4-3節

文字数 4,704文字

「道は全て黄色だった。目に痛いほど濃厚な黄色だ。とてつもない広さの道幅に細かな区切りが入った地面はしっとりとしていて、硬くはない。一定以上の弾力があった。時々、柱に羽根のついた房のようなものが立っており、風でばらける糸の束に触れるとちくちくした。だが傷が付くほどではなく柔らかみがある。空は澄み、何者にも縛られない開放的な空間が拡がっている。だが、生き物は見当たらない。ただ時折、びゅうと風が吹き、房が無言で揺れる。何もいないのだ。そして雲が道と同じ色をしている。蒼空に映えるには映えるが似つかわしくない鮮黄色だ。
 私は、雲から霧が散布されていることに気付いた。最初は風で揺らめいているものかと思ったがそうではない。噴射に近い形でばら撒かれている。そしてあの霧のために、この道は変色してしまったのだろう。強い毒だった。大抵の生物に死をもたらすであろうと見て取れた」
 鮮やかな色の物ほど危ないという話を湊は思い出した。あれは確か、毒キノコのことだ。たとえ山中で迷って空腹に襲われても、不用意に手を出すべきではない。でも、追い詰められれば正常な判断は難しいのかもしれない。色のことを考えた。黒や青は暗い。赤や黄色は明るい。イメージはきっと生活の中で構築されてきたものだ。けれど、実態と外面はまるで関係がない。なんとなく、気をつけようと思った。
 また今度、と言ったムトは頃合いを見て旅の話をしてくれるようになった。むろん続けざまにというわけではないが、もしかしたらこのまま二度と聞く機会が訪れないんじゃないかとも思っていた一同は、ムトが約束を守ってほっとした。ムトは義理堅いところがある。いい加減な発言ばかりしている十吾は、ちょっと身につまされる思いもした。
「幸い私には無害だったが、かつて地上にいた生物は皆、あの雲によって死滅したのではないか、と私は想像した。だとすれば、瞑想に不向きな星だと言えた。生命の鼓動を感じながらでなければ捗らない。だが、たった一つ思いつきの仮説のみで星の全てを推し量る事など到底できず、可能性があるならやめる訳にはいかなかった。少なくとも数年は歩き続けなければ、正しく見切りを付けることすら適わない。私は、だだっ広く平坦な道を再び進んだ」
 やっぱりそうなんだ。ムトだって迷うことはある。でも、一人で考え、答えを探してきた。それも短絡的な思考に囚われず、長期的な視野を持ってして判断している。あたしも見習おう、とゆかりは思った。話の規模は比較にならないだろうけど、悩んだ時の対処は参考になる。多少の時間は掛かっても、自分なら一人で答えを導き出せるはず。ますますゆかりは気持ちを硬化させた。
「時には真っ直ぐ歩くのをやめ、横に進んでもみたが、行けども段だら模様の道は様変わりせず、途上であることを思い知らされるばかりだった。元向かっていた方角へ直った私は、どうにか場所ごとの違いを見出し、なるべく瞑想に適した環境を探すよう努めたが、その作業は困難を極めた。もはや、自分自身をこの星へ合わせる為の体質改善を目指した方が得策かと思われた。
 そんな時、地面が揺れた。道そのものが蛇の如くうねり、上下に大きく波打った。身体の釣り合いが取れず、振り落とされかねないと思った私は、道の窪んだ部分にしがみつき、揺れが収まるのを待った。
 揺れは何日も続き、終わった時に道は歪んだままだった。何らかの異変があったようだが、詳細は分からない。私はまた歩きだした。極端な勾配をひたすら上っては下る繰り返しだ。おまけに道はねじくれており、慣れるまで非常に難儀した。僅かな段を取っ掛かり足らしめるべく、時には形態変化を用い、湾曲した道をどうにか前進した。
 ある日とうとう、水平な場所に辿り着いた。彼方にうねりが見えるので、ここら一帯だけだろうと思われた。異変の鍵が近くにあると考え近辺を探っていると、後方で音が鳴った気がした。振り返る間もなく、私は地面に喰われた。視界が暗黒に覆われる最中、大口に飲み込まれるのが分かった。大地が変形して襲いかかってきたに相違なかった。
 しばらく何者かの喉に当たるであろう部分を緩やかに転がり落ちた。(よだれ)や粘液などはなく、乾燥していた。今まで歩いていた外の道と同じ感触がしており、衝撃は緩和された。だが色は違っていて、とても淡く薄い紫だ。地球の基準で言えばあまり気持ちのいい色とは言えないのかもしれないが、濃い黄色ばかりを見続けていた私にとっては、むしろ穏やかな色のように思えた。
 そこまで考え、ふとそれほど暗くないことに気が付いた。どころか進むごとに仄明るくなっていく。開けた場所に出た時、光がはじけた。
 今まで通ってきた食道も相当の広さがあったはずだが、それすら竹筒か何かと思わせるほど茫洋たる空間がそこにあった。あちこちに細い管が通り、綿毛のようなふわふわしたものが点々と浮遊している。本当に体内らしく、全容がつかめないほど巨大な脈打つ器官が下方に見える。時たま低い音が、何処ともなく轟いた。
 現在地の確認をした。私はどうやら壁に面した輪状の通路におり、、真上を向けば壁面に私が出てきた食道に通ずるであろう穴がある。よじ登るのは骨が折れそうだった。壁面とはいえ胎動しており、小刻みに揺れていたからだ。触れてみると滑りがあったためでもある。
 私はひとまず下に向かうことにした。通路の途切れ目から降りられる場合もあれば、無作為に壁から突き出た肉の足場めがけて跳躍しなければいけない時もあった。着地の際に滑落する危険を考え、身体を扁平形に引き伸ばし、足場を包み込むようにして降りた。棘を全身に発現させ、突き刺すように着地した方がより安全だったかもしれないが、壁と同じく蠢く足場は臓器の一部と思われ、傷つけてはいけない気がしたのだ。いつの間にか、この空間に対して生き物という意識が根付いてきていた。
