第8話 過去と過去の間の〈断層〉

文字数 2,032文字

 ノスタルジーのメカニズムについて、もう少し考えてみたいと思います。

 ごく一般的に、〈時間〉は川の流れのような、継続的且つ連続的なものとして認識されています。もっとも、そう認識していなければ、安心して日常生活を送ることはできません。

「5分前にあなたと約束したわたしと、5分後の現在のわたしとの間に連続性はない。よって、5分前の約束を履行する義務は現在のわたしにはない」
 などと言われては、この世の全ての仕事は進捗しなくなってしまいます。

 こうした時間認識は、生活上の便宜のためばかりではありません。
 村上春樹がジョギングをし、熱心にスポーツジムに通っているのは有名な話ですが、連続体としての(おの)が肉体を若々しく保つことにより、村上は〈何か〉をできるだけ不変のまま維持しようとしているのでしょう。
〈小娘〉なる語も、同一体が連続して存在するという認識を前提としているからこそ、〈未だ成熟に至らぬ〉という理由によって、うら若き女性にマイナス評価を与えることが可能になるのだと言えます。
 ここで、『涼宮ハルヒの憂鬱』から引用します。
 
 朝比奈さんは語った。
「時間というものは連続性のある流れのようなものでなく、その時間ごとに区切られた一つの平面を積み重ねたものなんです」
(中略)
「時間と時間との間には断絶があるの。それは限りなくゼロに近い断絶だけど。だから時間には本質的に連続性がない」
「時間移動は積み重なった時間平面を三次元方向に移動すること。未来から来たわたしは、この時代の時間平面上では、パラパラマンガの途中に描かれた余計な絵みたいなもの」※1

 これは『涼宮ハルヒの憂鬱』で提示された未来人〈朝比奈さん〉の時間認識ですが、わたしたちが何ものかにノスタルジーを感じる時、実はここで示されたような形で、〈時間〉というものを捉えているのではないでしょうか。
 一例として、SFでなく日本近代文学の中から挙げてみましょう。テクストは、梶井基次郎の『過古』(1926年)です。

 以前住んだ町を歩いて見る日がとうとうやって来た。彼は道々、町の名前が変わってはいないかと心配しながら、ひとに道を尋ねた。町はあった。近づくにつれて心が重くなった。一軒二軒、昔と変わらない家が、新しい家に挾まれて残っていた。はっと胸を衝かれる瞬間があった。しかしその家は違っていた。確かに町はその町に違いなかった。幼な友達の家が一軒あった。代が変わって友達の名前になっていた。台所から首を出している母らしいひとの眼を彼は避けた。その家が見つかれば道は憶えていた。彼はその方へ歩き出した。
 彼は往来に立ち竦んだ。

! ――その子供は何も知らないで、町角を曲って見えなくなってしまった。彼は(なみだ)ぐんだ。何という

だ! それはもう嗚咽に近かった 。※2(傍点部筆者)

 
 ここで使われている〈旅情〉は、ノスタルジーと同質のものだと考えて大きな間違いはない筈です。
 主人公の〈彼〉が見た〈子供〉は、偶然にも〈十三年前の自分〉に瓜二つだったのでしょうか。
 いや、実際に較べてみれば、年齢以外全く似ていなかった可能性の方が高いと思います。ならばなぜ〈彼〉は、見ず知らずの子供を〈十三年前の自分〉だと感じたのでしょうか。

 それは、〈彼〉が、あたかも「積み重なった時間平面を三次元方向に移動」したかの如き感覚に陥ったからに他なりません。
 そこにあるのは、過去の自分は、過去に属する時点で、既に現在の自分とは切り離された

なのだという意識です。
 別個である以上、互いに異なっているのはむしろ当然です。だからこそ〈わたしたち〉は、自分が住んでいたわけでもない田舎の風景や、自分の高校時代とはおよそかけ離れた〈学園もの〉の世界まで、同じノスタルジーの範疇に含めてしまえるのです。

 つまり、ノスタルジーのメカニズムとは、〈現在〉を〈過去が変化したもの〉、あるいは〈過去が変化しつつあるもの〉と捉えるのではなく、一旦〈過去〉と〈現在〉を切り離し、互いを〈異なるもの〉、あるいは〈連続していないもの〉と捉えることを前提としているのです。
 こうした捉え方をすることによって初めて、〈現在〉と〈過去〉、または〈過去〉と無数の別な〈過去〉との間には〈断層〉が生じます。そして人の心は、その〈断層〉を埋めようとするかのように、「泪ぐ」むほど痛切な感情を生じさせます。
 それこそ、ノスタルジーの正体なのです。

〈わたしたち〉が、時間の変化から女性の一時期だけを取り出し、〈少女〉として定着させる行為も、実はノスタルジーと同じメカニズムに基づいています。
 ――というわけで、ようやく〈少女〉に辿り着きました。

 次回は、いよいよ〈少女〉という存在について考えてみます。

※1 谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』、角川スニーカー文庫、二〇〇三年、一四五頁―一四六頁。
※2 梶井基次郎『檸檬』、新潮文庫、一九六七年、九五頁。
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