1-5節

文字数 8,937文字

 途中から、よもやと三人とも思っていたが、実際その通りであり、少年の案内でたどり着いたのは駅前であった。人が多いという理由で、湊の地図からは除外されていた調査範囲だ。一つ角を曲がれば商店街には惣菜屋、肉屋、金物屋などが並んでいて、夕方は主婦たちで賑わっている。もう少し時間が経てば、駅構内から背広を着た会社員らがぞろぞろ出てくるだろうと思えた。
 少年の手引きで奥まった場所にある雑居ビルの前に来ていた湊たちは、こんなところに未だ明確な発見をなし得ていない新生物がいるなどとは、誰一人として信じていなかった。
「おいおい、こんなとこにいるわけねーだろ」
 皆の意見を代表し、忌憚なく十吾が文句を言う。
「このビル、見てみろよ。一階はスナックだぜ。今はまだ開いてないけどよ、夜になったらカラオケとか外まですげえうるせえんだからな」
 後方で吉男が何度も頷く。湊はビルを見上げた。各階から看板が突き出している。スナック。英会話教室。何かの有限会社。看板なし。看板なし。五階建てだが、看板を見る限りでは三階までしか中身がない。とはいえ人はいるのだ。ますます少年に疑惑を向けざるを得なかった。
 しかし三人がじろりと視線を浴びせても、少年は意に介さない。
「えれべー、た、ー、でうえまで。いく。した、にいく。くりかえ、す」
 と言われても、三人にはいまいち少年の真意が伝わらない。
「どういう意味だい?」
 そう湊が言ったときだった。
「ちょっとあなたたち! 何してるの?」
「うおう!」
 尖った声に三人ともがあわてて振り返る中、一番反応したのは十吾だった。
「げ、おめえなんでいるんだよ」
 後ろには、クラス委員の上条ゆかりが凛として立っていた。十吾は苦々しくも憎々しい顔をみせ、吉男は後ずさり、湊は特に感想もなさそうに佇立していた。
「あなたたち、昼休み教室で悪だくみしていたでしょう。だから危ないことしないように、この辺りを見回っていたのよ」
 なんでわかった、と心の中で舌打ちしながら十吾が物申す。
「おめえクラス委員だろ。ここは学校じゃねえぞ。放課後のことまでとやかく言うのかよ」
「たとえば警察官が休みの日に泥棒を見つけたとして、みすみす見逃すかしら。それと同じことよ」
「ぐぬ」間髪入れずに手痛い反撃が返ってくるこの攻勢に、十吾はいつも負けている。
「特に山野君。あなたは目が離せないもの」
 名指しで批判され、むっとしながら、十吾は昼休みのことを反芻した。そしてあの距離で気づくはずはないんだがと思い、余計に腹立たしかった。とはいえ正面切って争うと(ろく)なことにはならないとわかっているため、うまい方便を探した。
「いや、まてよ。おれらは何もしてねえよ。こいつがさ、ついてこいって言うから」
 嫌疑をなすりつけるため、下手くそな笑みを浮かべながら十吾が後ろを指差す。しかし、そこには(すす)けたビルがあるのみだった。
「誰もいないじゃない」
「あれ? お、あ、あいつどこいった?」
 予想外の出来事に十吾は狼狽し、きょろきょろと首を動かした。それは真にあわてての動きだったのだが、ゆかりには苦し紛れの三文芝居のごとく映ったようで、ため息を吐かれた。
「はあ」
「お、おめえしんじてねえな。な、おまえらも見たよな。あの変なやつ」
「う、うん」頷くと、じろりとゆかりが一瞥したことに気づき、それだけで吉男は身を震わせる。ゆかりは湊もちらと見て、それからまた嘆息した。
「いいわ。あたしもついていくから」
「おい、おいおいおいなんでだよ」激しい抵抗を見せたのはやはり十吾だ。
「だから、危ないことしないようによ。どうせあなたたち、いくら注意してもやらないと気が済まないんでしょう。だったら見張っていなくちゃいけないわ」
 意志を曲げる気はない口ぶりだった。湊は頭数は多い方がと暢気(のんき)に言い、吉男は見咎められないよう小さくうなだれつつも観念し、十吾は憤懣(ふんまん)を込めて唸るも言葉では何も言わず、不満たらたら一切納得はしていないと全身で表しながら、ずんずんと歩いていく。すかさずゆかりが追いかけ、湊は普段通りの歩調で後につづく。しんがりの吉男がそういえばあの少年は結局どこにと思い、辺りを見回すと、数十メートル離れた路地に少年が入っていくのが見えた。みんなを呼ぼうかとも思ったが、あの少年にはそれほど関わりたくないと思い直し、知らせないことにした。
