七つの車輪は今まで必死に運命を回してきたのだから。そしてここでは人間が言う運命はこれら七つの車輪が上げる切なげな音と変わらないのだから。
吊り橋の上には二つの影があり、こちらを見て何か言っているようだ。この箱を見て自らの運命を知る者は多い。ああ、二人は吊り橋を渡って行った。七つの車輪が再び回り出して、吊り橋へと向かう。箱の中から沢山の目が覗き、ざわざわいう気配と共に初めての海を見つめている。様々な想いが箱へと引き寄せられてくる。その時、扉が開いた。いくつも いくつもの扉が。金属の箱は多くの扉から成る集合体だったようだ。中に詰め込まれていた生き物たちは放たれ、次々吊り橋を渡って行く。くびきを解かれた七つの車輪も先導の車に導かれ、一輪ずつ渡って行く。
吊り橋は車輪たちを知っていたようだ。なぜなら吊り橋が息を止めたから。そして車輪たちは一つの息から次の息の間を渡って行ったから。途切れた森からその先の森へとジャンプするのと同じように。そして最後の旅も成功したようだった。なぜなら生き物たちの姿はもうこの世界にはなかったから。何十年か何百年か重い車輪に曳かれながら、執拗に続く道を、箱に詰め込まれて行った様々な土地から離れていった。やっと隠れなくともよくなった。そしてすべてのこの世の土地を彼らは知った。
車輪はその先の岩場に降り立ち、扉は再び集合してそこで元の金属の箱に戻った。先導の車輪が岩場にいる二人に何か言ったようだが、二人は気付かなかった。むろん二人は乗らなかった。というか、見もしなかった。二人は楽しそうだ。子供のように。そう、金属の箱車は幼児(おさなご)の心は乗せないし、彼らの楽しい遊びを中断させるような真似はしないのだった。










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