8-1節

文字数 2,279文字

 冬休み最後の日、顔を合わせた四人はやはり憂鬱な顔だった。納得していても気は進まない。だが、それでもムトには会いたい。寂しい気持ちを抱えたまま住処へ行くと、一面が花畑になっていた。
「えええ」吉男が素っ頓狂な声をあげる。
 鮮やかに彩られた無数の花が部屋中に咲いていた。大小さまざま、中には珍奇な形をしたものもあるが、部屋の発光から相乗効果を受けた神秘的な光景の美しさに息を呑み、目を奪われた。
 部屋の真ん中にムトがいた。呼びかけると、花が部屋の隅に寄っていき、ムトまでの道を作った。「おはよう」とムトが言ったので、ひとまずいつも通り挨拶をする。
「これ、どうなってるの?」少し気分を持ち直したゆかりが言った。「ずいぶん前に形態変化を見せてもらった時、こんな花を咲かせていたわよね」
「同じものだ」とムトは答えた。「この部屋は私の一部なのだ」
「ええっ」四人とも驚愕した。
「肉体の一部というわけではないが、そもそも住処というのは私に蓄えられた星の力を使って形成されているので、私の意のままに動かせる。形態変化も自由というわけだ」
「知らなかった」
 毎日通いつめていても、まだまだムトの中には底知れぬ未知が眠っている。ますます離れがたい気持ちが湧いてきた。
「でも、なんで今日はこんなことしてくれたの?」と吉男が訊ねた。
「君達には色々と世話になったので、何か礼を尽くさねばと思ったのだ。これくらいしか出来なかったがね」
「そんな」
 礼を言うのはこちらの方だと、皆が思った。ムトからは数えきれないほどのものをもらった。この部屋で起こった不思議な体験だけではない。もっと、言葉で表せられない大切な何かをだ。
 それはこちらが勝手に受け取ったものかもしれない。けれど、だとしても、ムトと過ごした思い出はかけがえのないものだった。だからこそ、ムトからの告別は受け入れなくてはいけない。
「ありがとう、ムト」と湊が言った。「僕たちの方こそ、ありがとう」
 それから、ムトに文字を教えたりちょっと実験をしたり、いつもと同じ過ごし方をした。時折り悲しみが湧くたびにぐっとこらえた。時間よ止まれと何度も念じたが、楽しい時間は過ぎるのが早かった。どうしても、今は一瞬だった。
 夕方になり、ムトが「出よう」と言った。最後にエレベーターに乗り込んだムトが手をかざすと、部屋から収束した光がムトの元へ集ってきた。部屋のあった場所にはぽっかり穴が空いたが、奥から壁がせり出てきて最終的には横の壁となだらかに同化した。一階に到着後またエレベーターに触れ、「これで元通り」と言ったとき、ムトの体は青白く微発光していた。
「星の力を回収したってことかい?」湊が訊いた。
「そうだ。だがこのままでは目立つので、これを使わせてもらう」とムトはパーカーのフードを被った。「すまないなユカリ。後で返す」
「いいわよあげる。餞別ね」
 ムトの服をつまんで乱れを直し、ゆかりは笑った。
 外はすっかり暗くなっている。もう帰る時間だ。
 人がいない所が良いとムトが言うので、湊たちは路地裏に案内した。予想通り誰もおらず、狭い空が見えた。
「では」と言ってムトは一人ずつ握手を交わした。
「別れの時はこうするのだろう?」
 別れ。はっきり口にされると堪えるものがある。でもムトだって平気なわけじゃない。手を握ると、そう確信できた。
「そんなにしんみりすんなよ。これで終わりじゃねえぞ」
 十吾が湊の肩に手を置いた。「みなとがえらい科学者になったらよ、また会えるぜ。そうだろ?」
 湊は噛みしめるようにうなずいた。「そうだね。きっとそうだ」
 そのとき、ぼくは何者かになれているだろうか、と吉男は思った。
「楽しみにしている」
 ムトはもう一度湊と握手した。「そろそろ行くよ」
「うん」
 穏やかに見送ろうと思い、皆は泣くのを我慢した。泣くと、別れを告げたムトの気持ちを無下にしてしまうからでもあるし、悲しみをはっきり自覚したくなかったからでもある。
 しかし、いよいよムトの体が光を纏ったまま宙に浮かびはじめると、とてもこらえきれなくなった。
「ムト!」
 吉男が叫んだ。
「出会えてよかった! 忘れないからね!」
 皆が口ぐちに叫んだ。
「ムト! おれ、ぜったい強い男になるからよ!」
「あたしも、今よりずっと優しい人になるわ!」
「必ず会いに行くよ! ムト!」
「ムト! ムト!」
 涙が溢れた。ぼろぼろとこぼれ続けた。冷たい夜風が吹いても、その涙は熱かった。
 ゆっくりとムトが浮揚していく。上空でかすかに光るそれは信号のようでもある。
 目で追えていた姿がやがて点となり、瞬く星々の一部となってもまだ見つめ続ける四人の頭に、奔流が押し寄せた。一切を洗い流すべく決定づけられた、音のない波濤(はとう)だった。
 かつて抱いた希望を胸に、四人は強く願った。大いなる忘却の力に抗い、かけがえのない一つ一つの記憶を深く刻みつけようとした。奪う波に(さら)われまいと、柔らかな砂にしがみついた。無数にある砂粒の、たった一粒さえ残れば思い出せる。そう信じていた。混じり気のない心は、どの欠片も同じ意味を持てるのだから。
 意識が遠のいていく。もはや何も見えない。
 それでも、在るべき星は失われない。失われやしないのだと。
 邂逅も、分かちあった時間も、誇らかなる感情の在り様も、瞳の奥に焼き付いたはずの残光さえ、何もかも、ここより何処でもない彼方へ連れ去ろうとする静寂へ、きっと届くようにと。
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