 スナックの入り口を過ぎて通路を進むとエレベーターがあった。呼び出しボタンを押下すると、籠った駆動音が近づいてきて、ドアが開く。十吾は狭い箱内の隅に陣取り、むすっと腕組みをした。ゆかりが「開く」ボタンを押してくれているのに気づき、湊と吉男が早足で入り込む。
 ドアを閉める前にゆかりがたずねた。
「それで、ここからどうするのかしら」
 対抗者と位置づけている湊に訊くのはためらわれ、十吾など言わずもがなであるため、ゆかりは吉男を見る。入室時にゆかりからほのかに良い香りがしてすでにちょっとどぎまぎしていた吉男は、大きな眼から放たれる真っ直ぐな視線にどきりとした。ただそれは、ゆかりを異性として意識しているからというよりは、視線の鋭さに気圧されているといった方が近く、うろたえ気味に吉男は答えるのだった。
「え、ええと、さっきの子はいなくっちゃったけど、エレベーターで一番上まで行って、一番下まで行くのを繰り返す、んだよね? 湊くん」
 言っているうちに万が一間違っていたらどうしようという気になってきて、最終確認を湊に任せた吉男は、そうだねと返ってきたので安心する。けれどゆかりは怪訝な表情で疑問を口にした。
「よくわからないわ。それで一体何が起こるっていうの? また戻ってくるだけじゃないかしら」
 そう思うのはゆかりだけでなく、十吾も吉男も同じだった。湊が頷くことでゆかりは少しほっとして、しかし同時に癪でもある。
「でも」湊が言った。「やってみなくちゃわからない。うまづらみたいに出現条件があるのかもしれないからね」
「うまづら?」
 嫌な予感がしてきて、ゆかりは更に疑わしい顔になる。
「うまづらっていう妖怪がいるんだよ。戸を開けたまま昼寝をしていると現れるんだ。毛布をかけてくれたり、蚊取り線香を焚いたりしてくれるそうだよ」
 この時点でゆかりは辟易しはじめている。「男子のくだらないこと」への分類化は既に完了していた。
「日光で眩しくならないよう、庭に緑を植えて植物のカーテンを作るんだ。目覚めると消えるんだけど、おいしい晩ご飯が用意してあるそうだよ。吉男くんの家で何回か昼寝してみて、その時は現れなかったけれど、何事も試してみなくちゃわからない」
 学校で学ぶべき勉学以外の知識が湊から語られるたび、ゆかりは複雑な気分になった。今までは対抗意識から距離を取っており、湊とまともに会話するのはこれが初めてだったが、嬉々として余分な知識を蓄えているような相手に自分は成績で劣っていると自覚させられ、自尊心を(えぐ)られた気がした。しかし実力で上回ることで解消されるべき問題だとすぐに結論づけ、悔しい気持ちを原動力に変えるべくそれ以上考えるのをやめた。それに、やってみなくてはわからないという点に関しては同意見だった。いないとは思うが、わざわざ否定する気も失せていた。
「わかったわよ。それじゃ、まず五階ね」
 細い指が離れ、自動でドアが閉まる。斜線の入った磨りガラスの向こうは景色が不明瞭であり、色味から壁と床くらいはわかるものの、具体的に何があるのか判然としない。移動の最中は特に、薄闇が流れているのみだ。階を上がるごとに、持ち回りで各階のボタンが点灯していく。
 五階に着いた。到着音が鳴動する種類のエレベーターではなく、無音でドアが開く。しんとしていた。電気が点いておらず、暗がりの通路が伸びている。途中に二つ、突き当たりに一つ部屋があるようだが人気は無い。子供が立ち入ってはいけない空気が充満しており、ゆかりはすぐに一階へのボタンを押した。誰一人エレベーターから出ることなくドアが閉まる。元々さして喋ってもいなかったとはいえ、沈黙が気まずさを帯びたように感じられた。
 危ないことをしないようにというゆかりの言葉の効力は増したが、ゆかりとて何も身をもって懲らしめてやろうなどとは思っておらず、妙な誤解を招いただろうかと考える。しかし大半の男子連中とわかりあえたことはないのだ。きちんと真意を確かめようともせず決めてかかるような輩に曲解されたところで、どうということはない。そう思うことにした。
 一階に着いても、前が壁、すぐ左を行けば駅前に出られるいった状態は変わらない。何度か往復を繰り返しているとゆかりが言った。
