4-1節

文字数 2,544文字

 木枯らしが吹いた。冷たい風が、三角座りをする一同の無防備な足を撫でつけながら通り抜けていく。先週よりも一段階上昇したかに感じられるその冷たさは、冬の到来を自然に告げていた。
 体育の授業で並んで座しているのは六年二組の面々だけではなく、一組も塊になって横にいた。合同授業だ。卒業が近いので、思い出作りの一環として企画されたのだが、先生の思惑など大半の生徒は感じとれず、ただなんとなく祭り事の雰囲気にわくわくしていた。
 授業はサッカーだった。一組と二組でペアをつくり、パス練習などを行ってから男女別に試合に移る流れだ。普段より生徒が多いので、早くも混戦の様相を呈していると思えた。
 先生が順繰りに指名し、ペアができていくなか、それまで隣のクラスを見て何やら数えていたらしい十吾が手を挙げた。「せんせー、おれ気分わるいから保健室いってきまーす」
「珍しいね」十吾が去ってから湊が言った。「彼が体調を崩すのは初めて見た」
「ああ……あれはたぶん」声をひそめて吉男が答える。「仮病だと思うよ」
「どうしてまた」
 怪訝というよりは案じているような湊の顔を見て、吉男は逡巡を解いた。
「まあ、湊くんなら話しても大丈夫かな。ただ話すと長いから、あとで試合中に集まろう」
 心に余裕ができた、というほどでもないが、一時期に比べて視野が広くなった吉男は、多少なら他人に気をかけることができるようになっていた。住処の出来事を大事に思うようになってから、湊たちへの仲間意識もより増してきていた。
 試合がはじまり、落ちあうと吉男は話しはじめた。
 三年生の頃、吉男と十吾は同じクラスだった。今ほどよく話すわけではなく、すぐ腕力に物を言わせ威張り散らす、餓鬼大将然とした十吾がむしろ吉男は嫌いでもあった。
 とりわけ十吾と仲が良かったのは竹井という男子で、二人はよくつるんで悪さをしていた。気が合い、宿題を忘れて先生に叱られるときでさえいつも一緒だった。
 運動会を過ぎたある日、教室に長い紐が落ちていた。綱引き練習用、というより段取りを確認するためのもので、それほど太くも頑丈でもない。だがなぜか面白がって、数人の男子が教室の後ろで遊びはじめた。吉男は参加せず席から眺めていたが、十吾と竹井は混ざっていた。
 一対一で引っ張り合いをし、こけた方が負けという単純なルールだったが、決着のたびにげらげら笑った。結果は十吾が圧倒的な強さで全勝。しかしまだ本気を出しきっておらず、力を持て余していたので、それならと、一人の男子が一対三を提案した。得意になっていた十吾は受けて立ち、勝負がはじまった。
 開始してすぐ、さすがに分が悪く十吾は前につんのめった。だがあわやというところで踏ん張り、ぐっと体重を掛けながら後ろに思い切り紐を引いた。加減をやめ、全力を出すことに喜びを感じていた。急激な力の流動に三人が体勢を崩し、ふっと紐が軽くなったとき、十吾は笑みすらこぼした。
 先頭にいた竹井が、勢い余って机の角で強打した。激しい音を立てて机や椅子が倒れた。床に転がり、呻き声を上げる竹井の目の上から鮮血が噴き出した。女子が悲鳴をあげる。傷口に触れた竹井の手にはべったり血がついており、横にもたげた顔の半分がみるみるうち真っ赤に染まっていった。誰かが先生を呼んでくるまで、遊んでいた男子たちは教室の隅で怯え、震えていた。立ち尽くす十吾の手から、ずるりと紐が垂れ落ちた。
「それから十吾くんが暴力を振るうことはなくなった。それどころか、人前で重いものを運んだりするのさえしなくなっちゃった。めんどくさいとか言ってさ」
 吉男は物憂げな顔をした。「けっきょく、血は多かったけど大した怪我じゃなかったんだ。何針か縫ったけどね。命に関わるものじゃない……だからと言って良いわけじゃないけどさ。でも、問題はそれからで」
「というと?」
 最後まできちんと聞こうと湊は思った。三年前の出来事であり、隣りのクラスの事件は薄ぼんやりとした記憶しかなかったが、当人たちにとっては必ずしもそうではない。
「竹井くんと十吾くんが一つも話さなくなっちゃったんだ。あんなに仲が良かったのに」
 (かげ)りのある声で吉男が続ける。
「そりゃ、怪我もしてるし良くないことだよ。でも十吾くんだけが悪いわけじゃないし、それは竹井くんもわかってると思う。だけど、どうにも気まずいんだろうなあ」
「さっきの仮病は、じゃあ」
「竹井くんと組まされるってわかったからだと思う」吉男はドリブルする竹井を遠い目で見た。「彼、すっかり元気なのにね」
 十吾が保健室に行ったとき、竹井はどう思っただろう。安心したのか。それとも。湊は想像ができなかった。
「十吾くん、まだ謝れていないんじゃないかなあ……」
 次の授業で戻ってきた十吾は、吉男にちょっかいを出し続けた。なぜこんなことをするのか、吉男は以前から疑問だったがようやくわかった。気を紛らわせたかったのだ。
 退屈な時間、暇な時間ができてしまうと、事件のことを考えてしまう。だからいつも楽しいことを探した。夢中になっているうちは、何も考えずに済むからだ。ムトに出会ってから近頃は薄れていたのに、保健室で寝転んでいる間、嫌な記憶が何度もよぎった。
 家が工務店であり、現場に入ったことこそないが、父親の手伝いで資材をトラックに積むなどの作業を小さい頃からやってきた十吾は、自然、筋肉が発達し、体格にも恵まれていた。気に入らないことがあると腕っ節で解決してきたところさえあったが、事件以後は自身の力そのものを疎ましく思うようになっていった。不用意に力を使えば碌なことにならない。だから使わない。ならば、力がある意味なんてない。しかし周囲には力自慢であると思われている。封印していることが露見すればつけ込む奴が現れるので、自分から隠しているところもあるが、頭を悩ませる一切が煩わしい。こんなもの要らない。持ちたくない。この大きな身体だって、何のためにあるのか。
 十吾は考えることをやめた。わからなくとも、考えているよりはずっといい。こういう時は何か楽しいことをするのに限る。今日もまた、ムトのところへ行くのだ。
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