4-5節

文字数 5,324文字

 十二月になると毎日のように雪が降り、ぐっと冷え込んだ。 風が強く吹くと一瞬だけ吹雪を連想する。登校中、厚地の手袋をうらやましがった十吾が貸してくれよとすり寄って、嫌がる吉男と押し問答していると、二人の横を通り過ぎざまにゆかりが言った。
「おはよう」
「えっ、ああ、うん」
 吉男は戸惑いながら返事をした。相変わらずゆかりが近くに来るとどぎまぎしてしまう。白い肌にはっとしてしまうのだ。だが今日は違うことが気になったので、ゆかりと距離が離れてから十吾にたずねてみた。
「ねえ、最近ちょっと上条さん変わったと思わない?」
「そうかあ? どのへんがだよ」
「前までならわざわざ男子におはようなんか言わなかったし、なんていうか、やさしくなった感じがしない?」
「んなわけねえよ。おれ、昨日だってどやされたぜ」
「それは、十吾くんが教室中の窓に息吐きかけて落書きしまくってたからでしょ。注意もされるよ」
「でもよ、そんくらいやさしかったら見逃してくれるんじゃねえか?」
「うーん、やさしいってそういうことじゃないと思うんだよね。ぼくにもうまく言えないけどさ」
「わかんね」
 両手を外側に広げ、理解不能を示す十吾。しかし本当は、暖かくなったような柔らかくなったような、以前のゆかりとの雰囲気の違いを、うすうすとは感じていた。一方的に叱られる立場ではあるが、毎日ゆかりとは接触しているので、機微には疎くない。ゆかりの最近の強張りようが気に食わなかった十吾としては、悪くない展開と言えた。もちろんいちいち注意されるのはいらつくが、前ほど腹は立たない。なぜだろう。注意するのにも意味があると思わせる言い方だからか。これが吉男の言う「ちょっと変わった」のかと十吾は考えた。そして同時に変化の理由や意味も考えた。長くは持たなかったが、十吾は考えはじめた。
 通学路にある空き地を一瞥して、そろそろ積もりそうだなと湊は思った。この冬が終わる頃には卒業だ。中学になればがらりと環境が変わったりするのだろうか。でも、ムトとの出会い以上に衝撃的な出来事なんて無さそうな気がした。あれほど不思議に満ちた存在がほかにいるだろうか。
 しかし最初はただ未知で、謎の存在だったのが、いつしか対等な友だちになっていた。星々での旅の記憶はとても神秘的であり、時には刺激を伴ったその魅力は湊たちを取りつかせるが、それだけではない。妙に人間くさく、意外に不器用なところもあるムトのことが、湊も吉男も十吾もゆかりも好きになっていた。そこに条件はなかった。
「今日は格好が違うのだな」
 住処に着いた全員を眺め回してムトが言った。「服が多い」
「もう十二月ですもの」クリーム色のコートをつまんでゆかりが言う。「外は雪も降ってるし、さすがに寒いわ」
「そうか。君達は寒さにも弱いのだったな」
「ムトは寒いとか無いんだよな」ジャンパーを脱ぐ十吾。この部屋は寒くない。「いいよなあ。なんかめんどくさいんだよ。この、季節に合わせて服かえるのがよ」
「そういえばムトはいつもその服だけど」ムトの着ているシャツを指して湊がたずねる。「何かこだわりとかあるのかい?」
「私は服など着ていないぞ」
「え?」
「これは形態変化だ。このズボンもそうだが、服を着ているふうにして、人間と変わらない見た目にしているのだ」
「ええっ」驚く一同。
「ちょ、ちょっと触らせてもらってもいい?」
 まだ信じられない吉男がお願いすると、後ろで三人も頷いた。
 それは本当にシャツの質感そのものだった。身体の一部だとはとても思えない。ただよくよく見ると、後ろの一点だけムトが動いてもたなびかない箇所がある。そこがおそらく身体の内側と繋がっているのだろう。
「すごいなあ。知らなかった」
「こだわりについては特にないが、強いて言うならば華美でなく、ごく一般的な服装にしているという点だろうか」
「それにしてもすごいよ。皺だって再現できてるし、本物と見分けがつかないや」
しきりに感心する湊を見て、自分もだが、本当に楽しそうだなと吉男は思った。
「でもよ、そのシャツやらが服じゃないってんなら、ムトはだかってことになるよな」
「はっ……」
 十吾の発言にゆかりが驚愕する。
「そうだ。私は全裸だ」
「ぜっ……」