「ねえ、まだやるの? もう六度目よ。いい加減、何もないんじゃないかしら」
 飽きっぽい十吾からすると、実は三回目くらいからめんどくさくなっていたのだが、ゆかりと同調するなどまっぴら御免だったので、むしろ根気のなさを非難しているかのごとく眉を吊り上げてみせたものの、ゆかりはそれに気づかなかった。
「いや、もう少し続けてみよう。何せ未確認生物なんだ。普通の人よりもずっと根気よく探さないといけないはずだよ」
 先に湊が言ってくれたおかげで言いやすくなった吉男も同意する。「う、うん。ぼくもそう思うな」
 ゆかりはうんざりして肩を落とした。しかし、気が済むまでやらせると言った手前、止めるわけにはいかない。クラス委員が約束を違えるなどあってはならないことだった。不承不承(ふしょうぶしょう)だが態度には極力出さないようにして、ゆかりは軽く息を吐く。
「わかりました。じゃあもう少しやってみようじゃない」
 ひたすらワイヤーの擦過らしい音とエレベーターの駆動音だけが聞こえた。扉が開く度に、わずかずつ夕闇が濃くなっていくのがわかる。あまり遅い時間までは居られない。もはや何度往復を繰り返したかわからず、何もあるはずなどないのだった。
「残念だけど」
 とうとう湊が終了を告げようとしたとき、扉の向こうがやけに明るく感じられた。
 広い空間があった。
 教室や視聴覚室よりも広く、体育館の舞台を含めた面積よりも一回り大きい。壁も床も真っ白であり、天井に電灯らしきものはないにも関わらず、やけに明るく、全体が微妙に発光しているのかもしれなかった。
 事態が飲み込めず、数秒間ただ呆然と目の前の光景を見ていた一同は、反射で光る互いの顔を見合わせ、また前を見た。エレベーターの表示は一階のままである。だが、さきほど幾度となく見た一階とは明らかに違う。違いすぎているほど異質だった。未確認生物のことなど頭から吹き飛び、現在地の把握や現象の理解に努めるも適わず、ただ一言、十吾が皆の気持ちを代弁した。
「はあ?」
 だが、意味不明だと言ってみたところで疑問は解消されない。混乱する頭でかろうじて湊が呼びかけ、ひとまずエレベーターの中から見えうる限り部屋の中を観察してみたものの、これといって何も見当たらない。おそるおそる一歩を踏み出すと、床は硬質なのが確認でき、わずかな安堵を得る。学校の廊下と同じリノリウムの感覚に近い。
「とりあえず、端からぐるっと歩いてみよう。まず、この部屋の見取り図を作ってみればいいんじゃないかな」
 と湊は言うものの、さすがに動揺しており、必要以上に警戒しているせいか、へんてこな歩き方になる。しかし誰もそれについて言わないし、言う余裕もなかった。ゆかりと十吾は、相手の存在から自分が怖々している姿は弱味になると考え、おくびにも出さぬと決めていたが、実際は不完全だった。相変わらず何もわからないまま、知らず知らずのうちに皆が固まって歩いていた。
 退路の確保を湊は忘れていたわけではない。エレベーター横の壁に呼び出しボタンが設置してあるのは確認済みだ。ただ、一度戻ってみなかったのは、この場所に来る機会が今後あるかどうか定かではなく、好機を掴めるのは今だけかもしれないと思ったからである。
 状況が状況だけに、冷静に運びを考えられたわけではないが、見渡した限り危険はなさそうという最低限の前提は満たした上で、探索の続行を判断したのだ。怖い反面、この場所に何があるのか知りたいという知的好奇心も、それに匹敵するほど強いのだった。
 吉男の心境も湊に近かったが、違うのは、もしも未確認生物を発見できたなら、誰にでも気兼ねなく話をすることができるようになるし、たとえ信じてもらえなくても発見した事実から胸を張っていられるのでは、という目論見が含まれているところだった。そこには、自信の回復に加え、他人へ示す自己の確立や、独自性の確保といった他意が意識的でもないにせよ潜伏していた。
 左回りで進み、一つ目の突き当たりを曲がって二つ目へと差し掛かる頃になると、慣れから幾分緊張は和らいできた。しかし時間が経つほどに、何も起こらない不気味さも増していく。この部屋は、元々この雑居ビルの一部として存在していたのだろうか、と湊は考えた。それにしては上の階と様相が違いすぎる。光っていて、広くて、整然としているがどこか人工という感じがしない。用途がいまいち見つけられない。ここは誰が何の為に? 当然の疑問が遅ればせながらやってきた。