 あと数段であの鼓動を鳴らす器官、というところまで来たが、それが目的ではない。瞑想できる感覚がした。ちょうど床や壁に凹みが多発している地帯に居たので、そのうち一つの小部屋を住処として瞑想を試みると、案の定、すっと星の大気を感じられた。空のある外よりも、壁のあるここの方が居心地が良い。
 もくもくと自己の内側に入りながら、様々なことを考えた。ここが広々としているからこそ、壁があるのが却って包容力を生んでいるのかもしれない。私を喰ったのは捕食の為だろうか。それにしてはその後の対応が曖昧だ。消化液があるようでもないし、栄養素を吸い取っている様子もない。平たく言えば喰った目的が分からない。しかし考える時間はあったので、私はひとまず、そこかしこに浮いているあの綿雲を観察してみることにした。浮遊しているだけに見え、これもまた機能のよく分からないものだったからだ。
 じっと見ていてわかったのは、綿雲のどれもが、驚くほど動きが緩慢であり、何日か目を離してもほとんど位置が変わっていないことだった。だが一応は移動しているらしく、右に行く者と左に行く者がいる。派手な行動はしないようなので近距離で更につぶさに観察していると、綿の真ん中辺りに小石のようなものが付着しているのを発見できた。右に行く者には無く、左に行く者にのみ付いている。発生の元を辿るため右方向にしばらく行ってみると、壁に無数の穴が開いている場所があり、そこから転がってくるらしかった。触れてみると一瞬にして砕け、粉末と化した。相当に脆く、私の力加減ではどうあっても持ち上げることすらかなわない。あの見るからに柔らかそうな綿雲たちにのみできる芸当だと思えた。
 今度はずっと左に行ってみた。すると、奥の区画には一回り小さい綿雲が浮いており、大きな綿雲から小石を渡されているようだった。その小石は削られ縮み、最後には無くなる。最初はいまいち何をしているか分からなかったが、ある日私は悟った。
 これは子育てだ。親が子に食物を運んでいるのだ。なんということだろう。綿雲はそれぞれが自律した生物であり、独立した思考を持っていたのだ。私がこの事実に気付いたのは体内に入って何年もしてからだった。かつては地上にいたのかもしれないが、あの毒の雲のために住まいを移したのだろう。ここは巨大生物の体内であり、この星の大地そのものだ。あの小石は排泄物であり、綿雲たちはそれを食物に、子育てしながら分解している。共生しているのだ。だとすれば私も餌扱いされたわけではなさそうである。毒の雲から匿う代わりに分解の一助になれということなのだろう。だが生憎、小石すら持てない私には期待に添えそうにない。それでも彼らのことをもっと知りたいと思った。すっかり気に入ってしまっていたのだ。
 もと居た小部屋で瞑想を続けながら、毎日彼らを眺めた。まともに会話できるようになるまで数年を要した。綿毛の特定の一本をそびやかせたり曲げたりするその角度や早さによって彼らは会話をする。最初は形態変化で同じ綿毛を再現することすら困難だったが、観察と訓練により、最終的には小石こそ持てないにせよ何とか形になった。あの揺れは何百年かに一度起こる寝返りらしい。なんとも壮大な話だ。
 彼らからすれば片言だろうし、分解もしない私はさぞおかしな生き物に映っただろうに、邪魔者扱いはされなかった。複雑な感情を有していないからとも言えるが、何物をも差し挟む余地のないほど親と子が互いのことしか考えていないそれは慈愛の塊であり、他者を排するという発想が根本から無いのかもしれなかった。いつか子が成長し、親になっても変わらない。いつまでも慈しみあい、互いを大事に思いあうのだ。
 数十年経ち、星を去るとき、住処近くの雲のうち何体かが私を見ていた。挨拶のつもりだろうかと思い、私は何だか嬉しくなり、上に向かう途中で時々下を見ては、小石を運ぶ姿を振り返った」
 帰り道、十字路で口ぐちに感想を言った。
「さすがに食われたときはしんだと思ったぜ」十吾がおどけて言う。「でも、中があんなふうになってるなんてなあ」
「壁はぬるぬるして気持ち悪かったけど、あの綿雲は可愛かったわ」
 この時ばかりはゆかりも気兼ねなく話せた。高揚に足る映像の後だから、などという意識はさすがになかった。「純粋な親子愛という感じで良かった」
「よく出来た仕組みだったよね。毒雲から綿雲は守られている。その代わり出した余計なものを処分している。しかもそれが食べ物にもなるんだから」湊は感心しつつも、独自の理論をすすめる。「地上に生物がいないのなら、大気中の塵や砂が餌になるのかもしれない。だとしたら、あの何本も立ってた房で摂取しているのかなあ」
 皆の話を聞きながら吉男は考えた。自分にとって大事なものは何だろうかと。綿雲を見て思ったのだ。湊くんも上条さんもきっと持っている。大事にしてる気持ちがある。十吾くんはまあ、わからないけど、本当はそんなに単純じゃないはずだ。じゃあ自分は何だろうか、と。直面している問題は解決していないし、別のことに心を砕く余裕なんてないのかもしれないけれど、見つけなきゃいけない気がする。
 住処のことを大事に思うのはある。でも他にも、ずっとずっと強い気持ちがある予感がしていた。それが何かは考えてもわからない。わからないことだらけだ。いつか気付く時が来るのだろうか。ぼくはその時、どうするんだろう。
 考えることがどんどん増え、複雑になっていくような気がした。
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