 ゆかりは絶句した。顔が真っ赤になった。いやいや、裸なんてあくまでムト基準。見た目はちゃんと身に着けているのだから、恥ずかしがることなんてない。そうよ。うん。
 そう思うも、やっぱり恥ずかしい。でも、だからこそあえて、自ら聞いていかなくちゃ、とゆかりは気を奮った。
「む、ムトの一族は皆こんなことができるのかしら?」
「そうだな、ある程度は共通で、しかしそれぞれ得意分野が異なる。私は形態変化が得手だが、力は弱い」
「力というと、腕力のこと?」
「いや、主に精神の感応性や流動力のことだ。例えば君達に旅の話をする時に、私は映像を見せるだろう。それが力の強い者なら、より鮮明で強いイメージを送信することができる。同族の中でも力の序列が存在するのだ」
 今でも身に余るほどの映像なのに、あれで弱い方なのか、と湊は少し不安になった。ゆかりも同じで、そのおかげで恥ずかしさはまぎれた。
「そろそろおやつにしない?」ナップサックから(かん)を取り出して吉男が言った。「ぼく、クッキー焼いてきたんだ」
「まじかよ。いただきまーす」
「早いったら。いま配るから待ってよ」はやる十吾を制し、吉男は二枚ずつ皆に分配した。
「うんめー」いきなり一枚をたいらげ、十吾が声をあげた。
「本当。おいしいわ」ゆかりも目を丸くして、まじまじクッキーを見た。「シナモンが入ってる」
「なあ、みなとはしってたか? よしおがこんなのできるなんてよ」十吾は些か興奮している。
「僕は何度か、探検に行ったときに食べさせてもらったことあるよ。おいしいよね」
「なんだよずりいなあ。そんならおれも、もっと前から行っときゃよかった」よほど気に入ったのか、本気で残念がる十吾。「おめえ、料理人とかなれるんじゃねえか?」
「えっ、ぼくが」
 考えたこともなかったので吉男はびっくりした。
「むりだよ。ぼくなんて」
「そうかしら。あたしは充分いけると思うわ」少し真面目な顔つきでゆかりが言う。「このクッキーだって、口当たりが優しいから誰でも食べやすいんじゃないかしら」
「僕もなれると思う。子どものうちから作れるなんてすごいことだよ」
「ほらみろ、いけるって。なったらいいじゃねえか。そんで、おれに毎日うまいもん食わしてくれよ」
「十吾くんはそれが目的でしょ」
 と言いつつ、急に皆が手放しに褒めるものだから、吉男は言葉に詰まった。
「今日は、湊くんが食べ物に関する調査をするっていうから、それで持ってきただけなんだよ」
「なんだよ、もったいねえな。もったいねえよ」
 できるのに、と思いながら、ふと十吾は何とも言えない感覚がした。
「じゃあ、そろそろ」湊はムトに向き直った。「確認だけど、ムトは何も食べないんだよね?」
「そうだ。食事はしない」
「食べたら害があるの?」
「基本的に全て体内で分解されるので影響は無い。異物が混入した際には即時排出される」
「そうかあ。いろいろ用意してきたんだけど、何も起こらないかもしれないね」
「やってみなければ分からない。何かやるなら構わないが、ただし私に味覚は無いので、その点は期待に添えないな」
「おっ、だったらクッキーくれよ」と十吾が身を乗り出す。
「やめなさい。意地汚いわよ」すかさずゆかりがとどめる。
「しかしジュウゴの言う通りだ。私が食べても意味が無い」
「僕としてはいちおう反応が見たいから食べてみてほしいんだけど」湊が提案する。「じゃあ吉男くんと一枚ずつ分け合ったらどうだろう。吉男くんは自分の分を持ってきてないし」
 少し考えてから、それならといった様子でムトは吉男に一枚を渡し、クッキーを食べた。丸呑みなことに少し驚いたが、食べてからムトが言葉を探しているのに吉男が気付き、あわてて止めた。「いいよいいよ、むりに何か言わなくて」
 みんながあれこれ褒めたものだから、自分も感想を述べるべきかと迷ったらしかった。ムトらしいなと吉男は思った。
「ミナトは何を用意したのだ?」ムトがたずねると、湊はリュックからいくつもの小瓶やチューブを取り出した。
「調味料をいろいろ持ってきたんだ。食べるのはあくまでムトだからね、薬品なんかは使えないし、そうだな、ちょっと地球のものを味見してもらう形になるのかな」
 砂糖、塩、ケチャップ、蜂蜜、ウスターソース、粉チーズ、わさび、からし、鰻のたれ……それらの容器をムトが物珍しげに見ている。