「うお!」
「わっ」「きゃっ!」「うわああ!」
 前を歩いていた十吾が大声を出したので、反射的に皆からも声が出た。さらに十吾が巨体を後退させてきたので、なんとなく立ち位置の決まっていた隊列が総崩れになる。
「ちょ、ちょちょっと十吾くん」
 とりわけ体格差のある吉男が尻餅をつきながら抗議したが、聞き入れられない。
「ばか! 前見てみろよ!」
 何事と思いつつ、他の三人が十吾の身体から首を覗かせると、前方に人型のものが立っていた。
「こいつ、いきなりあらわれやがった」
 背丈は吉男よりも小さく、肌がやけに白い。薄手のシャツを着ている。一見すると同世代の少年のようだが、その人型のものには顔がなかった。わずかな凹凸があるだけで、眼球も唇もなく、認められるのは鼻梁(びりょう)くらいである。人の形を模してはいるものの、人でないのは明らかだ。
「な、ななんなんなに」
 驚きと怯えから吉男は言葉にならない声を出した。湊とゆかりは、少し距離を取ったところからじっと動向を窺っているが、咄嗟に動ける準備はできていない。十吾は前線で身構えている。しかし、もしも暴力的な場面になったとき、自分に力を行使する覚悟があるのかと考える。いや、できる。いざとなれば。できるはずだ。何度も言い聞かせ、不穏な気持ちを振り払おうとした。
 人型のものがざわざわと蠢きはじめた。一気に皆の緊張が高まる。人型はその場から動かず、ただその身を震わせている。だが、振動の度に、徐々にその顔が人の形を成していく。かと思いきや崩れていく。そしてまた形作られていく。まるで微調整をしているかに見えた。
 崩壊と形成を繰り返し、最終的に納得がいったのかなんなのか、素朴な少年の顔がそこにあった。薄めの唇。眠たげな瞳。起き抜けのような癖っ毛。顔がなかったときよりは生気があるように思えるが、得体の知れない生きものであるのは間違いない。
 依然として皆が警戒状態のまま成り行きを見ていると、いきなり人型が動きだした。立ち位置は変わらず、きょろきょろと辺りを見回している。いよいよ何かしてくるかと思ったとき、人型が斜め上を見ながら発声しはじめた。
「な、うぁ、れ、へ、へ、ぐ、うも、も、も。ざ、ぴゃ、ちゃ、ちゃ、んー。んー。と、お。とお。どいくく、く。いっなす。ふぎいりんぱ」
 声だけで判断するなら、年相応の、やや高めの声なのだが、如何せん内容が意味不明だった。何か法則があるのか、無作為なのかもわからず、先の形態変化を経ているだけに不気味で仕方ない。とはいえ、こちらから迂闊に手出しもできず、見ているしかないのだった。
 発声は続く。
「んな。ぴりさー。こ、ここん。ざ。いりりりり。いりり。ぬげなにひちすくぺず。ぺず。どりさえには。には。る。る。ねぁ。んて。ぺ、ぺーーーー。ぺーーー。ぺーーー。るらきま。ら? ら。ら。ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら! ら!」
 一定のところから「ら!」としか言わなくなった。いよいよもって訳がわからない。対応に苦慮して顔を見合わせるが、皆が同様に困り果てていた。いつの間にか、恐怖や緊張より、困惑が勝ってきていた。
 突然、ぴたりと発声がやんだ。人型は湊たちに向き直り、ごく自然に言ったのだった。
「こんにちは」
 あまりにも急に普通のことを言われたので、返す言葉に詰まり、誰も答えない。返事がないことを不思議そうに首を傾げ、やがて人型は言い直した。
「ああ、そうか。今はもう、こんばんはと言わないといけないのか。では、こんばんは」
「そういうことじゃねえんだよ」
 十吾が答えた。というより指摘に近かった。だが、人型はまたぼんやりと首を傾げた。事情がよくわかっていないらしい。
「最初に挨拶をするのが礼儀だと聞いたが」
「いや、そりゃそうなんだけどよ……」
 会話はあまり噛み合っていないが、皆の警戒心はやや緩くなった。まだ断言はできないが、危険な生きものだとも思えない。言葉による意思疎通ができるなら、と湊が平和的な方向に持っていくように提案した。
「まずお互いに自己紹介してみたらどうだろう。それから少しずつ話をしていけばいいんじゃないかな」
 湊の話を聞いて人型が傾げた首を戻した。
「なるほど。それも始まりの一つの形だと聞いている。自分から名乗るのが礼儀だとも。ならば私から。私の名前は  だ」
 口は動いているのに、なぜか、名前の部分だけ抜け落ちてしまったかのように聞こえない。
「うまく聞き取れなかったので、もう一度言ってもらえないかしら」
 ゆかりが言うと、人型も繰り返した。
「私の名前は  だ」
 やはり聞こえない。皆が難しい顔をしていると、首を傾げていた人型がやがて思い出したように言った。
「変換していなかったので合わせる。私の名前は、ムト、だ」
 何をどう変換したのか定かではないが、ひとまず名前はわかった。細かいことは追い追い訊ねることにして、皆も一人ずつ名乗った。
「カセミナト、カミジョウユカリ、ヤマノジュウゴ、ヤダヨシオ」ムトが繰り返す。「把握した」
「じゃあ、そろそろ質問していいかな」と湊が身を乗り出した。横には未確認ノートを持った吉男もいる。会話ができると知ってから、ずっと色々訊きたくてうずうずしていたのだ。
「ムトは何者なの? 人間ではないよね?」
 淀みなくムトが答える。
「そうだ。私は人間じゃない」
 ぱあっと吉男の顔が明るくなり、湊と手を取り合って頷きあった。湊も手に力を込めながら、焦らないようにと目で返した。感激している二人をよそに、あっけらかんと十吾が質問する。「んで、おめえは何なんだよ。どっからきたんだ」
「私は」
 ムトが天井を仰いで、上を指差した。
「ずっとずっと向こう、遥かなる虚空の狭間から来たのだ」
 何を言っているのかわからず、十吾は「あん?」と不満げに言う。だが、湊と吉男はぴんときたらしく、いやまさかそんなはずはと思いつつも、口に出さずにはいられなかった。
「宇宙人……」
「おっ?」
 急速に興味を取り戻したように十吾が目を輝かせたときだった。
「ああっ!」
 唐突にゆかりが叫んだ。水を差された気分になり、十吾が抗議する。
「なんだよいきなりおめえはよ」
「大変! もうこんな時間じゃない!」
 自分の腕時計を示して訴えるゆかり。湊もリュックから懐中時計を取り出してみる。「おや、六時二十分」
「のんきに言ってる場合じゃないわ! あたしの家、門限が六時なんだから!」
 珍しく慌てているゆかりを見て、ここぞと十吾がからかう。
「クラス委員様があ、門限やぶりだなんてえ、わるいと思いまーす」
「うるさいわね。悪いのはわかってるの。でも、相手が気にしているとわかってるのにわざわざ言う方がよっぽど悪いわ」
 非を認められた上で反撃され、十吾は「ぬぐぐ」と悔しさを滲ませる。
「ちょっと十吾くんやめてよ。自分だって六時でしょ。ぼくんちも六時までなんだから」
 話が脱線する前に吉男が間に入る。探索が長引いて門限を過ぎた経験がある分、ゆかりよりは余裕があるが、吉男も焦っていた。「湊くんも帰らなきゃいけないよね?」
「うん。外はもう真っ暗だろうしね」
 ただ、気がかりが一つ。湊はムトに確認をとった。
「ねえムト、明日も来ていいかい?」
「構わない」
 その答えに一安心し、湊は丁寧に礼を言う。
「ありがとう。ではまた明日」
「何やってるの! 早く帰るわよ!」
 すでにエレベーター前で待ち兼ねているゆかりから声が飛んできた。それなりに距離があるにも関わらず鋭利な声だったので、男子たちはあわてて駆け出す。
 湊が吉男に呟いた。「なるほど。おっかないね」
 やっとわかってくれたと思いながら、共感の念を込めて吉男が頷く。全員が乗り込んでエレベーターが動きだした。扉が閉まる直前、部屋の中を見てみたが、ムトの姿は見えなかった。押す前からずっと一階のボタンは点灯したままで、不安もあったものの、無事に一階に着くと、またすぐに走った。
 十一月の晩。すっかり日の落ちた商店街は少し人が減ったように感じられ、煌々と店の明かりが点在していた。肌は冷たく、身体は熱かった。
 四つ辻までくると、四人ともが散り散りになった。息を切らせてそれぞれの帰路を急ぎながら、胸のうちでは、さっきまでの様々な体験のことが気にかかり続けていた。
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