 湊が照れくさそうに言った。「醤油は、母さんが今日の晩ご飯に使うからって持ってこれなかったんだけどね、どれでも好きなの選んでよ」
 ムトにスプーンを渡し、使い方を教えてから、湊は紙皿を何枚か置いた。皆がキャップを開け、中身を押し出したり、小瓶の穴から適量ずつ出すのを見るたび、ムトは「おお」と感心したように呟いた。
 やはり無味だからか、食べたものに対する感慨はムトにはなさそうだった。ただ、それにまつわる話は皆から飛んだので、地球の知識や物の関係性を知るという意味はあった。
 ちょうど吉男がパックの紅茶を淹れており、ムトが砂糖を食した時にはゆかりが「紅茶と合うのよ」と、香りを楽しむという趣きの話をした。味覚はなくとも嗅覚があるムトは、なんとなく理解したようで、それを見た湊が新たな実験テーマを得たりした。
 多量のわさびを一飲みにしたにも関わらずけろりとしているムトに驚いたり、本来つけるべき食べ物についてあれこれ議論を交わしたりと、場はけっこう盛り上がった。
 しかし、ムトが最後に塩を食した時だった。
「あれ? ムト?」
 異変に気づいた湊が呼びかけたが反応はない。スプーンを持ったまま、ムトは完全に停止していた。ぴくりとも動かなくなったのだ。
「おいおい、やべえんじゃねえか」
 十吾の言葉にあせりを感じる間もなく、ゆかりが「とにかく安否確認を」と言ったので、湊はムトの身体をそうっと調べた。吉男はおろおろするばかりだ。
 口に手を当てるが息をしていない。頸や手首に脈がない。眼球も動いていない。そもそも呼吸や血の巡りがあるのか無いのか、それすら知らないのだ。ムトについて知らないことが多すぎる。人間に対しての調べ方では分からない。これまでの実験や調査の順番を、湊はひどく後悔した。
 とはいえ止まっていること以外の異変はなさそうだった。体色も変わらないし、形態変化も解けていない。下手に動かすよりはと、皆はしばらく動向を見ていることにした。全員が不安に駆られながらも、ムトの無事を願った。感じる責任よりも、ただそれが強かった。
 三十分ほど経ってムトが動いた。
「ふむ」
 すぐさま皆が駆け寄る。「ムト! 大丈夫!」
 全員をゆっくり眺めてムトが言った。「ああ、異常はない」
「よかったよう」吉男は半泣きだ。他の三人も息を吐いてひとまず安堵した。
「しかしよ、なにがあったんだ?」
 十吾の問いに、ムトが塩の入った皿を指差す。
「どうも、その塩というのは私を止める作用があるようだ。しかもおそらく、触れるだけで発揮する。もちろん体内に入った時より効果は薄いだろうが」
 自分たちが日常的に口に含んでいるものでも、ムトにとっては違うのだ。ちょっとしたもの、という認識に意味はない。そんなこと分かっていたはずなのに、と湊はあらためて猛省した。
「ごめん。僕が軽率だった」
「謝る必要はない。私はむしろ礼を言いたい。自身ですら知らなかった私の性質を知ることが出来たからだ」
 本心なようだった。人間が考える常識の死から、ムトはきっと遠い所にいる。でも、だからといって。
「助かるよ」
 としながらも、湊の中で身を焦がすほどの激情が生まれていた。それは懺悔でもあり懲戒でもあり、何より自分への憤りだった。未知の生物であるムトと過ごすことは楽しく、諸々の渇望が満たされる。しかしいつしか都合よく常識に当てはめ、理由なき楽天性を付与していた。命を軽んじていたのだ。堕落した自身の認識に、湊は心底怒りを覚えた。
 感情に捉われると何も見えなくなる。だが忘れてしまうと、きっともうどうしようもなくなる。湊は、この自分自身へのみ行き場のある気持ちを原動力に変えようと思った。ただし怒りや戒めではない。その根底には、ムトや仲間が大事という思いがあると分かったからだ。そうでなければこれほど腹も立たないし自分を責めることもない。幼い頃から数々の実験や研究をしてきた湊は、失敗の責任は自己にあると思う節が強く、傷つくほどの矜持(きょうじ)は持っていなかったため、すぐ建設的に考えることができた。他者へ心を向け、思いやりに気付けたからこそ、見失わずにいられたのかもしれない。
 湊はぐっと前を見た。
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